忍者ブログ

私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

相模原で起きた障害者の大量殺人事件は、安倍政権の歪んだエリート主義が生んだ実である(2)―人間を滅ぼす偽りの「マトリックス」からはブラグを抜け!

<続き>

さて、神戸の事件から相模原の事件に話を戻すと、植松容疑者は、衆議院議長に宛てた手紙の中で、自らの行う障害者の大量殺人が、「全人類が心の隅に隠した想い」を実行に移すことであり、「日本国、全人類の為」に実行される「作戦」行動であり、「今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えて」いると述べている。

そのことから、我々は、植松容疑者の思想にも、酒鬼薔薇と同じような、誤ったエリート主義(優生思想)が潜んでいることを理解できる。さらに、植松容疑者は自らの声明文の中で安倍晋三の名前を引き合いに出して、自分の犯行に予め国家権力からの同意とお墨付きを本気でもらおうとしていたことに注意したい。
 

植松聖容疑者の手紙より一部抜粋
 
「私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で、今回の作戦を提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障碍者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

重複障碍者に対する命のあり方は未だに超えたが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可決(※ママ)である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。


「どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。」

今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。」

「ご決断頂ければいつでも作戦を実行致します。
日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではござますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。

全文は「植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告
(ニュース速報Japan 2016/7/26)に掲載されている。


植松容疑者は、この手紙の中で、障害者の殺害という計画は、「日本国と世界平和の為」の「革命」であると述べ、自分は国家のためにこの作戦を実行するのだと強調し、その「見返り」として、逮捕後の国からの具体的な支援を求めて「取引」までも申し出ている。

ご決断頂ければいつでも作戦を実行致します。」などと書いている様子からも、この人間が自らの犯行を官邸への「献上物」のように差し出そうと考えていたこと、自己を安倍晋三の影の代理人のようにみなし、場合によっては、本気でこの計画に国からの賛同と支援がもらえるかも知れないと期待していた様子が伺える。

当然ながら、理性ある人間の誰一人として、こんな狂った申し出に耳を貸すことはあり得ないのだが、それにしても、植松容疑者が、衆議院議長を通して、他でもなく安倍晋三とのコンタクトを取りたいと願った背景には、植松容疑者の弱者抹殺の思想に、安倍政権との弱者切り捨て策と根本的な親和性が見られるためである点は見逃せない。

この人物は、自分の犯行が、安倍政権の「隠れた思惑」を体現し、これを実行に移すものであることを直感的に知っていたのである。

だから、もし我が国が、この凶行をきっかけに、この国の取って来た残酷な弱肉強食の路線を改める必要性に気づくことができなければ、この国は本当に終わりであろう。

植松容疑者の犯行には、明らかに、小泉政権の頃から自民党が行って来た、障害者への福祉サービスの切り捨てや、弱肉強食のグローバリズム、市場原理主義の推進、若者の就労環境の劣悪化や、学生を食い物にする奨学金という名の金貸しビジネス、などなどの、社会的弱者を容赦なく食い物とし、彼らの犠牲の上に繁栄を築こうとする我が国の誤ったエリート主義的政策の残酷さの全てが、余すところなく信念となって結実しているのだと言える。

安倍政権のもとで、厚労省が精神障害者の受けとる年金額の減額方針を固めていた問題は、この事件と絡めて、すでに人々に指摘され始めている。(障害者年金の新基準については、「精神障害者ら7.9万人、受給減額・停止も 年金新指針で  医師団体推計」(日本経済新聞 2015/12/12 参照。)
こうして国は、まさに一番、抗議する力を持たない弱者から順番に、「国家の重荷」として切り捨てて行こうという思惑をあらわにしていたのである。

だから、結局のところ、国は、酒鬼薔薇聖斗や、植松容疑者ほどにあからさまにその信念を公言し、自ら手を下そうとしなかっただけで、実際には、その政策を通して、事実上、「自分で生き延びる力のない社会的弱者は死んだ方がいい」と公言しているに等しいのである。

沖縄・高江における政府機動隊の弾圧も、緊急事態条項が創設されれば、政府にとって不都合な国民はみなことごとく同様に弾圧を受けることの予表である。人々は首を絞められ、車で轢かれ、いつ死者が出てもおかしくない事態が展開している。

こうして、憲法改正がなされずとも、あたかもすでにそれが成就したかのように、国家が率先して、不都合な人間の排除に乗り出している今、植松容疑者のような人物は、自民党政権の弱肉強食の政治方針、さらに、自民党の中でも、とりわけ強権的な安倍政権の残酷な政治思想を自ら「忖度」した上で、自らその体現者として名乗り出て来たのだと言える。「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する」…という文面はそういう意味なのである。

つまり、強者の生存のために、弱者は容赦なく犠牲になるべきだという「国策」の実現を手助けするために、私は自ら手を貸しますよと、名乗り出て来たのである。
 
国が弱肉強食の政策を推進し、緊急事態を口実に人権まで停止しようと企んでいる状況で、植松容疑者が言わんとしたのは、仮に自分が率先してその理念を実行に移し、弱者を抹殺して国家の重荷を減らす手助けをしたからと言って、一体、その何が罪なのだ、むしろ、国家の負担軽減という計画に助力しているのだから、報酬をもらっても良いくらいであり、政府は自分の逮捕後の世話をしても当然だということである。

おそらく、社会の大勢の人々がこの事件を通して自省させられたことであろう。若者を容赦なく使役した上で残酷に解雇して利益を上げているブラック企業の社長や社員たち、奨学金ビジネスで身を立てている人々など、多くの人々が、自分たちのやっていることは、実質的に植松容疑者と変わりないことに気づかなったろうか? そもそも弱く若い世代にすべてのツケを負わせて成り立っているこの社会そのものが、植松容疑者と同じ理念を共有していることに気づかなったろうか?

植松容疑者が自らの手紙の中で、安倍氏へのコンタクトを願っているのは決して偶然ではなく、それは彼が安倍の中に、自分と共通の思想を見いだしていたためであり、大企業や外国にばかりおもねり、国内の声を上げることのできない者たちは容赦なく見殺しにする安倍自民党政権の政策に、自分と同種の「理想」を見ていたからに他ならない。
 
今、もし我が国に生きる人々が、この事件の持つ深い警告の意味に気づかなければ、植松容疑者のような人間は、また二度、三度、その度ごとに、より残忍さを増して現れて来ないとも限らないだろう。

酒鬼薔薇聖斗の時代には、このような「魔物」としての偽りのエリート主義に基づく優生思想は、まだ公然と姿を現すに至っていなかったが、植松容疑者にあっては、「魔物」はもはや自分の姿を人々の目から隠そうともせず、人間を操り、人間と一体化し、堂々と自分の贈り物を携えて、国家の前に姿を現したのである。

魔物は満面の笑みをたたえて言う、「ねえ、ほら、これがあなたたちの望んでいる世界なのでしょう? 高潔で思いやりあるヒューマニストの仮面を被りたいあなたたちが、臆病さゆえに決して言えないでいる言葉を、私が口に出し、実行してさしあげますよ。全ての見たくない「美しくない現実」が根絶された幻想の国。これぞ、まさに、あなた方の思い描いている"beautiful Japan"(美しい国)の実態なのでしょう?」

それが、犯行後に容疑者が投稿したとみられるツイート「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」の意味なのだろうと推測される。

かつて小泉政権の時代まで、我が国の政府はハンセン病者の絶対隔離政策を法律で義務化し、平成になるまで、ハンセン病者を「社会の恥」とみなして人前から隠し、強制隔離に及び、人権を奪って塀の向こうに押し込めて来たのである。

ようやくその絶対隔離政策が終わって、まだその反省も十分に行われないうちから、今度は、緊急事態条項を作って、国家にとってすべての不都合な人間から人権を奪って、塀の向こうに追いやろうという計画が蠢き出しているのである。

一体、我が国の人権意識はなぜこれほまでに低く、なぜこれほど薄っぺらい人間観が横行し、こんな未開のところを未ださまよっているのであろうか。安倍晋三の言う「美しい国」とは、まさにハンセン病者の強制隔離のような時代への逆戻りに他ならない。要するに、それは人間を喜ばせるきれい事だけで塗り固められたウソの世界であり、うわべだけを美しく飾って、その陰で、人間にとって全ての見たくない不都合な現実を覆い隠し、排除した上で作り出される幻想の世界である。

安倍政権こそ、「美しい国」という名目の下で、植松容疑者が一日で成し遂げたことを、政策を通して、実行に移そうとしているのであり、彼らが向かっているのは、植松容疑者と同じく、歪んだ優生思想に基づく「淘汰」の世界なのである。

むろん、抹殺されようとしているのは、すべての社会的弱者である。この「美しい国」では、国家の威信を高めてくれそうにない全ての「美しくない」矛盾は、厳重に隔離され、無いものとして抹殺される。「美しい国」には、原発事故の影響などあってはならない。雇用情勢の悪化も、株価の下落もあってはならず、そこには、虐げられた若者もいなければ、被爆労働者もおらず、沖縄の不幸もなく、社会的弱者もおらず、老老介護の問題もなければ、待機児童もおらず、障害者もなく、少子化問題もない。

こうした現実の全ての矛盾や問題を無視した「きれい事」の陰で、今まさにどれほど多くの人々が、現存する政府の政策によって見えないナイフを喉元に突きつけられ、「自分で自分を救うことのできないおまえには生きる価値がない。社会の重荷であり、周りを不幸にするだけのおまえは、生きているべきではない」という悪魔のささやきを耳元で聞かされていることだろう。これら全ては政府の誤ったエリート主義的政策が生んだ弊害であり、国の政策が、彼らの存在自体を抹殺しようとしているのである。

植松容疑者の実行した「障害者の安楽死計画」が、単なる個人的な犯行として片づけられないのは、それがヒトラーがナチズムを通して国策としてドイツで推し進めた狂気の優生思想と根本的に同一だからでもある。
 
ナチス・ドイツは1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者を「生きるに値しない生命」として抹殺した。(ナチス・ドイツの安楽死計画については、ヒトラーの「超人思想」の謎~ ナチズムの裏面史 ~第2章:ナチス・ドイツの「安楽死計画」などを参照)。

ナチスはドイツが1920-30年代にかけて見舞われた国家的経済危機が、障害者への支援が国の負担となって起きたものであるかのように説明し、障害者の存在が社会の効率的な運営を妨げていると主張したのである。そして、以下のポスターにも見られるような、知的障害者に対するネガティブ・キャンペーンを展開し、障害者への福祉の削減、最終的には、障害者の存在そのものの抹殺を訴えたのである。

 

 
画像は"Mind and Flux, Disability and Propaganda"から転載。
ポスターの文面要約:「遺伝性の疾患を抱える一人の人間を一生支援するために、コミュニティが背負う負担額は6万ライヒマルク。いくら何でも高すぎませんか。」

 
だが、実際には、当時のドイツの経済危機は、第一次世界大戦の敗北の結果、ドイツに課された多額の戦争賠償金に由来するところが大きく、ナチスの言い分は。この問題をただ障害者に責任転嫁しただけに過ぎなかった。

なぜそのようなナチスの詭弁に多くの人々が惑わされたのかと言えば、そこに巧妙な心理的トリックがあって、そのような責任転嫁を口実にしさえすれば、当時のドイツ人が、戦争における自国の敗北という重い現実と、それに伴うツケと真正面から向き合わなくて済んだからである。

つまり、すべてを障害者のせいにかこつけてしまえば、敗戦の責任を直視する必要もなく、それによって自尊心が傷つけられることもない。そのようにして、現実から逃げることで、プライドを打ち砕かれて自信喪失に陥ることを避け、なおかつ、多額の賠償金がもたらした経済危機をどう解決するのかという問題からも目を背け、ただ「強いドイツを取り戻す」といった、自分たちのプライドを満足させて、心を高揚させてくれそうな、うわべだけの美辞麗句のスローガンに飛びつき、現実の諸問題を解決するための何ら具体的な道筋が見えてもいないのに、問題をすり替えることで、自分たちの未来に希望があるかのように思い込もうとしたことが、ナチスという超国家主義の台頭を招く主要な心理的原因の一つとなったのである。

日本の現状はこの当時のドイツにかなり似ていると言える。我が国では、先の大戦での敗北を未だ直視できない人々も数多く、さらに、増え続ける国家の財政赤字、少子高齢化、原発事故の影響などが、この国そのものの威信を著しく低下させており、国の未来に暗黒の影を落としている。こうした問題の多くは、従来の考えでは全く打つ手がないものばかりであり、社会構造の根本的な変革を促すものであるが、過去への反省を抜きにしてはそのような変革は生まれ得ない。

だが、自らのプライドが傷つけられたくないために、過去の誤りを直視することを拒み、これまで通りの生き方によって得られる利益を手放したくないある人々は、自国に抱いていた偉大な幻想が崩れゆくことに耐えられないあまり、自分たちの犯した失敗と、痛みに満ちた現実から目を背けようと、オリンピックのように、何かしら現実離れした偉大な幻想に逃避しながら、虚構の自信、虚構の勝利を演出し、全ての現実的な諸問題については、これを手っ取り早く誰かに責任転嫁してしまおうと、スケープゴートを探し求めているのである。

ナチズムの超国家主義のような思想は、国力が低下し、人々が未来に希望が持てなくなり、コミュニティの伝統的な生活が危機にさらされればさらされるほど、ある人々を強く魅了する。自分たちが責任を問われなければならないとなると、ある人々は、それを防ぐために、ますます現実から目を背けて、ありもしない幻想に逃避し、誇大妄想的な自己イメージを膨らませて、集団的自己陶酔にふけるのである。果ては国がまるごとそうやって現実逃避に走るということが起きる。

現在の日本が抱える全ての出口のない問題について、国民一人一人がそれを我が事として悩み、苦しみ、心を痛めながら、明日をどう築き上げるべきかを真摯に考えるのではなく、こうした問題を社会的弱者の責任になすりつけることで、問題の原因をすり替え、一部の人々だけを悪者として描き、彼らを抹殺することで、自分たちはエリートであって彼らとは違って生存に値するのだという愚かしい考えに逃げ込んでそこで自己安堵しようとする連中が出現するのである。

植松容疑者の文章からは、彼がナチス・ドイツの推進した「障害者の安楽死計画」と同じように、「社会的弱者は生きるに値しない」という歪んだ思想の持主だっただけでなく、彼が自らを「進化した未来の人間」のように考えていたこと、つまり、自分自身は生き残るべきエリートの一員であって、障害者とは全く違う存在である、と考えようとしていたことが分かる。

植松容疑者は声明文の中で「容姿に自信が無い為、美容整形を行」うなどと述べているが、興味深いのは、その理由である。つまり、彼が自分の容姿に「自信が無い」と考える動機とは、女性にもてないとか、もっと男らしくなりたいとか、そんな単純な、昔ながらの価値観に基づくものではなく、自分の容姿が、彼自身が理想とする「未来人」の姿に似ていないからなのである。声明文には次のような文面が書かれている。
 

外見はとても大切なことに気づき、容姿に自信が無い為、美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージそれらを実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。


一昔前、容姿に自信のない男性は、三島由紀夫のように、肉体改造に取り組んだものだが、時代の価値観が大きく変わっているようである。植松容疑者が憧れるのは、「進化の先」にある「未来人」の姿である。彼にとっての理想としての「未来人」の姿とは、「宇宙人が代表するイメージ」に似たものである。彼はそれを自分の理想として思い描き、未来人の姿を体現せねばならないと考えて、美容整形という方法で、自分を改造しようとするのである。

今の時代、ある人々にとっての理想の容姿とは、ますます人間臭さの伴わない、生きた生命や感情の感じられない、地球外生命体か、命のない人形のように、美しくても、冷たく、人工的で、無機質な姿へ近づいていることが分かる。

さらに、植松容疑者の述べた、「進化の先にある未来人」という概念の意味を正確に理解するには、ヒトラーの超人思想や、トランス・ヒューマニズム、アセンション、霊性進化論などを振り返る必要がある。

筆者はこのブログで、すべての悪魔的思想は、「人が神になる」ことを最終目的とする、キリスト教の異端思想であることを繰り返し述べて来た。この悪魔的思想は、キリスト教のように、人間がキリストの十字架という神の側から提供された救いを信じて受け入れることによって、神の側からの「恵み」として救済され、神に受け入れられるのではなく、人間が生まれ持った自己の要素を刺激・啓発し、覚醒することによって、自力で神に到達し、神との分離・断絶を乗り越え、神と一体化しようとする自己救済の思想である。

これは聖書に反する異端、グノーシス主義であり、言い換えれば、神秘主義である。悪魔にとっては、キリストの十字架によらない人間的な方法によって、神に属する「新しい人類」を創造しようということが悲願なのであって、それが、これまで地上に現れて来た全ての悪魔的な思想と計画に共通する最終目的なのである。なぜそうなるかと言えば、これは聖書が御言葉によって信じる者に約束しているキリストにある新創造の、悪魔的模倣だからである。
 
ナチス・ドイツの障害者安楽死計画の背景にも、むろん、この思想がある。つまり、ヒトラーの安楽死計画は、ただ単に当時のドイツの抱える諸問題を社会的弱者に押しつけてその責任から逃れようという考えだけから出て来たものではなく、まさに「新人類の誕生」という計画の一環だったのである。

ヒトラーは、「人間とは生成途上の“神”なのである」と考え、人間は進化の過程で、やがて放っておいても神のように進化し、超人的存在となるはずだと確信していた。彼はそのような人間だけで構成される社会を理想とみなし、人類改良計画の一環として、遺伝子問題の研究に取り組み、犬や猫のように、優れた血統を持つ人間を「生産」しようと試みたのである。

こうして、ヒトラーは一方では、限りなく神に近い、優れた資質と血統を備えた優秀な人間の生産に励みながらも、人間は将来的に二極化し、他方では、機械的・動物的生存へ落ちて行く者たちが現れると考え、そしてそのような者たちは「古い人類」として淘汰され、衰退して行くのが当然だと確信していた。

ナチス・ドイツはこのような歪んだ優生思想を自ら社会に適用して実行に移し、社会の「浄化」という壮大な実験に取り組もうとしたのであり、彼らは、自分たちが「劣等人種」とみなし、「古い人類」に属すると考える全ての人々を社会から排除し、抹殺することによって、残りの人々を「新人類」に近づけ、人類を飛躍的に進化させることができると考えたのである。
 

新しい種類の人類が、いまその輪郭を示し始めている。完全に自然科学的な意味における突然変異によってである。

これまでの“古い人類”は、これによって、必然的に生物学的に衰退の段階に入っている。古い人間は、衰退形態においてのみ、その生を生きながらえるのである。創造力は、全て新しい種類の人間に集中することになろう。この二種類の人間は、急速に、相互に逆の方向へ発展している。一方は、人間の限界の下へ没落していき、他方は、今日の人間のはるか上まで上昇する。……そう、人間が“神”となる。これこそ、ごく明快な意味なのだ。人間とは生成途上の“神”なのである!」

「人間は、自己の限界を乗り越えるべく、永遠に努力しなければならない。立ち止まり閉じこもれば衰退して、人間の限界下に落ちてしまう。半獣となる。神々と獣たち。世界の前途は今日、そのようなものとして我々の行く手にあるのだ。こう考えれば、全てはなんと根源的で単純になることか。」

(「ヒトラーの「超人思想」の謎~ ナチズムの裏面史 ~第9章:「新人類誕生」の実現を目指していたヒトラー」から抜粋)
 
「……人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」

(「ナチスの「人間改良計画」 ~ ドイツの「優生思想」の裏面史 ~第9章:人類の分岐──「人類の二極化」現象」 から抜粋)

 

ちなみに、ここで話が大きく逸れるようであるが、すでに多くの人々を悲惨な事故や死へと追いやっている「ポケモンGO」のゲームにも、人類をマインドコントロールし、神に進化させるという悪魔的実験という思想が込められているという警告がなされていることに触れておきたい。


 



以上の動画は、クリスチャンの立場から、ポケモンGOの危険性を警告するものであるが、この動画で語られているトランス・ヒューマニズム(超人間主義)とは、ゆくゆくは人工知能と人間の脳を一体化させることで、人間を超自然的な存在に高め、不滅の「神人」を生み出そうという計画であり、ポケモンGOはその一環だというのである。

そこでは、このゲームは、世界のエリート支配者たちが、人類をAR(拡張現実)に接続して思い通りに支配する術を開発するための大がかりな社会実験であり、テクノロジーを通じてエリートが大衆を支配し、「サイバー神」になるという、トランス・ヒューマニズム運動の一環であり、そのような運動は、人が永遠の命を得る唯一の道であるイエス・キリストを否定する悪魔的欺きであると警告されている。
 
ARは、人々を現実逃避させるための偽りの「マトリックス」のようなものであり、悪魔の作り出した偽りの世界なのだが、その仮想現実の世界が、スリリングでエキサイティングであるために、多くの人々が危険を顧みず我を忘れてこれに没入し、その結果、取り返しのつかない損害が起きる、というのである。

優生思想というのはどれも同じなのだが、不滅の「サイバー神」という一部のエリートを生み出す目的のために、実際には、どれだけの人間が淘汰され、犠牲にならなければならないのであろうか?
 
映画「マトリックス」でも、マトリックスの世界における死は、現実にも死をもたらした。同様に、ポケモンGOはすでに多くの人々を悲惨な事故や死に至らせており、この仮想現実の世界は、もはやゲームの域を超えて、現実に人を殺す力を持つものとなっている。そのような世界にプラグインした結果、待っている未来が明るいものであるはずがない。

動画では、いずれARにプラグインするための装置が、人間の脳に直接、埋め込まれることになるだろうと予告される。

以上のような話を聞けば、クリスチャンがすぐに思い起こすのが、聖書の黙示録に記述されている、反キリストに魂を捧げた人々が右手か額に受けるという「獣の刻印」である。それはずっと以前から、マイクロチップであるとか、色々な憶測を呼んで来たが、それは人間を反キリストが作り出す偽りの「神の国」としての仮想現実の世界に強制的にアクセスさせるための装置なのだと考えられる。それを受けてしまえば、待ち受けているのは、永遠の地獄だけである。

さて、このブログでは、クリスチャンに対する悪魔の欺きは、人間の魂と感覚の領域に偽物の「霊的世界」を作り出し、様々な恍惚体験によって信者を虜にし、信者が自分は「聖霊に導かれているのだ」と思い込みながら、偽りの「霊の世界」の虜となって、そこから抜け出せなくなるよう仕向けることにあると指摘して来た。そのような欺きの一つが、サイバー空間に作られた仮想現実の世界であり、それは感覚刺激ゆえに人類を虜にしていくのである。

この仮想現実の世界は、聖書の言う「神の国」の霊的統治に似せて造られた悪魔の模造品である。キリストの復活の命に基づく神の霊的統治もまた、現実世界を超越する霊的世界なのであるが、悪魔は、それに似たものを、現実世界に存在する堕落した物質を材料として、現実世界の中に、作り出そうとするのである。

そのような悪魔的な偽物の世界として、今やサイバー空間は埋め尽くされようとしているのであり、これより先、その世界はより一層、神の自然な統治ではなく、歪んだ悪魔的支配を表す空間となって行き、やがて、多くの人の目には、それこそが現実以上に現実的に感じられるような世界へと発展して行くだろうと思われる。



  

トランス・ヒューマニズムとは、人工知能を用いて人間を改良することによって、「人が神になる」という思想であり、人間がもともと生まれ持った能力を開発して神に至ろうとする点で、これも結局は、神智学、霊性進化論、ナチズムの優生学などと根本的に同じ思想なのである。

こうした思想をもし大雑把に分類するとすれば、人間の遺伝子を実際に操作して、人間を「品種改良」することによって、人類を高度に「進化」させて「神人」を生み出そうという試みがナチズムの優生学であり、他方、遺伝子の領域には手をつけず、「霊性」という、あくまで見えない領域から人間を高次元の存在に「進化」させようというのが「霊性進化論」である、と言えるのではないかと思う。

優生学は、現実の人間の「血統」を操作しようと試みるが、霊性進化論は「霊的血統」の転換によって、人類を神に至らせようと試みる。たとえば、統一教会、ペンテコステ運動、国家神道などに共通するのは、人間が、文鮮明や、天皇や、あるいは牧師と言った「霊的指導者の夫妻」に帰依し、彼らを「真の霊的父母」として崇め、「霊の家族」の一員に加わることで、その人間の堕落した血統が「浄化」され、そのように「聖なる家族」に属する人々が増えることで、全人類がやがてはみな「神の家族」に転換され、全人類の救済が成し遂げられるという思想である。

トランス・ヒューマニズムは、人工知能との一体化により、人間の見えない「血統」の転換を成し遂げようとし、サイバー空間を「霊の家」になぞらえて、これに連なる人間を増やし、全人類をこれに接続することによって、人類を「神に進化」させようとする試みなのであろう。
 
最後に、こうした思想の数々は、知れば知るほど、筆者には、驚くほどKFCのDr.Lukeの主張を思い起こさせる。

Dr.LukeのKFCの言う「異言」や「聖霊のバプテスマ」なるものが、聖書に基づくものでない偽物の霊的世界であり、信者が霊界と交信し、正体不明の「霊」に身を任せ、自分でも理解できない音声を話して、それに自己陶酔するという行為が、単なる現実逃避でしかないことはすでに記事で述べたが、このような幻想の世界は、いわば、ARとほぼ変わらない「マトリックス」の世界なのだと言える。彼らはそれに没入するあまり、何が本当の現実であるのか、すでに分からなくなっているのである。

さらに、Dr.Lukeの以下のようなメッセージの標題に使われている用語、

神属人類の誕生」(2016年2月27日)、「聖霊のバイブレーションにチューニングする」(2015年9月20日)、「霊のDNAを活性化せよ」(2016年4月10日)、「すべてを神の目を通して見る」(2016年6月19日)、「左脳の束縛から解かれよ」(2015年8月19日)、「フェイスの覚醒」(2015年12月6日)

などを考慮するだけでも、Dr.LukeやKFCの同氏の言う「神属人類の誕生」とは、要するに、ナチズムと同じように、人間が自己を改造することによって自ら「新人類の誕生」に至ろうという悪魔的自己救済の方法に他ならないことが分かる。こうしたものはすべて結局この世の物質世界に属する事柄であり、人間を新しくする力を持たない「霊の偽物」でしかない。

人工知能に接続するまでもなく、Dr.Lukeがこのような仮想現実に溺れ、日常生活においても、音楽や映像を通して、ひっきりなしに自己を楽しませる感覚的な刺激を受けていなければ生きられなくなっている姿は、まさにテクノロジーに支配される人間の姿そのものだと言える。

筆者はかつてDr.Lukeと共に同氏の車で横浜から福島にあるMr.Sugarの山小屋へ行ったことがあったが、その時の様子を今でも覚えている。その道中、Dr.Lukeは自分の車内で絶え間なく自分のお気に入りの音楽をかけ続けていたのであった。筆者がその時、知ったのは、同氏が、絶え間なく感覚刺激に身を委ねることで、たとえば音楽などのツールが作り出す幻想の世界に没入していなければ、片時も気が休まらないということであった。沈黙や、無音状態に全く耐えられないのである。(後に、同氏と共に山小屋へ行ったことのある別の信者が筆者に向かって、Dr.Lukeについて全く同じ印象を受けたと語った。)

また、筆者は、山小屋に向かっていた当時、携帯電話というものが嫌いだったため、一度も持ったことがなかった。その後、KFCで病に陥った姉妹を見舞うために、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団のcandy氏と共に富士山麓にある大きな病院へ行った時、見舞いの後で、上階にある見晴らしの良い開放的なレストランの喫茶に向かったことを覚えている。歓談の後であったか、折しも夕暮れ時で、巨大なガラス窓の向こうに、雲や山影の合間に、真っ赤な夕陽が輝いて見えた。この雄大な景色に、candy氏は自分の携帯を取り出して撮影を行った。筆者はその時、今まで携帯で一度も写真を撮ったことがなかったことにふと気づいた。(それまで、筆者は常にデジカメで撮影していたのである。)

そこで、筆者は、その時には持っていた自分の最初の携帯をcandy氏に見せて、撮影の仕方を尋ねたのだが、その時、candy氏が筆者に向けた、驚愕と侮蔑の入り混じったような、一瞬の表情を、今でも覚えている。それはまるで、自分の携帯での撮影の仕方を知らないなど、人間としてあり得ないことであるとでも言いたげな表情であった。

その時、筆者は、candy氏も、Dr.Lukeと同じように、流行かつ最新鋭の機器に敏感で、便利なものは何でも真っ先に取り入れたいと願う人間の一人であるのだと悟った。さらに、それだけでなく、なおかつ、KFCにまつわる彼らのコミュニティにおいては、いかに自分が流行に通じ、そつなく上品に振る舞える「スマートな人間」であるかをアピールすることが暗黙のルールとなっており、何事であれ、自分が「できない」ところを見せたり、困っている様子をアピールするのは、ご法度なのだ、ということを察した。

だが、筆者は、携帯は初心者でも、パソコンで何時間もかけて画像を編集したり、ゼロから絵を描いたりする苦労をそれまで味わっていたので、そんなうわべだけの「そつのなさ」を全く評価していなかった。そこで、そのような表面的な立ち振る舞いが大きくものを言うらしいコミュニティの価値観の浅はかさに内心で失望と危機感を覚えたのであった。

また、筆者より何十歳も年上の老境にあるSugar氏も、自分では機器のことなど何も分からないのに、不思議にタブレットやスカイプを使い、最先端の電子機器を持ち歩いていた様子も思い起こされる。筆者が誰にも言わずに更新したWebページの存在を、Sugar氏が知っていたりしたこともあった。

こうした色々な出来事を考え合わせる時、彼ら(Dr.Luke、Sugar氏、KFCに関わる人々)のネットやテクノロジーへのこだわりには、何かしらある種の危険性が潜んでいるということを筆者はどうしても感じないわけにいかない。そういう予感があったために、筆者はかつてSugar氏から毎日のようにスカイプを使っての交わりに呼び出された時に、これを断ったのであった。

固定的な信者の交わりから遠ざかっていた筆者には、本来、交わりは必要なものと見えたかも知れない。だが、筆者は様々な失敗体験を通して、キリスト以外の人間に率直に心を打ち明けることの危険性を学んでいたことに加え、スカイプを通して会話することにもある種の不気味さを覚えていたので、これに接続することを完全に放棄したのであった。

そういった、折に触れて筆者が受けた危惧や予感は、長い年月を通じて、実際の経験の上で確かめられた。KFCに関わっていた人々は、うわべにおいては、自分は人を見下したり、軽蔑したりすることは絶対にない、親切で思いやりのあるクリスチャンらしい人間のように振る舞っていたが、その実、彼らの間では、誰が彼らのコミュニティにおいて、最もうまく成功者のように振る舞い、脚光を浴びることができるかという点で、絶えざる競争が行われていたのであった。

要するに、彼らは、自分が人の上に立ちたかったのであり、どうしてもその誘惑を手放せなかったのである。自分が一人でも多くの周囲の人間たちに比べ、抜きんでて真理を知っており、それゆえ、幸福で、恵まれており、進歩なく同じ問題を堂々巡りしているだけの不幸な人々と違って、神に愛されている特別な人間だという自負が欲しかったのである。
  
KFCとそれにまつわる人々が誇っていた優越感とは、対外的には、キリスト教界の信者に対する優位性に基づくものであり、つまり、自分たちはキリスト教界の信者たちの知らない高邁な真理を知っており、そのような組織にとらわれた生き方をしていないという自負によって保たれていた。他方、対内的には、仲間の信者同士で絶えず比べ合い、他者の弱みを足がかりに、内心で他者を貶め、自分を誇ることによって支えられていた。

また、彼らの心の安寧は、自分が「美しくない」と感じる、見たくない全ての現実から目を背けることによって成り立つ偽りの幻想であった。candy氏は自分が洗礼に導いた障害者の洗礼式で、その障害者が自分で書き記した信仰の証の「美しくない」部分を全て自分好みに書き変え、なおかつ、障害の影響は多少あったが、十分に意思疎通可能なその信者に代わって、自らその証を全て代読して途中で泣き崩れた。

また、Dr.Lukeは、KFCの病にある姉妹が死の床について、以前の壮健さを失って行った時、そのような姿は見るに忍びないとして、それ以上、二度と見舞いに行かなかった。Sugar氏も同じであった。それにも関わらず、Dr.Lukeは彼女の葬儀で誰よりも大声をあげて泣き崩れたのである。生前、あれほど親しく寄り添い、さんざん自分に心を向けさせようと苦心して、頻繁に交わりを持っていたのに、いざ、相手に自分を喜ばせるだけの要素がなくなると、この豹変ぶりなのである。利用していたという自覚もないかも知れないし、彼らはその行為に何か信仰的な、もっともらしい理由をつけて正当化を試みるであろうが、要するに、自分にとって都合の良いこと以外は、何も見たくないという態度なのである。

彼らは、実に高邁な真理を人前で語り、彼らの語っていることの中には、多くの真実もあり、ためになることも、習うべきこともあった。だが、彼らは、自分を美しく偉大に見せることのできる瞬間に対しては、どこまでも貪欲で、熱心であるが、他方、自分で語った真理を隠れたところで実践して行くに当たり、誰でも遭遇する試練、苦難、失敗、挫折、弱さ、争いや対立に見舞われると、そんな苦しみには自分は一瞬たりとも耐えられないとでも言うかのように、たちまちに逃げ去ってしまうのである。しかも、その際、その卑怯な行為を正当化するために、その都度、誰かに濡れ衣を着せ、自分以外の誰かを悪者にしながら、コミュニティの中で自分の立場が低下することのないように、手を打つのである。

彼らの長老然とした、あるいは、饒舌で積極的なスピーチに魅了されている人々は、その言動の裏にあるものが分からないので、まことしやかな忠告を装って他者の悪口を吹き込まれても、免疫がないので本気でそれを信じ込んで、その信者から距離を置いてしまう。そのようにして彼らは信者間の関係にくさびを打ち込み、それを自分の教室へと変えてしまう。人々は、誰かの信仰には問題があると聞かされる度に、自分はそうなってはいけないという教訓なのだと受け止め、より敬虔な信者になるべく、外見を磨きながら、これらの教師たちに取り入って行く。こうして、見栄のための競争が出来上がり、以前には無邪気で対等だった交わりが壊される結果になる。

筆者はこうした信者間で信仰の前進を競い合うエリート主義に生きる信者たちに、自ら相談を持ちかけたり、祈りの支援を乞うたり、彼らの評価を気にして生きるのは愚の骨頂であると悟り、彼らを仲間と思う必要のないことを知った。
 
KFCに関わる人々のすることは何もかもすべて、彼ら自身の見栄と自己顕示のためである。たとえKFCを陰では悪しざまに非難していたとしても、これと公に訣別宣言をしないならば、彼らの仲間同然なのである。

彼らの活動は全て、自分たちがいかに他者よりも優れており、特権を享受している幸福な人間であるかを誇示するために行われるものでしかない。すでに書いた通り、信者の結婚式さえも、その目的のために存分に利用されたのである。そして、その結果、起きたことは、とても痛ましい出来事であった。

聖書は、もし宴席に誰かを招いてもてなすならば、立派な金持ちではなく、貧しい者たちのように、返礼できない相手を招きなさいと教えている。そうすれば、主がその隠れた親切に報いて下さるというのである。本当の親切とは、見返りを求めず、隠れたところで行われるものである。だが、KFCは常に、自分たちの恵みを、自分たちの仲間内の狭い集団の中だけで誇示することで、すべての栄誉を自分たちだけで独占してしまい、他の人々に分かち与えることをしなかった。その独占を、自己の優位性とみなしたのである。

そのような彼らの態度は、常に閉ざされていて、内向きで、何もかもが、自分たちのためであり、そのような態度が、主の御前に喜ばれることは決してあり得ないと筆者は今でも確信している。彼らは地上にいる間にすべての報いと栄誉を受けてしまったのである。

Dr.LukeとKFCは、カルト被害者救済活動の指導者である村上密氏とほぼ同様に、決して自己の本当の弱さや醜さや限界と向き合わなくても済むように、自分がいつでもヒーローとなって人前に脚光を浴びていられるような、偽りの「マトリックス」の世界を作り出し、それを信仰生活とはき違え、その幻想の中で、ついに自分たちは「神である」と宣言するところまで行き着いた。

このような人々にとっては、信仰生活そのものが「マトリックス」だったのだと言える。むろん、以前には知らずに協力させられていたあまりにも大勢の信者が、その虚構の世界に疑念を感じ、これに同意せず立ち去ったので、今、実際にKFCと呼べるものは、ごく限られたわずかな人数でしかないのだが、いずれにせよ、Dr.Lukeは自分自身が信者を巻き込んでこれまで行って来た全ての自己顕示の最終目的が、「神になる」ことにあったのだと自ら告白したのである。まだARが完成もしていないうちから、彼らは悪魔的思想の目的を先取りして宣言したのである。これは恐ろしいことであり、そのツケも当然ながら相当に厳しいものとなろう。

Dr.Lukeの語る「霊的世界」が存在しない偽物であり、彼らの誇っている自慢話も虚栄であるならば、Dr.Lukeという人間そのものも、現実には存在しないヴァーチャルな虚像である、と言えよう。Dr.Lukeという仮想現実が、現実の人間を飲み込んで、消滅させようとしているのである。同じことを、筆者はcandy氏にも告げたことがある。

特権的な社交クラブのようなコミュニティで、そんな「無礼な」台詞をストレートに面と向かって語ったゆえに、筆者はその社交クラブから排除されたわけだが、正直に言えば、本心を殺してそんな社交クラブに名を連ね、自分も彼らと同じようになろうと努力することは、全く人生の浪費と不幸以外の何物でもないと筆者は考えている。

以上のような人々について、今でも、筆者が言えることは、Dr.LukeやKFCが演じている虚構の自己像は、ヴァーチャルでありながら、最終的には、生きた彼ら自身を完全に飲み込んで食い滅ぼすだろうということだけである。

それはちょうどポケモンのゲームに熱中している人が、不意の事故に遭って命を失うようなものである。本当の終わりが来るまで、自分が熱中しているものが、偽りのマトリックスであることに気づかない人々もいるかも知れない。マトリックスは、ありもしない幻想によって人間をおだて上げ、有頂天にさせて、束の間の興奮と栄光を餌として与え、自分自身が飛躍的に高められ、優れた人間になったかのような錯覚を与えながら、最後には瞬く間に彼らを破滅のどん底に突き落とし、そのようにして神とその被造物である人間を愚弄するのである。

アセンション然り、トランス・ヒューマニズム然り、霊性進化論然り、KFCの神属人類然り、ナチズムの優生思想然り、人類が自力で神に到達しようとする試みから生まれるのは、常に、歪んで、誤った、偽りのエリート主義思想だけである。以上に挙げたような思想は、みなそれぞれに違った方面から、「新人類の誕生」を目指して、人類の自己改良に取り組んで来たわけだが、これらは方法が異なるだけで、根本的には同一であり、全て悪魔に由来する、神によらない「偽りのエリート」を生み出すための淘汰の手段なのである。
 
クリスチャンには、関わってはならない悪魔的理念というものが確かにある。偽りのエリート主義に欺かれてはいけないし、彼らの富を羨んでもいけない。そのような人々の誇っている「幸福」や「高邁さ」や「スマートさ」を決して羨んではいけないし、彼らと同じように「進化」しようとする必要もない。たとえ彼らから、流行遅れで不器用な人間のように嘲笑されることがあったとしても、悪魔に魂を売ることに比べれば、そんなことは取るに足りない問題である。競争に踊らされて自分も同じようになろうとすれば、行き着く先は永遠の地獄である。

上記の動画が警告する通り、クリスチャンにはテクノロジーと間もなく訣別せねばならない時が迫っていると筆者も確信している。ポケモンゲームをインストールせずとも、スマートフォンはすでに人間の思考を遠隔操作で盗聴し、誘導するところまで来ている。テクノロジーに精通することは、自分自身がそれに操られることに同意することに他ならない。自分が機械を自在に使いこなしているのだと考えるのは愚かであり、今や人間が機械に操られているのである。

さて、最後に、ヒトラーは、新人類の誕生について「東方が実験場になる」と述べたそうだ。これまで当ブログでは、終末の一大背教の象徴である大淫婦バビロンとは、東洋的神秘主義とキリスト教の混合であり、東洋的神秘主義こそ、グノーシス主義の母体であると主張して来た。

ペンテコステ運動も、東洋的神秘主義とキリスト教が合体してできた異端であり、西洋キリスト教に幻滅して、東洋諸国に足を向けたサンダー・シングも異端者となり、「欧米キリスト教のマトリックスから脱出せよ」と叫んでいるKFCも、異端化したことはすでに述べた。さらに、安倍政権の出現や、ポケモンのストーリーが日本で生まれたことなどを考え合わせても、この東洋の片隅の国に待ち受けている未来が、お世辞にも明るいものであるとは考えられない。

だが、たとえこの世が全体としてバビロン化する現象自体は避けられないにせよ、人間には自分の個人的な歩みについて、自ら決断する自由があり、その自由と責任を人生の最後まで失うことはない。だから、偽りの熱狂や「エリート性」に誘われて、マトリックスの世界になど決して接続しないことである。

また、植松容疑者や、酒鬼薔薇聖斗のようにならないためにも、官僚が作り出した虚構のエリート主義に欺かれないことである。先の大戦で証明された通り、「お国のために役立つに人間になる」とは、死をしか意味しない。教育システムにおいて優等生になろうとする競争から「プラグを抜く」だけでなく、市場原理主義社会において「勝ち組」になるための競争からも「プラグを抜く」ことであろう。

植松容疑者の事件は、安倍政権下での雇用環境の悪化が生んだ悪夢のような悲劇だという指摘もある。大学を出ても未来に希望がなく、学んだ知識も生かせず、本業で独り立ちも出来ず、自分の置かれている劣悪な労働環境から目を背けるために、その鬱憤を自分よりも弱い者に向けるしかなかったのだという見方も存在しないわけではない。

そんなにまでも心を病む前に、人間同士が自ら有用性を競い合うという愚かしい終わりなき競争からは一刻も早く降りることである。「一億総活躍社会」などという名で呼ばれる愚かで残酷な競争に踊らされるのをやめて、国家や、社会や、人々の目に覚えめでたい人間となって、他者よりも高く評価される有用な人間と見られたいという欲を捨てることである。

このように、プラグを抜くべき世界は色々存在する。今は過越の時であろう。悪魔はその高ぶりのゆえに、神に反逆したのであり、我々が、悪魔と同じ誘惑に陥らないための方法は、十字架の謙遜に下ることしかない。キリストの十字架という、人間にとっては何の栄誉も伴わない、不名誉と、死の中に隠れることしかない。

キリストご自身が、人前に栄光を受けず、蔑まれ、嘲笑され、誤解される道を歩まれたのである。なのになぜ、信者が、キリストを差し置いて、地上で自ら栄光を受けることを目的に活動し、まして自ら神になるなどと言語道断な宣言をすることができようか。

この悪魔的高慢から身を守る方法は、人間を高ぶらせるだけの偽りのエリート主義に立たず、決して、これに魂を売らず、キリストと共なる十字架の死というへりくだりの道を行くことだけである。

PR

相模原で起きた障害者の大量殺人事件は、安倍政権の歪んだエリート主義が生んだ実である(1)―偽りのエリート主義としての優生思想とは訣別せよ

・相模原の障害者殺害事件を通して、安倍政権の推進する弱肉強食の社会の理念と、偽りのエリート主義が社会にもたらす恐ろしい弊害を考える

安倍政権が参院選後、沖縄で凶暴な牙をむき出しにしている――。
ポケモンGOなどに浮かれ、操り人形として踊らされている場合ではない。

この記事では当初、高江のヘリパッド建設にまつわる政府による弾圧について書く準備をしていたが、それをアップロードしない間に、相模原での障害者殺害事件が起きた。双方の事件に、安倍政権の残酷さがよく反映している。まずは相模原の件から書いていきたい。
 
相模原の事件は、どこかしら神戸の児童連続殺傷事件を思い起こさせる。容疑者の幼稚さのために、神戸の事件ほどの衝撃的なストーリー性を伴わないが、殺害された人数は、神戸の事件をはるかに上回り、戦後最悪の殺人事件となった。

これが神戸の事件を思い起こさせる第一の要素は、まず容疑者の名前である。スプートニク記事では、相模原の殺人事件の容疑者の名前が「聖(サトシ)」であるとわざわざ読み仮名つきで報じられていた。サトシとは、言わずと知れたポケモンの主人公の名前であり、さらに、「聖」という、凶悪な反抗には似つかわしくない、皮肉のように逆説的な名前の漢字から思い起こされるのは、酒鬼薔薇聖斗の名である。

ちなみに、神戸の事件については、筆者は今でも、酒鬼薔薇聖斗は当時の少年Aとは別人であり、これは国家による捏造された犯罪であり、警察の内部犯行であったとの見解に立っている。すでに書いた一連の記事の中で、酒鬼薔薇聖斗の持っていたような思想は、14歳の少年からは決して生まれ得ないものであること、また、犯行の特徴も少年のものではあり得ず、この事件は、少年法改正(厳罰化)という目的に向けて世論を誘導するために、国家権力によって仕組まれた犯罪であったという見解を示した。

(ちなみに、同様の見解を示している人々は他にもおり、筆者が幾たびか引用した「神戸事件の真相を究明する会編 神戸小学生惨殺事件の真相 」だけでなく、「「酒鬼薔薇事件」18年目のミステリー…別人犯行説を追う(前編)」、「「酒鬼薔薇事件」18年目の真相…犯行声明文は警察が作成!?(後編) 」などにも同様の主張が見られる。)

今、筆者は、相模原の事件について、これが神戸の事件と同様に、国家権力によって予め計画された殺人事件であったと指摘しようとしているわけではない。

だが、植松容疑者は今年2月に衆議院議長に犯行声明文を渡してこの計画に同意を得ようと試み、その手紙の中で、わざわざ安倍晋三へのコネクションを依頼していたという事実からも分かるように、植松容疑者は自らの犯行に対して、国家権力からの同意を予め得ようとしていたのである。そして、国家はそれを知りつつ、これを防ぎ得なかったことを考えれば、不作為の罪によって犯行に加担したも同然だとのそしりは免れられないであろう。

さらに、植松容疑者がわざわざ国家当局者に宛ててそのような手紙を書いた理由は、この相模原の事件にもまた、その根底に、国家権力、特に、自民党政権が歴代に渡って推進して来た偽りのエリート主義と重なる思想が流れているからである。

つまり、相模原の事件も、神戸の事件と同じく、思想的には、これまで我が国が国策として推進して来た誤った弱肉強食のエリート主義的政策の延長上に存在するのである。

そこで今回の記事では改めて、酒鬼薔薇聖斗の事件と、植松容疑者の事件には共通して、国家権力によって作り上げられた偽りのエリート主義思想の深い影響が見られること、その意味で、これらの事件を生んだ本当の責任は、国の弱者切り捨て政策にあり、これを改めない限り、同様の事件は今後も続く可能性があることを考えて行きたい。

さて、相模原の事件が、神戸の事件を彷彿とさせる第二の点は、神戸の事件でも、犠牲者の中には障害者が含まれていた点である。

第三に、酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞社に宛てて手書きの犯行声明文を送ったが、今回の容疑者も、衆議院議長に宛てて、手書きの犯行予告の文面を書いていた。(「逮捕の男 衆議院議長宛てに手紙 入所者の殺害を示唆」NHK NEWS WEB 7月26日 12時06分)


 
画像の出典:「植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告」(ニュース速報Japan 2016/7/26)


酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文。画像の出典:「「酒鬼薔薇事件」18年目の真相…犯行声明文は警察が作成!?(後編) 」)


相模原の事件を引き起こした植松容疑者の犯行声明の文面は、酒鬼薔薇聖斗の文章のように高度に知的かつ衝撃的な印象を与えるものではなく、はるかに単純で幼稚なものであった。両者の表面的な最も大きな相違点は、酒鬼薔薇聖斗は自らの犯行声明文を、学校と社会と警察に対する「挑戦状」として突きつけ、そこで自らの犯行を、社会を震撼させるための「復讐」であるとして、初めから社会の理解や同意を度外していたのに対し、植松容疑者は、その声明文の中で、自分の犯行が、社会に復讐を果たすためではなく、むしろ、「全社会の利益の為に」行われるものであり、自分が社会の利益の代弁者として行動しているのだという自負をしきりに強調し、自分の犯行に対して前もって国家の理解と同意を得ようとしていた点である。
 
この二つの特徴は一見、大きな相違点のように見えるが、実のところ、本質的には全く類似する思想である。

酒鬼薔薇聖斗と植松容疑者の思想の大きな共通点は、彼らが共に自らの犯行に、明らかに、個人的思惑を超えたある種の誇大妄想的な思想に基づく「大義」を付与しようとし、自らの殺人が遠大な計画の一環であることを示す記述を残している点である。

酒鬼薔薇聖斗は、自らの犯行を「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」と呼んで、第1、第2犯行声明文では次のように述べた。
 

汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
学校殺死の酒鬼薔薇」
「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない」 


酒鬼薔薇は自分は単なる殺人鬼なのではなく、自らの犯行は、空想の中だけにしか存在しない自分の本当の姿を人々の記憶に焼きつける自己顕示のための手段であり、自分自身が「日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る」ために行なわれる自己救済の手段であり、なおかつ、「義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」の意味があると認識していた。
 

しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。 殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。

 
 酒鬼薔薇聖斗は、人前に公然と姿を現して犯行に及ぶことはせず、あたかも自分が人々の「空想の中だけ」にしか「実在」しない、架空の人間であるかのように、自分は今もこれからも「透明な存在」であり続けると述べた。何よりも、酒鬼薔薇聖斗という実在しない名が、犯人が演出した自己像が「ヴァーチャル」なものであることをよく物語っている。犯人は、現実の自分自身ではなく、このヴァーチャルな自己像こそ本物の自分自身であると宣言したのである。

これに対して、植松容疑者は、堂々と自分の名を記して犯行予告の手紙を書き、自分で衆議院議長に渡そうと試みた。かつ、深夜とはいえ、自分の姿を複数の目撃者の前にさらして犯行に及んだ。この点で、一見、酒鬼薔薇聖斗とは対照的に見える。しかし、これもまた両者の事件のほんの表面的な相違点を示すに過ぎない。

結論から述べると、酒鬼薔薇の犯行の動機と、植松容疑者の犯行の動機には、両者ともに、歪んだエリート主義があり、そして、酒鬼薔薇聖斗の時代にあっては、まだ公には正体を隠していた「魔物」は、植松容疑者にあっては、現実の人間と一体化し、これを乗っ取って、公然と現実世界に姿を現したのである。
 
だが、両者ともに、この「魔物」は、我が国の政権与党の理念、自民党政権が国策として推し進めて来た数々の政策と根本的に一致する思想を持って、これと合わせ鏡のように登場して来たものである。

我々は想像力を働かせなければいけない。酒鬼薔薇聖斗のように、自分の殺人に、社会・学校・警察など、国や社会の組織や機関そのものへの挑戦・復讐の意味合いを込めるという思想は、かなりの知的な成熟がないと生まれて来ない。

その意味で、こうした思想は、社会や世の中に対するものの見方が固まっていない中学生からは到底、生まれ得ないと考えられるだけでなく、さらに、これほど根深い義務教育への復讐心は、おそらく義務教育以上の高等教育を受けた人間にしか持ちえない感情だと考えられるのである。

酒鬼薔薇の文面は、その知的さ、思想的深みから判断して、このような文章を書く犯人は、決して義務教育において「落ちこぼれ」の立場に立つ劣等生ではなかっただろうという推測を生む。このような文章を書く人間は、劣等生どころか、むしろ、義務教育では「エリート」として成功をおさめる優等生の側に立っていただろうと推測される。

つまり、酒鬼薔薇聖斗の持つ人物像とは、学校の成績も悪く、家庭にも色々な問題があって、いつも問題行動ばかりを起こしては、教師や他の生徒から睨まれ、要注意人物のようにみなされているような、あからさまな「義務教育の失敗作」と見えるような問題児ではあり得ないということである。

むしろ、学校では良い成績を収めて、良い大学に進学し、人前では常に自分を抑えて模範的に行動し、周囲の人々から立派だと褒めそやされて、外見からは、とても残忍な犯行に及ぶことができるとは想像もつかない、立派な人物と映っていたのではないかと思われてならない。
 
酒鬼薔薇聖斗ほどの深い義務教育への怨念と復讐心は、義務教育で「落ちこぼれ」とみなされ、恥をかかされ、失望したというような表面的な動機から生まれるものではなく、むしろ、義務教育において優等生とみなされ、成功例とみなされたがゆえに、その成功体験から抜け出られなくなり、一生、さらなる高みを目指すために階段を上り続けねばならないという、エリート教育のシステムから永遠に抜け出せなくなり、自由と個性を圧殺された人間の怨念と復讐心を示すものであるように思われてならない。

つまり、酒鬼薔薇聖斗の本当の人物像は、義務教育の落ちこぼれではなく、むしろエリートなのである――その確信は、「懲役13年」の以下の部分を読むとより一層深まる。
  

 大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。通常、現実の魔物は、本当に普通な彼の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際そのように振る舞う。彼は徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう… ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみやプラスチックでできた桃の方が、実物が不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと俺たちが思い込んでしまうように。


この文章が示しているのは、他でもなく酒鬼薔薇自身が、現実の生活においては、「徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう」ような、外見から判断するに、残忍な犯行には到底、似つかわしくない人物だったのではないかということである。

以上のような事柄から察するに、やはり、筆者には、酒鬼薔薇聖斗の本当の人物像とは、家庭でも学校でもぱっとしない平凡な14歳の少年などでは決してなく、義務教育において着々と成功をおさめ、周囲からは実に優秀な人間だとみなされながら、エリートコースを上って行った人間、エリートコースから失敗して脱落することができなかったからこそ、永遠にそのシステムの奴隷とされながら、自分を奴隷とした国家と社会に無言のうちに尽きせぬ復讐心を抱いていた人間なのではないかと思われてならない。
 
劣等生であれば、早々に自分の能力の限界を表明して、過酷な競争の舞台から降り、別の世界に生きることが出来ただろうが、下手に高度な知能を持っていたがために、いつまでもエリートコースから外れることができず、周囲の期待に応え、優秀な外見を取り繕うために、一生、優等生の仮面を外すことができなくなって、競争の舞台から降りられなくなったのである。

彼はまさに「お国のために優秀な人間を生み出す」ことを最高の目的とする歪んだ教育システムの犠牲者となった人物であり、そのような歪んだエリート主義が結集している場所は、国家権力(国家公務員制度)を置いて他にはない。

戦前、官僚が天皇の直属の機関とされ、国民に君臨するエリートとみなされたのと同様に、敗戦後も、日本の教育システムは、国家公務員試験を上位で突破できるような、偏差値優秀な人間を育て、「お国のために」役立つ優秀な人材を育てる以外の目標を何ら打ち出すことができなかった。そのようなものが「エリートコース」なのだという幻想が、この国では愚かにも未だに信じられている。

この偽りの歪んだエリート主義教育の弊害は、このシステムで落伍者となった人間よりも、むしろ、比較的成功者となった人間にこそ、強く現れるものではないだろうか。すなわち、虚栄のために果てしない競争の中で踊らされ、試験の点数などの全く無意味なうわべだけの評価に基づいて作られた人間関係の序列の中に一生、自分自身を絡め取られ、閉じ込められ、自分本来の自由な人格や個性を見失ってしまった人々にこそ、そのような教育システムや、それを生んだ社会に対する誰よりも強い憎悪と復讐心が生まれるのではないかと考えられる。

だが、こうした偽りのエリート主義に汚染された人々の怨念と復讐願望は、決してあるべき方向へ向かわない。つまり、彼らの恨みは、決して本当の責任者には向かわずに、常に彼らよりも弱い者たちに向かって吐き出される。

仮に義務教育が間違っているというのであれば、文部科学省に抗議文書を出せば良かったであろう。デモにでも参加すれば良かったであろう。だが、偽りのエリート主義者は、決してそんな方法を取らない。彼らは自分を支配しているものが偽りであることを知りながらも、自分よりも強い者(国家)には決して復讐せず、ひたすら自分よりも弱い者に憎しみを向けるのである。

偽りのエリート主義とは、すでに述べた通り、差別の制度であり、常に自分より下位にいて嘲笑したり、踏みつけにできる相手がいないと成立しない。そのような価値観によりすがって生きて来た人間は、どんなにそれが誤っていると頭では分かっていても、他者に対する自己の優位性以外に、己の価値を認識する術を持たないので、ヒエラルキーが否定されると、自分の価値が全く見失われ、自分が完全に空っぽになったような恐怖に陥る。

だから、彼らはどんなに内心では自らの生き方を嫌悪していたとしても、あるいは、自分自身もまたより強い者に踏みしだかれ、嘲笑され、愚弄され、苦しんでいたとしても、ヒエラルキーを手放せないがゆえに、その生き方を脱することができず、従って、その鬱憤の全てを、自分よりも弱い者に向けるしかないのである。

子供や、障害者は、弱者の中でもとりわけ弱者であり、ほとんどの場合、攻撃されても、抵抗する力も、抗議する力も持たない。このような、自分に立ち向かう力を全く持たない人間を相手に攻撃するのは、あまりにも卑劣で不当な所業であり、それによって「義務教育への復讐」が成し遂げられることなど絶対にあり得ないことは、多少なりとも知性があれば誰にでも分かることであり、まして酒鬼薔薇聖斗に分からなかったはずはない。

にも関わらず、酒鬼薔薇が、義務教育に復讐を果たすという身勝手な「大義」を口実に、子供や、障害者を痛めつけたのは、彼がとことん精神を病んだ者だからこそできる仕業であり、彼が偽りのエリート主義と、それに由来する優生思想を誤りと分かりながら訣別できなかったために、その魔物に飲み込まれた様子をよく表している。

つまり、酒鬼薔薇は、自分自身が、義務教育が目的とする「偏差値による淘汰」という残酷な優生思想の犠牲者となっていること、またそのようなシステムが非人間的で間違っていることを十分に知りながら、そのシステムに対する鬱憤と怨念を、自分よりも弱い者に向けることで、「淘汰されているのは、自分ではなく、これらの人々である」とみなし、自分のコンプレックスと怨念を彼らに転嫁して、自分の苦しみから目をそらそうとしたのである。

その上で、きっと彼は、自分の犯行をさえ他者に転嫁したのであろう。「現実の魔物は、本当に普通な彼の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際そのように振る舞う。」と自ら述べている通り、彼は、そんな犯行には到底、及びもつかない高潔で立派な人物を装いながら、今も社会のどこかで生き続けているのではないかと筆者は思う。

<続く>


非常事態によって不都合な国民の粛清弾圧を目論む政府の狂気からの脱出

ここ一週間ほど、主が信者にお与え下さった自由の価値を再認識し、復活の命を奮い立たせるひと時を過ごした。KFCの分析が終わった時、一つのミッションを終えたという実感があった。むろん、異端分析などはいくらでも書けるが、より価値あることに取り組まなければならない。

古い楽譜を引っ張り出して、かなり以前に練習をやめていた曲の数々をさらうと、何年間かの空白の間、まるで完全に時が止まっていたかのように、記憶は鮮やかに思い起こされる。三、四日ほどの練習でほとんど元の状態に戻すことができた。一カ月もあれば、以前の水準を超えられるだろうか?

筆者はこれらの曲を、以前、ロシアの大学に通いながら、弾いていたのであった。冬の雪に閉ざされて、景色が白黒のモノトーンになり、退屈を持て余すような時には、美術館を巡るか、オペラやバレエを観に行くか、地下鉄を乗り継いで大学のキャンパスに行って、教室に置いてあるグランドピアノを毎日のように弾く。

講堂いっぱいに音がキラキラと輝くように響き渡り、通りすがりの人々がよく足を止めて聞き惚れてくれた。かの地の人々はみな音楽に対して驚くほど心を開いており、意地悪な批評家のように難癖をつけて来り、人の演奏のできないところばかりを数え上げて値踏みする、ということがない。みな素直に心で聞いて喜んでくれた。

そのような好意的な聴衆が一時でもいたことは、日本の聴衆しか知らなかった筆者の人生に大きな影響を与えた。どこへ行っても、日本とは比較にならないほどの良好な反応を得たのである。そのため、筆者自身の音楽への関心は格段に高まった。日本にいると、同じほど無心に取り組むのは難しい。だが、すべての心の雑音を排除して、当時と同じ思いを呼び起こす。
 
楽曲は、どこへでも持ち運べる見えない傑作であり、人の人生をどこへ行っても鮮やかに彩ってくれる。そのように決して奪われることのない豊かな宝を自分自身の中に蓄積して行こうと考えている。むろん、キリスト者にとっての宝とは第一に御言葉なのだが。

ピアノに限らず、あの当時、筆者が目指していた世界、到達しようと願っていた場所が、再び鮮やかに姿を現して、向こうから近づいて来るような具合だ。永い眠りから覚めて我に返ったように、様々な出来事によって中断されていた願いが復活して、行き着こうとしていた到達点を目がけて再び出発せねばならないと感じる。

もし誰かが自分の命が残り少ないと感じたとすれば、今日という日をその人はどのように過ごすであろうか? 満員電車に乗って通勤して会社に奉公することを第一として生きるであろうか? 

筆者の命にはまだ残りがそれなりにあると感じているが、他方で、我が国の現状はどうであろうか? 将来の亡命に備えるというわけではないが、何かしらの霊的直感が、中断していた色々なことに取り組むようにと筆者に促す。かねてより学ぼうと思っていた外国語の勉強を再開すべきであると感じた。

ずっと何年も前にロシアへ渡った筆者の以前の同僚の人生の歩みが、その決意をさらに後押しした。その人は筆者に向かって、自分の夢は日本では実現できないからロシアへ行く、と言ったのであった。そして、着々とそれを実現している。だが、今やロシアにとどまらず、より幅広く活動しているようであるが。

また、日本の国内情勢が危うくなった時にヨーロッパへの亡命を考えている、という日本人の言説にも考えさせられるところがあった。多分、ある種の身支度を始めねばならないのであろう。
 
筆者はこの間に主に二つの道を問うたが、神はそこにさらに思いがけない第三の道を示された。これまでにまだ踏み出したことのない、新しい道である。それは前々から心の中に存在しており、家人を含め、色々な人々が後押ししてくれていたのだが、筆者は実現をためらっていた。

筆者自身には、ごく人並みの平凡な人生の計画があって、普通の人のように働き、普通の人のように家を買って、普通の人のように、この地に根差して生きるということを考えているのであったが、どうにも「この地に根差して生きる」ということが違うようなのである。つまり、キリスト者はこの地においては寄留者であるが、主は同時に、いつも前人未踏のフロンティアを示される。誰も歩いたことのない、真っ白な雪に覆われた道のように、踏み固められていない道を行けと言われるのである。そしてまた信者自身に、そのようなビジョンがなければならないのである。

筆者に対する人生の法則は、一貫して、教会を離れた時と同じで、人間の作った一切の組織に関係なく、人の思惑によらず、ただ見えないキリストだけを頼りに真に自由に歩むべしというものである。筆者自身には、人間としての様々な好みや、思惑があり、時には、自分のお気に入りの人々、自分のお気に入りの環境、などを周囲に取り揃え、定着したいという願望が起きないわけではない。ひょっとして、主はそれらを許容して下さるだろうかと御心を問う。だが、御心でないものは全て閉ざされるので、自分の人間的な好みや思惑がどうあれ、決してそれらのものに未練を感じたり、後ろを振り返ってはいけないのである。



さて、筆者が自分の人生に専念していたここ一週間ほどの間に、世の中はますます物騒な具合になっているようである。フランスでは非常事態の6カ月延長をもたらした「テロ事件」が起きたが、それもオランド大統領が8ヶ月続いた非常事態宣言を7月末に解除すると宣言した直後の事件であり、どうにもタイミングが出来すぎているなと感じていると、実は、このテロは偽旗で、犠牲者はクライシス・アクターと呼ばれるプロの演技者であったことが指摘された。(「ニース・テロの遺体にマネキンが混じっていた?:戦争勢力の一味・仏NATOが仕組んだ偽旗テロ疑惑浮上、仏白人へのイスラム敵視洗脳工作か 」「新ベンチャー革命」参照。)

また、トルコのクーデターも、エルドアンによる偽旗作戦であると早くも指摘されている(「エルドアンは今や彼自身の陰の政府を運営している: “エルゲネコン II”」「マスコミに載らない海外記事」参照)。一説によるとこのクーデターは米国の手引きだとも言われる(スプートニク)。

天皇陛下の早期退位という筆者が誤報と断定したニュースも、天皇陛下は早期退位を望んでいない(共同通信)との発表にもあるように、知識人らの見解は、この生前退位のニュースは、全く信憑性のない話題作りでしかなく、天皇を退位に追い込みたい官邸の策謀だということで概ね意見が一致している。(たとえば、「「天皇の生前退位」は「改憲への天皇利用」」(「兵頭に訊こう」より))

これらの動きはみな、世界の諸国を独裁と緊急事態へと向かわせるものである。どちらかと言えば、ヨーロッパの方が日本の先を行っている感じがするが、もし日本で緊急事態条項が認められれば、必ず、フランスの二の舞となるであろう。フランスのテロは、緊急事態を永遠に長引かせたい勢力が仕組んだ偽の事件である。今回は6カ月の非常事態延長だと言うが、これからも、同じことが延々と繰り返されるだろうという気がする。

「日本版CIA」に言及 ウィキリークスが暴露」(2016年7月21日23時35分)などというニュースもネットを駆け巡っている通り、 日本版CIA(要するに秘密警察)と緊急事態とは、切っても切れない関係にある。

その関係の不可分性は、緊急事態とはすなわち秘密警察のことだと言っても過言ではないくらいである。以下にも再び説明する通り、筆者が以前に記事「カルト監視機構という名の秘密警察」で書いた通りなのである。最近は、この記事を消し去ろうとするネット右翼の活動が特に盛んだが、よほど政府はこの「秘密警察」という言葉の響きが後ろめたいのであろう。
 
ソビエト連邦は、共産主義政権が樹立されて後ただちに秘密警察を作った。「疎外されし者たちの復讐の哲学~抑圧された社会的弱者が弱さと傷によって絆(連帯)を結ぶ危険③~安倍政権と反安倍政権運動は同一化する~」という記事の中でも指摘したことであるが、その最初の名はチェーカー、反革命・サボタージュ取締のための非常委員会であった。

この「非常」という言葉が曲者である。あくまで常設の委員会ではなく、臨時的な必要性に応じて、束の間、設立されただけで、役目を終えれば即廃止される、と言いたいわけである。ところが、実態は、その名の通りには決してならなかった。その機関は、革命の翌年にエカテリンブルクで皇帝一家を殺害し、その後も絶えず人の生き血を吸っては巨大に成長して行く。やがてOGPU、NKVD、KGBになり、スターリン体制の大粛清の時代にはおびただしい数の人々の人々を抑圧し、死へと追いやった。ソ連が崩壊するまで、この秘密警察は巨大な権力機関として存続し続けたのである。

非常事態というのは、結局、見えないクーデターをごまかし、正当化しようとの隠れ蓑のようなものであって、反革命・サボタージュ取締委員会が非常で終わらずソビエト体制崩壊までエンドレスに拡大を続けながら巨大な抑圧機関として存続したのと同じように、非常事態も、決して一時的には終わらず、エンドレスに続き、その間、権力にとって不都合な人間を監視・抑圧するための抑圧機関が暗躍することになろう。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の一牧師が提唱した全宗教界を監視するカルト監視機構の政治バージョン、それが日本版CIAの意味するところである。その秘密警察に活動の機会を与えるための緊急事態である。外敵の脅威に立ち向かうという名目で、自国民を弾圧するための抑圧装置がいよいよ公になるのである。

秘密警察とは機関であり、非常事態とは期間の定めであるが、どちらも結局、指している内容は同じで、既存の秩序を転覆させるために、見えないクーデターを正当化し、常態化する体制を作ろうという試みに他ならない。非常事態宣言は、その間に、何かしら成し遂げねばならない目的があるがゆえに敷かれ、そのためにこそ、人権が抑圧されるのである。「公共の秩序を乱す」ような人間は、みな粛清されねばならない、というわけであろう。

そのことは、トルコのクーデター未遂事件が何よりもよく物語っている。全く、今はいつの世紀なのだと思われるような「大粛清」のニュースが数日前までネットを駆け巡った。果たしてそのニュース自体、どの程度額面通りに信ずべきかもよく分からないが、ウクライナでネオナチ政権が誕生した時よりももっとはるかに短期間で過激な粛清が横行した有様は、いかにもこのクーデター未遂事件が、粛清という結果を導き出すために、予め周到に準備された出来事であったという印象を与える。この事件をきっかけにトルコという国が今までとは全く違うものへと変質したことだけは確かであろう。
 

トルコ・クーデター未遂 粛清は4万5000人規模に
2016年07月20日

トルコで先週末に起きたクーデター未遂事件を受け、エルドアン大統領率いる政権は大規模な粛清に乗り出した。これまでに少なくとも4万5000人が拘束されるか解任、もしくは停職となった。

19日には、エルドアン大統領の忠実な支持者でないとみられた人物も粛清され、対象は教師や大学教授、メディア関係者まで広がっている。

トルコ政府は、米国在住の宗教家・社会運動家のフェトゥラ・ギュレン氏(75)が反乱の首謀者だと主張しており、粛清されているのはギュレン氏の支持者たちだとしている。ギュレン氏は関与を否定している。

トルコのユルドゥルム首相は、ギュレン氏が「テロ組織」を率いていると語った。同首相は国会で、「彼らを根絶やしにする」と述べた。

トルコは米国にギュレン氏の身柄引き渡しを求めている。ホワイトハウスによると、オバマ米大統領とエルドアン大統領との電話会談でも言及されたという。

ホワイトハウスのジョシュ・アーネスト報道官は、身側引き渡しをめぐる判断は両国間の条約に基づいて下されると述べた。

トルコ政府のイブラヒム・カリン報道官は、米国は、確かな証拠でなくとも「疑いを根拠として」ギュレン氏を送還できるはずだと示唆した。同報道官は、「彼(ギュレン氏)がクーデター未遂に関与した強い疑いがある。したがって、根拠は十分だ」と語った。

一方、ギュレン氏は、クーデター未遂の黒幕だという主張は「ばかげている」と反発し、「米政府に対しては、政治的復讐のために送還手続きを乱用するようなことは拒否すべきだと訴えたい」と文書で述べた。

米国防総省は、アッシュ・カーター国防長官とトルコの国防相が、トルコ南部にあるインジルリク空軍基地について協議したことを明らかにした。同空軍基地は、米国主導の有志連合がシリアやイラク国内で、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆攻撃に使用しているが、クーデター未遂事件後、基地への電力供給が途絶えている。

トルコのメディアは、教師や教育関係者1万5200人が免職され、大学教授1577人が辞職するよう命令を受けたと報じている。このほか内務省と財務省で、それぞれ8777人と1500人の職員が解雇され、首相府で257人が免職されたという。

トルコのメディア規制機関は19日、ギュレン氏と関連があるとされたラジオとテレビ24局・チャンネルの放送免許を取り消した。

トルコではすでに、6000人以上の軍関係者と、9000人近い警察官が免職されており、約3000人の判事が停職処分を受けている。

トルコで多数の公務員らの解任・停職が行われていることは国際社会に懸念を呼び起こしており、国連はトルコに法の支配と人権擁護を訴えた。

ドイツの高官は19日、トルコに「深い断絶」が生じており、ドイツ国内に多数居住するトルコ人の社会が不安定になる懸念があると語った。バイエルン州のヨアヒム・ヘルマン内相は、「エルドアン大統領支持者と反対派の間の暴力的な対立が激化する危険性はドイツでも高まっている」と述べた。

欧州議会のマルティン・シュルツ議長は、トルコのエルドアン政権が政治的な敵と反対派に「復讐」する機会になっていると非難した。さらに同議長は、トルコで議論されている死刑制度復活について、「深く懸念している」と述べた。欧州連合(EU)は、死刑制度が復活した場合には、EU加盟の交渉は停止すると警告している。

トルコ当局の発表によると、今月15日夜に始まったクーデター未遂で232人が死亡、1541人が負傷した。

(英語記事 Turkey coup: Crackdown toll passes 45,000)


トルコでの粛清は軍や政治関係者だけでなく、大学関係者にも及んでおり、カンボジアでのポル・ポト政権を思わせるような粛清ぶりである。「トルコ・リラ、最安値更新に向かう-クーデター未遂後の粛清拡大」(2016年7月20日 Bloomberg)のニュースでは、こう書かれている。
 

「クーデター未遂後の粛清の対象は既に裁判官の6分の1余りに及び、また高等教育評議会が全国の国立・私立大学の学部長1577人に辞職を求めていると、国営トルコ・ラジオ・テレビ放送(TRT)が19日報じた。 」


兵頭氏は記事「エルドアンという狂気の正気」(2016年7月21日)の中で、猜疑心に憑りつかれたエルドアンはもはや正気を失いつつあるという見解を示しており、それが安倍晋三の明日の姿に重なると述べる。その予測はかなり正しいものであろう。なぜなら、それは独裁者が必ず陥る末期症状だからである。

キリスト教界で聖霊派と呼ばれる組織の一つであるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に、村上密という牧師がおり、この牧師は統一教会の出身であるが、この男こそ、キリスト教界のカルト化を阻止するという名目で、教界にカルト監視機構を設立して、自らその統率者となることを夢見ていた人物である。この牧師は、その計画を発表するずっと以前から、鳴尾教会で引き起こした事件に見られるように、支持者と連携して、暗闇で不都合な反対者や政敵に圧力をかけて粛清することに血道をあげていたが、カルト監視機構設立の計画を明るみに出して以後は、その構想が誰からも公に認可されなかったにも関わらず、勝手に早々と支持者を使ってネット上に私的な形で自分の覇権を築き上げ、反対者を次々と弾圧しては裁判に訴えるという実力行使に出たのである。

同氏は当初、キリスト教界の「外のカルト」を標的にしていたのが、いつの間にか、キリスト教界の「内部の敵」の粛清へと標的がすり変わり、同氏の憎悪と恨みは、最後には、誰よりも自教団に属していた牧師や信徒に向けられることになり、さらに、敵を捏造してでも作り出すというものへと変わって行った。その頃から、筆者が当初から警告していた通り、この人間は本当に尋常な理性を捨てて、行動がおかしくなって行った。そのことは、この牧師が根拠なき疑惑だけに基づいて、次々とクリスチャンを訴えるようになり、ただ政敵に打撃を与えるためだけに、全く勝ち目のない裁判を自ら起こし続けては泥沼にはまり込んで行った様子によく表れている。

エルドアンの粛清もそうだが、粛清というのは、当初、どんなもっともらしい口実がついていたしても、一旦、始められると、歯止めが利かなくなる。猜疑心が猜疑心を呼び、弾圧それ自体が目的になって行くのである。そしてついに最後には、捏造してでも敵を作り出すことによって、粛清という商売を永遠に続けようというところまで行き着く。粛清が目的化するのである。
 
そこで、権力を掌握するまでは、安倍晋三も、自分の野望だけを頼りに生きる、出来の悪い生徒のような、平凡でありふれた普通の人間であり続けるだろう。どんなにずるくしたたかで野望が見え透いていても、出来の悪さがあらゆるところから噴出しているために、彼はぱっとしない人間の一人でしかなく、多くの人々の揶揄の対象にさえなっている。サラリーマンであれば、とうに会社からいなくなっていたはずの人物であろう。ところが、そんな人物でも、一旦、完全に権力を掌握すれば、考えられないほどまでに冷酷な人間に豹変する(本当は豹変したのではなく、本質が露呈しただけである)。そして、愚かであるがゆえに、とてつもない規模の悪事を平然と行うのであり、その冷酷無慈悲さは、誰よりも、今まで彼と共に歩いて来た側近らに向けられることになる。 
 
トルコのクーデターが、エルドアンが自ら引き起こした偽旗作戦だという指摘に立てば、本当のクーデターとは、ギュレン氏が起こしたとされるクーデター未遂事件ではなく、エルドアンの引き起こした粛清だったことになる。国内の反対派を粛清する名目を得るために、ありもしないクーデターをでっちあげて政敵に濡れ衣を着せ、不都合な人物をみな追放することが最初からの目的だったのである。だが、このような大粛清が進行すれば、国の機能はマヒする。それはエルドアン自身のためにもならない。だとすれば、それを引き起こした本当の黒幕は、エルドアンではなく、トルコの混乱と弱体化によって利益を得る外国勢力だと見るべきであろう。世界中の国々で革命やらクーデターを起こし続けて荒らしまわっているある一国の存在が浮かび上がって来ないわけがない。
 
さらに、こういう非常事態には、どさくさに紛れて、キリスト教徒が弾圧されることにならないか、様子見が必要である。イスラム教徒が悪者にされているだけではない。宗教そのものが標的とされる危険性がある。我が国でも、まるでその伏線のように、一神教への恨みつらみを述べる輩をネット上でよく見かけるようになった。一神教が脅威だと言っては多神教を賛美し、キリスト教に対する敵意を煽るやり方は戦前とそっくりである。
    
そんなきな臭さの中でポケモンGOの配信だとか、全く愚民化政策に余念がない。KFCの礼拝と同じく、これはすべて人々を思考停止に陥らせるための現実逃避なのである。これもまた米国のスパイソフトだとの指摘もある。

アウシュヴィッツに列車で連れて行かれたユダヤ人たちは、仕事に行くのだと言われて列車に乗せられ、駅に着くと、あたかもそこから出発することができるかのように、偽のプラットホームや時刻表まであったのだという。ガス室の前では、服の引換券を渡され、それが決して戻ることのできない死出の旅路への片道切符なのだということに、人々の思いが至らないように、細部まで工夫がされていた。徹底的に反乱を阻止する体制が準備されていたのである。

現在、行なわれていることもそれと同様である。あたかも存在するかのような偽の夢、偽の希望によって人々を欺きながら、死へと追いやろうとしている勢力が存在するのである。我が国も、着々とトルコと同じ末路へ近づいている。
 
きな臭さは、もはや遠くの出来事ではない。日本では、沖縄での政府による弾圧が参院選直後から早速強化された上、政府が沖縄県を提訴したのだという。現政府が、沖縄をもはや自国の一部とみなしておらず、敵のように考えていることが、これによって態度で明白にされた。

むろん、ここまで道義を失っては、この政府はもう終わりであって、こんなにまでも弱い者イジメという目的だけしか存在しない大義のない裁判には、勝敗がどうあれ、人々の理解も支援も得られない。国際社会も黙ってはいないであろう。
 
しかも、植草一秀氏が「真剣に検討するべき東日本の分離独立」の中で、自民候補が敗北した東日本の独立という問題に言及しているように、だんだん東日本だけでなく、沖縄も、そろそろ本当に、この政府から分離すべき時が近づいて来たのである。

どこから分離独立が始まるか分からないが、虐げられた人々の多い地域から順番に、日本という国が、バラバラに解体される時が近づいているのかも知れない。そして、それを食い止める手段が、政府には、中国や北朝鮮などの諸外国を「脅威」として描き出すことで、恐怖によって国内の団結を促す策と、非常事態による締め付けと、独裁しかないところまで来ている。

その作戦のお粗末さはすでに露呈してしまっているので、多分、いつまでもそのようなまやかしで人々を引き留めるのは無理であろう。さらに急速な人口減少がその求心力の低下に追い打ちをかける。

我々もこのような政府の下に残っていて何も良いことはない。本土はすでに沖縄から加害者とみなされており、恨みを買っているし、フクシマもまた東京を加害者とみなすであろう。そして、政府がモルモット扱いしているのは、沖縄だけではない。若者も使い捨てにされているし、老人も死へ追いやられている。政府は国民のために存在しておらず、自己保存のためだけにしか存在していない。支配者以外のものは、この国にもはや存在してはならないというところまで来てしまっている。

我が国の政府は、エルドアンとほとんど違いのないとこまで来ている。あとは全国民に対する職業や地位や身分を問わない無差別的な粛清が、いつ開始されるのかという秒読み段階に入っているだけである。そして、特段に注意を払うべきこととして、その弾圧は沖縄ではすでに始まっているのである。

政府の沖縄県への提訴と、高江での弾圧(「安倍政権の「沖縄潰し」本土マスコミが伝えない機動隊の暴力ー高江ヘリパッド建設問題」 2016年7月23日などを参照 )は、我が国の内乱と分裂の始まりと見ても良いのではないかと思う。そして、英国がEUからの離脱を決めたように、仮に血塗られた過程を辿ったとしても、おそらく、この分離独立の動きを阻止することは現政府にはもうできまい。それだけの大義が存在しないからである。
 
ここまで劣化してしまうと、どんなに強硬な姿勢を取っても、政府にも滅亡が確定しているということが言える。この先、いかに非常事態やら、独裁政治やらを確立したとしても、こんな政府に生き残りの可能性はなく、急速な老朽化に見舞われ、倒れるのも時間の問題である。

だが、断末魔に陥った政府が終了するまでの間にどれほどの害悪を周囲に振りまくかということが問題なのであり、貞潔な信者が、バビロンの倒壊に巻き込まれる必要はないように、束の間の利益と引き換えに魂を売って生きていない国民が、断末魔にある権力の狂気に巻き込まれなければならない理由はないのである。

筆者はKFCをエクソダスしたときのことを思い出す。神は、彼らを懸命に説得しようとしていた筆者を不思議な方法でそこから出されたのであった。その当時、その事件が何のために起きたのかまでは分からなかったが、誘われても彼らと同じ船に乗って行かなかったこと、彼らと共に後戻りできないような宣言をして神に対する罪を犯さなかったことは、筆者にとっては限りなく幸運であったことが今はよく分かるのである。

KFCを初め遠くから見た時には、筆者の目には、高みにあるように見え、輝いて見えた。そこにいる人々は敬虔な信者なのだろうと筆者は思っていた。だが、忘れられない出来事は、まだこの団体の何たるかをよく知らない頃、信者たちがDr.Lukeの仲介で結婚式を挙げていた様子をネットで遠目に見て、その出来事が、筆者の心に痛みを与えたことである。

Dr.Lukeはその信者らの結婚をキリストとエクレシアの結婚になぞらえるスピーチを晴れがましく語っていたが、本当のエクレシアは、そんな風に誰かの個人的な欲望や利益と密接に結びついた、特定の人々に限定された、特定の人間に栄光を帰するものではない、という確信が筆者にあったからである。

神がキリストの婚礼を祝うために、誰彼構わず無差別に人々を招く様子は、福音書にいくつものたとえ話で描かれている。神は一人でも多くの人々に、ご自分の喜びを惜しみなく分かち合いたいのである。だが、人々の方がこの招きに注意を払わない。そんな風に、神はご自分の喜びや、富を、可能な限り、多くの人々に分かち合おうとされるのだが、他方、Dr.Lukeの閉ざされたファンクラブも同然となっていたKFCは、神の恵みを初めから自分たちの集団だけに限定された自分たちだけの特権のように変えてしまおうとしていたのである。
 
Dr.Lukeは多分、今になっても、自分たちの特権的な「幸福」を理解しない人々は、すべて妬みや、ひがみや、やっかみに陥っているだけなのだと言っては、他者を嘲笑し、自己正当化しようとするであろうが、今だから言っておくと、その時、Dr.Lukeの仲介で結婚式を挙げた夫婦には、間もなく極めて尋常でない事件が降りかかった。

その夫婦は、この結婚式から数年後に、心臓や、目や、耳と言った、当然、あるべき臓器を持たない双子を授かり、その子供は生まれる前に亡くなったのである。信者たちは当時、むろん彼らのために同情し、子供が助かるようにとしきりに泣き、断食し、祈っていたが、筆者の心には、このような異常な出来事が、決して偶然に起きるものではない、と感じられた。

筆者は人の心を痛めないために、その確信を決して誰にも語らなかったが、今になっても、その出来事が、Dr.Lukeによってもたらされた呪いであり、この人物に対する神の怒りの激しさを表すものではないのかという疑惑が拭い去れない。

Dr.LukeとKFCが自分たちの悦楽をまるで信仰の手柄のように誇示しながら、神の名を冠して、自分たちの限定された幸福を永遠の価値のように誇っていたことが、神の御怒りを買ったのである。その子供の姿は、まるでKFCという団体そのものの不毛性を象徴しているかのようである。今でも、まさに次の御言葉が思い出されてならない。

「この民の心を肥え鈍らせ、
 その耳を遠くし、
 その目を堅く閉ざせ。
 自分の目で見、自分の耳で聞き、
 自分の心で悟り、
 立ち返って、いやされることのないために。」(イザヤ6:10)

だが、もちろん、これはすでにずっと以前に起きた事件であり、その夫婦も、その他の数多くの信者や、筆者と同じく、もはやKFCを離れ、今は全く違った人生を歩いていると聞く。これらすべての出来事から受けた警告にも関わらず、そこに依然として残ってDr.Lukeと共に自己を神として己を賛美している最も愚かな人々だけに、この先、最も大きな災いが降りかかるであろう。

そして、筆者はバビロンの倒壊に巻き込まれるつもりは全くない。だからこそ、主が、色々な方法を使って、近づいてはならない全てのものから筆者を遠ざけておられるのだと確信しているし、それを幸いに感じている。この先、我が国についても、KFCや、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と似たようなことが起きるであろうと考えている。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師は、政敵に裁判をしかけたが、ことごとく負け、今やこの牧師とペンテコステ運動の異常な理念のために、教団そのものが普通の信者たちからカルトだとささやかれるまでに信用を失っている。

おそらく、主は、今、この国において、ご自分に忠実な人々をえり分けておられるのではないか、と筆者は思う。神は、真実な民と不忠実な人々を一緒に滅ぼすことはなさらない。だから、今は過越しの時である。

そして、筆者は神を信頼している。 物騒な事件が起きれば起きるほど、その信頼はより深まって行く。天には永遠に揺るがない秩序があって、そこに生きる人々はクーデターには見舞われないからである。筆者の救いの岩は、何があっても変わらない、ご自分を信頼して身を寄せる者を決して失望させることはない永遠のお方だからである。筆者に要求されているのは、唯一のまことの神に忠実に従って生きることである。

 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)

「なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ2:10-12)

 「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。」(黙示17:4-5


宮中クーデターを狙う安倍政権の危険な思惑が垣間見えるような天皇の生前譲位説というデマ(2)

一つ前の記事で、参院選後に突然、降って湧いたような天皇陛下の生前退位説は、出所が全く不明であり、宮内庁がこの情報を全面的に否定しており、かつ、天皇自身の声明も出されていない以上、まるで信憑性に欠けており、デマと言わざるを得ず、これは天皇のことばを捏造して行われた、官邸主導の改憲に向けた地ならしの一環としての「平成天皇降ろし」である可能性が極めて高い旨を書いた。

報道から一日以上経っても、この件に関して天皇陛下の声明が全く出ていないことが、生前退位の「意向」自体が、捏造された情報操作であるという見方をさらに強める。

おそらく、これは平和主義の象徴である今上天皇を早いうちに退位に追い込み、取り除いてしまえば、国民の現行憲法へのこだわりの求心力が消失し、憲法改正への抵抗感がなくなるだろうとの考えのもとに仕組まれた計画である可能性が高いと筆者は見ている。

ところが、ネットでは、これに対して早くも「生前退位は安倍氏の改憲を阻止するための天皇陛下の最後の抵抗」などという説が盛んに流布されており、これに飛びついている浅はかな人々も見られるが、これもまた今上天皇自身の告白に基づいていない以上、全く情報の出所が定かではない。本当は、こうした情報こそ、反安倍陣営に偽装しつつ、今上天皇の生前退位を既成事実化しようとしている人々が流布した巧妙かつ悪質な印象操作だと言えよう。

当然のことであるが、もし本当に今上天皇に生前退位の意向があれば、それを天皇自身がはっきりと会見によって全国民に知らしめる義務がある。それは国民の象徴たる天皇の義務であり、もし何らかの事情によって、天皇が公務が遂行できない状態に陥るか、象徴としての役目を果たせない危惧が生じた場合には、必ず、天皇自身が国民に対してこれを説明しなければならないし、今上天皇の人柄を考えれば、必ず、そうするはずである。

特に、今上天皇の二面性のない人柄、これまでの偽善性のない誠実な働き方を考えると、この人物が、健康で、いつでもメッセージを発することができ、危篤状態に陥ったわけでもないのに、あえて自らの意向を明言しないことによって、思わせぶりな態度により、周囲に自らの意向を「忖度」させることによって、暗やみのうちに、阿吽の呼吸で自分の願っている方向へ物事を誘導して行こうという態度を取るはずがないことは明白である。

もし生前退位の意向が天皇自身から出たことであるならば、本人が必ず、会見によって自らそれを国民に伝えるであろう。いや、真っ先に国民に伝えねばならない義務がある。

憲法を順守している国民の象徴たる天皇が、これほど重大な問題を、国民をも、宮内庁をも無視し、マスコミに真っ先にリークさせるということはまず考えられず、そのようなことは、象徴天皇のあり方自体をゆるがせにする行為であるから、憲法上も、本人の人柄に照らし合わせても、今上天皇はそのような行為に及ぶことはまず考えられない。

しかも、NHK及び他のマスコミが一体どこから突然、「天皇の意向」を知ったというのか、その情報源は、ただ官邸に、政府筋にあること以外には、全く明らかにされていない。肝心の天皇の意向が全く不明なままなのである。

そこで、これらの全てのことを考え合わせると、やはり天皇の生前譲位説という報道は、政府筋が、しかも官邸に最も近い一部の「側近」が、壊憲に前のめりになった挙句、天皇陛下をないがしろにして、天皇陛下のことばを捏造した結果としての虚偽の誘導報道であり、それは今上天皇をできるだけ早く譲位に追い込むことによって、現行憲法への国民のこだわりの求心力を低下させる目的のために予め仕組まれた出来事であったとしか考えられないのである。

さて、以上は筆者の見解であるが、世間の識者らはこの件について、どのような反応を示しているのであろうか。見回してみると、やはり、筆者と同じように、天皇の生前譲位という報道自体を、非常に懐疑的に受け止めている人が多い。

まず、天木直人氏は「天木直人のブログ」で、この報道のあり方の異様さを強く強調している。天木氏の見解は筆者とほとんど同じである。天皇自身の声明が出されておらず、宮内庁が全く逆の発表を出しているのに、マスコミだけが依然として生前退位説を既成事実のように書き立てる。このちぐはぐさが、まさに異様だというのだ。宮内庁の発表にまで逆らえるほど、よほどの強い圧力がなければ、マスコミにはそのようなことはできない。「この国は危ういかも知れない」という天木氏の見解は、筆者の見解にほぼ重なる。
  

 「生前退位」の報道を全面否定した風岡宮内庁長官記者会見の衝撃
15Jul 2016 から

  天皇陛下が「生前退位」の意向を示されていることがわかったと、きのう7月14日の各紙が一面トップで一斉に大報道したことについて、その日の定例記者会見で風岡典之宮内庁長官がこの報道を全面的にした。

 すなわち「具体的な制度についてお話になられた事実はない」とし、「従来陛下は憲法上のお立場から、制度について具体的な言及は控えてる」と繰り返し、生前退位のお気持ちの有無については「活動の中でいろいろなお考えをお持ちになることは自然なこと」としながらも、「第三者が推測したり解説したりするのは適切ではない」と話したというのだ(7月15日毎日)

 風岡長官はまた、生前退位を前提に宮内庁が官邸と相談や検討を行っている事実もないと説明したという。

 これを要するに7月14日の報道を全面的に否定したのだ。

 これは衝撃的で異例な記者会見における発言だ。

 しかし、宮内庁長官がここまで否定したにもかかわらず、メディアはこの発言を無視するかのように、きょうも天皇陛下が「生前退位」の意向を示された事を前提に、あらゆる論評や特集記事を書いている。

 これもまた異様だ。

 ふつうなら、誤報だったのではないかという声が聞こえて来てもおかしくない。

 ふつうなら、このような情報をメディアに漏らした者は誰だと騒ぎ、その犯人を突き止めて責任を問うことになるのに、一切その動きが無い。

 これも異例で異常だ。

 もし風岡宮内庁長官の否定発言が安倍政権と通じてなされたものなら、マッチポンプだ。

 しかし、私にはそうは思えない。

 風間宮内庁長官は、官邸筋から突如として意図的に流された「生前退位」御意向について、天皇陛下の御心を代弁して不快感を持って抗議したのではないか。

 もしそうだとすれば大事件だ。

 ここまで異例で異様な、突然の天皇陛下「生前退位」意向表明の報道であるのに、おそらく、真相があきらかにされないまま、この問題は沈静化していくに違いない。

 なぜならば皇室典範の改正を含めた皇室制度の作業は慎重を要し、いますごどうこうしなければいけないと言う問題ではないからだ。

 この問題が、このタイミングで、大々的に報道されただけで、その効果は十分に達成されたのだ。

 この国は危ういかもしれない(了)


さらに、植草一秀氏は、自身のブログ「植草一秀の『知られざる真実』」において、この生前譲位説という報道の流布自体が、都知事選における野党の候補が一本化され、野党の共闘が実現したという事実を覆い隠すためのものであったと述べる。宇都宮健児氏が下りて、鳥越俊太郎氏が候補となったことには色々な受け止め方があるが、今はそれは本題でないので脇に置いておく。
 

狼狽する安倍一族の野党統一候補攻撃に御用心
2016年7月15日 (金) から一部抜粋

この都知事選で安倍自公勢力は致命的な失敗を犯した。

自公勢力から2名の候補者が出馬してしまった。

対する反・安倍自公勢力は、ぎりぎりまで候補者の一本化が実現するか、不透明だったが、ぎりぎりのところで、宇都宮健児氏が大英断を下し、見事に候補者一本化に成功した。

NHKが天皇の生前退位報道を行ったのは、反・安倍自公陣営が候補者一本化を決定した直後である。

このニュースのインパクトを弱めるために、このタイミングで表に出したのだと推察される。

NHKの堕落、権力迎合は目に余る。

放送受信契約の任意制への移行が急務である。

それほどまでに、野党の候補者一本化の衝撃は大きいはずである。

インターネットの有力ポータルサイトでは都知事選報道の伝え方が偏っている。

ポータルサイトを運営する大手情報通信業者が政治権力側に位置しているから、ニュースを伝える際に徹底した作為的調整を施している。

偏向しているのはマスメディアだけでなく、インターネット上の情報も強く操作されている。

マスメディアが偏向しているから、ネットから情報を入手すれば良いのではない。

ネットのなかから、良質な情報を選別し、そのパイプから情報を得ることを意識して実行することが重要である。


さらに先日、引用したあいば達也氏もやはり生前退位説の情報の出所を疑っており、これは官邸を中心に周到に練られた陰謀のような計画であったとの見方が強いことを指摘している。以下は「 世相を斬る あいば達也」から抜粋。

●天皇”生前退位”発信源は? 天皇側、官邸側、侃々諤々

 
天皇陛下が日本国憲法で「象徴天皇」である立場を強く意識なさっていることは、我々国民も、十二分に理解し、そして、多く人は、今上天皇を尊敬又は愛している点に異議を申し立てる人は少ないだろう。たしかに、象徴天皇になられてから、長い年月が過ぎたので、天皇に対して、何らの感慨も抱かない国民が散見しているのも、事実の一部だろう。ただ、政府や政権、首相を憎むものが数多いるとしても、「今上天皇」を積極的に憎悪する国民は、まず居ないと理解している。1億分の50人くらいは存在するだろうが、ゼロの範囲だ。

今回の、天皇の“生前退位”に関する情報も、関係者は状況証拠の積み重ねで、そのような空気が皇室にあることは薄々知っていた。しかし、それを公にすると云った行動に出るものはいなかった。週刊誌や月刊誌が、皇室のゴシップ的記事や、今上天皇や皇太子ご夫妻へのバッシング的記事は、あちらこちらで散見していた。概ね、潜在的に、現在の皇太子への誹謗中傷を謹言などと称して、悪口を言いはなっている記事などもあった。今上天皇と現皇太子は、憲法に定められた国事行為のみを行い、政治的発言は禁止されている。天皇陛下は、即位後朝見の儀で「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と言及した。当然、その後も一貫して憲法上の立場を貫いているいるわけだ。

当然、天皇の地位を受け継ぐ、皇太子も、日本国憲法を守り、これに従うことも継承するわけだから、軽々な態度はとれない。秋篠宮殿下のように、気軽な皇室の立ち位置ではない。つまり、どれ程、誹謗中傷や根も葉もない情報を流されても、「反駁」出来ない立場にいる。考えてみると、日本国民が辛うじて持っている「個人の権利、人権」それすらも、完璧に持っているとは言い難(い)。つまり、反駁権のない人に対して、批判、誹謗や噂話(ゴシップ)を垂れ流すと云うのは、卑怯奇天烈な行為なのである。後半に、参考引用の形で、NEWSポストセブンの記事を二つばかり掲載するが、天皇や皇太子は、叩かれるのみで、避けることさえ出来ない。

安倍政権においては、定められた国事行為でもないのに、2013年4月には、「主権回復の日」なんちゃって式典を、お得意の“閣議決定で”催し、天皇皇后両陛下の出席を無理強いした。あきらかに、安倍政権の天皇の政治利用をまざまざと見せつけられた記憶がある。この式典においては、自然発生なので止めようがなかった等と白々しい言い訳をしながら「天皇陛下万歳」を三唱したのだ。天皇皇后両陛下は、その万歳の声から逃れるように会場後にした。NHKや政府発信の動画では、この陰謀の象徴である「万歳三唱」は消されていた。

筆者は、安倍日本会議及び経済界が「憲法改正」に、殊のほか“前のめりになっている”と理解している。安倍日本会議は情緒的明治回帰であるし、経済界は、経団連、同友会等々、「国民の権利の制限」は大歓迎だ。今回の、籾井NHKがリーク報道したわけだが、「政府関係者、或いは宮内庁関係者」と曖昧な表現になっている。そして、13日、夜19時にNHKがスクープしたことになっているが、14日の朝刊各紙は、予定稿が完璧に準備されており、「予定調和リーク報道」と断定して良いだろう。でなければ、あそこまでの紙面は作れない。新聞記者が、そこまで有能なら、日本の新聞はもっと上等のものになっている(笑)。

NHKのリーク報道が、我々が知る「天皇生前退位」に関する第一報だが、官邸を中心に、念入りに練られ、仕込まれた経緯が窺える。天皇のご意思優先と云うよりも、政権や既得権益勢力の「憲法改正の垣根を低くする」作業の一環と考える方が理に適っている。NHKを皮切りにして、特に、この「天皇生前退位」報道に血道を上げているのが、産経、読売ではなく、日経新聞と云う点だ。葉山の御用邸で静養されている最中に、“天皇陛下生前退位の意向”の大見出しで、1面2面3面ぶち抜きなのだから凄い。これらの報道経緯を見る限り、政府中枢の意向がなければ、安倍強権官邸相手に挑戦的な報道が出来る筈もない。

以上のように論考してゆくと、やはり、政府、経済界、言論界などの既得権益勢力による、「閣議決定集団的自衛権容認」同様に、またまた、血を見ぬクーデターだと、100年後の歴史の教科書に載っているかもしれない。皇位継承と云うもの、極めて属人的なものだけに、常に、その継承には不確定要素が含まれている。事例は宜しくないが、現在の皇太子が雅子妃と死別乃至は離婚なさったとして、次の婚姻で、男子が誕生すれば、秋篠宮、その子が、皇位を継承する企ては胡散霧消する。このような事態を忌避する、何らかの手立てを、安倍日本会議が考えている可能性がある。現時点の解釈では60%の確度だとしか言えない。 (以下略)


さらに、「くろねこの短語」でもこのニュースに対する世間の疑いの声があけっぴろげに綴られている。さらに、この記事では、はっきりと情報の出どころが官邸であったことが公表されていることが指摘されている。
  
「都民の生活を守るために原発必要」(元東電社外取締役・増田寛也)。さすが原子力村推薦候補だけのことはある&ひょっとして、天皇の生前退位と改憲はリンクしている!?

2016年7月15日 (金) から一部抜粋 

 ところで、天皇の生前退位なんだが、どうやら官邸筋がリークしたんじゃないかと噂がある。でもって、6月には極秘のチーム設置して、政府は検討を始めてたそうだ。しかし、なんで極秘だったんだろう。小泉政権時代に女帝を認めるかどうかで、やっぱり皇室典範改正の動きがあった時には、ハナから公に有識者会議なんか開いて、けっこうオーブンに議論してたのに、今回は極秘のチームって、何それってことだ。

 
しかも、官邸筋からのリークってのが胡散臭い。生前退位は天皇自らのご意向と報道されているけど、妄想しまくれば、ひょっとしてその裏には何らかの圧力がありやなしやってなもんです。そもそも、皇室察典範で生前退位が定められていないのは、時の権力による恣意的な退位を回避するためという理由もあると聞く。であるならぱ、今回の騒動が官邸筋からのリークというのも、なんとなくうなずける。つまり、参議選挙で改憲のための3分の2も握ったことだし、平和主義の天皇ご退位の世論を喚起しようって悪知恵働かせた奴がいるんじゃないのかねえ。

 
ようするに、生前退位と改憲がリンクしているような・・・でなけりゃ、政府高官筋ってのが「そんな簡単な話ではない。戦後の議論がすべてひっくり返ることになる」なんて物騒なことをほのめかすわけないと思うのだが・・・真相やいかに

安倍政権が極秘に皇室典範の改正を準備!首相官邸の皇室典範改正準備室が動き出す!「戦後の議論がすべてひっくり返る」


さて、以上で示されているリンクを辿って、日テレNewsの報道を開いてみると、確かに今回の生前退位説の報道は、政府筋(官邸)が準備した上で、政府筋からリークされたものであろうとの見方がほぼ確定的になる。官邸は、安倍首相を中心として、政府内でさえ秘密裏に、皇室典範改正準備室なるものをすでに作っていたのである。しかも、このタイミングになるまで、準備は極秘に進められていたのだということが、堂々と公言されている。
  

政府 極秘に皇室典範の改正を準備
日テレNews24 2016年7月14日 10:49



天皇陛下が「生前退位」の意向を持たれていることが明らかになった一方で、宮内庁や内閣法制局の皇室典範改正準備室の態勢が強化され、法改正などの準備に入っていたことも明らかになった。政府内でも極秘とされ、限られた人しか知らされていなかったという。


(以下はニュース音声から文字起こし全文)


総理官邸の皇室典範改正準備室が 密に必要な法改正などの準備に入っていることが明らかになりました。

政府関係者によりますと、宮内庁や内閣法制局に勤務経験がある10名ほどの官僚から成る皇室典範改正準備室の態勢が強化され、すでに法改正などの準備に入っていたということです。

一方で、この動きは極秘とされ、政府内でも限られた人しか知らされていなかったということです。

政府高官は、皇室典範の改正について、「そんなに簡単な話ではない。戦後の議論がすべてひっくり返ることになる」と述べて、難しい調整になるとの認識を示しています。


このニュースは、伊勢志摩サミットの際に安倍首相が一方的に公言した「世界経済はリーマンショック前に酷似している」との資料の出所が、官僚にさえも明白でなかったように、安倍氏が自らの権力にものを言わせて、事実上の政府内政府を作っていること、つまり、すでに国会も、官僚の大半でさえも、安倍政権の主要な政策決定の蚊帳の外に置かれており、現政権の政治的に極めて重要なイベントのほとんどが、国会での議論を経ず、官僚にも知らされないまま、安倍氏を取り巻くごく一部のブレーン、安倍氏が秘密裏に組織する少数の指導的集団だけに予め知らされ、彼らによってのみ、密室で決定され、残りの官僚や国民には、すべてが決定後に知らされて、それが既成事実化されていくという秘密体制が作られていることを示している。

これは安倍首相による政府内政府の組織、もっと言えば、政府の乗っ取りを示すものであり、皇室典範改正準備室だけでなく、他の事柄についても同様に、安倍氏が事実上の「影の政府」を作って、すべての物事を不透明に国民の目から隠しながら準備を進めていることを意味する。

今回は、一体、天皇の生前退位説の情報源はどこなのか、疑惑が隠しおおせないところまで来てしまったので、ようやく遅ればせながら、情報のリーク元は政府ですよと、政府が自ら名乗り出たわけであるが、それにしても、「極秘に進められて来た」とニュースが公言していることからも分かるように、もはやこのような秘密結社のような非公認の組織が、国の根幹に関わる重大問題を密室で決めようとしていること、官僚までもほとんどが蚊帳の外に置かれ、政府も国会も、政策決定から置き去りにされていることを、安倍氏が隠すつもりさえないことを意味する。

今や安倍氏を取り巻くほんの一部の人間だけが、最も重大な政策を決めており、国会も政府も国民も完全に置き去りで、安倍氏の作った秘密結社のような組織の密室での決定だけが、この国の命運を左右する決定権を持つものであると、官邸は国民の前に公言するまでに至ったのである。

このように公に認可されていない秘密結社のような組織を作り、国民の99%以上を蚊帳の外に置いて、ほんの一部の少数者のみで、密室で物事を決めて行こうというやり方は、現政権の危険な独裁とクーデターの精神を何よりもよく物語る、あまりにも信用ならない卑劣な手段であって、今や安倍氏と同氏の選ぶほんの少数の不明な人間だけが事実上の政府となって暗闇のうちに動いているというのは、大変に、いや、あまりにも恐ろしいことである。
 
今回の天皇の生前退位説によって、安倍政権の秘密決定の手法が、すでに皇室というレベルにまで及んでいることが明らかになった。他は推して知るべしである。このような恐るべき不遜かつ危険かつ不透明な権力の濫用、大胆不敵かつ姑息で傍若無人な振る舞いが許容されてしかるべきなのか、多くの国民は考えなければならない。政府や官僚も、このことに重大な危機感を覚えなければならない。
  
少数のエリートから成る秘密結社のような集団を用いて国全体を牛耳ろうとする手法は、これまでクーデターを企てた革命家とテロリストとカルト宗教に共通して見られたものであり、レーニンは少数精鋭のエリートによって革命が指導されるべきであると唱え、一般労働者大衆を存分に利用して革命を成し遂げながらも、革命成就後も、ボリシェヴィキという名とは裏腹に、常に少数精鋭の指導集団だけが権力を握って、大衆を組織しなければならないと説いた。

さらに、当ブログでその危険性を幾度も訴えて来た統一教会出身の村上密という牧師も、自らの教団の枠組みを超えて、キリスト教界全体の権力を掌握するために、以上の人々と同じ手法を使ったのである。村上牧師は、密という名前が示している通り、教会内人事を密室で動かし、自らに盾突く人間を秘密裏に追放するなど、重要な物事を公の議論を経ずに密室で決定して来た。さらに、カルト監視機構の設立を訴えて、この監視機構に属する少数の専門家集団が、キリスト教界のみならず全宗教界を監視し、上から取り締まることを提唱し、この構想が実現せずに失敗に終わった後も、支持者を組織して秘密裏に同様の組織を作り、インターネット監視などに乗り出して、クリスチャンを自らの統制下に置こうと試みて今日に及んでいるのである。

このように、常に密室で自分の取り巻きや支持者だけを使って秘密裏に物事を決めることによって、人の目に知られない形で権力を自分に集中させて行き、開かれた議論を避けて反対を予め封じ込め、反対者を暗闇で追放し排除しながら、自らの思い通りに物事を暗闇で進めて行こうとするやり方は、多分、統一教会の常套手段なのであろう。村上密氏はそれをキリスト教界に持ち込んだのであるが、現在も統一教会と関わりのある安倍首相は、ちょうど村上密牧師を規模を大きくして宗教から政治の世界に転身させたような人物であり、どちらも統一教会流の危険な思考パターン、独裁と密室での政策決定という手法を共通して保持している様子が伺える。

むろん、こうした秘密決定の手法は、統一教会の専売特許ではなく、すでに書いた通り、それ以前の昔から、テロリストと革命家が既存の政治秩序を転覆させて、権力を掌握するために使って来た常套手段なのである。安倍氏がこれまでに常に用いて来たのは、このクーデターの精神と手法なのであり、今回、政府高官でさえも、「戦後の議論がすべてひっくり返ることになる」と、腰を抜かしているような、天皇の生前譲位説という極めて重要な政策決定についても、安倍氏はこれを自分だけの一存で国民(と政府)をよそに密室で決めようとして来たわけであるから、これは事実上の国の乗っ取りであると言って過言ではない。

こうした情報を受けると、ますますもって今回の生前退位の報道が、天皇自身の本意であるとは信じられない。もし生前退位が今上天皇の意向なのだとすれば、必ず、天皇自身が自ら会見を行うであろう。だが、現時点で、すべてはその逆の方向を向いており、この報道は、天皇陛下が直接、国民に意向を説明するという開かれた形を取るどころか、これまでずっとそれが国民を欺く形で、官邸によって秘密裏に準備され、決定されていたことを明らかにするものなのである。

にも関わらず、これほど信用ならない報道を未だに「安倍政権による改憲を阻止するための天皇陛下の英断」などと言って喜んで受け止めている人々は、まやかしを信じ、叫んでいるのである。国民は、皇室典範の改正という問題を議論するに当たり、安倍氏によってここまで自分たちが裏切られ、蚊帳の外に置かれていたことに憤慨すべきであり、国民だけでなく、政府も、国会も、この密室での決定に大いなる疑惑と不満と抵抗を示すべきである。

安倍首相は、このように全く信用ならない、自身の権力掌握にしか関心がなく、そのためならば、手段を選ばず、嘘にも無法にも何の良心の呵責も覚えない、野望に満ちた人物であるから、天皇陛下に憲法上の立場からこの問題についての発言権がないのを良いことに、天皇自身をも欺いて蚊帳の外に置く形で、今回の報道を準備して来たのであろうとしか考えられない。

こうして、どこまでも自分以外の全ての人間をよそにして、腰巾着のような御用メディアと一部の取り巻き連中だけを走狗として、すべてを秘密裏に、密室で自らの思い通りに進めて行こうというのが安倍氏のやり方なのであり、その手法はこれまで同氏が行って来た解釈改憲も含めた全ての抜け駆け的・違法な政策決定により、すでに十分に明らかになって来た。

今回のことは、そんな安倍氏の独裁が我が国ですでにかなりの程度、進んでおり、もはや皇室までも、安倍氏に乗っ取られようとしていることをはっきりと物語る事実である。御用メディアにはもう抵抗する力はない。それが天木氏が「この国は危うい」と述べている根拠である。

安倍氏とは、一体どこから来た人間なのか、突き止められる必要がある。ただ岸信介の孫としてA級戦犯とされた祖父と自らの血筋の名誉回復のために、敗戦によって敗れた勢力を復権させることを悲願としているというだけでなく、また、統一教会や日本会議を含めたカルト宗教とのつながりだけでなく、安倍氏を動かすイデオロギーそのものが何であるのか、その正体と今後の計画がさらに徹底的に明るみに出されなければならない。 この人物が暗闇で行っていることは、すべて明るみに出されなければならない。破綻しているアベノミクスを推し進めれば我が国は滅亡するというだけではなく、戦争に突き進めば多くの犠牲が出て国土が荒廃するという危険のためだけでもなく、この人物はもっとさらに深く危険な人間であり、その危険性が徹底的に明るみに出されねばならず、このような人物に国民は決して権力を与えてはならないのである。


宮中クーデターを狙う安倍政権の危険な思惑が垣間見えるような天皇の生前譲位説というデマ

・現政権は、壊憲クーデターだけでなく、宮中クーデターも狙っている? 天皇の生前譲位説という虚偽報道に見る「男系男性天皇」(のみ)を誕生させたい人々の危険な思惑

天皇の生前譲位という、降って湧いたようなニュースが突然、参院選が終了した直後から各メディアを騒がせているが、以下に示すように、それには本当に根拠があるのかどうか、極めて怪しい。むしろ、安倍政権側の人々が、自らの政治イデオロギーにとって好ましくない今上天皇が、自らの悲願である改憲の妨げになっては不都合だとばかりに、御用メディアに命じて譲位を既成事実であるかのように流布したデマの可能性が否定できないように思う。

それに加えて、あいば達也氏が、以下で引用する通り、このニュースには秋篠宮家と深い関わりがありそうだと推察している。筆者もこの点については同じ違和感を覚えている。

安倍政権を動かしているのはクーデターの精神である。彼らは必ず全ての行動において下剋上・秩序転覆を行うし、実際にそうして来た。まず、彼らは最高法規である憲法を尊重しないことによって、憲法遵守義務違反を犯し、自分たちがどんな規定にも縛られることなく、最上位の存在であるかのように振る舞って来た。そして解釈改憲を行って憲法の意味を骨抜きにし、今や、後付けで憲法の都合の悪い部分は全て排除して、これを自分好みに変えてしまおうと画策している。

解釈改憲は、その時点で、すでにクーデターだと言われて来た。こうして彼らは最高法規の意味を徐々に骨抜きにすることによって、憲法に対する自らの度重なる違反を正当化し、国家神道や軍国主義の復活を目指して来たのである。すでに文民統制を覆し、制服組の優位を確立しようとしている。他にも、彼らの秩序の転覆、法律の文言の毀損、意味や説明の捏造、歪曲、「裏口入学」の手口は枚挙に暇がないが、これらすべては戦前回帰のためになされていることであり、歴史を逆行させて、敗戦によってすでに決定的に敗れたはずの勢力を再び復権させて「名誉回復」させようと狙う動きなのである。

こうして、現政権が常に公の秩序・規定を骨抜きにし、ないがしろにして、黒を白とし、白を黒としながら行動して来たのは、ただ単に戦前の財閥の復興などといった目先の目標を超えて、その背後に、グノーシス主義的な反逆の霊に由来する危険な宗教思想があるためである。

グノーシス主義とは秩序転覆の霊であり、その起源は、聖書の御言葉に反して悪魔が人類に吹き込んだ偽りの思想にあるが、この思想の最終目的は、まことの神を追放して、人間を神の座に据えることにあり、それこそが、神に対する人類の究極のクーデターであり、すべての異端思想が共通して目指す最終目的なのである。

すなわち、人類を一致させて神への反逆に駆り立てることにより、天まで届く塔を建設し、自ら神に至ろうというのが、人類の神に対する反逆の思想の本髄なのであり、KFCの分析でも示したように、今やキリスト教でさえすでにこうした反逆の思想の牙城となってしまっている実態がある。ましてや統一教会のようなキリスト教の異端は何をかいわんやである。

いずれにしても、このグノーシス主義という思想は、有史始まって以来、絶え間ないクーデターを引き起こして来た。もともと独自の神話を持つ宗教ではない哲学的思想なので、どんな宗教にでも形を変えて入りこみ、キリスト教にも公然と入りこんで聖書の御言葉を毀損・歪曲し、骨抜きにしながら、聖書の秩序を転倒させてこれを真逆にする悪魔的な秩序をもたらそうと画策して来た。

安倍政権は、創価学会のみならず、統一教会とも深い関わりがあると言われているが、日本会議の支持団体には、キリストの幕屋などを含む、キリスト教の異端団体も数多く名を連ねている。そうである以上、こうした人々がグノーシス主義のクーデターの霊に憑りつかれているというのは、単なる憶測や、杞憂のレベルだとばかりは言えないだろう。

たとえば、『日本会議の研究』で知られる菅野完氏の記述がある。
  

日本会議に集まる宗教団体の面々――シリーズ【草の根保守の蠢動 第3回】
HARBOR BUSINESS Online
2015年03月11日 から抜粋

日本会議本部の役員に名を連ねる宗教団体関係者たち


 日本会議側も宗教団体との関係を特段否定するわけでもない(※1)。WEBに公開されている日本会議の役員名簿(http://www.nipponkaigi.org/about/yakuin)をみてみよう。表1は、この役員名簿を元に、筆者が作成したものだ。

⇒【画像】はこちら http://hbol.jp/?attachment_id=28321


表1:日本会議役員名簿(宗教関係者を筆者が編みかけした)

 この名簿をみると、顧問から事務局長まで、役員総数62名のうち24名が宗教関係者によって占められていることがわかる。役員の三分の一以上が宗教関係者という計算だ。日本会議は極めて宗教色の強い団体であると言えるだろう。

<中略>

日本会議に集まる宗教団体の多様性


 ここで改めて、どのような宗教団体が日本会議に参加しているかを、団体名ベースで見てみよう。表2は日本会議本部の役員名簿や日本会議の地域組織の役員名簿からよみとれる宗教団体を一覧にしたものだ。

⇒【画像】はこちら http://hbol.jp/?attachment_id=28322


表2:日本会議への参加および日本会議内での活動が確認されている宗教団体一覧


 この表でとりわけ目に付くのは、仏所護念会や霊友会など、明治以降に生まれた、いわゆる「新宗教」とよばれる宗教団体の比率の高さだ(※3)。また、神社神道系 教派神道系 新教神道系 仏教系 諸教系と、実にさまざまな宗派にまたがるという点も特徴的といえるだろう。

(以下略)


菅野完氏は、一見バラバラのように見えるこれらの宗教団体の結びつきの原点が、生長の家原理主義にあることを調べ上げている。生長の家原理主義とは、もともとは「生長の家」の谷口雅春の教えを出発点としながら、70年安保で左翼に対抗した右翼民族派・生長の家学生運動の出身者を指す。
 
上記のリストには統一教会は含まれていないようであるが、安倍首相と深い関わりのある統一教会が日本会議と無縁であるはずがなく、さらに生長の家原理主義の学生運動は、思想的には、統一教会の組織する国際勝共連合とも重なるものがあり、ここにリストアップされていないのは、無関係だからではなく、かえって統一教会がこれらの宗教団体の上に立つ指導的存在だからではないかと思われてならない。

こうした宗教団体は、ただ「共産主義の脅威に対抗する右派」という軸によって結び合わされているだけでなく、キリスト教に対抗するグノーシス主義に由来する(多くが新興の)宗教である。グノーシス主義的特徴とは何かと言えば、生長の家がそうであるように、生まれながらの人間を「神」(神の子)に祀り上げ、人間を神聖な存在、すなわち、現人神であるとみなす思想である。つまり、これらの宗教団体はみな「現人神」を信じる信仰という接点を持っていることが挙げられる。

筆者は菅野氏の著書に目を通していないが、苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳の記事に、日本会議に関わる宗教団体の概略が記されているので、そこから引用する。
 

記事「菅野完『日本会議の研究』・・・生長の家原理主義者たちがその中核
2016-05-17 より抜粋

 日本会議なるものの中核が、生長の家原理主義者たちだという事実を克明に世に示したこの本は出版取りやめになるのでしょうか?微妙なところだと思います。とにかく、この実態が知られることは、日本会議にとってはとても不都合なことのようです。
 本書で紹介される中心人物たちが、こちらに紹介されています。

http://joe3taro.com/?p=1327

2.日本会議の組織力・動員力・・・諸宗教団体

 組織ということでいうと、日本会議の組織力・動員力の源泉として、筆者は、通常教えの違いからまとめにくいはずの、もろもろの宗教団体をまとめていることを指摘していました。日本会議が彼らをまとめるキーワードは、<皇室中心、改憲、靖国参拝、愛国教育、自衛隊海外派遣>といったものです。

 日本会議にかかわっている宗教団体のリストには以下の名があります。

神社本庁、伊勢神宮、熱田神宮、靖国神社、明治神宮、岩津天満宮、黒住教、オイスカインターナショナル、大和教団、天台宗、延暦寺、念法真教、仏所護念会教団、霊友会、国柱会、新生儒教教団、キリストの幕屋、崇教真光、解脱会、モラロジー、倫理研究所。・・・おそらく、これらの諸団体の信者たちは、自分たちがこんなにいろんな宗教といっしょに巻き込まれて運動しているのだということを知らないのではないかと思われます。


さて、本題に戻れば、以上のような宗教思想の信者らで8割以上が占められているという現政権とそれを支える宗教勢力が、皇室についても、必ず、自らの統制下に置くことを目指していないはずがない。何しろ、彼らにとっての皇室とは、彼らの政治・宗教的イデオロギーをまさに体現する最も重要な象徴なのである。

だが、その思想的特徴から察するに、彼らは決して現在の皇太子を尊重しないはずである。

おそらく、現政権、特に安倍首相には、皇太子(徳仁親王)を飛び越して、この先、第二皇子である秋篠宮文仁親王にスポットライトを当てようとするプランがあって、今上天皇から直接、第二皇子に皇位継承権を渡すか、もしくは、ゆくゆくは秋篠宮家の男児悠仁親王を天皇の座に据えるという計画を準備しているのではないかという推測さえも生まれる。

仮にその推測を脇に置いたとしても、少なくとも、今上天皇の憲法擁護の姿勢と、平和主義が国民の心に深く訴えかけるので、このような人物が天皇であり続けることは、現政権にとって好ましくなく、改憲(壊憲)の妨げになる可能性があるため、国民投票までには退いてもらいたいという思惑があるのではないかということが容易に推測できる。

そのような思惑があってこそ、天皇の生前譲位説というものがまるで既成事実のように報道されているのではないか。従って、早合点は禁物である。宮内庁がこの報道を全面否定している様子からは、肝心の今上天皇のことばが、何者かによって捏造されて伝えられている可能性をが高い様子が伺える。

しかも、天皇の生前譲位説を報じた第一報がNHKであったというから、ますますその信憑性は怪しまれる。公共放送でありながら、NHKが今回の参院選でも、ほとんど選挙に関する報道を控えていたことはすでに多くの場所で公に指摘され、非難されている(たとえば、ハフィントンポストの記事「参議院選挙への無関心はテレビのせい!?と言えるワケ」投稿日: 2016年07月11日 16時14分 JST   更新: 2016年07月11日 16時45分 JST を参照。)

こうした報道の自粛が誰を利するのかを考えれば、事の次第は一目瞭然であり、投票率が低くなれば助かるのは政権与党であるから、NHKが政権与党の側に利益となるよう便宜を図らって報道を自粛したという推測は免れることができない。そのようなNHKが第一報であるから、天皇の生前譲位というのは、余計に信用できないニュース、いや、ニュースというよりも、誘導記事ではないのかと受け止められる。

以下、宮内庁は新聞雑誌の報道を全面否定しているという朝日新聞のニュース。
 

宮内庁次長は全面否定「報道の事実一切ない」 生前退位

2016年7月13日21時50分

宮内庁の山本信一郎次長は13日夜、NHKが最初に生前退位について報じた後に宮内庁内で報道陣の取材に応じ、「報道されたような事実は一切ない」と述べた。宮内庁として生前退位の検討をしているかについては「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語った。さらに「(天皇陛下は)制度的なことについては憲法上のお立場からお話をこれまで差し控えてこられた」とも話した。


さらに時事ドットコムの以下のニュースは、さらに踏み込んで、天皇自身は憲法上の立場から、自分がいつ公務を退くかと言ったことを自分で決断できる権利を有していないのだから、従って、そのような発言を行う理由が存在しないと述べている。今上天皇はいかなる場合も、憲法を尊重し、その規定を超えるような私的解釈に基づく行動を取ってこなかったわけであるから、これは非常に説得力のある説明である。

「そうした事実一切ない」=宮内庁幹部は報道否定-生前退位
時事ドットコムニュース (2016/07/14-02:26)

天皇陛下が天皇の地位を生前に皇太子さまに譲る意向を宮内庁関係者に伝えられたとの報道を受け、同庁の山本信一郎次長は13日夜、報道各社の取材に応じ、「そうした事実は一切ない。陛下は憲法上のお立場から、皇室典範や皇室の制度に関する発言は差し控えてこられた」と否定した。

天皇陛下が生前退位の意向=数年内、周囲に伝える

 午後8時半ごろ庁内で各社の取材に応じた山本次長は、「陛下が生前退位の意向を宮内庁関係者に示されたという報道があったが、そうした事実は一切ない」と繰り返し強調。「長官や侍従長を含め、宮内庁全体でそのようなお話はこれまでなかった」と話した。
 記者からは皇室典範改正の可能性についても質問が飛んだが、「皇室典範や制度にわたる問題については内閣や国会で対応するものだ」とコメントを避けた。静養のため葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在中の陛下の体調については「お変わりなくお過ごしだ」と説明した。
 深夜に取材に応じた同庁の風岡典之長官も、同様に報道内容を否定。「(皇室の)制度については国会の判断にゆだねられている。陛下がどうすべきだとおっしゃったことは一度もなく、あり得ない話だ」と述べた。


そこで、今上天皇が語らなかった「ことば」が、あたかも天皇のことばのように公に流布されている背景には、今上天皇をできるだけ早く譲位させたいとする人々の思惑が強く働いていることを感じさせられるため、非常に空恐ろしい物騒なものが感じられてならないのである。

さらに、その人々は、今後、一体、誰に皇位継承権を与えようと願っているのか? 

筆者には、それは皇太子ではないように思われてならない。あいば氏が、報道内容が秋篠宮をクローズアップするものであることに注意を払っているのと、全く同じ危惧を筆者も感じている。

すでに述べた通り、安倍政権を動かしているのはクーデターの霊である。従って、彼らは皇位継承手続きをも都合の良いように乗っ取ってしまい、決してしかるべき秩序に基づいて行う気はないのではないかという予感が筆者にある。

特に、これまで敬宮愛子内親王を無視する形で繰り広げられて来た”佳子さまブーム”なるものの奇怪なども合わせると、その予感は強まる。今回の「誤報」もまた、秋篠宮家にスポットライトを当てるための一環ではないかという予測が生まれるのである。
 
つまり、ある人々が、皇太子一家を無視するか、これを飛び越えて、秋篠宮家に国民の注意を向けようとしているのである。何よりも、そこにある意図は、男系男子の皇位継承しか認めたくない人々が、何が何でも女性天皇の誕生を阻止するために、そのような目的での皇室典範の見直しを退けて、敬宮愛子内親王を退けて、悠仁親王を将来的な天皇に担ぎ出したいという決意を以前から固めており、そのために、皇太子を退けて秋篠宮家に国民の関心を移していこうと徐々に画策しているのではないかと見られてならない。悠仁親王はまだ幼く、思想的な立場が固まっておらず、特定の政治勢力が自分に都合よく傀儡に育てようと考えるなら、格好のタイミングであると言えよう。

筆者の考えでは、現政権に関わる人々は、皇室尊重と言いながら、実際には、全く皇室を尊重などしておらず、天皇をただ自らの政治的野望をかなえる手段としか見ていない。

歴史を振り返っても、都合よく操り人形にできそうな人物や、あるいは子供(少年・青年)を形式上だけ国家元首としての天皇の座につけておいて、あとは政治勢力が好き放題、やりたい放題に国を牛耳ろうという考えは、今に始まったものではない。
 
皇太子と秋篠宮との間には、以前から、それなりの確執があったとの報道もあり、また、雅子妃に対する執拗なバッシング報道がずっと続いて来たことを考えても、そこには、将来的な皇位継承権を、敬宮愛子内親王には渡したくないという思惑が、強く働いているのではないか、できる限り、皇位継承権を皇太子一家から遠ざけたいという思惑が実際に存在するのではないかという推測が成立するのである。

それにしても、もし天皇陛下のことばさえも捏造されて報道されているのだとすれば、もはや我が国は乱世のようなものである。一体、現政権は何なのであろうか。安倍氏の「立法府の長」発言もそうであるが、彼は全能の神になり代わったつもりなのであろうか。選挙前には「参院選の争点はアベノミクス」と言って、すでに世界的に破綻が明白となっているアベノミクスを「道半ば」とうそぶいて掲げ、選挙が終わると、「改憲勢力3分の2を得た」と突然、口調を変えて、改憲に突き進む意欲を見せるというのも、現政権ならではの極めて姑息なやり方である。さらに、ここに来て、突然のように、今上天皇の生前譲位説が飛び出して来たのも、彼らがやがて天皇を「神」として国家神道を復活させることへの並々ならぬ決意を、もはや隠し立てなく表明し、皇室さえも牛耳り、自分たち好みの天皇を立てるつもりだという決意を表明したものでなくて何であろうか。ちなみに、今回の選挙も、おそらくは、ムサシという特定の会社が牛耳る開票マシーンによる不正操作の結果であり、まるで民意を反映していないという推測は、随分前から、ネットではほぼ定説となっている。

選挙結果の操作は時代を超えて権力者の常套手段であり、現代にだけは、それが行われないなどと考えるのは、あまりにも子供じみた楽観的な発想である。
 
こうして、参院選でも勝利を得たことにしてしまい、それに勢いを得て、現政権は、自分好みの「国家元首」立ててそれを「神」に祀り上げ、全国民に跪拝を要求するという「悲願」に向けて、道を整え始め、いや、暴走を始めたように見える。それが安倍首相の言う「この道」の意味するところである。

彼の言う「この道」とは、結局、人間に過ぎない者を現人神に祀り上げて、全人類に跪拝を要求しようとする偽りの宗教に他ならない。経済政策などは、ペンテコステ運動の「繁栄の神学」と同じく、人々の関心を掴むためのきっかけに過ぎず、その思想の本質ではない。現政権のイデオロギーの本質は、「救国」すなわち、人間のあらゆる弱点につけこみ、「救済者」に名を借りた人心の完全な掌握と支配を行うこと、すなわち、独裁を打ち立てることにある。
 

 世相を斬る あいば達也 記事天皇の譲位意向報道 籾井NHKの特ダネ“陰謀”の臭いも?から抜粋

●天皇の譲位意向報道 籾井NHKの特ダネ“陰謀”の臭いも?

今夜も、時間がないと云うのに、NHKのすっぱ抜き“特ダネ”のような形で、天皇が生前退位に関して、ご希望を述べられた云々と云う、情報源を「関係者によると」と曖昧にした状態で、日本中、否、世界中を驚かせた。この天皇の地位継承問題は、様々な問題を含んでいるので、ひと口に理解しきれない。今夜は、時間の都合上、嫌に、天皇の生前退位問題に前向きな報道をしているのが、籾井のNHKと産経新聞、日経新聞だと云う事実と、その報道している内容を羅列するにとどめる。


上述の報道機関が、前のめりで報道していると云う点を、先ずは「重視」すべきだ。このNHK、産経新聞、日本経済新聞の三社が酷く積極だ。このことは、酷く重要であり、警戒すべき点だ。安倍政権及び日本会議勢力に取って極めて親和的報道各社であることを、我々は、大前提として、考えるとか、感じる前に、念頭に置くべきである。改憲勢力が、衆参両院の2/3議席を制し、今後は「憲法審査会での議論だ。叩き台は、自民党の壊憲草案だ」と平然と抜かした安倍首相の「改憲願望」と非常に深くリンクしている。そのメカニズムと云うか、陰謀的手順表は,官邸の誰かの胸の内にあるに違いない。

秋篠宮がクローズアツプされている点も注意が必要だ。“佳子さま報道”含め、どこか臭う。現皇太子が存在しないような書きっぷり、秋篠宮へのズームイン、現皇太子の影薄くと云う印象を与える記事になっている。秋篠宮のイデオロギーがどのようなものか、寡聞にして知らないが、今上天皇と現皇太子が、護憲的発言が多く、安倍日本会議勢力にとって、有り難いとか、親和的だとか、到底言えない。以上の素地が、今回のNHKのフライング報道に臭うわけである。朝日新聞だけが、宮内庁がNHK報道を事実無根と否定している件を明確に報じている。

(以下省略)


これから注意が必要なのは、今上天皇を何としても生前に譲位させようというより一層強制的な動きが出て来ないかという点と、皇位継承権を巡るクーデターが起きないかどうか、という点である。
  
現行憲法では、天皇は国民の象徴であって、政治家が自分の傀儡として動かせる駒ではない。しかし、自民党は憲法改正の草案において、天皇を「国家元首」にしようとたくらんでいるわけであり、それが意味するところは、彼らが天皇を自分たちの手先とし、傀儡として操り人形にすることによって、自分たち政治勢力の意のままに、天皇の命令によって戦争を起こし、戒厳令を敷き、多くの国民の生殺与奪の権を握れるような世界を目指しているということである。

そのようなことを目論む人々が、自分たちのプライドを満たし、なおかつ、思い通りにできる傀儡としての天皇を立てようと考えないはずがない。彼らが願っているのは、天皇崇拝という形式を通して、国民から権利を奪い、自分たちが「神」になって指揮権を握ることであり、欲しいものは絶対的な権力、それだけなのである。

さらに彼らにはその宗教思想に基づいてどうしても、自分たちが「神」になるために、血統を転換させてくれる人物が、すなわち、生まれ持った「万世一系」なる幻想の血統が必要なのである。そのために、できるだけ都合の良い人物を天皇に据えたいと願っているだけなのである。

このような「聖なる血統」という幻想は、すでに述べた通り、統一教会(を含む異端思想)に共通するものである。これまで述べて来たように、異端思想には、堕落した人類の「血統」を「神の血統」に転換し、それによって地上天国を成就するための共通する家族モデルがあり、それが、宗教・政治指導者夫妻を「聖なる真の霊的父母」として崇め奉り、これに人々が「子」として連なることによって、全人類を「一つの神聖な霊の家」に帰属させ、一つの家にまとめようというプランなのである。

そのような、生まれながらの人間を現人神とみなして、全人類を一家族とみなしてこれに統合することを最終目的とする忌むべき異端思想の家族モデルは、国家神道に限らず、キリスト教の異端のほぼすべてに共通する特徴である。

それが統一教会では「全人類一家族理想」と呼ばれ、国家神道では「八紘一宇」または「一大家族国家」の理想などと呼ばれ、ペンテコステ・カリスマ運動では「リバイバル」として提唱されているのである。生長の家も、おそらくはこうした概念と無縁ではあるまい。

従って、こうした宗教思想の持ち主は、天皇をただ単に「国家元首」として担ぎ上げ、最高軍事司令官としたいと願っているだけではなく、何よりも、「神の血統」を有する「現人神」として天皇を担ぎ出し、そこにすべての日本国民及び全人類を「子」として帰依させることによって「八紘一宇」を実現することを願っているのである。自分たちが「神々」になるために、「万世一系」などという虚偽を持ち出して、「神の血統」を利用しようとしているのである。

 このような偽りの地上天国の理想は、時代が悪くなればなるほど、より一層、強力に打ち出される。アベノミクスによって日本の国力が落ち、経済がより一層、疲弊・衰退し、国の未来に何一つ明るい材料が見えなくなればなるほど、そのようなまがまがしい幻想の「ユートピア」の理想によって人々を眩惑して、手っ取り早く権力を拡大しようと目論む独裁的政治指導者が現れるのである。

現実が悲惨になればなるほど、大衆は、悪夢のように閉塞した現実から目をそらさせてくれる偽りの「理想」を求め、そこへ麻薬のように逃避しようとする強力な惑わしの力が働く。すでに我が国は滅亡の淵にまで来ているのであるが、それではまだ飽き足りず、その混乱・衰退・弱体化を利用して、独裁を確立し、国民全体を一掃するところまで導かないと気が済まない勢力が存在するのである。その奈落が、「一大家族国家理想」や「八紘一宇」という偽りの幻想の名前で呼ばれているのであって、この地獄をユートピアのごとく夢見る人々は、この先も、自らの幻想(誇大妄想)を達成するための手段として、天皇という存在を、最大限、利用しようとするであろう。

そのようなことを企んでいる勢力に手段を与えてはならない。聖書によれば、人が神に至るための道はただ一つしかなく、それがキリストの十字架なのであり、この方を介さずに、罪深い人間が自力で神の血統に至れるような道は存在しない。人が救われるための唯一の道を否定すると、残るは行き止まりだけなのであり、生まれながらの人間が自己を神とすると、その先に待っているものは破滅以外にはないのである。

「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13-14)