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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

私は主のはしためです、お言葉通り、私の身になりますように…

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示12:11)

オリーブ園新着ブログに掲載されているT.オースチンスパークス著、勝利のキリストとその民より抜粋します。これは、キリストのために自分の命を失うとは具体的に何を意味するのかを理解する手がかりとなります。ここでは、マリヤの例を通して、人が主の御旨に従うためには、まず内側にあるサタンの王国に勝利せねばならないことが語られています。また、一人の人が自らの意志によって魂の命を拒み、神の御旨を選び取ることにより、その人の内側でサタンの王国が敗北し、キリストの主権が打ちたてられることが、神のご計画の中でどれほど大きな意味を持っているかをも理解することができます。内側にあるサタンの王国とは、まさにその人の魂の命(天然の命)を土台として構成されているものです。子羊の血と、証の言葉に立つだけではなく、さらにこの天然の命を拒み、死に至るまでも魂の命を惜しまないことによって、サタンの土台を取り払い、悪魔に打ち勝つことのできる人を神が求めておられることに思いを馳せましょう。
 

(a) 受肉の勝利

 主は肉体となって来て、私たちの間に幕屋を張られま した。これが受肉です。まさにこの受肉の始まりから、それどころか実際の受肉の前ですら、これはこれまで述べてきた宇宙的な超地上的要素に影響を及ぼしま した。この諸々の要素はサタンの王国を構成するものであり、サタンの性質そのものです――高慢、反逆、邪悪さによってサタンの王国は構成されており、地上で維持されています。主が生まれる前ですら、サタンの王国は影響を受けたのです。

御使いがマリヤにこの大いなる計画を話した時の、ふたりの間の会話に再び耳を傾けましょう。その計画は彼女に義務として課せられたわけではありませんでした――これは重要な点です。御使いはこの計画を彼女に押しつけて、「この 計画は実現しなければなりません。あなたはこれを行わなければなりません。これはあなたの義務です」と言ったわけではありませんでした。

そうです、それは提案であり、暗示であって、御使いは神の偉大な御思いと御旨を彼女の前に示したのでしたその御旨は、人間生活や人間関係に関する限り、彼女を最も困難で微妙な立場に巻き込むものでした。そして、この御旨は彼女の判断に委ねられたのです。彼女はこの御旨を見て、量りにかけました。彼女は人にとってそれが何 を意味するのか見ました。この御旨を受け入れるなら社会から追放される危険性が十分あることを彼女は見ました。いまはこれを辿ることはしません。彼女はこ の危険性を承知していました。

この物語を読むと、彼女の内に真の戦いがあったことを見て取るのは困難ではありません。彼女の内には戦いがありましたが、最後に彼女は勝利しました。彼女は自分の意志を用いて勝利を勝ち取りました。この勝利を得るには、高ぶりや自分の利益をすべて地に投げ捨てる必要がありまし た。これは力強い勝利でした――
「お言葉通り、私の身になりますように」(ルカ1:38)。マリヤは神の御旨に絶対的に服従しました。「ご覧ください、私 は主のはしためです」――これはしもべの精神です。

この光に照らして見ると、何がこの影響を受けたのかわかります。もし高ぶりが所を得ていたら・・・! サタンの王国に対して、これがどんな影響を及ぼしたか見なさい。もし彼女が自己の利益に支配されていたら、もし彼女の中に反逆、邪悪さ、手放すのを嫌がる気持ちがあったら、どうなっていたでしょう? もちろん、主は別の器を見出されたと思いますが、私たちはこれについて何もわかりません。ここで私たちは、代々の時代にわたる偉大な物語が一人の女性の魂の中に凝縮されるのを見ます。はたして彼女は神の御旨に委ね、明け渡し、服従するのでしょうか?この自己放棄に より、彼女の意志は神の意志と一つになりました。そしてそれによって、この地球に関する限り、サタンを王座から追放することになるひとりの方がお生まれに なったのです。

サタンを王座から追放するには、神の宇宙にはびこっていた高ぶり、反逆、邪悪さ、自己中心性を取り去ることが必要でした。そして、その最初の戦いはこの女性の魂の中でなされたのです。私たちは降誕節の季節になると主の誕生について話しますが、受肉のまさに第一歩の背後にこのような恐ろしい戦 いがあったことを見ているとは私には思えません。その背後には、この広大な領域が広がっていたのです。

私たちはこれまでマリヤについて話しすぎるのを少し 恐れてきました。なぜなら、邪悪で悪質な組織が存在していて、彼女を礼拝し、彼女の歌の言葉に誇張された誤った意味を与えてきたからです。
「見よ、今から 後、あらゆる世代の人が私を祝福された女と呼ぶでしょう」(ルカ1:48)。もちろん、私たちには「祝福された処女マリヤ」という句がありますが、私たち はこれを恐れているのです。悪魔はとても狡賢いです。悪魔はこの偽りによって真理を覆い隠してきたのです。彼女の魂の中で悪魔の王国を征服する第一歩が踏 み出されました――高ぶりは打ち倒され、絶対的な意志の服従によりこの女性の意志は神の意志と一つになりました。そのおかげで、創世記三章十五節の御言葉 「私は恨みを置く。お前と女との間に、お前の子孫と女の子孫との間に。彼はお前の頭を打ち砕く・・・」の成就が可能になったのです。

し かし、受肉はこれだけではありません。当時ですら、そうだったのです。処女懐胎の神秘があります。私たちは「無原罪の宿り」を受け入れません。これはマリ ヤを罪の無い存在とするからです。マリヤの系図の中には罪深い人もいます。ですから、彼女は生まれつき罪深い性質を受け継いでいたのです。しかし、御使い が彼女に告げた「あの聖なるもの」に関する言葉は、イエスは罪深い性質を受け継ぐことがなく、罪の無い不朽不滅の存在であることを意味しました。神は最初のアダムと最後のアダムとを性質上はっきりと区別されました。最後のアダムはまったく別の存在であり、この領域には属しておらず、彼方の領域に属していま す。この彼方の領域では、神はかけ離れた、異なる、「別の」存在です。何らかの方法で、聖霊はこの聖なるものを聖くない遺伝から分離する奇跡を行われまし た。サタンの王国を滅ぼすにはこれが必要だったことがわかります。キリストは最初のアダムとはまったくかけ離れていました。これこそ、この宇宙的戦いの最 大の力なのです。

 次に、この問題に関して別の勢力がいかに興味を抱いたかご覧なさい。ベツレヘムの馬小屋だけでなく、その周辺の野原や遠く離れた地で、途方もない活動がなされていたのです――賢者たちがやってきた土地や、ヘロデのいたユダヤでもそうでした。この問題全体によって、とても 大きな関心が引き起こされました。この女性は自分の魂の中で勝利しましたが、それは数々の原則に関わることでした。また、聖霊は奇跡をもってアダムの罪の 系譜とこの「聖なるもの」とを切り離されました。代々の時代にわたる戦いの行く末は、このマリヤの勝利と聖霊の奇跡にすべてかかっていたのです。そうで す、
創世記三章十五節は預言や事実を述べたものであるだけでなく、広範に及ぶ素晴らしい結果をもたらすものでもありますが、それがただちに成就しはじめたのです。

ああ、殺人者が立ち上がりました! カインとアベルの物語はこの二つの体系の戦いの始まりを私たちに示しています。この二つの体系の戦いは個人から 部族へ、部族から国へと発展し、拡張してきました。聖書全体を通してこれを見ることができます。それは二つの路線に沿ってであり、二つの土台に基づいてい ます――すなわち殺人と混合です。敵はモーセや主の他の僕たちを殺そうとしました。敵は選民を殺したり、直接的に滅ぼすことができないときには、彼らを誘惑し、欺き、混合した結婚や混合した礼拝により何とかして彼らを混合の中にもたらして、自分の目的を遂げようとしました。聖書はまさに殺人と混合に満ちて います――殺人と混合の目的は、悪の王国の滅亡とこの別の王国の到来を阻止することでした。

この宇宙的な関心と懸念が地上でこの受肉の上に集中していたの です。すべての男の子を殺すようにというヘロデの殺意に満ちた、不法で、野蛮な命令の背後にはこのような理由があったのです。これが行われたのは一人の人 ――たった一人の人――をつかまえるためであったことを私たちは知っています。悪魔は自分の目的を遂げるためなら手段を選びません。受肉はこの領域でなされたのです。主イエスは降誕されました――<…>。


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