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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

時が来れば神はあなたがたを高くして下さいます

昨夜、ふと思い立って母に電話をかけてみると、つながった。関東の状況について、今後の人生について、かなり長いこと話をした…。

「皆が終末を思い、殉教や携挙が切迫した出来事のように語られている。けれども、私はこれから主と共に歩むことの素晴らしさを知り、キリストの復活の命の豊かさを生きて知るということをしたい。主が用意して下さった私たちの新しい自己、真に自分自身として生きるとは何を意味するのか、それを生きて知りたい」、そんな話をした。

今まで、私たちは世代ごと、ただ誰かの栄光のために道具のように使い尽くされて来た。キリストの命の豊かさを真に味わうことがなかった。個性は圧殺され、自由はなく、出番は奪われ、豊かになることも奨励されなかった。けれども、主は十字架を通して、私を自由にして下さった。奴隷的拘束と死の恐怖から解放して下さったのだ。

キリストは真に健やかな、真にあるべき人の姿であり、私たちは彼の命によってよみがえらされ、彼の命によって生かされている。だからこそ、この曲がった邪悪な時代に、私たちは人として真に健やかな歩みをすることは決して不可能ではないはず。むしろ、「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15) と言われているのだ。

神が私のために用意して下さったまことの命の豊かさを生きて知りたい、と切に思う。主が私のためにこそ用意して下さった天の宝を、この地にあって味わって生きたい。自分自身に与えられた個性の豊かさを堂々と生きて知りたい。死を考えるのはそれからで良い、そんな趣旨のことを語った。

そこには、以前には考えられなかったほどに、じっくりと我が子の置かれている状況に耳を傾けてくれる母がいた。初めはかなり疲れた様子だったため、また話を聞いてもらえないのではないか…との恐れが生じて、私はそそくさと退散しようとした。だが、仕事柄、母は話を聞くことが上手になったようだった。さらに、母はわが子の状況に注意を払い、私の身を案じてくれていた。これが分かっただけでも、涙が出るほどに嬉しい。わがままついでに、送ってもらいたいもののリストも注文しておいた(笑。

主は素晴らしい。主が私に着せてくれたroyal robeとはこのようなものだ。私はもうみなし子でもやもめでもない。この困難な世代に属する私たちに向かって、主は多くの兄弟姉妹、また肉にある父母を通して言われる、「雄々しく立ち上がれ! キリストにあって、健やかな人として生きよ!」と。これ以上、無益な闘いに人生を浪費せず、まっすぐに神が用意した道を歩め、と。

幼い頃、家庭で繰り広げられてきた長い戦いは、いつまでも私の心から消えることはない。だが、ただキリストにあって、戦いは終わり、和解の十字架がもたらされた。そこには、何一つ、私の手柄はなく、私の功績はない。その消えることのない御業は、ただキリストのものなのだ。

主がご自分の栄光のために御業をなして下さる。我が家のみならず、私の人生にも御業を打ち立てて下さる。今、私は人生の曲がり角に立っており、これから先、世の暗闇の主権者の支配の只中を生きるのか、キリストの統治する命の只中を生きるのか、問われている。そこにはもう中間というものがないのだ。私は肉体の幕屋の中にあって切に呻きつつ、神の御業を見ることを待ち望んでいる。

神がキリストにあって私を祝福してくれるのは、私が神の戒めの中にとどまるからだ。もしもキリストの内にこの先もとどまっているならば、神は私の心に思いも浮かばなかった御業をなして下さるだろう。主は敵の前で私の頭に油を注いで下さり、私の杯は溢れるばかりになるだろう。主は私の労苦の全てをご存じであり、どんな時にも私を捨てず、私を慰めることのできる唯一の方である。ただ主に、主にのみ栄光があるように。

「…あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

あなたがたをキリストにある永遠に栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。」(Ⅰペテロ5:6-11)


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