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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい

「兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」(黙示12:11)

礼拝にはいつもすばらしいいのちの流れがあるが、御霊によって本当に心を刺し通されることが続く。それは神ご自身がなさっておられる霊と魂の切り分けの手術であり、自己の徹底的な死が実際となるために必要な行程である。

その間、日常生活においても激しい戦いがあった。自分自身に対する神の有罪宣告をとことん受け入れ、主と共に自分が十字架につけられ、裁かれ、罰せられたことを認め、ただこの十字架の死にとどまっていることだけが、最大の防御であった。そしてそこに留まっているとき、主は確かに圧迫を取り除け、勝利をもたらして下さったのである。

その過程で、神がお示し下さったのは、これから先、私はアダムの出自を拒み、その代わりに、キリストにあって得た新しい地位だけを見つめなければならない、ということであった。決してこの先、後ろを振り返ってはいけない。出て来たところ(アダムにある出自)を振り返ってはいけない。もしキリストによって捕えられているなら、ただこの方だけを見つめ、後ろのものを忘れ、前を向いて進んでいかなければならない。私はキリストにあってすでに新しい人とされたことを信じ、この新しい出自を受け取り、御霊により、彼のご性質をいただいて生きるべきである。

主と共なる十字架における自己の死をとことん受け入れて自らそこにとどまり続けることを決意したそのとき、主ははかりしれない誠実さを持って、助けを求める声に応えて下さり、そして、長年に渡り、払いのけることのできなかった重いくびきをふるい落として下さった。鎖が音を立てて崩れ落ち、状況の変化には全くよらず、魂は安息に入れられた。ふるい落とされたのは、アダムにあってその人を縛っている限界のくびきであった。

荒野で倒された者たちは、肉なる自分の限界や欠乏にとらわれ、それを神が豊かに補って下さり、解決を与えて下さることを信じなかったゆえに、その不信仰の報いとして倒されたのだ。もしもこの先、キリストの内に安息することを妨げる肉の働きを自ら拒まないなら、最終的に、私たちも同じことになる。いのちに立つのか、死に立つのか、それはおのおのが決めることだ。もしも真理に従順に服することをしないなら、その肉の性質が、いのちなるキリストから私たちを引き離してしまうだろう。

だから、私はただ信仰にあって、キリストが私たちのために用意して下さったはかりしれない恵みの完全さを信じて、この方の完全さだけを見つめなければいけない、自分を見てはいけない、この方のいのちにすがって、キリストにあって約束された恵みと彼にある新しい人を余すところなく受け取らなければいけない。

だから今、古き人を脱ぎ捨て、キリストを着よ! 神があなたに用意して下さったこの新しい人を着よ! 神があなたをすでに新しい人として下さった事実を認めよ! キリストにあって、彼が達成された全てのものを自分のものとして受け取れ! そして、その御恵みの中に生きよ。古き人の限界にもはやとらわれてはならない、かつての悲しみや嘆きを振り返ってはならない、罪も、失敗も、損失も、確執も、全て十字架へ引き渡し、自分はすでに死んだ者であると認め、自分の肉の弱さに自分で責任を負おうとしてはいけない、ただキリストご自身だけに頼れ、自分に頼らず、この方に全力ですがれ、この方だけが死んだあなた方を神に対して生かして下さることを信じ、この方のいのちによって生きよ。

たとえあなたの今の立場がどのようなものであっても、キリストにあって、あなたが与えられたはかりしれない天の地位と豊かな恵みを信じ、どんなことがあっても、主と共に十字架において古き人を拒んで、キリストにある新しい人の地位に立ち続けるなら、あなたは彼に属する種族として、実を結んで生きるようになるだろう。あなたは御霊によっていのちの息を吹きかけられ、豊かに実を結ぶ人となるだろう。

この先には、命の道と死の道の二つしかなく、その中間はない。私たちはサタンの家財となるべき生まれながらの自己という憎むべき悪の要塞に対し、神の宣告を受け入れて徹底的に有罪宣告を突きつけるのか。自分自身の中には罪と腐敗以外の何もなく、神の御前で全く弁護の余地がないことを認めるか。それとも、自己に対してわずかでも弁護の余地を残そうとするのか。もしアダムの命を選ぶなら、キリストの命に生きることはできない。もし自己を選ぶなら、キリストを退けることになる。自分の魂の命を十字架で否んで、キリストのよみがえりの命だけを選び取って生きよ!

「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。」(マルコ9:43) 

「あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。」(Ⅰコリント6-8)


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