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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

村上密牧師と杉本徳久氏によるクリスチャンへの迫害および杉本徳久が刑事告訴された事実③

   ~村上密氏と杉本徳久氏の主導する「サイバーカルト監視機構」の正体~
  
<追記>
 2018年2月に、村上密率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事等を参照。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実



 4-3.杉本徳久氏の活動履歴(続)

5月2日、4月25日、30日とまた新たに杉本徳久氏から恫喝メール➀恫喝メール②恫喝メール③が来ましたが…、ゴールデンウィークにまで他人に恫喝メールを送りつけずにいられないとは何たる哀れ。平和で落ち着いた家庭人からは程遠い姿ですね…。
同氏による過去の恫喝メールはさらに公開していきますよ!


 
4日も本ブログが更新されるや否や早速、深夜にアクセス。他人に刑事告訴の予告などしている間に、自分自身が様々な罪状により訴えられないといいですね。ネット上で匿名で行ったことも必ず証拠は残るのです。自分に不都合な人間に次々提訴の脅しをかけて言論を封じようとするその姿により、今まで作り上げようとして来た弱者の味方というイメージは完全に崩れています。結局、カルトとの闘いなどほんの口実に過ぎず、クリスチャンの弾圧が真の目的であったことが明白になったのです。


5月6日
やはり自分の情報が気になる様子。掲載されたくなければ、恫喝書簡など書かなければ良かったのです。「思い上がった上に自己中心な」「市井で求められる常識からは外れた文章」を隠れた所で人に向かって延々と書き綴っていたのは誰なのか。全世界に向けて明らかになりましたね。


↓以下の三人がお仲間であることはアクセス時間帯から明白。
英語圏からの異常な訪問者を招致したのも杉本氏と考えられます…。

softbank219215163080.bbtec.net
kd119104115222.au-net.ne.jp
204.79.180.186



  
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こうやって工作仲間を連れて来るんですよね。残念ですが、まだまだこのシリーズは続きます。あなたの書いた恫喝書簡の公開と共に。


5月9日
わざわざ更新されていないコンテンツにログを残す。真正面から人に対峙できない臆病な性格がよく表れていますね…。またも長文のウェブページがまとめられるのを恐れているのでしょう。(長文どころか、論文ですよ。)いつまでも数の力にものを言わせることは無理なんですよ。自分のしたことには一人で責任を問われる日が必ず来ます。

  

5月11日
 

当ブログで私が勝利の信仰告白をすると、必ず、杉本氏は猛烈嫌がらせアクセスを集中して来るのが恒例に。もはや動物的な反応パターンと化しており、初めから予想可能。深夜3時に狂気のアクセス集中の犯罪履歴は、サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)PDFにアップロードしましたので、ご覧あれ!

こんな低次元な方法で、深夜に一人でこそこそ嫌がらせしているところを見ても、刑事告訴などできるはずがないことが明らかですねえ…。結局、大袈裟に喚き立てては周囲を脅して己の罪を隠そうとしているだけ。できもしないことを初めから宣言しなければ、自分が恥をかくこともないのに、愚かですね~。┐('~`;)┌

悪魔は「吠えたける獅子」のように人を脅しますが、その多くは実行不可能なことを吹聴しているだけで、恐れるに足りないのです。たとえ実行に移しても、より一層、自分が不利になるだけ。あるクリスチャンは言いました、「キリストを殺せば、復活という最も恐ろしい事態が起きてしまい、悪魔の最大の武器である死が打ち破られると分かっていたのに、それでも悪魔はキリストを殺さずにいられなかった。自滅と分かっていて攻撃せずにいられない。そこに悪魔のどうしようもない愚かさがある。」と。

ますます魔物との一体化が進んでいるようで、深く同情いたします。大体、キリスト教と聖書が不完全であるかのように糾弾し、聖書の神の不完全さを補って神の民が過ちを犯さないように監視し、取り締まってやろうなどという恐ろしい目的を掲げるから、反キリストの霊が降臨してこれと一体化する羽目になるんです。

どんなに表向き「弱者救済」を唱えていても、常に自分が救済者の立場に立って他者を哀れみ、人より優れて一番でなければ気が済まず、自分が批判されると報復せずにいられないという自己愛とプライドを捨て去れないところに、どうしようもない傲慢さが表れていますね。

その上、神の民を踏みにじり、教会に君臨し、神の上に立とうとするわけですから、それ以上の傲慢さはありません。

プロテスタントにつまづいた多くの人たちが、結局は、御言葉を否定して、キリスト教そのものを否定する結果に至るのです。こうして、キリスト教や教会や信徒につまずいたことをきっかけに、救いから除外されて行く、こういう哀れな元信者たちがいることについては、じっくり分析する必要があります。

偉そうに「キリスト教の病理」だの「自己愛」だのを語り、クリスチャンの批判ばかりしていると、いつこんな風に悪魔の道連れにされて神の敵となり、気づけば救いから完全に弾き出されていたという結末になりかねない。神の民は、神にとって瞳のようなものですから、これを傷つける人間に対しては、神自らが報復されるんです。

人への批判はまだ許されても、御言葉を毀損すればただ事では済みません。教会を攻撃し神の民を踏みにじり御言葉を否定する者は、決してまともな運命には終わりません。これは聖書に書いてあることで、私の個人的見解や呪いではありませんので…(「彼らの(十字架に敵対する者の)最後は滅びです。」(ピリピ3:19))。
 
softbank219215163080.bbtec.net
おや、噂をすれば影。悔い改めないと、行く末は火の池ですよ。手遅れとは思いますがね。
 



   4-4.さわやか読者の活動履歴(続)
 
(5月2日)
kd113154046021.ppp-bb.dion.ne.jp
em1-115-11-20.pool.e-mobile.ne.jp
↑福岡市久留米、もしくは大阪市
p315088-ipngn200404yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
↑沖縄、宮古島、那覇市
pw126210050044.5.kyb.panda-world.ne.jp
cc221-121-239-141.ccnw.ne.jp
↑愛知県日進市
pl1913.nas81d-3.p-fukuoka.nttpc.ne.jp

(5月3日)
p15058-ipngnfx01oomichi.oita.ocn.ne.jp

この人もやはり匿名掲示板の常連。匿名掲示板というのは、それ自体が宗教団体の雇われ工作員による偽装掲示板なんじゃないですかね。

u847096.neas2.ne2.tachikawa.mopera.net
東京都立川市
softbank221080155159.bbtec.net
113x40x2x73.ap113.ftth.ucom.ne.jp 
   
5月5日 
ほとんどの言語が英語ですよ! 米国様が批判されている記事をアドレスを引用しただけでこの始末。一体、この国の言論は誰に牛耳られているのか。何とも野蛮なことで…。

204.79.180.134 
204.79.180.241 
204.79.180.112
↑ヴァージニア州
末尾三桁が絶えず変わっているだけ。
 
「壁に耳あり障子に目あり」、人の情報を詮索し、自分の噂話にあれこれ聞き耳を立てずにいられない恐ろしいまでの詮索好きは米国様の由来だったんですかね? だとすれば、これはもはやとうにロシアの専売特許じゃないですよね。

Быть может, за стеной Кавказа
Сокроюсь от твоих пашей,
От их всевидящего глаза,
От их всеслышащих ушей.

全知全能の神を模したユビキタス・ネットワークの構築、世界は一つ、神と人との断絶はない、人類はみな神であり、地上はユートピアである、…との名目のもと、異論をすべて暴力的に排除し、不都合な人間の言論を取り締まり、人類を監視し、一大家族理想国家という地上天国を詐称する。ヒエラルキーと情報統制の締め付けによるディストピア構築。それがあなた方の目的なんでしょう。お次は緊急事態の導入によるペルソナ・ノングラータの弾圧ですかな。

fitamazing.com
↑米国 ワシントンDC
tor-exit-readme.manalyzer.org
↑フランス、パリ
destiny.enn.lu
↑ルーマニアということに。
edwardsnowden2.torservers.net
↑同じくルーマニア
aurora.enn.lu
↑こちらも。

こういう現象も、結局はSoftbank嫌がらせ集団が主犯と見るのが当然ですね。ソフトバンクは反日イデオロギーと密接な関係があるとの噂も根強く、この嫌がらせ集団も日本人じゃないのかも。

softbank126120083025.bbtec.net
 
茨城県取手市


softbank126021122071.bbtec.net

↑京都府京都市、熱心な杉本読者のようですが。
 

p4ac1ac.chibnt01.ap.so-net.ne.jp

↑千葉県千葉市
 

116-65-225-118.rev.home.ne.jp

検索用語が「有名牧師、逸脱行為、誰」
ですって。とにかく有名な牧師を引きずりおろしたい。次のバッシングのターゲットが欲しくて仕方がない。「俺様に次の獲物を寄越せ!」「次のキリスト教の不祥事の材料は誰だ!」と、まるでほえたける獅子のように獲物を求めてさまよう恐ろしい渇望が見て取れますね。このようにクリスチャンを弾圧することにやみつきになる読者を生んだのが、杉本ブログの明白な罪なのです。  
 
一説によると、埼玉県川口市 UR都市機構川口芝園団地4号棟にお住いの方と。
 
 
(5月4日)
112-70-19-62f1.hyg1.eonet.ne.jp
 
↑尼崎市ハピネスライフケアサービスすぐ、


もしくは、神戸市西区、玉津板金すぐ。


   

113x40x2x69.ap113.ftth.ucom.ne.jp

↑よほど吉祥寺キリスト集会に未練がある様子ですね~。

東京都小金井市と。


om126186246065.7.openmobile.ne.jp
匿名掲示板常連。大和市あたりの地元民とも思われますが。杉本読者です。不信者ではない連中を使って信者を迫害するのが彼らの手口。


 
kd119104110150.au-net.ne.jp
↓東京都狛江市 〒201-000

匿名掲示板のアドレスを見せつけることにより、恫喝したいのでしょうが、自分がやってると白状しているようなものですね~。

kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
↓京都府京都市もしくは大阪市中央区  杉本氏とKFCによほど未練があるようですね。この主犯格の人物が特定されれば、後は楽そうですね。  


36-2-169-88.kanagawa.fdn.vectant.ne.jp
↑↓はお仲間でしょう。
このアドレス、以下のコメント者と極めてよく似ていますが、きっと単なる偶然でしょうね~。
 

ちなみに、大脳辺縁系のなせるわざではなく、悪霊のなせるわざですよ。
搾取する者とされる者の役割分担…それが分かっていらっしゃるなら、KFCでもゴッコ遊びと搾取をやめれば良かったのです。リバイバル運動の偽りが分かっていたのに、なぜ聖霊派の信徒と手を結んだのでしょう。言っていることは正しく、やっていることは正反対というのではまさに偽善者ですね。

以下の読者とほぼ同時間帯にアクセスしていることからも、KFCと吉祥寺の森は一つ、匿名掲示板も一つ、キリスト教界も一つ、全部合わせて「この世」。アンチカルトはカルトと同一、アンチキリスト教界はキリスト教界なのです。

softbank221080155159.bbtec.net
↑例の偽装なりすまし読者です。接吻で裏切るというあの古典的手段ですね…。いかにも偽善者のやること。

softbank126066224032.bbtec.net
↑千葉県千葉市or松戸市
67.208.13.160.dy.iij4u.or.jp
↑埼玉県八潮市
s638105.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
〒922-033 石川県加賀市
ipbfn005-225.kcn.ne.jp
↑奈良県奈良市
s649160.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑埼玉県小川市もしくは東京。アドレス露出ここにも。 
町田市?まず信者ではなさそうですね。

 p421233-ipngn200607kyoto.kyoto.ocn.ne.jp

アドレスそのまま、京都府京都市…。




上記の方は5月7日にもお友達と共に工作に来ていたので調べてみましたが、八幡市の住所が表示されていました。
 
softbank126141119050.bbtec.net
↑新潟県新潟市


p421233-ipngn200607kyoto.kyoto.ocn.ne.jp
↑京都府八幡市
   
こちらの地図ではハイソな住宅街が表示されてますね。

 
ipngn26501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

これも匿名掲示板の常連。他にもある模様。123.225.21.200
 
   
121-81-239-86f1.shg1.eonet.ne.jp


↑滋賀県大津市。カトリックもターゲットになったわけですね。

softbank219034112007.bbtec.net


「預言カフェ」まだそんなことの是非にこだわってるんですか。
本当に終わってますね。この業界。
 
kd119104102241.au-net.ne.jp
長野県諏訪市 角上鮮魚店すぐ。

softbank221080155159.bbtec.net
香川県高松市or坂出市。 ここからアドレスの変化を見られます。

pw126253228234.6.panda-world.ne.jp 

 
「十字架、愛、明け渡し」などという非常に気持ちの悪い説教表題のような検索用語で辿り着くこの方。IPアドレス 126.253.228.234
やはり匿名掲示板の常連。こういうキ教専門用語を文脈から完全に切り抜いて使うのは悪霊の常套手段。要するに、前後の論理的な文脈が全くないんです。短い検索用語を使ってしか話せない時点で、すでに思考がおかしいと言えるでしょう。

tcn024240.tcn-catv.ne.jp
これも上に同じ検索用語。

 
ttb4-ip187.user.xsp.fenics.jp
↑東京都港区 AG信者ですか?

fw1.hokkoku.co.jp

 

首相の偶像化と神社本庁の活動に絶望なさいましたか? 被害者意識に陥り絶望するのはあなたの自由ですが、神は正しい人と悪人を共に滅ぼすようなことはなさいませんよ。義人は信仰によって生きる。未来のない人生は自己責任でどうぞ。

14-132-84-150.aichieast1.commufa.jp
岐阜県美濃加茂市、もしくは愛知県一宮市
大人気ですねえ。このブログ。この訪問者たちは決してキ教以外の宗教をターゲットにしない。 明らかに一定のミッションを帯びた工作員集団。
 
  softbank060065042131.bbtec.net


↑相変わらずバッシング対象を探し求めている読者。そんな暇があれば日本会議の事でも調べたら。

pw126236212121.12.panda-world.ne.jp
ipbfn005-225.kcn.ne.jp
↑は古参さわやか読者

↓はすべて言語が英語です。
203.104.145.49
exit.kapustik.info
h-170-78.a322.priv.bahnhof.se
 
(5月7日)
p673045-ipngn200603sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
↑富山県富山市



アッセンブリーズ・オブ・ゴッドに恨みがあるなら、なぜ教団に抗議しないんです?その勇気もない?(おまけにAG信徒だったりして…笑)


softbank126031116219.bbtec.net
↑熊本県合志 県道341号線からほど近く


 

softbank221080155159.bbtec.net
香川県高松市(さわやか読者主犯格)

kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
京都府京都市もしくは大阪市中央区(さわやか読者主犯格)

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
(奈良県奈良市もしくは京都府木津川)

この三人がお仲間であることも見えて来ましたね。
 
 
ipbfn005-225.kcn.ne.jpについては…




19.199.13.160.dy.iij4u.or.jp
愛知県名古屋市もしくは安城市
 
 
手束正昭氏の思想の異端性をこれほど詳しく明確に分析したのは、当ブログを置いて他にないと思いますが。感謝されて良いはずなのですがね。あなたは結局、教会成長論の擁護者なんですかね?
 

明治用水会館ほど近く。
 
 
これだけ湧いて出て来ると、ネット対策企業の雇われ工作員よりも、別の宗教団体の信者を思わせますね。

前々から指摘していますが、Br.Taka氏らと同じように、村上氏や杉本氏も、隠れた目的を持ってキ教に送り込まれた偽装信者である可能性を考えてみるべき。彼らのライフワークが通常の牧師や信徒の福音伝道からかけ離れ、キリスト教を破壊することが生業となり、聖書の御言葉に立脚した健全で正常な信仰生活について、全く証することができないところを見ても、彼らにキリストへの信仰があるとは思えません。別の宗教の信者だと考えればすべてに納得がいく。だからこそ、この人々を支持する人たちはクリスチャンではない得体の知れない人たちばかりなのです。 


5月8日
kd106161130104.au-net.ne.jp
杉本氏に関する最新記事がものすごく気になっている様子ですが、だんだん身元が割れて来ましたね。


p6165-ipngn10701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp 



pw126152100017.10.panda-world.ne.jp




「クリスチャンの病理」と。あなたは自分がクリスチャンではないとお認めになるんですか。情勢に応じてころころ立場を変え、都合の良い時には聖書を引用しながら、都合の悪い時にはクリスチャンと無関係をきどり信者を非難する。立脚点がまるでない卑怯などっちつかずの二重性は村上氏や杉本氏やルーク氏と同じですね。自分の心の二重性を見ず、他者だけを断罪し始めた時点で深刻な心の病気でしょう。
 
softbank126094241180.bbtec.net
信者に対する嫌味のつもりなんでしょうね。村上氏の書いたキリスト教批判を鵜呑みにしてペンテコステ信者を攻撃する人々は数多くいますよ。彼らの記事は結局、信者に対する憎しみと攻撃を煽っているわけです。



p38073-omed01.osaka.ocn.ne.jp


杉本氏とほぼ同時間帯に来ていることから、仲間と見られますね…。

千葉県浦安市老人福祉センター近くもしくは大阪市。

 
117-53-26-116.adachi.ne.jp
↑埼玉県さいたま市もしくは東京都足立区

 

softbank221080155159.bbtec.net 
 

 ↑相当執念深い杉本読者。いつまでも金魚の糞のように首領様にくっついていたら、杉本氏と一緒に責任追及されることになりますよ。

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
日夜クリスチャンを訴えるための監視活動、お疲れ様です。どのくらい工作手当もらってるんです?


fs76eee8a5.tkyc210.ap.nuro.jp

↑本日昼の工作員一人。本当にさわやか読者、減りました。しかも検索結果を操作している主要な嫌がらせ犯のほとんどが数名のしつこい常習犯であることも分かりました。最後まで繰り返している人は主犯と共に罪に問われます。個人名が特定されれば、ネット上に公表され、半永久的に削除されませんのでご注意を。

softbank126065009076.bbtec.net
ソフトバンク嫌がらせ古参工作員の一人。↑の直後に来ていることから、杉本読者のお仲間でしょう。


 

34.78.149.210.bf.2iij.net
↑こちらも古参。例の「帝塚山学園」。当ブログのランキング順位を下げるためにおびただしい回数、アクセスを重ねようとするも、途中であえなくログ公開に。
 
おたくひょっとしてキリ短の講師とかと関係あるのでは?犯罪者は現場に戻る、と言うように、何か書かれると困ることがあればこそ、これだけ頻繁に当ブログを訪れているんでしょうねえ。今後もあなたのログはすべて公開し、嫌がらせ行為の証拠として提示しますよ。
勤務時間中に学校に不名誉な行為にいそしんで進退に影響がなければいいですがね。

157.55.2.130
↑米国様。放っておくとまた工作にいそしむ輩。ペンテコステ運動の擁護者でしょう。

 

125-31-115-203.ppp.bbiq.jp
↑福岡県福岡市

 
所在地のすぐ近くに創価学会池田文化会館がありますね。
さわやか読者は、その嫌がらせのやり口から見ても、どうにも新興宗教独特の強い臭気を放っており、キリスト教を敵視する他宗教の工作員信者だという気がしてならないのですが。

softbank060074224186.bbtec.net



↑さわやか読者はこうしていつも当ブログから結論だけを奪い取って、これを無関係な信者を責める材料に使うのですよ。彼らは決してペンテコステ派の組織には直接、抗議せず、むしろ教団を離れた信者らを攻撃する。弱いものイジメ大好きな倒錯して異常な思考が分かります。

杉本と同じで、一見、批判してるフリしながら、その実、水面下ではしっかり敵と手を結んで、自ら異端視しているペ運動と提携しているのです。異端に抗議したいなら、Br.Takaや村上密のようなAG信者に抗議すべきですが、長いものに巻かれいじめっ子に媚びることしかできない人々にそんな勇気があるはずもない。こうして、カルト=アンチカルト。真の反対者を駆逐することが目的の人工芝•偽装反対運動の工作員信者たちなのです。

これらの人々を見て分かるように、一方には、キリスト教をダシに牧師や学校教師となって信徒に君臨しカネを収奪するろくでもないニンゲンがいるかと思えば、その対極には、キリスト教のカルト化問題をビジネスとして信者を収奪し踏みにじり手柄を立てるカウンセラーや自称専門家の輩がいる。さらにその下には、彼らに手柄を献上すべくヒラメや金魚の糞のごとくまとわりついて識者ぶり、「キリスト教の堕落」について得意げにコメントし、自分以外の信者を見下し反省を迫る偉そうな偽装信者たちがいる。

この人たちはクリスチャンを罪に定め懺悔させることに悦楽を感じ、各地でクリスチャンを断罪する材料を探し求めている。異端の情報を得ると、これを早速、本物の信者を駆逐するために悪用し、決して組織には戦いを挑まず、個人を泥沼の訴訟による密告•裏切り•報復合戦に引きずり込む。どこまで腐り切り終わっているのか、このギョウカイ。

これら自称信者(実際にはみなグノーシス主義者の工作員であって、本当の信者ではない!!)が跋扈し自滅に向けて準備万端のこの有様には、誰しも溜息つきたくなります。しかし、神はご自分に忠実な民を知っておられます。エゼキエル書にあるように、神の宮の腐敗を心から憂えている人々が誰であるか知っておられます。正しい人が悪人と連帯責任を負わされることは決してない。

悪人と詐欺師どもは互いに騙し騙されながら悪から悪へと落ちて行き、十字架に敵対する人間の末路は滅びです。街路に落ちて人に踏みにじられるだけの枯れ落ち葉、さまよう星、自分の帰るべき巣を忘れ自分の子らを見捨てた愚かな鳥のような、この真っ暗な暗闇、穢れた鳥どもの巣窟を離れ、聖書に立ち戻れ、言えることはそれだけですね。  

(5月9日)
↓もうだんだんメンバーも限定されてきました。何の面白みもない顔ぶれですね。誰が煽ってるんだかもまるわかり…。
p4695200-ipngn26501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
↑古参。主犯格級の一人。
kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
↑上に同じ。主犯格。
softbank221080155159.bbtec.net
↑上に同じ。ソフトバンク工作員集団。

こうしてどんどん不審な読者を引き連れて来ては、工作を繰り返し、スギモの立場を悪くしていく杉本読者たち。こんなメンバーしかいないとは、頭悪すぎですね。

204.79.180.155
cpc81275-enfi21-2-0-cust323.20-2.cable.virginm.net
↑上二つは英語組。
ub34019.ubffm.ub.uni-frankfurt.de
↑ドイツ語。
p3dd3124e.hkidnt01.ap.so-net.ne.jp
↑北海道札幌市



om126237052190.9.openmobile.ne.jp
天声教会は日本に数ある熱血韓国系の教会です。繰り返しますが、韓国系です。異端と糾弾するなら、この事実をよーく踏まえて下さいね。知人に話したところ、「その名前だけで遠慮しとくわ」との事。未だにKFC関係の教会のバッシングで盛り上がってるんでしょうか。古いですよ。その話題は。



p13232-ipngn6201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
おやお久しぶりですね。ドクタールークにまだ関心があるんですか。いい加減卒業なされば。




↓昔、以下のようなコメント者がいたんですね。スギモと同じくプロテスタントに絶望してカトリックに去った信者です。KFCに対する根強いを恨みとルーク氏に対する拭い去れない憧憬と未練を持ち合わせ、去った後までも「私がルークの一番弟子だった」と回想。


ルーク氏とKFCにつまずいたことを機に、プロテスタントへの対抗意識が捨てられなくなった人たちは多数います。しかも、こういう短いコメントしか書けない人って大抵、匿名掲示板の常連なんです。

しかし、プロテスタントに絶望したからカトリックというのは歴史的後退でしかない。もし間違いだと分かったならば、「出て来た故郷」(へブル11:15)に逆戻りするのではなく、「後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進」む(ピリピ3:13)べきなんですよ。

霊的先人たちは組織としての教会の間違いが分かった時にきっぱりと組織を離れた。プロテスタントに絶望するのは勝手ですが、組織の誤りを知りながら、より強力な組織のヒエラルキーに身を委ねるのは、自己矛盾でしかない。教会につまづいた時、その人がより明確な真理を求めているのか、それとも、ただ傷ついた自分の心を優しく介抱してくれそうな人の温もりを求めているだけなのか、そこが決定的な分岐点となります。

前者はより御言葉に立ち返り、神に近づくために犠牲を払いますが、後者は人の組織につまずいたことをきっかけにそれまで知っていた真理をも捨て、前よりも状態が悪くなるのです。真理のために犠牲を払って神に問うことができないと、どんな集団に帰属しても、いずれ不満が生じて脱落するだけでしょう。そして最終的にはキリスト教自体を否定するようになります。

実のところ、この手の人々はプロテスタントにつまずいたのではなく、御言葉につまずき、キリストの「狭い道」につまずいて「広い道」を望んでいるだけなのです。

サンダー・シングやマザー・テレサは西欧キリスト教の「傲慢さ」や「狭量さ」、弱者への憐れみのなさに絶望したことを口実に、東洋思想に後退した。そして、十字架の切り分けを否定するグノーシス主義者となった。組織としてのキリスト教につまずいたことをきっかけに、真理からも弾き出され除外されてしまう人々がいるという恐ろしい実例です。

キリストの真理は、今日も、みすぼらしい土の器の中に入れて運ばれているのです。土の器の中にはゴミも入っているかも知れませんし、器の外見のみすぼらしさをあざ笑うのは結構ですが、だからと言って、容器と中身を混同して、中にある「測り知れない力が神のものであって、私たち(人間)から出たものでないこと」(Ⅱコリント4:7)まで否定すると、最後にはその人は聖書を否定して神の敵にまでなるのです。

 5月11日
↓相変わらず、ボーフラのようなさわやか読者たち…。

182-167-186-40f1.hyg1.eonet.ne.jp
↑兵庫県尼崎市or神戸市の古参。杉本とほとんど同時間にアクセスしていることから、仲間とみられる。鳴尾教会を迫害する側に回ったAG教団や津村氏の関係者とも推測される。


p6253-ipbfp213sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
↑これも上に同じ。杉本の仲間。静岡県静岡市



30.net059085008.t-com.ne.jp


m106073147096.v4.enabler.ne.jp
h219-110-85-077.catv02.itscom.jp
204.79.180.19

 
exit.norway.tor-node.net
kd182251243040.au-net.ne.jp
↑広島県尾道市 一つ上はノルウェーですが、上記二人は仲間と見られます。


pw126245021126.16.panda-world.ne.jp
↑東京都福生市、牛浜幼稚園すぐ。



kd182251243005.au-net.ne.jp
kd182251243051.au-net.ne.jp

↑様々な掲示板に出没し、キリスト教徒に対する被害妄想を匿名掲示板に延々と書き連ねる常連。キリスト教に恨みを持つトンデモ不信者をつかまえては、カルト被害者救済活動はクリスチャンへの攻撃に利用して行く。結局、キリスト教をカルト宗教扱いして信用を貶めることが彼らの真の目的と。

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
古参杉本読者の常連工作員。

gate.sumitomocorp.co.jp
↑住友商事です。杉本の記事に関心があるようですが、それよりも統一教会や安倍首相と関連があるのでは。武器商人と手を組み国民を殺して金儲けすることを決めた一社でしょうか。そういう噂があるのはご存じ?


  

 


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「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実④

<追記> 

2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)


<杉本氏からの恫喝メール 続き>

本記事は、カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール③の続きに当たる。

杉本氏からは以前にも、同氏にとって気に入らない記事を削除せねば、ヴィオロンの個人情報を無断で公開するなどの脅しを含むメールがおびただしい回数、送られて来た。その罵倒や恫喝に満ちた文面は、記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」でも示している通りである。

以下は5月2日に杉本徳久氏からさらに送られて来た恫喝メールである。
   
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ▼投稿されたメッセージ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

[ 名前c ]
杉本徳久

[ メールアドレスc ]
sugimotonorihisa@gmail.com

[ メールアドレス再入力c ]
sugimotonorihisa@gmail.com

[ 件名c ]
4/30付けの文章につきまして

[ ご感想c ]
前略、〇〇さん

杉本徳久です。再三、ご連絡をとっていますが、その内容を引用してさらに挑発したり、侮蔑したりする文章を書き加えられている様子を拝見しました。4/30付けの文章につきまして、こちらですね。

http://sosudy.blog.shinobi.jp/Entry/134/


このままですと本当に洒落にならないことになっていきましょう。刑事告訴されるような事態をお望みですか?

すでに警視庁・武蔵野署の刑事さんにも何度も相談済みです。貴殿の立場、状況を鑑み、告訴状を出していないだけの話です。これまであなたの名などについて一切、公開してきませんでしたが、それは一にも二にもあなたの状態を慮ってのことです。

あまり手荒に〇〇さんを追い詰める様なことはいたしたくありませんが、このあたりが当方としても忍耐の限界ですので予め申し添えます。

すぐに書かれた文章を削除されてください。

草々



刑事告訴に至るまでには相当の時間がかかる。しかも、よほどの強力な証拠がなくてはならない。ゴールデンウイーク中はどこの警察も弁護士も対応しない。もし杉本氏が本気で刑事告訴を望んでいるならば、このようにゴールデンウイーク中を見計らってメールフォームから悠長に手紙を送るなどの措置に及ぶことなく、とうに手続きに及んでいたはずである。
 
にも関わらず、なぜ今まで杉本氏の告訴はずっと成就しなかったのか。それは同氏が述べているような、私に対する手加減ゆえではない。坂井氏を訴えた杉本氏であり、また、同氏から私に対する多年の嫌がらせの執拗さ・悪辣さを見ても、同氏にはいかなるクリスチャンに対しても情状酌量があるとみなすことはできない。

告訴が成立しないのは、私の側に何らの罪状もなく、また、私に対して罪を犯しているのは杉本氏であることが明らかなためである。

もし杉本氏が相談を繰り返してきた警視庁・武蔵野署の刑事が、これを刑事事件として扱うことができると判断していれば、杉本氏はとうに告訴に至っていたはずである。杉本氏の性格と主張を考えれば、同氏はクリスチャンを告訴するきっかけが欲しくてたまらないはずである。同氏が何度も警察に相談したにも関わらず、未だに事件化されていないのは、本件が同氏が私を告訴するための構成要件を満たしていないためである。
 
本件は、2009年に私が杉本氏のブログに自分で書き込んだコメントを削除してほしいと杉本氏に依頼したことをきっかけに、これを恨みに思った杉本氏が、以後、約7年近くに渡り、インターネット上で執拗に私に嫌がらせを加えて来たことによる。

2009年当時、杉本氏が速やかに私の望むコメントを削除し、さらに、自身のブログに私に対する一千件のコメントを伴うバッシング記事を掲載したりせず、人の知られないところで、私に嫌がらせメールを再三に渡り送り付けたり、当ブログに悪意あるアクセスを集中させたり、筆者の個人情報を違法に暴露するなどと脅迫したりしなければ、このような事態には至っていない。

杉本氏が筆者に対して何をして来たかは、無数の証人が見て知っている。当ブログでも、杉本氏が用いて来た嫌がらせの手法はすべて公開し、明らかにしている通りである。
 
しかも、私は何年も前から、当ブログにおいて幾度も杉本氏にネットを通じて平和的に和解するよう呼びかけ、速やかに筆者の求めるコメントを削除し、クリスチャンに対する逆恨みと嫌がらせに及ぶのをやめるよう勧めている。
   
にも関わらず、杉本氏は自らの違法行為を反省することもなく、筆者の助言にも提案にも全く耳を貸さず、不法な形で筆者に嫌がらせを続けることにより、事態を煽り続け、悪化させ続けて来た。このことは万人の目に明白である。

にも関わらず、杉本氏がクリスチャンをさらに「手荒に追い詰める」ような措置に及び、本当に「日夜、兄弟たちを訴える者」の道を全うしたいと望むならば、筆者はそれを止めはしない。だが、同氏に勝ち目はないであろう。

聖書には、クリスチャンが法廷に引き出されるのは、キリストの証をするためであると書いてある。歴代の信仰者も、鳴尾教会の信者たちも、みなこの道を通り、あらゆる中傷や迫害を耐えたのである。彼らは恫喝スラップ訴訟をただ耐え忍んだだけでなく、これを立派に戦い通して、真理を守って勝利したのである。

従って、私もまた、神の御前に私の信仰告白を守り通す義務があり、信者に与えられたキリストの義の完全性を訴え続ける義務がある。杉本氏にはこの最も肝心なもの――キリストの義がないのである。神の法廷において、キリストの血潮によってすでに義とされているという、宇宙最大の武器を持っているのに、この世の法廷を恐れるがゆえに、脅しに屈して自主規制をするつもりは筆者にはない。たとえ訴訟が提起されたとしても、かえって主の御名が証され、事実が世間により広く知らしめられるきっかけとなるだけである。
  
杉本氏は、私に記事の削除を求める前に、2009年当時から私が同氏に削除を要請しているコメント及び杉本氏が筆者について書いた一連の記事の削除するのが筋である。そして、筆者に対してこれまで及んできた嫌がらせについて謝罪し、二度とそのようなことを繰り返さないと約束すべきである。それをしてから、筆者に連絡を寄越すのが当然である。


「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実③

<追記>
 2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡」の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)



 これは「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール②」の続きである。

その後、4月30日 4:03:32 JSTにも、杉本徳久氏からは次のようなメールが来たので、補足的に公開しておく。 ただし、メールフォームはすでに閉鎖しており、今後はもう使用できない。

それにしても、ゴールデンウィークにまで他人に恫喝メールを送りつけずにいられないとは! 記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール➀」にも示しているように、これまでにも、同氏からのメールの多くは、新年やクリスマスシーズンなど、世間の人々が最もくつろぎ、楽しんでいる時分に届いていたが、休暇にまで人を恫喝せずにいられないという、平和で落ち着いた家庭人からは程遠いその姿に、哀れを催さずにはいられない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ▼投稿されたメッセージ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

[ 名前c ]
杉本徳久


[ メールアドレスc ]
sugimotonorihisa@gmail.com


[ メールアドレス再入力c ]
sugimotonorihisa@gmail.com


[ 件名c ]
4/25付の投稿につきまして


[ ご感想c ]

前略、ヴィオロンこと〇〇様
杉本徳久です。先に私があなたへ送信したメールを引用され、4/25付の新しい投稿を読みました。こちらですね。


http://godslove.kamakurablog.com/Entry/115/



 私はあなたをいたずらに挑発したくてご連絡をとったわけではありませんが、いったい、どういうおつもりでしょうか。

あなたは再三、意味不明の論旨を連ねていますが、全く理解しかねます。

私から警察へ刑事告訴して〇〇さんを法的に訴えてほしいのでしょうか?

(当ブログの記事をきちんと読めば、趣旨は理解できるはずである。それでも理解できないのは、自分に不都合なことを杉本氏が何も理解しようとしていないだけである。

杉本氏は、自分にとって不都合な記事の削除を他者に迫る前に、自分自身が、2009年にヴィオロンが削除を要求したコメントを速やかに削除し、ヴィオロンについて記した一連の誹謗記事を削除してから、人にものを頼むのが筋であろう。自分だけは人をさんざん誹謗しておきながら、それに対する反論も許さないという態度は筋違いである。

杉本氏からは、以前から何度も「何らかの対応を取らねばならない」という脅しメールをもらっているが、同氏は、不法な個人情報の暴露を予告して筆者を脅迫したり、嫌がらせのアクセス集中を行なったりしているだけであり、一向に、正式な方法で、筆者に対峙して来たことがない。常に「訴えるぞ」と相手を脅しているだけで、提訴が成り立たないのである。)

数年前からあなたは私が行ったと主張する「恫喝」、「脅迫」について警察へ相談したと主張されますが、いったい、どこの警察へ、何の罪状で相談されたのでしょうか。当方のところへはどこの警察のどの刑事さんからも一本の電話も、一通の連絡も来ておりません。事件として受理もされていないと思いますが、どういうことでしょうか。


(当ブログで示している杉本氏の違法行為について、杉本氏がどんな形で責任を問われることになるか、前もって杉本氏に知らせる必要はない。いずれにせよ、同氏が筆者に対して行って来たすべての所業は否定できない証拠が残っており、関係機関へも情報提供されており、やがて同氏が罪に問われることになると言えるだけである。当ブログに途中経過は記載しない。明確な結果だけを公表する。)

これ以上、この様な投稿活動を続けられるようでは当方、何らか対応を取らねばならないと思っております。

(このような投稿活動をやめるべきは杉本氏である。まずは筆者の要求したコメントを削除し、筆者について記したブログ記事を全文削除の上、ネット上の不法なアクセス集中を含めた嫌がらせ行為をすべてやめていただきたい。)


直ぐにお辞めいただきたく、また、きちんと削除して下さい。

以上、よろしくお願いします。

2016年4月30日 杉本徳久

(筆者はすでに記事を削除する理由が存在しないことをきちんと説明している。杉本氏が、自分で書いた恫喝メールも含め、一連の記事を公表されると困るというのであれば、違法な方法で筆者に嫌がらせを加えるのではなく、まず、筆者について杉本氏自身がブログに公開しているすべての誹謗中傷の記事及びコメント、筆者の著作物の無断転載を行なっているブログ記事、さらに2009年当時から筆者が杉本氏に削除を要求しているコメントを速やかに削除した上、筆者に対する様々な嫌がらせ行為を謝罪し、生涯に渡り、二度と筆者に関与しないことを公に約束することをお勧めする。それができないのであれば、正式な責任追及は免れられないであろう。)


「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実②

<追記1>
 2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡」の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)


以下の記事「村上密牧師による自己流の「異端審問」」を掲載したところ、早速、杉本徳久氏から、当ブログのメールフォームを利用して、次のような手紙が来たため、読者へのお知らせを兼ねて、この場で公開しておく。

杉本氏からは以前にも、同氏にとって気に入らない記事を削除せねば、ヴィオロンの個人情報を無断で公開するなどの脅しを含むメールが何通も来ており、その文面は、記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」でも示している通りである。

2012年頃から、実際に杉本氏の恫喝と予告の通り、当ブログの管理人に対するプライバシーの侵害等を含む悪質な書き込みが匿名掲示板に大量に書き込まれ始めたことは周知の通りであり、この件に関しては、杉本氏以外にそのような行為を行なう意図を予め筆者に伝えて来た人間は誰一人存在しない。
 
なお、当ブログ管理人は個人情報を公開していないが、筆者の意に反して、無断で筆者の個人情報を公の場にさらす行為は、罪に問われる可能性があることも警告しておく。さわやか読者の情報も蓄積されているので、これらを合わせると、嫌がらせ工作員の個人情報が特定されて、個人名が公表されるだけでなく、賠償責任などの形により、個人的に責任追及がなされる可能性が十分にあることをこの場で述べておく。

このように本人からの投稿があったことにより、記事「村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(後編)~」にて示したIPアドレスが、杉本徳久氏のものであることが確定した。

以下の二つの投稿の時間は、それぞれ2016年4月25日13:26、同日13:27である。

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  ▼投稿されたメッセージ
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 REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

 [ 名前c ]
杉本徳久

[ 件名c ]
ブログの記載につきまして その1

[ ご感想c ]
拝啓、「ヴィオロン」こと、〇〇様、

武蔵野市吉祥寺北町の杉本徳久です。少し前から再開された〇〇さん執筆のブログの記載につきまして、内容を読み、大きな問題がありますのでご連絡申し上げます。

相変わらず、気に入らない他人のブログ記事内容に削除を迫るためとはいえ、今までずっとメールで連絡して来ていた杉本氏が、急にメールフォームから連絡する気になったのには、どういう意図が隠されているのか、これまでのいきさつを振り返ると、疑わないわけにはいかない。

同氏からは、上記した通り、以前にも、同氏にとって気に入らない記事を筆者が削除しなければ、筆者の個人情報を無断で公開するとの脅しメールもいただいており、それは記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」に示した通りである。

そこでもし今回、筆者が杉本氏にメールで返信をするようなことがあれば、同氏はそれを機に、筆者のメールの文章や、メールアドレス等の個人情報も、ブログに公開するのが目的であったのかも知れないと考えられる。

以前の杉本氏からの脅しメールの内容を振り返っても、同氏に対して個人的な密室でのやり取りは無用と判断しているため、ここに杉本氏の文面と、筆者の見解を記しておく。

誤解のないように伝えておくが、これは杉本氏に限った措置ではなく、メールフォームからの投稿であっても、公表すべきと筆者が判断するものがあれば、随時、公表して行く。ただし、このブログ始まって以来、メールフォームから筆者に否定的なコメントを送って来た人間は、杉本氏以外にはいない。

たまには、他者への和やかな挨拶と、人の作品を誉めるということから、コメントを始めてはどうかと思うのだが、杉本氏に限ってはそのような忠告も無用であろう。
  
さて、今回の杉本氏の投稿の趣旨も、今までの恫喝メールと同じで、要するに、同氏にとって気に入らない、同氏に関して否定的な内容を記載する記事もしくはその記事から同氏の実名をすべて削除せよという要望である。だが、相変わらず、杉本氏には削除を丁重に依頼する口調が全くない。
 
それでも、以前に比べれば、文面がトーンダウンしており、人をいたずらに罵倒したり、嘲笑するような口調や、檄文のような憤りに満ちた文章や、ドラマから取って来たような感情的で陳腐な紋切り型の啖呵を切るようなことは減ったようである。
 
〇〇さんがかつて「主にある兄弟として信頼」しているとされていたKFCの唐沢治(Dr.ルーク)さんらとなぜ、今は絶縁しているのかなど詳しい経緯はわかりませんが、こと、私に関する記事については看過ならない内容が多くあります。

なぜかここで唐突に唐沢氏の名前が登場する。いつも驚かされるのは、なぜ杉本氏がこれほどまでにルーク氏の話題を筆者に対して頻繁に繰り返すのか、ということである。

よほど杉本氏には、ルーク氏と筆者との関係が気になって気になって仕方がないように見受けられるが、一体、どんな理由で、筆者がルーク氏と親交を結ばなければならないというのだろうか。

「なぜ、今は絶縁しているかなど詳しい経緯はわかりませんが」などと残念そうに書かれているが、筆者のブログを読めば、KFCの理念に対して筆者がどのような態度を取っているかは明白である。にも関わらず、杉本氏は、常に信者間に起きることを、信仰や理念の問題として理解することができず、三流映画のような人間模様のドラマとしてしかとらえられない様子である。いつまで経っても、何年も前の大昔の出来事を引っ張り出して蒸し返さざるを得ないのは、よほどブログに掲載するゴシップのネタが足りなくなっているからなのであろうか。

だが、同氏が「詳しい経緯はわからない」などととぼけているのは、おそらくは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者であったBr.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻がKFCを乗っ取った事件に知らぬふりを決め込むためではないかと思われる。この事件は、唐沢氏と私とを分裂させ、KFCを地上から消滅させるために、悪意をもって引き起こされた工作であったと考えられる節が極めて大きいのだが、こうした出来事について杉本氏は、自分は詳しい経緯を知らないと、問われてもいないのに自己弁明せずにいられないような、何かの後ろめたい事情が存在しているようである。
    
例えば、京都の村上密牧師からの指示を受け、「杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」と書かれていますが、私はそもそも村上さんと面識がありません。お会いしたことも電話をしたこともなく、他界された石原牧師などを介したりしたこともありましたが、簡単な事務的メール連絡を取ったことが何度かあるだけです。その私が、どうやって村上さんからの指示を受けて「サイバーカルト監視機構」を主導することなどできましょうか。また、そもそもそのような「機構」は私の知る限りこの世に存在しませんし、私がそれに関与していることなど全くありません。
 
何としても「カルト監視機構」とは無縁だと主張したい杉本氏の思惑が見て取れる文章である。杉本氏が村上密氏と面会したことがないのは事実かも知れないが、直接面会しなくとも、親交を結ぶ方法はいくらでもあり、村上氏とのメールでのやり取りがあることは、杉本氏自身が認めている。こうして、メールのやり取りがあり、人物を互いに確認しているわけであるから、村上密氏と杉本氏に面識がないという結論には至らないであろう。

さらに、私はブログ記事の中で、杉本氏と村上氏との間にどんな面識があるのかについては触れていない。私が記事に書いているのは、この二人の思想的共通性である。
 
二人はまずカルト被害者救済活動を支持し、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を擁護し、ヴィオロンを非難し、鳴尾教会の教団離脱に反対し、津村昭二郎氏を擁護し、鳴尾の山田牧師夫妻を非難するといういくつかの点を見ただけでも、思想的立場をほぼ完全に同じくしている。

杉本氏が、村上密氏の行うカルト被害者救済活動を支持し、カルト被害者を名乗る信者に積極的に接触を図っては、村上氏が「疑わしい」とみなした牧師に対する裁判を後押しして来たことは、杉本氏自身が記事に書いていることであり、被害者間でもよく知られている。

このように、村上氏と杉本氏との両者は思想的に共通した見解を持って、同じ活動の枠組みの中で互いを擁護し支え合って来たのである。もっと言えば、以下に示すように、杉本氏は村上氏を擁護する内容の記事を多数書いていることから、師弟のように密接な関係とまでは言えなくとも、一定の尊敬を村上氏に対して持っており、常に村上氏を支持する立場から活動しているように見受けられる。
 
村上氏と杉本氏との活動は、カルト被害者救済活動を通して、教団教派や教会の枠組みや規則を飛び越えて、これを無視して他教会の内政に干渉し、カルト化の疑いありとみなした教会に対して、ネットによる吊し上げを助長し、司法の強制力を用いて弾圧を試みて来た点でも一致する。

だが、杉本氏はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者ではないため、本来は、鳴尾教会のような他教団の事情に首を突っ込むことができる立場にはない。そもそも、プロテスタントの信者でもない人間が、どんな権限があって、自分が属していないプロテスタントの諸教会の内政に干渉し、その内情を探り出し、暴露するような記事を書くことが許されるのか、甚だ疑問である。
 
同様のことが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属する村上密牧師の場合にも当てはまる。村上密氏のカルトとの闘いも、同じように教界内規則に基づかない単なる越権行為でしかないが、そのような越権行為を、裁判という強制力を用いて正当化できると考えている点でも、村上氏と杉本氏の見解は一致している。

しかも、両者の記事の中には、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の関係者でなければ、決して知り得ない情報が含まれており、鳴尾教会に関する裁判の経緯などに関する杉本氏の記事は、教団離脱に反対した鳴尾の信者をバックアップする立場から書かれており、それはおそらくは教会関係者への接触なしには書けない事柄であり、また、その記事内容は、鳴尾教会の教団からの離脱を裁判によって阻止しようと試みていた村上密氏の活動を支援する立場から書かれている。鳴尾教会に関する杉本氏の一連の記事は、村上密氏の思想的立場や、同氏の利益と完全に一致する。
 
村上氏と杉本氏とは共に、事実に反して、鳴尾教会の現在の山田牧師夫妻を、あたかも異端に走った教職者として不適格な人物であるかのように描き出して非難し、鳴尾教会のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱という出来事を、山田牧師夫妻による「陰謀」や「教会の乗っ取り」であるかのようなストーリーをブログ記事で描き、牧師夫妻を非難している点でも一致する。

一体、村上サイドに立つ情報提供者の協力なしに、どのような方法を用いて、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団には無関係なはずの杉本氏が、このような記事を書くに至ったのか。杉本氏がかなり中枢深くまで同教団の内情に食い込んでいる様子がはっきり伺えるのである。
  
このように、両者の見解は、驚くほどに共通しており、しかも、その主張の盲点や、事実に反する虚偽の主張についてまで、大筋で完全に一致しているのである。

こうしたことから、村上氏と杉本氏は、いわば思想的な同志のような関係にあって、互いの主張を補い合うという文脈で協力し合って来たことが明白であり、そのことは、村上密氏自身も、自らのブログ記事において、杉本氏の記事を引用していることでも裏付けられる。

さらに、サイバーカルト監視機構という呼び名は、私がつけたものであるにせよ、村上氏や杉本氏が、自ら「カルト化の疑いあり」とみなした教会や牧師や信者を、ネット上で袋叩きにする活動を積極的に後押しして来たことは事実である。

両者が、特定の教会やクリスチャンについてネガティヴなイメージを広めるために書いた記事は、実際に、ネット暴民のような身元不明のユーザーやコメント者を煽り立てて、記事でターゲットとされている人物への嫌がらせのコメント等を助長し、ブログの炎上を起こしたりする効果を与え、ネット上の集団的嫌がらせを次々と生んで来たことは事実である。

そのことは、杉本氏が自身のブログに掲載した私に対するバッシング記事に、一千件のコメントがついた事実を見ても明白である(むろん、この一千件のコメントは水増しの可能性が極めて高いので、実際に書き込んだ人数は数人程度かも知れないが)。このようにネットを利用して、村上氏や杉本氏の活動に賛同しない信者に対する組織的な嫌がらせが行われて来たことは事実であり、こうしたネット暴民のようなネットユーザーによる特定のクリスチャンに対する行き過ぎたバッシング、クリスチャン・ブロガーへの吊し上げや、悪質な書き込みの助長、悪意あるアクセス集中によるブログの検索結果の意図的操作等、ネット上の集団的な嫌がらせを生む母体となって来たのが、村上密氏や杉本徳久氏のブログ記事なのであり、これらの集団的悪意を総称して、私はサイバーカルト監視機構と呼んでいるのである。

このように、ある一定の目的のために活動するネット上の集団的悪意が存在することの証拠として、私はさわやか読者に関する情報を記録に残し、公表して来た。こうした読者らの動きを見ると、彼らが何を目的にしているのかも、おのずと見えて来る。匿名掲示板に大量に書き込まれた筆者に対する嫌がらせのコメントも、村上密氏を擁護する立場から書かれているが、そのようにして私の個人情報を公開すると事前に脅迫して来た人物は、杉本氏の他にはいない。こうしたことからも、村上密氏の活動に好ましくない特定のクリスチャンに対するバッシングによる印象操作や嫌がらせを、杉本氏が分担して担当している構図が見えて来るのである。
 
現実に接点がなくとも、インターネットで知り合った者同士が、思想的に手を結んで、同様の内容の記事を掲載して行くということは十分にあることで、それがたとえ計画的な形でなくとも、コメント者などを巻き込んで、行き過ぎたバッシングという見えない悪意につながっていくこともよくあることである。まして、元記事が悪意による誹謗中傷を含んだ内容であれば、それを鵜呑みにした読者らが、ターゲットとされた人物への集団攻撃に加勢することは容易に起きうる。

本来、ブログ記事は、そのようなことが起きないように配慮して書かなければならないが、村上氏と杉本氏は、最初から特定のクリスチャンを貶める目的で、事実に反して記載して来た決めつけの誹謗記事(たとえば、私や鳴尾教会牧師に対する記事内容については別稿で反論しているので、ここでは触れない)を次々と発表しては、多くのコメント者やネットユーザーを悪意による便乗的な嫌がらせへと駆り立て、ターゲットとされた人の人物評価を長年に渡り、貶めることに貢献して来たのである。

こうした行為は、罪に問われて当然の他者への名誉棄損、信用の重大な毀損であるが、そのような効果を最初から狙って、村上氏や杉本氏は一連の記事を書いて来たのであり、このようなネガティブ・キャンペーンと言える記事を発表することや、また、こうした記事を作成しては、ネット上で次々と好ましくない人物に弾圧を加えて行くことを肯定する思想と行動そのものが、カルト監視機構の本質なのである。
 
村上氏と杉本氏は、私のブログを常に「創作」と呼んで、事実に基づかない空想物語のように決めつけているが、その点でも、二人の主張は驚くほど一致している。
 
さらに、杉本氏は、「自己愛性妄想だ」とか(このような用語自体が「杉本用語」であり、公の概念としては存在しないのであるが)、「訳の分からぬ妄想的な珍説を並べている」などとヴィオロンを罵倒し、嘲笑するような言葉をいくつも並べては、長期に渡り、当ブログを酷評する記事をいくつも掲載して来た。その記事も全文データが残っているので、杉本氏によって書かれた他のスパム記事と共に、近日中に注釈を加えて公表する予定である。

鳴尾教会の教団離脱に関しても、杉本氏は、山田牧師夫妻について、具体的な根拠も提示せずに、一方的に「道に外れている」と決めつけたブログ記事を発表し、村上氏と同じように、鳴尾教会の教団離脱に反対する立場から一連の記事を書き、牧師夫妻のイメージを貶めており、こうした記事がコメント者らをいたずらに夫妻への嘲笑やバッシングに駆り立てて来たことは、杉本氏の記事につけられたコメントを一読しただけで分かることである。

このように、村上氏と杉本氏はネット上で手を組んで、自ら敵とみなした人物の評判を貶めるためのネガティブ・キャンペーンを積極的に展開して来たのであるが、杉本氏が鳴尾教会に関して掲載した情報は、その多くが捏造された不正確な情報であるにせよ、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の内部から出て来たものであり、関係者への接触がなければ知り得ない事柄であり、なおかつ、村上サイドから提供される情報と内容的に一致している。

しかも、鳴尾の山田牧師夫妻に関しては、異端の疑惑は教団内でさえも認められていないにも関わらず、全く根拠なく、杉本氏が彼らを「道に外れている」と非難していという点でも、杉本氏の見解は、その決めつけに満ちた事実に反する一方的で盲信的な主張という欠点において、村上氏の見解と瓜二つなまでに一致している。

ちなみに、杉本氏は、村上密氏のカルト監視機構の発想に全く反対を唱えたことがなかった。

こうして、杉本氏がこれまでにブログに記載して来た特定のクリスチャンに対する誹謗記事は、あらゆる角度から見て、村上密氏の主張と同一の思想を基盤とするものであり、村上密氏の活動を擁護し、支援する立場から書かれたものであることは疑いの余地がない。そして、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者ではない杉本氏に、ここまで事件の詳細を(しかも歪曲された一方的な角度から)情報提供できる人物は、村上密氏(とその関係者)以外には見当たらないのである。

こうした杉本氏の記事が原因となって、今日に至るまで、私のブログに対しても嫌がらせ工作が繰り返されているのだが、その嫌がらせ工作者の多くは、あからさまに杉本氏の記事から当ブログへとリンクして来た形跡が残っている。こうした証拠があるにも関わらず、それでも、杉本氏が自分がブログ記事で行っているネガティブ・キャンペーンが、ターゲットとされた人物に対する読者らの嫌がらせを煽るものではないと主張するつもりであろうか。

しかも、もっとあからさまな事実は、嫌がらせ工作を続けている読者の中に、杉本氏のものとしか考えられないIPアドレスが含まれており、その特定のIPアドレスから当ブログに対して、頻繁に異常なアクセスが集中していることである。これについては以下の記事を参照されたい。

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(前編)

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(中編)

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(後編)
  
さて、村上密氏と杉本徳久氏の最も重大な思想的な共通点は、両者がこのようにネットや司法の場を利用して、自ら「疑わしい」とみなしたクリスチャンたちに対して、恫喝訴訟をしかけたり、私刑と言って差し支えない不法なバッシングや、脅迫や嫌がらせなどの圧迫による個人攻撃を行ない、気に入らない人物に対して、この世の法律や教会の規則に基づかない行き過ぎた懲罰的で報復的な行為を容認し、さらにはこれを積極的に奨励してさえいることである。
 
このように、聖書に基づかずに、人間が他者の内心の自由を侵害してまで、自らの思惑に基づいて、神のように他人を裁き、人の内心を監視し、誤った思想を罰し、是正しようとする危険な思想と、こうした思想を容認する活動をこそ、私はこれまで「カルト監視機構」の本質として糾弾して来たのであり、村上密氏と杉本氏の活動とそのブログ記事内容は、このような思想をまさに体現したものであると言える。こうして特定の人物に対して懲罰を加える目的で書かれた彼らの著作物が、それに悪影響を受けて嫌がらせに及ぶネット読者らを生み出すのは当然なのであるが、こうしたネット上の嫌がらせ工作を総称して、私は「サイバーカルト監視機構」と呼んでいるのである。

サイバーカルト監視機構とは、特定の人々が、インターネット上で、好ましくないクリスチャンに対する非合法な弾圧を肯定するために作り上げた「空気」であり、そのような残酷な私刑を是認するための「世論作り」であり、また、そうしたネット上の弾圧によって、キリスト教界に大規模な言論統制をもたらし、好ましくない発言を行なうクリスチャンを恫喝して沈黙に追い込もうとする圧力のことでもある。また、こうした嫌がらせ工作を日夜行うネット上の集団的悪意そのもののことでもある。
 
ネットで起きた事柄については、具体的に、いつ、誰が、誰に対してどんな指示を出したのか、ということを立証することは困難であるが、少なくとも、思想的な共通点を通して、それをある程度、探り出すことは可能である。

村上密氏、杉本徳久氏は、インターネット上で、プロテスタントのキリスト教会を次々ターゲットとした告発記事を掲載し、キリスト教界全体にネガティヴなイメージを形成し、キリスト教界を改革するために、聖書と教界内規則に基づいた改革を訴えるのでなく、信者や教会をこの世の裁判に訴えることを助長するような主張を積極的に行なって来た人物として、キリスト教界において、極めて特異な存在であり、両者の主張を見れば、公の教団教派のつながりにおいては無関係であるにも関わらず、両者が同一の深い思想的なつながりで結ばれており、なおかつ、牧師である村上氏が指導的な立場に立って、杉本氏の執筆活動にも多大な思想的影響を及ぼし、杉本氏が村上氏の活動を擁護し、支える形で活動して来たことが見て取れるのである。

上記したようなすべての事実に反して、杉本氏はそれでもあくまで自分は村上氏とは直接の面識がないのだから村上氏とは思想的にも無関係であり、筆者がサイバーカルト監視機構と名付けているような、ネット上のクリスチャンに対する集団的な嫌がらせには関与していないと言い張るつもりであろうか? その際、筆者に送って来た恫喝メールや、自身のブログに記載して来たバッシング記事については、どのように弁明するつもりなのであろうか?

自分自身は他者を公の場でいわれなく非難し、暗闇で幾度も恫喝しては、沈黙に追い込もうと圧力を加えておきながら、他者から公に反論があると、具体的な根拠も提示せずに、すぐに「名誉棄損だ!」と騒ぎ立て、無理やり記事の削除を迫ったり、個人情報を公開するなどの脅しによって黙らせようとしたり、果ては裁判にまで及ぶのでは、あまりにも非常識で大人げない態度であると思うのだが、杉本氏はそのような考えはないのだろうか。

杉本氏は、自分にとって都合の悪い記事を削除してほしいと他者に依頼するよりも前に、まずは自分自身が、その他者に関して書いたネガティヴなバッシング記事をすべて削除し、他者の名前を自分のブログから抹消するのが筋であろう。それもしないうちに、なぜ他者にだけ一方的に自分にとって不都合な記事の削除を迫ることができるのか。自分こそ、相手の嫌がることはしない、それが相手にものを頼むときの基本的な礼儀ではないかと思うのだが。

杉本氏はプロテスタントの信者でさえないのに、どんな権限があってプロテスタントのキリスト教界の異端審問官のように振る舞い、気に入らないクリスチャンを脅して言論統制を行なう権利があるのか。部外者に過ぎない同氏の不法な主張に信者が従わなければならない理由はない。

 〇〇さんが書かれていることは全て私に対する誹謗中傷であり、私の名誉や信用を重大に毀損する行為に該当します。〇〇さんと唐沢さんやその他の人たちとの間のことについては私はわかりませんが、少なくともすぐに私に関する記事、私の名については削除して下さい。

(もう一通、別のメールに続きます。)

杉本氏は、ここで村上密氏、ルーク氏、Br.Taka夫妻など、すべての人を切り捨てても、自分だけは難を逃れたいという意思を示している。他の人たちはどう非難しても構わないから、自分だけは別扱いにして欲しいと述べているのである。

特に、杉本氏がこれまで、あれほど歩みを一つにして来た村上氏とも、ほとんど無関係に近いかのように弁明して距離を置こうとしている姿勢は興味深い。
 
また、不思議なのは、なぜかここでも、再び、杉本氏が唐突に唐沢氏の名前を出し、「他の人たちとの間のこと」などに言及していることである。

杉本氏の文章にはこのような飛躍がしょっちゅうである。「他の人たちの間のことについては私は分かりませんが」などと、不自然な文脈でもっともらしく弁明している時こそ、その文脈に注意が必要なのである。これは、Br.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻の牧師資格詐称やKFCの乗っ取り事件などには全く関与していないという自己弁明であろうか?
  
これまでの杉本氏の様々な言動を振り返ると、同氏は他教会の内政に干渉したり、無関係な他者の個人情報を収集したり、他者の人間関係について詮索したりという越権行為をしりきに繰り返して来ており、そんな人間が「他の人たちの間のことについては私は分かりませんが」などとわざとらしく否定すれば否定するほど、かえって不自然な印象と疑惑だけがより深まって行くというのが正直なところである。

杉本氏に関して私の掲載している記事内容が、事実無根の誹謗中傷でないことは、すでに根拠を示しながら幾度も述べて来たことである。杉本氏が自ら実名で公表している記事について、誰かが公に批評や分析を加えたからと言って、それだけでは何ら誹謗中傷にはあたらない。
 
まして、杉本氏が誰でも読める形でブログに公表している当ブログに対する一連の決めつけに満ちた非難やバッシングや、杉本氏の記事に含まれているスパムとしか思えない当ブログへの悪質なリンクや、杉本氏とおぼしき人物からの当ブログに対する嫌がらせのアクセスや、杉本氏が私に送って来た恫喝メール等に対して、当ブログできちんと根拠を示して反論し、抗議することは、全く誹謗にも中傷にも当たらない。自分自身がそのようなことを行なっておきながら、他者には反論も許さないとは何事か。よって、記事を削除しなければならない理由が全く存在しないのである。



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  ▼投稿されたメッセージ
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 REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

 [ 名前c ]
 杉本徳久

 [ メールアドレスc ]
 sugimotonorihisa@gmail.com

 [ メールアドレス再入力c ]
 sugimotonorihisa@gmail.com

 [ 件名c ]
 ブログの文章につきまして その2

 [ ご感想c ]
 〇〇さんの名については、先の坂井能大を相手取った民事訴訟(武蔵野簡易裁判所にて)の中にて、坂井の提出した書証や唐沢が提出したメール記録の書証の中に出てきて、ヴィオロンさんの本名が「〇〇」だということについて確認しました。それまでは疑い半分で本名は不明だという前提でおりました。現段階であなたの本名を私のブログで公開したりしたことは一度もありません。社会福祉士として、あなたが通っていた教会のことやあなたの心の状態が良くわかりますから、あれこれ坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。

杉本徳久氏は、村上密氏と同じように、裁判を通して、自分の属している教会とは無関係な教会や、そこにいる信者の信仰生活に強制的に介入し、懲罰を加えることを肯定して来ただけでなく、その裁判を通じて積極的に自分とは無関係の教団教派に属する信者についての情報収集をも行なって来たようである。ひょっとすると、本当は個人の情報収集が目的で裁判を起こしているのではないかという印象さえ受けるほどである。

さらに、杉本氏はここで坂井氏との裁判を通して私の実名を知ったかのように書いているが、それは虚偽であり、実際には、すでに2011年末の時点で、私は杉本氏から、私の実名を特定したメールを受け取っている。これは坂井氏との裁判が起きる以前のことであり、この時差を杉本氏はどのように説明するのだろうか。まさか当てずっぽうの推測で人の名前を書いていたとは弁明できまい。

杉本氏は私の本名をブログで公開したことは一度もないと自己弁明しているが、それでは、ブログ以外の匿名掲示板などの場所ではどうだったのだろうか。これについては何もコメントがない。杉本氏にとって気に入らない記事を削除しない限り、私の実名を公表すると、恫喝メールで息巻いていたことについては、どのように説明するつもりであろうか。そのように私に予告して来た人物は、杉本氏以外には誰もいないのだが。

「社会福祉士として、あなたが通っていた教会のことやあなたの心の状態が良くわかります」と杉本氏は書いているが、これはどこの教会のことを指しているのか見当もつかない。そもそも、社会福祉士として、他人の通っていた教会のことが分かると主張すること自体、随分、妙な理屈であると思う。社会福祉士とは、そもそも教会の内情や、信者の信仰を理解するための職ではない。もしクリスチャンとしての信仰が本当にあるのであれば、社会福祉士として他者の教会を理解しようとする必要はなく、ただ聖書に基づいて理解すればよいと思うのだが、このコメントを読んでいると、杉本氏には本当に信仰があるのかと疑ってしまう。

「社会福祉士として<中略>あなたの心の状態が良くわかりますから、あれこれ坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。」と、杉本氏は書いているが、このように「配慮してやったのだ」「情状酌量したから提訴しなかったのだ」と、もったいぶって見せる割には、私へのかつてのメールには、「あまりあなたには同情いたしておりませんので、今回の件、私をあまり侮られませんよう。」などと、他人の心境など知ったことではないという脅し文句をちりばめていたのは何だったのであろうか(たとえば 2011年12月6日付メール

 
このように、筆者に何通もの恫喝メールを送って来たり、メールフォームで気に入らない全ての記事から名前を削除せよと要求して来たり、嫌がらせのようなアクセスを当ブログに集中させたりと、人の目に触れない場所で、随分、多くの圧迫と恫喝を杉本氏は私に対して行って来たのだが、それでも、「坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。」と、あくまで手加減してやったのだと言うつもりなのだろうか。

今までのいきさつを振り返ると、こうした言葉も、結局は、杉本氏にとって気に入らない記事を私が削除せず、杉本氏の要望を聞き入れずに、杉本氏の名前を自分のブログ記事から削除しなければ、坂井氏と同じようにおまえも告訴してやるという脅し文句としか受け取れないのである。
残念だが、杉本氏からこれまでにされて来た数々の嫌がらせを考えると、そのように深読みするのが当然である。

 
  一時、閉鎖されていた〇〇さんのブログが今のように大々的に再開された以上、ことを放置することはできません。個人的に、あまりことを大げさにしたいわけではなく、大がかりな対応をとりたいと思っているわけではありませんが、内容が内容だけにこのままで座視するわけにはいきません。

 ブログ記事、すぐに削除して下さいますよう。何か疑問などあれば、どうぞお尋ね下さい。

この文章も、一方では、「あまりことを大げさにしたいわけではなく、大がかりな対応をとりたいと思っているわけではありません」と言いながらも、その実、言うことをおとなしく聞いておかなければ、いつでも事件を大々的に炎上させるぞという杉本氏の思惑が透けて見える。

しかも、これはすごい文章である、「 一時、閉鎖されていた〇〇さんのブログが今のように大々的に再開された以上、ことを放置することはできません。」

つまり、自分に気に入らない内容の記事が書かれているので、ことを放置できないと主張するのではなく、私のブログが今のように大々的に再開されたから放置できないと、はっきり述べているわけである。

大々的に再開されたとは、一体、どういうことなのであろうか。私は以前と同じように淡々とブログ記事を書き続けているだけであり、以前のブログの方が、今より読みやすく、文章も簡潔で、更新も頻繁であった部分もあるように感じているので、努力が足りないと感じることはあっても、特に大々的に何かをやり始めたという自覚はまるで全くない。

杉本氏のこの発言を通して感じられるのは、どれほど同氏が私のブログそのものを未だに目の敵として閉鎖に追い込みたいと考えているか、どんなにその目的で、これまで再三に渡る嫌がらせと恫喝を執拗に重ねて来たか、そして、同氏の脅迫と嫌がらせの数々にも関わらず、私のブログが再開されたこと自体が、どれほど同氏にとって気に食わないことであり、どれほどこのブログが杉本氏にとって脅威と見え、激しい憎悪の的となっているかという事実である。
 
もし本当に相手の心の平安を願う心があれば、まずはこのブログが再開されたことに祝辞を述べるであろうが、相変わらず、杉本氏の文面には、挨拶文さえ記載されておらず、人を祝福する気持ちがまるでないことがよく伝わって来る文面である。上から目線の一方的な命令を下し、不法な手段で人を威嚇することによって、他者の執筆活動を妨害し、不都合な信者をネットから駆逐することで、自分にとって不都合な言説を取り締まり、自分に都合よくクリスチャンの世論を言論統制することだけが、私への接触の目的なのである。

これでは、杉本氏は、私のブログを何が何でも再び閉鎖に追い込む目的で、さわやか読者の履歴に示されているように、今日に至るまで執拗な嫌がらせを水面下で続けているのだと、自ら白状し、宣戦布告を突きつけているようなものである。
 
そんな人に疑問があればお尋ね下さいなどと言われても、尋ねることもなければ、杉本氏がこれまでに行って来た事柄を考えると、返信などしようものなら、どんな厄災が待ち受けているか、誰しも容易に想像できる。

削除はしない。そうするだけの理由が何も存在しないためである。

そう答えれば、また次なる嫌がらせに及ぶつもりだろうか。坂井氏と同じように、私も法廷の場に引き出し、恫喝裁判のターゲットとするつもりであろうか。

しかしながら、杉本氏のこうした恫喝は、何年も前からずっと繰り返されて来たものであり、裁判の脅しなど、全く効果のないものである。さらに、杉本氏が坂井氏を訴え、勝利してさえも、それによってどれほど世間で杉本氏についてネガティヴなイメージばかりが広まり、定着して行ったか、ネットの世論を見回すとよく見えて来る。一般に、身近な他人を次々と訴え、法廷に引きずり出して戦いを挑むことを生きがいとしているような人間は、たとえ勝訴することがあったとしても、みなに嫌われ、近寄られなくなって行くだけである。

しかも、自分にとって気に入らない記事を書いているクリスチャンを暗闇で恫喝し、自分が証拠不十分で敗訴することも織り込み済みで、ただ心理的な打撃を与えることを目的に、次々とクリスチャンを裁判に訴える活動を繰り返して来た人間が、また裁判だと叫んでみたところで、半ばオオカミ少年のように見られるだけではないかと思う。

そのような姿は、クリスチャンの生き様からはほど遠く、これまで幾度も指摘して来たように、「日夜、兄弟たちを訴える者」、すなわち、悪魔を彷彿とさせるのである。
 
こうして、杉本氏がクリスチャンに闘いを挑むために提起してきた裁判という手法も、まさに村上密氏が積極的に奨励し、用いて来た手法であり、両者の行動を見れば、その背後に、クリスチャンに対する尽きせぬ憎悪、何としてもクリスチャンを弾圧したいとの欲望が、どうしても筆者には透けて見えてならないのである。

クリスチャンに言いがかりをつけ、クリスチャンを脅し、クリスチャンを法廷に引きずり出して苦しめ、クリスチャンを罰して、苦しめて、懺悔させたい。神の民を己の前に跪かせ、赦しを乞わせ、屈辱をこうむらせたい。そういう飽くことのない悪魔的欲望が、どうしても両者の行動の背後に透けて見えてならないのである。

従って、両氏の活動は、到底、キリストの御霊から来るものではなく、むしろ、反キリストの霊、キリスト教徒に対する弾圧の霊から来る活動だと言わざるを得ない。従って、彼らの活動の目的も、彼らが口で唱えているように、キリスト教界の改革にはなく、むしろ、キリスト教界の改革を口実にして、気に入らないクリスチャンを次々とネット上で吊し上げ、あるいは法廷に引きずり出して弾圧し、懺悔を迫り、処罰することを目的としているのだろうと思わずにいられない。私が当ブログで早くから訴えて来たのは、この人々の活動の真の目的は、キリスト教界の浄化を口実にしただけのキリスト教徒の弾圧にあるという事実である。

このような活動にいつまでも従事している人々は、キリスト教徒への迫害者という定評が後世にまで残ることになるであろう。キリスト教の恥ずべき異端審問の歴史に、また新たな名が刻まれることになる。

杉本氏がたとえ憤りにまかせてクリスチャンを幾人告訴したとしても、事実無根の訴えでは、勝ち目がない。膨大な時間と労力と資金の無駄が待っているだけであり、そして、キリストの霊的秩序は、この世のすべての秩序を超えるのである。

パウロによれば、クリスチャンは、「御使いさえも裁く者」である。黙って苦しみを担われたキリストのゆえに、クリスチャンはむやみに兄弟姉妹を訴えるようなことはしないが、いずれにしても、我々にはイエスの御名によってキリストと同じ権威が与えられているのであり、この御名を超える権威は地上のどこにも存在しない。小羊の血潮によって贖われ、神が義とされた信者を再び訴え、罪に定めることのできる人間は地上に誰も存在しないのである。

にも関わらず、気に入らないクリスチャンの言説に遭遇する度に、「削除だ!」「裁判だ!」と叫び立て、告発記事の執筆にいそしみ、あるいは水面下で恫喝と嫌がらせ工作にいそしみ、提訴できる相手を探し求めて日々クリスチャン・ブロガーを見回しているのでは、「日夜、兄弟たちを訴える者」という定評がさらに広まって行くだけであり、それでは杉本氏自身にも全く利益にならないであろう。
   
180−0001 武蔵野市吉祥寺北町1−5−14
 杉本徳久
070 5012 7587
sugimotonorihisa@gmail.com
 
 


村上密牧師による自己流の「異端審問」―村上密牧師の非聖書的で危険な活動

 

大いなるバビロンからの脱却 反キリストの原則の明確な発展
――アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の非聖書的で危険な活動――
~村上密牧師と津村牧師による鳴尾教会の私物化問題について~


 



 

2.弱者ではなく、強者の目線に立って行なわれる村上密氏の「弱者救済活動」

2-1.「毒を持って毒を制す」式の考えの危険性 
2-2.弱者の人権を踏みにじり、「世間」という強者の目線に立って行なわれる活動
2-3.強制力を用いて人間の内心の自由を侵害
2-4.信仰を持たない「家族」や「世間」の観点から、カルトに入信した信者だけを責める
2-5.公の認可を一切受けておらず、キリスト教界内の規則を無視した越権行為
2-6.聖書に基づく信仰によらず、世間の倫理道徳や強制力によってキリスト教界を断罪
2-7.平和な福音伝道を第一とする牧師の本来的な使命から逸脱
 
2-8.カルトとの闘いを続行するために、自ら敵を作り出す
2-9.アンチカルトはカルトと同一である
2-10.キリスト教界で回復される必要があるのは、人間ではなく神の利益 


 
  <追記>
 2018年2月に、村上密率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事等を参照。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実





2.弱者ではなく、強者の目線に立って行なわれる村上密氏の「弱者救済活動」

2-1.「毒を持って毒を制す」式の考えの危険性 論敵と同じ誤りを犯していることに気づかない村上密氏


さて、カルトを取り締まるために、カルトを超える強力な取締機関を創設するという、「毒を持って毒を制す」式のカルト監視機構の設立の構想は、おそらくは、村上氏がこれを明確な形で公表するよりもずっと前から、同氏の心に温め続けられて来た計画であったものと思われる。

村上密氏は、前述の記事でも示したブログ記事「ザビエルの光と影 」で、フランシスコ・ザビエルの活動の負の側面として異端審問の創設の提案を挙げる。また、自民党が統一教会の勝共連合などの提案を受けて国会に提出した「スパイ防止法」を危険なものとして非難する。


「ザビエルは1542年にゴアに到着し、1546年5月16日付けの書簡で、ポルトガル国王ジョアン3世に、インドにおける異端審問所の開設を進言しています。1560年にはゴアで異端審問所が発足しています。その結果、多くのマラーノ(15世紀末から、スペインおよびポルトガルにおいて強制的にキリスト教に改宗させられた旧ユダヤ教徒)が安住の地を求めて行ったゴアで火炙りになりました。これが影です。このことを知っている人は稀です。」

「むしろ、自民党政権下、自民党と協力していたカルト宗教が「スパイ防止法」制定に奔走しました。この法案が宗教をも監視下に置くことは一部の人にはよく知られていました。カルトを叩いていた私や他の人がカルトから監視されることも考えられたのです。危ういのは権力と結び付いた宗教です。キリスト教の一牧師の案に大袈裟な警告は夢想家の戯言です。」

しかしながら、村上氏はこのようにしてザビエルの異端審問を彼の活動を負の側面であると指摘し、スパイ防止法の危険性を唱えながらも、自分自身が、論敵と全く同じ誤りを犯していることには気づかない。

スパイ防止法は、かつて中曽根政権下で、国際勝共連合の推進のもと、自民党議員により国会に提出された。この法案は社会党や日弁連、自民党のリベラル派の反対により、審議未了のまま廃案となったが、Wikipediaによると、当初、これを推進していた宗教団体には、統一教会だけでなく、生長の家も含まれていたようである。

国際勝共連合とは、「共産主義の脅威に対抗する」ことを目的として統一教会の創始者であった文鮮明が創設した政治団体であり、今日に至るまで統一教会と不可分の関係にある。
 
「共産主義の脅威」を訴え、これに対抗して勝利することを目指す国際勝共連合の主張を見ると、スパイ防止法の制定や、日本版NSCの創設、日本の核武装なども含め、どれもこれも共産国の国家防衛の手段をそっくり模倣したものばかりであることに気づく。特に、スパイ防止法と日本版NSCの創設は、ソ連が国家の機能として持っていた強大な秘密警察の機能と活動を我が国でも取り入れて合法的に認可しようという構想である。

一言で言えば、勝共連合は、共産主義国の脅威に対抗するという名目の下、日本が強い軍隊を持って核武装し、秘密警察を持ち、外国のスパイを含めて国家にとって望ましくないあらゆる人物を合法的に処罰でき、国家が国民に対する大規模な諜報・監視活動を合法的に行なえるような法整備が必要である、と訴えているわけである。

だが、これは結局、敵以上に武装を強化することによって敵(共産主義国)に対抗しようという発想であるから、「毒を持って毒を制す」式の考えであり、果てしない軍拡競争を招き、より一層の国際的緊張を高めるだけであり、さらには、軍拡競争の中で、いつしか敵に対抗するということが口実となり、自国の武装の強化それ自体が目的となって、とめどない軍拡に陥り、異常に肥大化した軍部が生まれかねないことが予想される。

その結果、最初は手段であったはずのものが、目的化し、果てしない武装それ自体が目的と化す恐れがあるのである。その上、こうしたことの危険性に気づいてそれを訴える国民が、国家にとって望ましくない人物とのレッテルを貼られて弾圧され、武力によって強制的に排除される危険性までが生まれる。最初は共産主義に対抗することが目的であったはずなのに、仮想敵の概念がいつの間にかどんどん膨らんで行き、戦いは果てしないものとなって、ついには武装や諜報の機能のほとんど全てが、真の外敵ではなく、国家にとって「疑わしい」思想を持つ自国民の弾圧へと向けられる恐れが十分に想定される。

ここに「毒を持って毒を制す」式の考え方の危険性がある。外敵との闘いを訴える者は、魔物と闘っているうちに、自ら魔物と一体化し、敵以上の恐るべき魔物に変身してしまいかねないという法則である。 外部の敵との抗争は、いずれ内部抗争に転嫁する。国際勝共連合の唱えているような目的を容認すると、日本は、共産主義に立ち向かうという名目の下、果てしない軍拡競争に巻き込まれ、絶え間ない国際的緊張の下に置かれ、その上、スパイ根絶という口実で、大規模な国民への抑圧が正当化されかねない。こういった危険性が知識人らに指摘されたことの影響もあり、スパイ防止法は廃案になったのである。(だが、今日の秘密保護法にも同じ危険が指摘されている。)
 
ところが、村上密氏が述べているのは、勝共連合の提案と本質的に同様の論理である。村上氏はザビエルの異端審問のアイディアを彼の活動の負の側面として挙げ、今日のプロテスタントのキリスト教界における「霊の戦い」が事実無根の魔女狩りのような様相を帯びていることを非難する。そして、こうしたキリスト教における信者同士の争いが、キリスト教界の恥ずべき「影の歴史」であり、繰り返されるべきではないものであることを訴えている。

ところが、そう述べている村上氏自身が、キリスト教界を浄化するために、ザビエルと同じように、キリスト教界に超法的な「異端審問」機関としてカルト監視機構を設立することを提唱し、「スパイ防止法」を非難しながらも、キリスト教界の「カルト化」を未然に取り締まることを口実に、「カルト防止(監視・抑止)法案」とでも呼ぶべき「カルト監視機構設立案」を宗教界全体に提唱して行くのである。

村上氏は、キリスト教界を改革するという名目で、「異端審問機関の設置」及び「宗教的スパイ防止法案」を提案するという、自ら論敵と全く変わらない極めて危険な発想を述べている自己矛盾にはまるで思いが至っていない。



2-2.真に弱者である信者の側に立たず、弱者の人権を踏みにじり、「世間」という強者の目線に立って行なわれるカルト被害者救済活動

さらにもっと危険なのは、同氏がこのように自ら唱えたプランが、キリスト教界で容認されるかどうかには全く注意を払わず、教界において自分の提案が何ら公の承認を受けたわけでもないのに、自分だけの一存に基づき、非公式に、自己流の「異端審問」を繰り広げ、他教会に対する干渉という越権行為に乗り出して来たことである。

そして、この越権行為を正当化するために、村上氏は「世論」を巧みに利用して、自分自身の思惑が世論に合致しているかのような「空気作り」を行なって来た。

村上氏はカルト監視機構の設立というアイディアを提示するより以前から、カルト被害者救済活動という形で、独自の「異端審問」を行なって来たが、同氏率いるカルト被害者救済活動は、初めは、統一教会等に入信した信者を、信者の親族等の要請を受けて、半強制的に脱会させるというものであった。これは当初、カルトに入信した信者を、強制的に拉致してアパートなどの密室に監禁し自由を奪った上で、牧師などキリスト教の教職者が脱会のための説得工作にいそしみ、信者にカルトの教義の誤りを認めさせて、棄教させるという手法のものであった。

こうした活動は、信者の内心の自由を否定して、さらには身体を拘束し、強制的に外側から「正しい教義」を押しつけて改心を迫るという点で、そもそもの初めから、中世の魔女狩りのような残酷さを備えていたのだと言える。
 
まず、この活動においては、キリスト教の権威者が力づくでカルトに入信した信者の身柄を拘束し、「誤った思想に傾いた罪」を強引に認めさせて、信仰を放棄させるまで自由を与えないという不法な形での懺悔の強要と、強制的な再教育による内心の自由の侵害身体の拘束と言う罰に等しい不法な人権侵害が行われていたことについて考える必要がある。これは憲法が保障する「信教の自由」そのものの否定であり、人の信仰生活を外側から力づくで侵すことを正当化する活動であることに注意が必要である。

このような活動内容を見れば、それが暗黙のうちに意味するところは、信者を取り巻く社会(カルト団体のことではなく、この世の社会のこと)からの容認がありさえすれば、つまり、親族からの同意がありさえすれば、カルトに入信した信者は、危険人物として拘束され、人権を侵害され、思想的再教育を強制的に受けさせられて、信仰を剥奪されても当然であるという思想であると分かる。

そのような思想は、カルトに入信した信者は、その誤った思想のゆえに、世間を騒がせたのだから、身体の自由を奪われて、自らの罪を認めて懺悔させられ、強制的な再教育を受けさせられて半強制的に人格を矯正されても当然であり、なおかつ、誤った信仰に傾倒したことを懺悔するのみならず、家庭を捨ててカルト団体に逃亡したことで、どれほど家族を混乱と悲しみのどん底に突き落とし、社会に迷惑をかけたか分からないのだから、社会を騒がせて迷惑をかけた罪を認めて詫びるべきであるという考えに基づいている。

これは、社会から迷惑を受けたという通報がありさえすれば、人間が外側から力づくで他者の内心を取り締まり、その信仰や思想を弾圧することを正当化する思想であり、このような思想を延長して行くと、やがて誤った思想によって公共の秩序を騒乱した個人は、社会全体の世論の同意がありさえすれば、いかようにでも人権を奪われて処罰されても当然であるという発想へと結びついて行く。

強制的な拉致監禁と強制的な説得工作などの手法を見れば、村上密氏らの「救済」活動が、決してカルトに入信した信者という「弱者」の観点に立って行なわれたものではなく、むしろ、信者を取り巻く社会(家庭を含む)という「強者」(多数者)の観点からなされたものであることが分かる。

ただし、当初、使われていた拉致監禁という手法は、その後、信者を奪われたカルト団体から訴追の対象となったり、また世間からも批判を受けたりして、次第に使われなくなっていくが、そのような暴力的な手段を用いないようになって後も、以下に示す通り、村上氏のカルト被害者救済活動が持つ、信者に対する懲罰的な意味は変わらなかった。

同氏の「救済活動」はその後、キリスト教以外の宗教だけでなく、キリスト教界内部でも積極的に行なわれるが、そこでも、同氏は聖書の教えから逸れて道を踏み外した牧師や信者に対し、この世の司法などの強制力を用いて、その信者が「誤った思想」を認めて懺悔するまで徹底的に圧迫を加え続けるという手法を用いたのである。




2-3.強制力を用いて人間の内心の自由に対する侵害を繰り返す村上密氏のカルト被害者救済活動
 
だが、問題は、一体、この世の誰が、強制的に他人の内心の自由を抑圧してまで、他者の思想の是非を判断し、その誤りを認めさせ、これを「矯正」する権利を持つのかという点である。

そのような思想的再教育プログラムが、人の自主性を侵害して本人に強制されること自体、不法であり、大変、恐ろしいことである。そのような手法は、カルトと同じように、「洗脳」や「マインドコントロール」と非難されても当然であるが、さらに恐ろしいのは、そのような活動が、何ら公の認可を受けず、個人的な思惑に基づいて行われることである。
 
村上氏のカルト被害者救済活動が、主にカルトに入信した信者の親族(必ずしもキリスト教の信者ではない)からの要請に基づいて行われていたことを見ても、この活動が目指していたのは、信者に自主的にまことの神を知ってもらい、聖書に基づく真の信仰に自主的に至りついてもらうことではなく、むしろ、キリスト教の教義は、信者の誤った思想を論破し、誤りを認めさせてかつての信仰を放棄させるための道具として使われたにすぎないことが見えて来る。

この活動の最終的な目的は、信者に本当の神を知りたいという願いを自主的に起こさせることではなく、健全で自然な信仰を持ってもらうことでもなく、信者がカルト団体から完全に足を洗って社会復帰を果たすこと、とりわけ、もとの家庭生活に復帰することにあり、キリスト教はそれを実現するための手段であったのだと見られる。
 
つまり、この活動は、表面的には、キリスト教の信仰に基づくものであるかのように標榜していても、実際にはそうではなく、カルトに入信したがゆえに、家庭から逃亡し、社会生活から切り離されて、半ば孤立状態に陥っている信者を、親族らの訴えに基づき、家庭に連れ戻すことにより、社会生活に復帰させることを、最終目的としていたのであると考えられる。

それを実現する上で、信者の内心を作り変える必要があり、救済活動を行なうキリスト教の教職者らは、カルトの教義以上に強力で首尾一貫した教義を提示することによって、カルト的教義の誤りを暴き出して論破し、その思想の誤りを信者の目の前で明白にする必要があった。その手段として、キリスト教の教義が用いられたのである。これは、多くの新興宗教が、キリスト教を換骨奪胎して作られたキリスト教の亜種のようなものであることを考えれば、不思議なことではない。

だが、いかにカルトの教義が真理からほど遠く、矛盾に満ちた危険なものであったとしても、人が自ら内心で神を求める過程を邪魔してまで、何が真理であり、誤りであるかを、人が人に強制的に教え込み、信者がカルト的思考の誤りに自ら気づくのを待たずに、キリスト教の権威者を名乗る人間が、自らの権威によって、外側から強制的にカルトに入信した信者の思考パターンを打ち砕き、変えようとすること、しかもその説得工作を、信者の身体の自由を奪うという威嚇的な方法を用いて、信者自身が最も屈辱的な状態に置かれ、尋常でない精神状態にあり、正常な判断力の弱まっている時に行うことにより、力づくでカルトの教義の誤りを認めさせて棄教させるという方法では、カルト以上の洗脳とマインドコントロールと非難されても仕方なく、仮にその結果、カルトに入信した信者が以前の信仰生活の誤りに気づいてキリスト教に改宗したとしても、これでは強制的な改宗も同然で、到底、キリスト教の平和で自然な伝道活動とは呼べないし、このような方法によっては正常で自然な信仰も生まれ得ないであろう。

実際に、脱会の方法が強制的であればあるほど、それは本人の自主性に基づかないため、本人の自然な思考を破壊し、結果として、人格を破壊する恐れがあることが指摘されている。カルトから脱会させるという、一見、正しく見える目的のためであっても、これを暴力的な方法で成し遂げれば、後々大きな弊害が信者自身に残るのである。

もしも、正しい教義を知ってもらうためならば、人の内心の自由を力づくで侵しても良いという考えを肯定するならば、たとえそこで用いられているものが、キリスト教の教義であっても、それは実際には、カルト以上にもっとひどい形で人の内心の自由を圧迫し、彼らを洗脳し、マインドコントロールすることを正当化する暴力であるという非難を免れられない。
  
こうして信者の内心の自由を侵す形で棄教を迫るという方法は、カルトに入信していない信者の親族や、カルトを疑わしいものとみなす「世間」という「強者」の観点に立って、彼らの利益の回復のためならば、弱者であるカルト信者への抑圧も正当化されうるという考えに基づくものであり、それは決して真の意味で、弱者の観点に立って行われる救済活動とは言えないのである。




2-4.信仰を持たない「家族」や「世間」の観点に立って、カルトに入信した信者だけを問題視するカルト被害者救済活動
 
さらに、もっと複雑なのは、たとえどんなに信者の家族や親族が、カルトに入信した信者が誤った信仰を捨てて、以前のように家庭に戻って生活することを願い、そのために、カルトからの脱会を手伝ってくれるようキリスト教の牧師に懇願したとしても、カルトに入信した信者を家庭生活に復帰させることが、必ずしも、正しい解決かどうかは分からない点である。

なぜなら、カルトに入信する信者の多くは、家庭環境にもともと何か大きな不安材料があって、その問題から逃れるために、誤った信仰に心惹かれて行ったというケースが多く見られるからである。そのようなケースだと、家庭に潜む根本的な問題を見ずして、家庭復帰イコール健全な社会復帰と安易にとらえることはできない。

むしろ、根本問題が何ら解決されていない状態の家庭に信者を引き戻すことは、ただカルトに入信する以前の状態に引き戻すだけでなく、いや、カルトに逃亡するという形でしか、信者が逃げ道を模索することができなかったのだとすれば、その逃げ道さえ存在しない、より悪い袋小路に信者を追い込むことにもつながりかねない。また、それはカルトに入信することにより、信者が探索していた目的自体を否定し、あきらめさせることであるから、それはより一層、信者の心理を複雑にしてしまうきっかけとなりかねない。このような活動は、決して真の意味での弱者の心のニーズに応えるものとはならないのである。

たとえ説得工作によってカルトに入信した信者にその教義の誤りに気づかせることに成功したとしても、それだけでは、信者がそもそも一体、どんな問題から解放されるために、カルトに接近したのか、カルトに入信することによって、どのような目的をかなえようと目指していたのか、という根本的な心の問題に焦点が当てられない。
 
ただカルトに入信したことが誤りであったという事実を認めさせてその団体から脱会させて、家庭復帰を成し遂げ、あるいはキリスト教へ入信させることだけをゴールとしていたのでは、その信者の個人的な心の必要性は忘れ去られてしまう。

たとえ信者がキリスト教に改宗したからと言って、それでかつて信者の抱えていた心の問題が解決するかと言えば、そのようなことは決してない。だが、カルト被害者救済活動は、基本的に、カルトのマインドコントロールを受けてしまった信者自身の心に、何らかの弱さがあったのだと考えて、その弱さや問題の克服のために、信者に様々なカウンセリング等を受けるよう勧めても、信者自身を取り巻く「世間」の抱える深い問題には言及しないのである。
 
親族らの要請に基づいて行われるカルト被害者救済活動でも、カルトに入信した信者の誤りだけがクローズアップされ、信者をカルトに追いやる原因を作った家庭や社会の側が抱える問題は、半ば蓋がされたまま、その罪が問われることはほとんどない。信者が己の罪を認め、懺悔することは奨励されても、信者をカルトに追いやる原因を作ったかも知れない家庭や社会の「罪」は問われない。こうして、間違っていたのは、カルトに入信した信者だけであり、家庭や社会は「被害者」であって、罪はないという考えに立って、信者は家庭と社会に迷惑をかけた罪を詫びて復帰し、社会に適合するよう努力することだけが、最終的なゴールのようになってしまいかねないのである。

つまり、そこでは、家族や社会という強者の集団の抱える闇という問題は蓋をされたまま、弱者の立場にある信者だけが責められ、「家族や「世間」の利益や都合だけが優先されて、カルトに入信した信者の心のニーズは容赦なく無視され、押しつぶされてしまう危険性がつきものである。実際、そうなっていたであろうことは、説得工作が監禁という強制的な手段を用いて行われたことを見ても分かる。
 
そこで、結論を述べれば、この活動は、この世の腐敗に絶望し、真理や、まことの神や、正しい生き方を求めた結果、誤ってカルトに入信してしまった信者だけを問題視し、信者の思考と生き方だけを矯正の対象とすることによって、彼らがカルトに追いやられざるを得ないような原因を作り出した「世間」の罪を巧みに免罪する性質を持っているのだと言える。


  
2-5.公の認可を一切受けておらず、キリスト教界内の規則を無視した越権行為としての村上密氏のカルト救済活動

さて、村上密氏を含め、多くのプロテスタントの牧師が関わっていたカルト被害者救済活動は、キリスト教外部の宗教から信者を奪還するのみならず、やがてキリスト教内部で起きた不祥事から被害者を「救済する」という内容に重きを置くものへと変わって行った。そうなったのには、信者を無理やり奪われた他宗教から、訴訟などの形で多大な反発があり、なおかつ、世論にも非難の声が上がって、強制的な脱会工作が難しくなり、かつてのような他宗教からの信者の大々的な奪還が困難になって行ったことが反映していると見られる。

その中で、村上氏の活動も、キリスト教外部の「異端」を取り締まることだけでなく、キリスト教内部の「異端」を取り締まることが活動の中心になって行った。

だが、すでに述べた通り、そもそも村上密氏のカルト被害者救済活動は、関係者からの懇願や訴えがあったという他は、一切、公の認可を受けておらず、一体、何の権威に基づいてなされているのか全く分からないという問題を初めから抱えていた。

プロテスタント内部の異端を取り締まるということになれば、本来は、プロテスタント内部の規則に則ってこれを行なうのが当然であるが、プロテスタントの教界には、教団教派や教会の枠組みを超えて、これを外から取り締まることを是認するような規則は存在しない。

村上密氏は自身も牧師であるのだから、自ら属している教団の規則に従うべきであり、その牧師が、教団や教会の規約を踏み超えて、他教会の内政に干渉することは許されざる越権行為に当たる。だが、村上密氏は、同氏の所属するアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からさえ公の認可を受けておらず、ましてプロテスタント教界全体においては、何の公の承認も与えられてはいない自らの活動を、個人の一存で繰り広げ、何らの公の権限にも基づかないまま、他教会の内政に積極的に積極的に干渉して行くのである。
 
このような越権行為を正当化するために、村上氏は、キリスト教界からの公の認可を受けようと努力するのではなく、むしろ、この世の裁判という強制力を味方につけようとした。
 
同氏は、カルト化の疑いのある牧師や信徒を裁判に訴え、彼らを強制的に司法の場に引き出して来ることにより、キリスト教内部の問題を議論する場を、無理やりキリスト教の外へ持ち出し、それによって、キリスト教内部の規則を飛び越えて、この世の司法による強制力によって自分の活動を正当化しようとした。

村上氏はこうして、自ら教界に属していながら、教界の規則を無視し、むしろ、教界外のこの世の司法という強制力に訴え得ることによって、キリスト教界に強制的にメスを入れることを正当化しようとしたのである。

このことは、同氏の活動が決して聖書に基づく平和な信仰によるものではなく、むしろ、全く聖書に基づかず、信仰を持たないこの世の論理と力に基づいて、キリスト教界全体を監視し、断罪し、これに強制的に懲罰を加える機会を得ようとするものであったことを意味する。その点で、同氏の活動は、ただキリスト教を隠れ蓑にしただけの、最初から聖書に基づかない、信仰によらない活動だったと言えるのである。
 
村上氏が積極的に用いていた裁判という手法を見ても、同氏の活動は、真に弱者の側に立つものではなく、世論や弁護士等この世の有識者や権威者という「強者」の目線に立って、この世の力を武器にして行われるものであったことが分かる。

村上氏による統一教会などからの信者の「救出」活動も、カルトに入信した信者自身の心の要望に基づくのではなく、信者の親族という「社会的強者」(社会からドロップアウトしたカルト信者に比べれば、彼らは強者の立場にあったと言える。また、親族の背後には信仰を持たない世間の思惑があった)の側に立って、強者の利益を確保するためになされたものであったことを思い出す。そこで、カルトに入信せざるを得なかった信者の深刻な事情や、心の必要性は理解されず、信者個人の人格も尊重されない形でその活動は行われ、むろん、家族側からの依頼に基づいて「救出活動」に携わった牧師に、どれほどの謝礼が成功報酬として渡っていたのかは誰にも分からない。
  
こうして同氏は当初、カルトに入信した信者の親族という「強者」の言い分を利用して、信者の人権に対する侵害を正当化し、信者に懺悔と棄教を迫り、異端審問官のように懲罰的に振る舞ったが、次には、キリスト教界の「疑わしい」牧師や信者を司法の場に強制的に引き出して来ることにより、彼らに強制的に懲罰を加え、それによって倫理の低下したキリスト教界そのものを断罪するということをやり始めたのである。

村上氏は、こうして、弱者救済と言いながら、自らの活動が徹底してこの世の弱者ではなく、むしろ強者の側に立って行なわれ、信仰を持つ者ではなく、むしろ、不信者の利益を擁護するために行われ、この世の力を持って、有無を言わせず信者の内心の自由を侵害し、信者の誤りを暴き出し、断罪することで、弱者の声なき声を踏みにじり、黙殺していることには、気づこうともしない。

そして、同氏は教団や教会の規則を踏み越えて、誰からも何の公の権限も与えられていないのに、自らキリスト教界の「異端審問官」であるかのように振る舞い、関係者からの不確かな証言や要請だけに基づいて、自分の一存で始まったに過ぎない自分の非公式な活動が、あたかも世間全体の後押しを受けているかのように見せかけて、さらには自らの「救済活動」が、宗教界全体に必要不可欠な改革であるかのように唱えるのである。



2-6.聖書に基づく信仰による価値基準ではなく、世間の倫理道徳によってキリスト教界を裁き、この世の司法などの強制力を用いて教界を改革しようとする危険

村上氏は、裁判によってキリスト教界に弾圧を加えることを正当化する理由づけとして、キリスト教界が倫理の低下により世間を騒乱した「罪」を挙げる。前述のブログ記事の中で村上氏はこう続ける。

 さて、キリスト教は世間に良いイメージを持たれています。そのイメージが近年カルト化した教会によって低下していることは読者の知るところです。このような問題を正すためには裁判が必要だとする私に対して、沖縄南部牧師会は声明文を過去に発表しました。<中略>キリスト教のイメージが低下したのは牧師と牧師会の倫理観が低下してきたからが私の見解です。次々と牧師の不祥事が明るみになっています。それを擁護する牧師もいます。被害者は二重三重に心に痛みを受けています。このような被害を知っていながら対策室を開設する教団は稀です。いつまでも限られた牧師たちがやっていること事態(ママ)がキリスト教の怠慢です。


ここで同氏が「世間」を引き合いに出していることが注目される。これによって、村上氏が、あたかも「世間(=信仰を持たないこの世の社会)」の観点に立って、「世間」の要望に基づいてそれをかなえるために自らの活動を繰り広げているかのような印象を与えようとしており、キリスト教に批判的な「世論」の高まりをもって、キリスト教界を断罪することの根拠にしようとしている姿勢が伺える。

つまり、同氏は決して信仰に基づいてキリスト教界の改革を唱えているわけではないのである。同氏は、キリスト教界から聖書の真理が失われ、正しい信仰が失われたがゆえに、「神の利益が損なわれている」ことを嘆くのではなく、キリスト教のカルト化が進行し、牧師の「倫理観」(聖書に基づく信仰ではない!)が失われたために、キリスト教のイメージが世間で低下したことが、あるまじき損失であると言うのである。
 
まず同氏が、一体、誰の利益を回復しようとしているのかという点に注意が必要である。同氏が主張するのは、神の利益ではなく、信者の利益でもなく、「世間」の利益である。キリスト教界によって傷つけられた被害者を救済するという名目を取ってはいるものの、実際には、この活動は被害者本人のために行なわれているものではなく、むしろ、被害者を取り巻く「世間」の観点に立ったものであり、「キリスト教が不祥事を起こして犠牲者を出し、世間をお騒がせしたので、キリスト教はその罪を認めて償わなければならない」と言っているに等しい。
 
さらに、どのような観点から、同氏がキリスト教の倫理の低下を罪深いこととして糾弾しているのかにも注意が必要である。村上氏は、キリスト教に不祥事が起きていることを、「聖書の真理から逸れたために、神に対して犯された罪」として、神の利益が損なわれ、神が心を痛めているという文脈で非難し嘆くのではなく、ただキリスト教に倫理の低下が見られたから、また、被害者が苦しめられたから、これを人の目にかなうように改善しなければならないと言うのであり、ここで、同氏がキリスト教の堕落を糾弾する根拠としているのは、聖書ではなく、世間の倫理道徳観、世間の判断基準である。

村上氏がこうしてキリスト教の現状を裁くものさしを、巧みに聖書の価値基準から、この世の価値基準へと移し替えていることに注目する必要がある。同氏は、「世間でのキリスト教界の倫理的イメージの低下」と「心に痛みを受けている被害者」の存在を引き合いに出すことによって、このままでは、キリスト教界が世間に顔向けできない嘆かわしい状態にあって、早急に改革が必要であるかのように唱え、巧みに「世間」をキリスト教界よりも上位に置こうとしているのである。

だが、すでに述べた通り、信仰者が、自らの信仰生活が正しいかどうかの判断を、信仰を持たない「世間」に委ねることなど、もともとナンセンスである。そのようなことは、霊的な事柄と肉的な事柄の順序を覆し、聖書の秩序を転倒させる危険な考え方であることはすでに前項で述べた。
 
キリスト教界に起きることは、ただ聖書の価値基準に従って、信仰によってしか理解することができないにも関わらず、村上氏は、自らの主張が不特定多数の人々からなる「世間」にバックアップされているような印象を醸し出すことにより、「世間」の判断基準を基に、あたかも世間を味方につけているかのように振る舞い、世間という「強者」の立場から、キリスト教界に起きる不祥事を糾弾し、キリスト教のみならず、宗教全体に対しても、これを疑わしいものとして監視し、断罪し、裁く側に立とうとする。聖書に基づく信仰の観点からではなく、「世間」の立場から、宗教全体を監視し、抑圧する必要性を訴えるのである。

こうして、片方では「弱者救済」を唱えながらも、実際には、村上氏は信者という真の「弱者」の立場に立って物事を考えることを決してしない。同氏は一見、自らの活動がキリスト教に基づくものであるかのように偽装してはいるが、実際には、その活動は、この世の強制力を用いたものであり、聖書に基づくものでなく、さらには信教の自由という憲法上に定められた信者の人権をも否定するものであり、信仰によってしか理解し得ない事柄を、信仰を持たない圧倒的多数者という「強者」の論理に委ねることによって信者の内心を踏みにじり、「世間」の価値判断を、聖書に基づく信仰による価値判断の上位に置き、結果的に、この世を信仰よりも上位に置くことを正当化しているのである。
 
このような転倒した理屈を基に、同氏は「世間でのキリスト教のイメージの回復」を目指し、キリスト教界では誰からも公に認可を受けていない、ただ自分の一存だけで始まったカルト被害者救済活動を、司法の強制力によって推し進め、強制的にキリスト教界に介入してメスを入れ、さらには、このような活動がキリスト教界全体に必要不可欠なものであるとみなし、他の牧師もこれを行なうのが当然であるとまで述べるのである。



2-7.強制力を用いて人の心を矯正しようとする村上密氏の活動は、平和な福音伝道によって人々にキリストの救いを宣べ伝え、自主的な回心を促すことを第一とする牧師の本来的な使命から逸脱している

だが、牧師の主たる活動とは、救いを知らない人々の魂をキリストの福音に導くことにあって、しかも、その魂の救いとは、人が自主的に悔い改めてキリストの救いを信じて受けとることによるのであり、裁判等を通してキリスト教界の不祥事を告発することで、信者に無理やり懺悔を促したり、カルトから信者を奪還しようとして強制的に信者を拉致するなどして他宗教に闘いを挑むことにはないことは明らかである。
 
そこで、こうした村上密氏の活動は、福音伝道という牧師の本来的な使命から逸脱しており、牧師の従来の正常な牧会活動のあり方を否定するものであり、しかも、教団や教会に属していながら、キリスト教界内部の規則に則らずに、この世の強制力によって、キリスト教内部の問題解決を目指している点で、他教会の内政への不当な干渉であり、牧師としての越権行為に過ぎないものであると断言できる。

このように、村上氏が、キリスト教の牧師の本来的な牧会活動のあり方から大きく外れて、絶え間ない政治闘争のような争いを己の主たる活動とし、「弱者救済」を旗印に掲げながらも、実際には、弱者ではなく強者、しかも、信仰を持たない「世間」の目線に立って、強者の利益を確保するために、カルト化問題を訴えて来たこと、また、同氏が常にキリスト教界内の規則にのっとらず、この世の司法などの力にものを言わせて、カルト化問題を解決しようとして、越権行為を繰り返して来たその手法は、約十四年前に起きて今日に至るまで続いている鳴尾教会に対する同氏の干渉にも共通して見られる。鳴尾教会の事件は、村上氏による教会内規則を踏み越えた越権行為としての「カルト狩り」や「異端審問」の走りだったとみなすことも可能である。
 



2-8.自己目的化した村上密氏の活動 カルトとの闘いを続行するために、自ら敵を作り出す


 村上氏の越権行為は、同氏の唱えたカルト監視機構という構想についてもあてはまる。

筆者の警告記事の影響もあったのか、村上密氏のカルト監視機構はキリスト教界からの関係者からの反対も大きく、ネガティブなイメージが定着し、今日に至るまで設立されることはなかった。だが、村上氏は自らの構想に宗教界からのお墨付きが得られるまで座して待つようなことはせず、それまでに自身が率いて来た「カルト被害者救済活動」の支持者を集めて、誰からの認可もないままに、早々とインターネット上に自分たちに都合のよい言論空間を作り上げ、そこで「疑わしい」教会の摘発や、「望ましくない」反対者らへの弾劾に乗り出して行った。

村上氏の活動は、ここでも全く非合法、非公認、非公式なものであり、同氏がインターネット上に組織したものは、カルト化問題について、信者を集めて客観的に話し合う場ではなく、むしろ、プロテスタントの信者ではない部外者たちを積極的に動員して、キリスト教界の不祥事を公表し、キリスト教に関するネガティヴな「世論作り」、「空気作り」を行なうための印象操作の場であった。

明らかに村上氏の意向を受けて、村上氏にとって都合の良い記事を発表するために、村上密氏のカルト被害者救済活動を支持するカトリックの信者とも言われる杉本徳久氏を中心に、そのほとんどが烏合の衆のような身元不明・匿名のネットユーザーから成るインターネット版カルト監視機構と呼ぶべき集団が出来た。そして、こうした烏合の衆のような人々が集まって、何の権限にも基づかず、あたかも世間代表、識者代表のような仮面をつけて、インターネット上でキリスト教界の不祥事を次々告発し、関係者へのバッシングを行ない、キリスト教界に関するネガティヴなイメージづくりに日夜、積極的に励んだのである。

こうした事実を振り返るならば、村上密氏の活動は、一種のマッチポンプと呼ぶべきものであったことが分かる。片方では、杉本徳久氏のような支持者を積極的に利用して、キリスト教界のイメージダウンを狙う弾劾記事を次々発表させた上で、「このようなひどい出来事が起きて世間を騒がせているのだから、キリスト教界の倫理低下とカルト化問題を解決するために、我々は行動を起こさねばならない」と提唱して、自分がカルト問題の有識者として登場するのである。だが、誰よりもキリスト教界のイメージダウンをもたらしたのは、キリスト教界の不祥事を暴くことだけを生業として活動して来た村上密氏や杉本徳久氏のような人々なのである。
 
村上氏がキリスト教界の不祥事にインターネット上で警鐘を鳴らすために利用したのが、そのほとんどが信仰を持たない身元も定かでない部外者でしかないネットユーザーであったことを見ても、同氏の目的が、聖書に基づく信仰についての健全な議論ではなく、まずはキリスト教界を糾弾することを歓迎し、是認するような「世論作り」であったことが分かる。同氏は、キリスト教に関するネガティヴな批判を自身のブログや支持者のブログを通して積極的に発表した上で、自分はこうした「世論」の後押しを受けて、悪しき問題の是正のために行動しているのであり、それゆえ、自分の活動は社会の利益にかなったことなのだという印象を自ら作り出そうとしたのである。

確かに、そのようにして発表された中には、キリスト教界に実際に起きていた不祥事もあったものと思うが、彼らの活動が、絶え間なく「カルトの疑いのある教会や牧師」といった仮想敵を必要とする性質上、その活動は、次第に、捏造してでも良いから、キリスト教界に不祥事を作り出そうと、事実から遠くかけ離れた自作自演劇のようなものとなって行った。

信仰の問題についての議論を、教義さえも満足に知らない不信者のネットユーザーらの手に委ねれば、何が起きるかは誰でも容易に想像がつく。身元も不確かなネットユーザーを盛んに利用したネット上の議論では、暗闇の中で、真偽のほども分からない質の悪い情報が飛び交い、自称「被害者」や、なりすましも現れて、行き過ぎたバッシングが横行し、事実から遠くかけ離れた「魔女狩り」としか言えない荒唐無稽な「異端審問」が過激化して行った。

こうして、村上氏の意向に沿って、村上氏に都合の良い言説や批判を並べる無数の身元不明のネットユーザーから成る、インターネット版カルト監視機構とでも呼ぶべき、ネット暴民のような非合法の集団が暴走し、杉本氏や、村上氏らの活動を理解しない人々や、それに対する反対者を吊し上げる目的で、魔女狩りのようなバッシングが行われた。「キリスト教界のカルト化問題の解決を目指す」とする彼らの目的とは裏腹に、その活動によっては、カルト化問題は何ら解決されるどころか、より一層のひどい混乱がキリスト教界にもたらされただけであったが、それでも、その行き過ぎたバッシングと混乱は、キリスト教界のイメージダウンという世論作りを行なう上では、彼らの目的にかなったものであり、織り込み済みの結果であったと見られる。何しろ、キリスト教界の疑わしい事件が次々発表されて、カルト化の疑いのある教会や牧師や信者という仮想敵が増え、キリスト教界の印象が悪くなればなるほど、カルト救済活動の指導者らの出番は増えるからである。

こうして見ると、村上氏が目指していたのは、初めから、きちんと裏づけの取れた真実の情報だけを発表して、誤った教えに警戒を呼びかけ、キリスト教界の信者らを聖書に基づく正しい信仰生活に立ち戻らせることにはなく、むしろ、暴力的とも言える威嚇的なバッシングによって、キリスト教界に起きる不祥事を次々と暴くことにより、キリスト教界そのもののイメージを低下させ、信者らを怯えさせて自由な議論を封じ込め、インターネット世論を占領し、教界全体に関する世論を自らの手中におさめて情報統制した上で、自分自身はあたかも腐敗したキリスト教界を是正する正義の味方や救済者のように登場し、そのような自己イメージを定着させていくことにあったものと見られる。

つまり、ネット上でのこうした活動はみな、村上氏とその活動の支持者らがインターネットの世論を独占して信者らを委縮させて情報統制し、キリスト教界のイメージダウンを成し遂げた上で、自分たちの活動を正当化し、信教の自由を取り締まり、キリスト教界に懲罰を加えるために、キリスト教界内の権力を掌握する目的で行われた威嚇行為としての自己流の「異端審問」であり、「恐怖政治」だったのである。

村上氏がインターネット上の記事や、裁判などの場面で、支持者を利用して行ってきた自己流の「異端審問」は、それ自体が、キリスト教界に対する威嚇であり、信者を黙らせるための恫喝であり、同時に、信者の自由な信仰生活の否定であり、同氏が教界内権力を掌握するための手段であったと見るのがふさわしい。
 
村上密氏のカルト退治は、自らの活動の需要がなくならないために、ついには自ら積極的に敵を作り出すというところまで行き着いた。これでは到底、同氏はザビエルの「負の」活動を批判できる立場にはないと言える。



2-9.アンチカルトはカルトと同一である 政敵と同化した村上密氏の活動
 
結論を述べると、上記したように、国際勝共連合の主張に危惧されたのと全く同じことが、村上氏の活動にも実際に起こったのである。国際勝共連合の提唱していたスパイ防止法の制定や、核武装が肯定されれば、「共産主義の脅威に立ち向かう」ことを口実として、やがて国家の武装それ自体が目的となり、飽くことない権力への渇望が生まれ、その結果、異常に肥大した軍部や秘密警察による諜報活動が生まれ、やがてはそれが自国民への容赦のない弾圧につながって行く危険性があると危惧されたのと全く同じように、「カルトに立ち向かう」ことを旗印に掲げた村上密氏の活動は、いつの間にか、その活動自体が自己目的化し、無実の信者を貶めてでも、カルトという政敵をでっちあげることによって、カルトとの戦いを終わりなきものとし、それによって同氏が無限に手柄を築き上げるための土壌を作ることが目的となった。キリスト教界のイメージを貶めて、この問題を是正するために、キリスト教を監視し、取り締まる必要があると唱えることにより、同氏は、教界を超える権力を掌握するための手段を自ら作り出して行ったのである。

「弱者救済」や「カルト化問題の解決」といった美名は、実際には、同氏による教界内権力掌握の口実として利用されたに過ぎない。

こうして、記事「行き詰まりの打開は方策でなく、心の改革が根本である」にも書いたように、魔物と闘っている者が、魔物の手法を取り入れることにより、自分自身が魔物と一体化するという現象が起きたのである。

魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているものである。 「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」


2-10.キリスト教界で回復されなければならないのは、人間の利益ではなく、神の利益である

確かに、キリスト教界の不祥事それ自体はあってはならないことであるにせよ、果たして、その是正を訴えるにあたり、一体、何を損失としてとらえ、誰の利益を確保する観点から活動するのかという点は、極めて重要である。
 
村上密氏の活動に一貫して見られるのは、同氏が神の利益を回復すること、信者の利益を確保することではなく、むしろ、不信者の利益を確保するために、不信者の目線(世間の目線)に立って、不信者の意見を代弁して、信者の信教の自由そのものを否定しながら活動して来たという特徴である。

同氏の理屈によると、キリスト教界のカルト化問題が解決されなくてはならない第一の理由は、キリスト教界が聖書から逸れたために、真理が損なわれ、神の利益が損なわれ、神が悲しんでおられるためではなく、むしろ、カルト化問題の犠牲になったゆえに、人間に過ぎない被害者たちの利益が損なわれ、被害者が悲しんでいるためであり、さらにはキリスト教界の倫理低下によって、信仰を持たない世間でキリスト教のイメージが低下し、信者が不信者(世間)の恥となり、世間に迷惑をかけているからなのである。

このことを見れば、村上氏が信仰そのものに対してどれほど理解のない態度を取っており、神の願いという観点から物事を見ず、人間の利益の観点、しかも、不信者の利益を中心に物事を見ているかがよく分かる。同氏がいかに聖書の価値観とは相いれない、この世の価値判断を基準として、常に問題解決を行なおうとして来たかその様子がよく理解できるのである。

つまり、村上氏は、一人の信仰者として、人の内心の自由で自主的な信仰生活を尊重しながら、聖書の真理の回復、神の利益の回復を目指しているのではなく、キリスト教を単なる手段として利用しながら、その実、信仰を持たず、神を知らない生まれながらの人間の利益を代弁して、不信者の利益の回復を目指しているのである。これはクリスチャンの自然なものの考え方ではない。

すでに前項でも確認した通り、信仰によらない、生まれながらの人間の道徳観や正義感は、どれほど人間の目に良いものに見えても、むしろ、聖書の唱える神の義には悪質に逆らうものなのであり、そのような方法で、人間社会の抱える問題を解決しようと試みれば、より問題を深化させるだけである。そのことは、キリスト者であれば誰しも理解していることである。
  
そればかりか、生まれながらの人間が、キリストの十字架の贖いによらず、生まれながらの知恵によって他者を救済したり、あるいは自己を正義として、神に代わって他者を裁こうとすることは、自ら神となって全宗教に君臨することと同じであるから、それは反キリストの悪魔的欲望でしかない。このような方法を用いれば、キリスト教界にますます問題を引き起こすだけでなく、やがてはキリストへの信仰そのものに敵対することになり、聖書の神そのものに敵対することにならざるを得ない。
  
村上氏の聖書に基づかない、信仰によらない活動は、結局のところ、宗教界全体を敵に回すものであり、ひいては、信仰そのもの、神そのものを仮想敵としていると言って過言ではない。村上氏が疑惑の眼差しを向け、取り締まり、撲滅しようとしているのは、あれやこれやのカルトではなく、もはや神を信じる信仰そのものなのである。

<続く>