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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

この世を無罪放免しながらキリスト教徒を断罪する村上密氏と杉本徳久氏の活動の危険➀

(これはホームページに掲載する予定の論考の一部です。)

大いなるバビロンからの脱却 反キリストの原則の明確な発展
――カルト被害者救済活動の暴走――
~この世の原則を聖書の原則よりも上位に置いてキリスト教を貶める
村上密牧師と杉本徳久氏の思想と活動の危険性について~


 
<追記>
 2018年2月に、村上密率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事等を参照。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実


 1.キリスト教のイメージを貶める一方で、神社の政治イデオロギーの危険には口を閉ざし、聖書に立脚して異端を識別するための真の霊的戦いの必要性を無視する村上密氏の活動の危険

前述の記事「東洋思想とは何か。その柱は何を再建しようとしているのか」においては、明治憲法時代に逆戻りし、戦前の軍国主義・国家主義・国家神道を復活させようとの狙いのもと、神社本庁が主導して行っている危険な改憲運動について触れた。

今や神社が七五三などの場面で利用される平和で世俗化した宗教団体ではなくなり、こうした過激かつ危険な政治運動に手を染めて、我々クリスチャンの信じる神への敵対行為を行う砦のようになっている事実を見るときに、これまで当ブログにおいて再三に渡り、その活動の危険性を指摘して来たアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密氏が昨年に行った「神社への油まき事件」についての告発と記者会見(クリスチャン・トゥデイ記事)も、改めて違う角度から見えて来るのである。

村上密氏はこれまで「キリスト教界のカルト化の危険」を声高に訴え、支持者らと共に、キリスト教界における不祥事を次々と世間に発表しては、その是正の必要性があることを訴え、これを口実に、自ら「カルト化の疑いがある」とみなしたクリスチャンを次々と法廷に訴え出ては、訴訟沙汰に巻き込んでいくことによって、キリスト教界の混乱とイメージダウンに貢献して来た。

筆者は、こうした法廷闘争などのこの世の争いを主要な舞台とする村上密氏による「カルトとの闘争」が、従来の平和的な福音伝道を中心とするプロテスタントの牧師活動から逸脱したものであるとみなし、こうした活動が、キリスト教界のカルト化問題の解決に役立つものとは一切考えていない。そのことは、最近の記事「悪魔の見果てぬ夢としての「カルト監視機構」、「村上密牧師による自己流の「異端審問」」等でも詳しく記して来た通りである。
 
まず、平和な福音伝道という牧師の本来的な使命から大幅に逸れている点で、村上氏の活動は、到底、正常なクリスチャンとしての信仰に基づくものとは言えない。また、聖書的な観点から見ても、この世の司法や警察という世俗の権力の力を借りて異端を取り締まる活動は、この世の権力を教会の内政よりも上位に置くことを意味し、それは結局、この世の堕落した悪魔的な統治を神の御霊による霊的統治以上に高く掲げることであるから、聖書の秩序を転倒させる行為であり、その点で、反聖書的であるばかりか、悪魔的な思想に基づくものであると言って差し支えない。

こうした村上氏の活動は、キリスト教界全体を泥沼の法廷闘争と行き過ぎた異端審問に巻き込み、恐怖政治を生むことはあっても、同氏が唱えているような、カルト化問題に対する解決をもたらすことは決してできない。このことについては、当ブログでは記事「カルト監視機構」という名の秘密警察の設立について」を通して、実に早い段階から警告して来た通りである。

キリスト教界のカルト化を解決する糸口は、クリスチャンが聖書に立ち戻り、キリストの十字架を原点として、聖書にそぐわない異端の教えを自ら識別して退ける判断力を持つことにしかない。そこで、村上氏の法廷闘争は、キリスト教界のカルト化問題を解決するには完全に無力であり、キリスト教界により深い混乱をもたらす源となるだけでなく、これはただ同氏がキリスト教界において権力を握るための政治闘争の手段に過ぎず、クリスチャンをますます聖書から遠ざけて、人間に権力を集中して行く危険な活動である。この問題についてはすでに記事「「キリストの十字架以外に救いはない」や、論稿「 罪と罰 カルト被害者救済活動はなぜ聖書に反しているのか。」においても詳しく警告しているのでそちらを参照されたい。

また、村上密牧師がどういう人物であるかを判断するに当たっても、同氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中で行って来た信頼できない不透明な活動について、以下の記事にまとめているので参照されたい。「 村上密牧師による鳴尾教会への不当な介入問題 まとめ
   
さて、名は体を表すとはよく言ったもので、世間を騒がせた「神社への油まき事件」に関しても、この事件を引き起こした男が韓国系のキリスト教の伝道者であることを警察に率先して情報提供した(=密告した)のは村上密氏であり、同氏は自らそのことを隠し立てなく自身のブログ記事で告白している

むろん、これまでにも「カルト化の疑いがある」とみなした牧師や信徒を次々と法廷に訴え出ることを辞さなかった同氏のことであるから、こうした行為も、公共の秩序維持、社会の安寧のために正義感から行ったという認識しかなく、「危険人物を当局に率先して売り渡した」という後ろめたさなど微塵も感じてはいないことだろう。

誤解のないように言っておけば、筆者は、この油まき事件を引き起こした人物を擁護するためにこの記事を書いているわけではない。いかにキリスト教信仰に熱心な人間であっても、神社の境内に油をまいたり、他宗教に対して攻撃的な活動に走ることは、容認されるべきではないと考えている。そのような過激で自己本位な活動が正常なキリスト教の信仰に基づくものであるとも考えていないし、そんな過激な行動を伴う「霊の戦い」が正常な信仰生活であると言うつもりもない。

だが、この事件に関しては、それとは別の文脈で注目しなければならないことがある。

それは、村上密氏がこれまで「キリスト教のカルト化の危険」を声高に訴え、キリスト教の内部で起きた不祥事を大々的に世間に公表することによって、これを自身がカルト化問題の専門家として脚光を浴びる機会として来ただけでなく、キリスト教の世間でのイメージを著しく低下させることによって、「カルト対策」という自分自身のライフワークの需要を自ら作り出して来たことである。

従って、この「神社への油まき事件」も、村上密氏にとっては、自らの続行する「カルトとの闘い」が世間で脚光を浴びるための最適の機会となったのであり、同氏がキリスト教の浄化が必要であると訴えて自らの活動の需要を世間にアピールするための絶好のチャンスとなったのである。
  
こうした村上密氏の活動には、クリスチャンが決して見落としてはならない巨大な盲点、落とし穴が存在する。
 
村上氏は、神社へ油をまいたキリスト教徒の活動だけを危険なものとして取り上げて、「キリスト教界のカルト化の危機」を声高に訴える一方で、神社はただその被害者であるという文脈で、神社の唱える信仰そのものの反聖書的な危険性という問題と、神社の主導する国家神道の復活という危険な政治イデオロギーに基づく活動の危険性には全く口を閉ざしている。

同氏はこれまで常に「キリスト教の行き過ぎた霊の戦い」の愚かさと危険性だけを強調することによって、キリスト教において「霊の戦い」という名で呼ばれるすべての活動が、何かとんでもなく狭量で偏見に満ちた、馬鹿馬鹿しく荒唐無稽な概念であるかのような印象を読者に抱かせようとして来た。その一方で、聖書に立脚した真の「霊的戦い」が確かに存在するという事実や、信者が聖書に基づいて正統な信仰と異端思想を鋭く識別して、誤った思想を退ける必要性を覆い隠そうとして来たのである。

聖書は「霊の戦い」そのものが存在していないとは全く言っていない。パウロは書いている。

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ちむ悪ことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。…」(エペソ6:10-13)
 
聖書は、キリスト者には「血肉」に対するものではない、目に見えない霊の領域における戦い、すなわち、「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対する戦い」が確かに存在することを教えている。そして、信者がこの霊的戦いに勝ち抜くための武器が、聖書の御言葉であることも教えている。
 
「霊の戦い」とは、筆者の言葉で説明するならば、目に見えない霊的領域における激しい霊的・思想的論戦である。聖書によれば、キリストの御霊が存在するように、悪霊というものも存在するが、クリスチャンには悪霊そのものを根絶することはできない。従って、クリスチャンが「霊の戦い」においてしなければならないことは、悪霊そのものを根絶しようとすることではなく、悪霊から来る思想を見分け、これを受け入れずに退け、その嘘に欺かれて悪魔の吹き込む虚偽を信じないことである。

当ブログではこれまで幾度となく指摘して来たことであるが、霊の戦いとは、キリストの御霊に属する思想と、これに反する敵の吹き込む思想とを信者が厳粛に区別し、敵の偽りを見破り、退けるための論戦なのである。

人の行動の背景にはすべてそれなりの動機があり、その動機を作り出しているのは、その人の思想や信念である。一人の人間の言動をじっくり観察すれば、その人がどのような信念の持ち主であるかが分かるであろう。そして、その信念が聖書に立脚したものであるかどうかをつぶさに調べることによって、信者は、その人がやがて行き着こうとしている人生の目的も客観的に理解することができるのである。

すなわち、人を導いているものは、その人の持つ霊的・思想的信念なのであり、一方には、聖書の御言葉に立脚したキリストの御霊から来る思想があれば、他方では、悪霊に属する思想がある。そして、悪霊の思想は、必ず、聖書の御言葉を毀損し、歪曲し、御言葉の信用を貶めるという特徴がある。
 
さらに、当ブログでこれまでずっと分析を重ねて来たように、悪霊の思想である異端思想には、太古から現在に至るまで共通する特徴があり、共通する思想的な原型が存在するのである。
 
異端思想の根幹は、神が唯一であることを否定し、神と人とが罪によって断絶していることを否定し、神と人との交わりを回復するためのキリストの十字架の贖いを否定することである。

クリスチャンは、日々、聖書の御言葉だけに堅く立って、これに反する全ての思想を識別して退け、受け入れないように気をつけねばならない。実際に、暗闇の勢力による欺きは日々行なわれているのであり、信者が注意深い識別力を持って、何が聖書にそぐわない思想であるかを識別し、これを排除するために目を覚まして警戒することがなければ、暗闇の勢力の策略を見抜くことはできず、欺かれて翻弄され、貴重な時間と労力をむなしく失うだけであろう。
 
従って、霊の戦いとは具体的に何かと言えば、それは何か超能力のようなものによって普通の人には見えないお化けのような幻影を見いだしてそれと戦ような愚かしい闘いを意味せず、また、いわゆる「悪霊退散」などのように、お化けを撃退したり根絶することを意味せず、また、キリスト教に属さない他宗教をのべつまくなしに敵視してこれを根絶しようとする愚劣な闘争をも意味せず、それは、クリスチャンが聖書の御言葉を武器として、様々な影響力となって信者のもとにやって来る敵(暗闇の勢力)の吹き込む目に見えない様々な霊的思想を識別し、何が聖書に忠実である正しい思想かを見分け、敵の虚偽を見分けて退け、真理だけに立脚して生きるための絶え間ない論戦なのである。
 
つまり、霊の戦いとは、すなわち、聖書の御言葉を曲げようとする異端思想との闘いなのであり、それは激しい論戦である。この論戦の重要性は、キリスト教の初期の歴史に存在したいくつもの公会議や、霊的先人による異端反駁などを思い出すだけで十分に理解できよう。しかし、その戦いは、異端者を火刑にしたり、残酷な処罰を行うといった外的強制力によって成し遂げられるものではなく、異端思想とは何かという、偽りの思想の骨子を明らかにし、偽りが偽りである所以を聖書に照らし合わせて明らかに証明することにより、何が正統な信仰であり、何が異端であるかを識別し、偽りを退けて、正統な信仰を守り、継承する作業なのである。

この識別は、聖書が実際に奨励していることである。

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしない。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」(Ⅰヨハネ4:1-3)

すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(Ⅰテサロニケ5:21)
 
上記の御言葉は、反キリストの霊というものが確かに存在しており、反キリストの告白する思想というものが実際にあることをクリスチャンに教えている。そして、クリスチャンが敵の霊を見分けるポイントが、その霊の告白する思想の内容にあることをも明確に教えている。つまり、ある霊の告白する思想が、神の御子キリストの十字架に対して、どのような立場を取っているかが、大きな見分けのポイントになるのである。
  
信者は、自分のもとに人や出来事を通してやって来る霊の述べる思想の内容を吟味して、「敵の霊を見分ける」ことをせねばならないのである。しかし、信者にもたらされる悪霊の影響力は、必ずしも、人の述べる思想や言動だけにはとどまらない。信者の日常生活に起きるすべての出来事によっても、信者の心に何らかの影響が及ぼされるのであり、環境によって引き起こされる影響力も、同じように吟味の対象とならなければならない。信者の日常生活には、暗闇の勢力が及ぼす事件というものも確かに存在するからである。

もし何の霊的識別の努力もしなければ、信者は、ただ暗闇の勢力の引き起こした事件によって翻弄され、悲しみのどん底や、落胆や、失意に追いやられ、絶望感、罪悪感、自己憐憫などの感情を吹き込まれ、神がキリストの十字架において信者のためにすべてを達成されたという聖書の事実から逸れて行き、この事実に基づいて信者はすでにすべての災いから救い出されているのであり、罪からも清められ、キリストにあって、あらゆる問題の解決をすでに得ているのだという事実を簡単に忘れてしまうであろう。

こうして、聖書の御言葉だけに堅く立って、御言葉に合致しない全ての影響力を退け、キリストの十字架を通して信者に与えられている特権としての義や、自由といった権利を守り抜くための絶え間ない戦い――思想的・霊的論戦こそが、クリスチャン生活の真の意味での「霊の戦い」なのである。

しかし、村上氏は、「キリスト教のカルト化問題」を取り上げる際、キリスト教界に起きている諸問題が、信者が聖書から逸れたために、すなわち、御言葉に合致しない敵(暗闇の勢力)の欺きを受け入れてしまったがために起きたものとして、信者に聖書に立ち戻ることを促すのではなく、むしろ、こうした問題が、あたかもクリスチャンがあまりにも聖書の御言葉だけにこだわりすぎて、「二元論思考」に陥ったために起きたものであり、まるでキリスト教そのものが、こうした問題を引き起こす原因を抱えているかのように描き出すのである。

こうして、村上氏は「キリスト教界における行き過ぎた愚かで過激な活動」が、まるでキリスト教そのものに原因があって起きているものであるかのように、キリスト教界やクリスチャンを糾弾し、巧みにキリスト教そのものの信用やイメージを貶める一方で、信者が実際に闘いぬかねばならない真の「霊の戦い」があることや、信者が聖書にそぐわないあらゆる欺きを鋭く見分けて、これを退けながら、実際に「霊の戦い」を闘いぬいて勝利し、御言葉に基づく信仰を堅く守る必要性を覆い隠してしまうのである。
  
「神社への油まき事件」も含めて、村上氏は、クリスチャンの恥ずべき過ちだけを盛んに取り上げることにより、キリスト教における神と悪魔、光と闇、天と地、霊と肉、新創造と旧創造、等々の「切り分け」や「二分」そのものが、何か非常に疑わしい、行き過ぎてカルト的な思考であり、非常識で誤った「二元論的思考」であるかのような印象を人々に抱かせようとするのである。
  
村上氏はキリスト教界に起きた誤った事件ばかりを取り上げることによって、クリスチャンが聖書に照らし合わせて何が正しく、何が間違っているのかを自ら識別して判断する必要性を覆い隠し、むしろ、そうした識別・区別の作業自体が、クリスチャンの独善的で、狭量で、独りよがりな間違った思い込みであるかのような印象を読者に抱かせるのである。

村上氏が「キリスト教における行き過ぎた霊の戦い」の馬鹿馬鹿しさだけを強調すればするほど、クリスチャンは、信者として自分が本来持っていなければならないはずの聖書への忠実さ、貞潔さ、正常な警戒心や、識別作業までが、まるで必要のない潔癖症か、あるいは、信者の高慢さや狭量さや偏見に由来する行き過ぎた態度であるかのように思わされ、これを自己反省して改めなければならないようなプレッシャーを感じさせられるのである。

こうして同氏は、非常に巧妙な形で、聖書における十字架の切り分けや、神の霊に属するものとそうでないものとの絶対的な区別(聖書の持つ「二分性」)そのものを、あたかも実在しない想像の産物や、クリスチャンの歪んだカルト的な思考の産物であるかのように描き出し、聖書の御言葉の真実性そのものを疑うように信者に仕向けて行こうとする

その一つの証拠として、村上氏は、「油まき事件」以後、同氏のブログを読んでクリスチャンから寄せられたというキリスト教特有の「二元論的思考の誤り」に関する信者の反省文を、得意げに自らのブログ記事でいくも披露している

むろん、そこに記載されている行動は、確かに、筆者の目から見ても、正しい「霊の戦い」とは言えない。しかしながら問題は、村上氏が常にこうした誤った事例の愚かしさばかりを強調することにより、聖書の神こそが、まことのただお一人の神であり、これを否定する思想がいかに危険であり、信者がいかに目を覚まして聖書を歪曲する思想の誤りに気づいて偽りを退ける作業が重要であるかという点に触れようとしない点である。

特に、クリスチャンを名乗り、プロテスタントの牧師であるはずの村上密氏が、キリスト教の不祥事だけを一方的に取り上げてクリスチャンを叩くことはしても、唯一の神を否定して「八百万の神」を唱える東洋思想に基づく神社の信仰の危険性、また、神社本庁が主導する軍国主義・国家主義・国家神道の復活へ向けての改憲を促す政治活動の著しい危険性という極めて差し迫って重要な問題について、全く触れようとしないことは不気味でさえある。
 
同氏は、こうして「この世の思想」の危険については完全に沈黙しながら、他方では、行き過ぎに陥ったクリスチャンの反省文を公然と掲げることにより、この世の思想の前に、クリスチャンをひれ伏させて、懺悔と自己反省を迫るのである。そして、クリスチャンが聖書に基づいてこの世(神社も含む)の思想の誤りを指摘して糾弾するなど、無礼千万な思い上がりに過ぎず、信者が聖書に基づいて偽りの思想を糾弾して退けようとする行為自体が、愚かで非常識な偏見に基づく寛容さの欠如であり、無用で行き過ぎたカルト的思考であるかのような印象を醸し出そうとするのである。
  
このようにして、キリスト教だけを断罪しながら、巧みに世の霊に寄り添うのが、村上氏の活動の常なる特徴である。同氏は、キリスト教界に起きた不祥事ばかりを一方的に取り上げて糾弾することによって、いつの間にか、まるで聖書に立脚したものの見方そのものが、過激で行き過ぎた危険な思想であるかのような印象を世間に抱かせ、かつ、キリスト教や聖書そのものに、何かこうした行き過ぎを生み出す源となるものがあるかのように思わせ、あたかもキリスト教が大変、危険な宗教であるかのように世間に思わせようとする一方で、神社の信仰や政治思想のようなものには一切、批判を加えないのである。

同氏の活動は、常にこうしてこの世の不信者の間で空気のように蔓延している反聖書的な思想の危険性についてはほとんど完全に口を閉ざしながら、キリスト教界の不祥事だけを大々的に取り上げることによって、キリスト教が危険な宗教であるかのように世間に思わせることに貢献して来た。また、この世の圧倒的大多数である不信者の世論を味方につけて、この世のマジョリティの力にものを言わせて、日本の人口においては1%程度のマイノリティであるクリスチャンを断罪し、自己反省を促し、懺悔を迫るという形を取って来た。

(ちなみに、クリスチャン人口が約6%にまで上昇したという記事(クリスチャン・トゥデイ)もあるが、いずれにしても日本の全人口においてクリスチャンが圧倒的マイノリティであることに大差はないと言えるだろう。)
 
このようにして同氏は、自らの非難の対象をほとんどキリスト教(と明らかにキリスト教の異端と分かっているもの)だけに絞り込むことによって、自ら牧師であるにも関わらず、キリスト教のイメージを貶めることに貢献して来た。そして、「この世」に蔓延している反聖書的思想の危険性は非難することもなく無罪放免するばかりか、むしろ、この世が「キリスト教の被害者」であるかのように主張して、この世の常識によってキリスト教界に起きた事件を裁き、この世の司法などの強制力を通してキリスト教に強制介入し、聖書の御言葉よりも、この世の常識を上位に据えて、この世の力によって教会を裁くことを正当化しようとして来た。

最終的には、同氏の活動は、聖書の御言葉に基づく信仰自体が、何かしら「過激なとんでもないもの」であり、「二元論的でカルト的な誤った思考」であり、キリスト教や聖書そのものが「カルト思想」を生む源であるかのような印象を人々に与えることにより、聖書の御言葉の真実性を毀損し、聖書の御言葉に忠実であろうとする信者の信仰を「カルト的な行き過ぎ」であると断罪し、そのような「行き過ぎ」に陥らないために、「キリスト教を監視する必要性」まで訴えるのである。
 
こうして、村上氏がキリスト教に起きた不祥事を奇禍として、キリスト教界において権力を掌握してこれを取り締まりの対象としようとしているだけでなく、クリスチャンが何が正しくて何が間違っているかをはかるためのものさしを、巧妙に「聖書」から「この世の常識」にすりかえ、キリスト教の行き過ぎだけを断罪しながら、他方で「この世」の誤った思想の危険性を無罪放免することにより、結局、「聖書の御言葉」よりも、「この世の常識」を上位に置こうとしていることに注意が必要である。

このような文脈で見ると、村上密氏が「神社への油まき事件」に関して行った記者会見は、これまで世間でとらえられていたのとは全く違った文脈で理解されるのである。すなわち、同氏はこの事件を通して、クリスチャンがまたしても神社に対して過ちを犯して「世間に迷惑をかけ」、キリスト教がまたもや過激な行き過ぎに陥って世間に対して「罪を犯している」かのような印象を与えることで、まるで先手を打って、神社本庁が主導する危険な改憲運動や、国家神道の復活といった反聖書的なイデオロギーのはかりしれない危険性について、クリスチャンが聖書に立脚して非難することが、より難しくなるように道を整えようとしているかのようである。
 
このような点で、村上氏の活動は、決して聖書の御言葉に立脚したキリスト教の信仰に基づいて生まれたものとは言えず、むしろ、同氏のすべての活動は、徹底的に信者ではなく、この世の不信者の目線に立ってなされたものである。同氏が牧師であるからと言って、キリスト教的な観点から活動しているのだと思い込むことはできない。むしろ、同氏は、この世を非難することもなく無罪放免し、クリスチャンだけに懺悔を迫ることによって、キリスト教そのものが危険な宗教であるかのように描き出し、結局は、キリスト教そのものと、聖書の御言葉の信用を貶めることに貢献しているのだと気づくべきである。

このような活動は、聖書の御言葉の信用を巧妙に貶めるものである点で、反キリストの霊とこの世の利益に積極的に貢献するものだと言える。

村上密氏による「カルトとの闘い」が、常にこうして信者の側ではなく、むしろ、信仰を持たないこの世の人々の側に立って、この世の価値観を基準として、この世の人々を利するために行われて来たことに注意が必要である。
 
当ブログでこれまで取り上げたいかなる事件においても、同氏は、徹頭徹尾、「勝ち馬に乗る」ことを目指すかのように、この世の「強者」に歩調を合わせ、この世の「強者」の利益を代弁すべく行動することはしても、声を上げることもできない「弱者」である信者の心の必要性をくみ上げ、これを代弁して行動することはなかった。

それは、同氏が初期に行った統一教会等に入信した信者らを、親族らの要請に基いて、拉致監禁という信者の人権侵害を伴う形で強制的に脱会させては「救出」していた頃から見られる特徴であり、また、鳴尾教会において、村上氏が教団や教会の規則を無視して不法に行なった介入と、その結果としての伝道師らの鳴尾からの追放という事件においても共通して見られた。

前者の拉致監禁を伴う「救出」活動においては、村上氏は、信仰を持たない人々の観点に立って、カルトに入信した信者の内心を容赦なく踏みにじり、強制的に過ちを認めさせて棄教を迫ったのであり、後者の鳴尾教会で起きた事件においては、同氏は最初から最後まで、自分の義理の父であり、当時、鳴尾教会の主監者であった津村氏という「強者」に味方して、弱者の立場にあった伝道師らの訴えを容赦なく見殺しにしたのである。

さらに、鳴尾教会がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団から離脱の決定を下した際にも、村上氏は教会へのスラップ訴訟に及んでまで、これを阻止しようとしたが、これもまた、同氏が弱い立場にある教会に対して、教団という権力側に立って威圧的に振る舞ったことを意味する。

村上氏があらゆる宗教のカルト化を監視する必要があるとして提唱した「カルト監視機構」も、そのメンバーはクリスチャンに限定されたものではなく、この世の有識者、あるいはキリスト教以外の他宗教の信者から成るものであった。 
  
こうして、キリスト教界のカルト化問題を監視するということを口実に、同氏は、日本の人口の圧倒的大多数を占める「強者」である不信者の側に立って、1%程度の信仰者全体の信仰生活を監視し、取り締まる必要性を訴える。不信者の利益を確保するために、クリスチャンを監視・断罪・処罰・抑圧することを肯定するという極めて恐ろしい思想を提唱するのである。

こうして常にこの世の「強者」に味方しては、真の弱者の声を容赦なく圧殺し、見殺しにするという村上氏の手法は、同氏が教会のカルト化問題の解決方法として積極的に推し進めて来た裁判という手法に関してさえ、同じように観察された。キリスト教界の不祥事の犠牲になったとされるいわゆる「カルト被害者」全体の中でも、村上氏が勧めているような裁判を提起することのできる人間はほんのわずかしかいない。訴訟に至るケースは、世間を揺るがすような大がかりな不正事件の場合のみであり、ほとんどの小さな事件は、世間に公表されることもなく、被害者の泣き寝入りで終わっている。だが、そのような弱者の声なき声に対して、村上氏の活動は、何ら答えも解決をも与えるものではない。村上氏自身が、キリスト教の大々的な不祥事をきっかけに、世間で注目を集めて来たという事実を見ても、同氏が、裁判にもならず、自分にとって何の手柄にもならない小さな事件の被害者は容赦なく切り捨てて来たことがおのずと理解できるのである。
 
このように同氏が、キリスト教界の不祥事を大々的に取り上げることにより、盛んにキリスト教が世間に迷惑をかけているかのような印象を世間に与え、クリスチャンを世間に対して不利な立場に置いて、聖書の御言葉ではなく、「世間の常識」や、「この世の司法の力」をふりかざして、「世」にとって有利なように、キリスト教界に介入し、クリスチャンの信仰生活を取り締まろうとして来たことが、一体、なぜなのか、考えてみる必要がある。
 
このような特徴を見れば、結局、同氏の活動は、キリスト教そのものに敵対する運動であると言わざるを得ない。これは聖書の真理を否定し、この世の原則を聖書の御言葉以上に高く掲げて、信者の信仰生活を抑圧の対象とし、内心の自由を奪い、果てはキリスト教のみならず、あらゆる宗教をも疑いの眼差しで見て監視の対象とし、すべて神と呼ばれるものを否定して、神への信仰を否定して、自ら全宗教界に君臨するという、反キリストの欲望へと結びつくものであることは、すでに記事で訴えて来た通りである。

この点で、村上氏の活動は、キリスト教の名誉を棄損し、キリスト教の信用そのものを貶めるために行なわれるキリスト教に敵対する、キリスト教の内側からの破壊活動だと言って過言ではない。いかにキリスト教の牧師を名乗っていても、同氏が実際に目指しているのは、いわば神への信仰そのものを取り締まり、これを監視し、抑圧することであり、結局、それは神に代わって信者の内心を裁くことにより、神以上に己を高く掲げることであり、従って、それは神そのものを仮想敵とし、信仰そのものに敵対する活動だと言って差し支えないのである。

そのように見て行くと、村上氏が自分もキリスト教の牧師であるにも関わらず、なぜ「油まき事件」を通して、神社を擁護し、キリスト教の信用をより一層貶めるという結果に至っているのかも納得できるであろう。

それは同氏の活動がもともと、キリストの御霊から出ておらず、この世の霊、反キリストの霊に導かれる運動だからである。

村上氏の活動が、常に真の弱者を見殺しにする「強者の論理」に貫かれているのも、同じ理由からである。それは同氏の活動が、「叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせ」ず、「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともな」い(イザヤ42:2-3)キリストの御霊の謙虚さに基づくものではなく、むしろ、力と恐怖によって人を支配する弱肉強食のこの世の論理に基づいているためなのである。

この世の霊に導かれていればこそ、同氏は常に勝ち馬に乗ることを目指して、「強者」の利益を確保するために、「強者」の観点から物事を見、「強者の世論」と歩調を合わせて活動して来たのである。
   
同氏の活動が誰の利益になっているのかという観点から物事を見れば、同氏が神に仕えているのか、それとも、この世に仕えているのか、答えは明白であろう。
 
神社への油まき事件も、極めて愚かしい出来事であったとはいえ、それはあくまでキリスト教の一伝道者の行った活動に過ぎなかった。だが、神社の政治活動は、日本全国の神社を巻き込み、国家単位で、国家神道を大規模に復活させることを最終目的に掲げている点で、前者とはくらべものにならないほどの絶大な危険性を持つ。にも関わらず、村上密氏はキリスト教徒の誤りだけは強調しながら、後者のはかりしれない危険性を覆い隠してしまうのである。
   
村上氏が盛んに「キリスト教の霊の戦い」の愚かさを強調している真の意味についても、我々クリスチャンはよく考えてみなければならない。

もし信者一人一人が、聖書の御言葉に精通して鋭い識別力を持ち、村上氏が一体、何の霊に導かれているのかを試し、明らかにし始めるなら、村上氏にとっては大変、困った事態が持ち上がるであろう。

誰よりも同氏が、自分が何の霊に導かれているのかが明るみに出されると困るのである。それだからこそ、同氏はこの世の常識を隠れ蓑にしつつ、キリスト教における行き過ぎた不祥事や、荒唐無稽な「霊の戦い」ばかりを強調することによって、先手を打って、クリスチャンに自己反省を促し、クリスチャンが決して世の罪に気がつかず、間違っても聖書の御言葉に基づいて、この世の堕落した思想の危険性を見抜き、それを訴え、糾弾し、排除したりすることがないよう、予め阻止しているのである。

聖書の御言葉に基づく「切り分け」や「二分」そのものを、何かしらカルト的な疑わしい狭量な思考のように思わせる影響力には注意が必要である。結局、それはクリスチャンに罪を着せる一方で、堕落した「この世」の罪を無罪放免するために流布されている偽りだからである。

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村上密牧師と杉本徳久氏によるクリスチャンへの迫害および杉本徳久が刑事告訴された事実③

   ~村上密氏と杉本徳久氏の主導する「サイバーカルト監視機構」の正体~
  
<追記>
 2018年2月に、村上密率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事等を参照。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実



 4-3.杉本徳久氏の活動履歴(続)

5月2日、4月25日、30日とまた新たに杉本徳久氏から恫喝メール➀恫喝メール②恫喝メール③が来ましたが…、ゴールデンウィークにまで他人に恫喝メールを送りつけずにいられないとは何たる哀れ。平和で落ち着いた家庭人からは程遠い姿ですね…。
同氏による過去の恫喝メールはさらに公開していきますよ!


 
4日も本ブログが更新されるや否や早速、深夜にアクセス。他人に刑事告訴の予告などしている間に、自分自身が様々な罪状により訴えられないといいですね。ネット上で匿名で行ったことも必ず証拠は残るのです。自分に不都合な人間に次々提訴の脅しをかけて言論を封じようとするその姿により、今まで作り上げようとして来た弱者の味方というイメージは完全に崩れています。結局、カルトとの闘いなどほんの口実に過ぎず、クリスチャンの弾圧が真の目的であったことが明白になったのです。


5月6日
やはり自分の情報が気になる様子。掲載されたくなければ、恫喝書簡など書かなければ良かったのです。「思い上がった上に自己中心な」「市井で求められる常識からは外れた文章」を隠れた所で人に向かって延々と書き綴っていたのは誰なのか。全世界に向けて明らかになりましたね。


↓以下の三人がお仲間であることはアクセス時間帯から明白。
英語圏からの異常な訪問者を招致したのも杉本氏と考えられます…。

softbank219215163080.bbtec.net
kd119104115222.au-net.ne.jp
204.79.180.186



  
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こうやって工作仲間を連れて来るんですよね。残念ですが、まだまだこのシリーズは続きます。あなたの書いた恫喝書簡の公開と共に。


5月9日
わざわざ更新されていないコンテンツにログを残す。真正面から人に対峙できない臆病な性格がよく表れていますね…。またも長文のウェブページがまとめられるのを恐れているのでしょう。(長文どころか、論文ですよ。)いつまでも数の力にものを言わせることは無理なんですよ。自分のしたことには一人で責任を問われる日が必ず来ます。

  

5月11日
 

当ブログで私が勝利の信仰告白をすると、必ず、杉本氏は猛烈嫌がらせアクセスを集中して来るのが恒例に。もはや動物的な反応パターンと化しており、初めから予想可能。深夜3時に狂気のアクセス集中の犯罪履歴は、サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)PDFにアップロードしましたので、ご覧あれ!

こんな低次元な方法で、深夜に一人でこそこそ嫌がらせしているところを見ても、刑事告訴などできるはずがないことが明らかですねえ…。結局、大袈裟に喚き立てては周囲を脅して己の罪を隠そうとしているだけ。できもしないことを初めから宣言しなければ、自分が恥をかくこともないのに、愚かですね~。┐('~`;)┌

悪魔は「吠えたける獅子」のように人を脅しますが、その多くは実行不可能なことを吹聴しているだけで、恐れるに足りないのです。たとえ実行に移しても、より一層、自分が不利になるだけ。あるクリスチャンは言いました、「キリストを殺せば、復活という最も恐ろしい事態が起きてしまい、悪魔の最大の武器である死が打ち破られると分かっていたのに、それでも悪魔はキリストを殺さずにいられなかった。自滅と分かっていて攻撃せずにいられない。そこに悪魔のどうしようもない愚かさがある。」と。

ますます魔物との一体化が進んでいるようで、深く同情いたします。大体、キリスト教と聖書が不完全であるかのように糾弾し、聖書の神の不完全さを補って神の民が過ちを犯さないように監視し、取り締まってやろうなどという恐ろしい目的を掲げるから、反キリストの霊が降臨してこれと一体化する羽目になるんです。

どんなに表向き「弱者救済」を唱えていても、常に自分が救済者の立場に立って他者を哀れみ、人より優れて一番でなければ気が済まず、自分が批判されると報復せずにいられないという自己愛とプライドを捨て去れないところに、どうしようもない傲慢さが表れていますね。

その上、神の民を踏みにじり、教会に君臨し、神の上に立とうとするわけですから、それ以上の傲慢さはありません。

プロテスタントにつまづいた多くの人たちが、結局は、御言葉を否定して、キリスト教そのものを否定する結果に至るのです。こうして、キリスト教や教会や信徒につまずいたことをきっかけに、救いから除外されて行く、こういう哀れな元信者たちがいることについては、じっくり分析する必要があります。

偉そうに「キリスト教の病理」だの「自己愛」だのを語り、クリスチャンの批判ばかりしていると、いつこんな風に悪魔の道連れにされて神の敵となり、気づけば救いから完全に弾き出されていたという結末になりかねない。神の民は、神にとって瞳のようなものですから、これを傷つける人間に対しては、神自らが報復されるんです。

人への批判はまだ許されても、御言葉を毀損すればただ事では済みません。教会を攻撃し神の民を踏みにじり御言葉を否定する者は、決してまともな運命には終わりません。これは聖書に書いてあることで、私の個人的見解や呪いではありませんので…(「彼らの(十字架に敵対する者の)最後は滅びです。」(ピリピ3:19))。
 
softbank219215163080.bbtec.net
おや、噂をすれば影。悔い改めないと、行く末は火の池ですよ。手遅れとは思いますがね。
 



   4-4.さわやか読者の活動履歴(続)
 
(5月2日)
kd113154046021.ppp-bb.dion.ne.jp
em1-115-11-20.pool.e-mobile.ne.jp
↑福岡市久留米、もしくは大阪市
p315088-ipngn200404yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
↑沖縄、宮古島、那覇市
pw126210050044.5.kyb.panda-world.ne.jp
cc221-121-239-141.ccnw.ne.jp
↑愛知県日進市
pl1913.nas81d-3.p-fukuoka.nttpc.ne.jp

(5月3日)
p15058-ipngnfx01oomichi.oita.ocn.ne.jp

この人もやはり匿名掲示板の常連。匿名掲示板というのは、それ自体が宗教団体の雇われ工作員による偽装掲示板なんじゃないですかね。

u847096.neas2.ne2.tachikawa.mopera.net
東京都立川市
softbank221080155159.bbtec.net
113x40x2x73.ap113.ftth.ucom.ne.jp 
   
5月5日 
ほとんどの言語が英語ですよ! 米国様が批判されている記事をアドレスを引用しただけでこの始末。一体、この国の言論は誰に牛耳られているのか。何とも野蛮なことで…。

204.79.180.134 
204.79.180.241 
204.79.180.112
↑ヴァージニア州
末尾三桁が絶えず変わっているだけ。
 
「壁に耳あり障子に目あり」、人の情報を詮索し、自分の噂話にあれこれ聞き耳を立てずにいられない恐ろしいまでの詮索好きは米国様の由来だったんですかね? だとすれば、これはもはやとうにロシアの専売特許じゃないですよね。

Быть может, за стеной Кавказа
Сокроюсь от твоих пашей,
От их всевидящего глаза,
От их всеслышащих ушей.

全知全能の神を模したユビキタス・ネットワークの構築、世界は一つ、神と人との断絶はない、人類はみな神であり、地上はユートピアである、…との名目のもと、異論をすべて暴力的に排除し、不都合な人間の言論を取り締まり、人類を監視し、一大家族理想国家という地上天国を詐称する。ヒエラルキーと情報統制の締め付けによるディストピア構築。それがあなた方の目的なんでしょう。お次は緊急事態の導入によるペルソナ・ノングラータの弾圧ですかな。

fitamazing.com
↑米国 ワシントンDC
tor-exit-readme.manalyzer.org
↑フランス、パリ
destiny.enn.lu
↑ルーマニアということに。
edwardsnowden2.torservers.net
↑同じくルーマニア
aurora.enn.lu
↑こちらも。

こういう現象も、結局はSoftbank嫌がらせ集団が主犯と見るのが当然ですね。ソフトバンクは反日イデオロギーと密接な関係があるとの噂も根強く、この嫌がらせ集団も日本人じゃないのかも。

softbank126120083025.bbtec.net
 
茨城県取手市


softbank126021122071.bbtec.net

↑京都府京都市、熱心な杉本読者のようですが。
 

p4ac1ac.chibnt01.ap.so-net.ne.jp

↑千葉県千葉市
 

116-65-225-118.rev.home.ne.jp

検索用語が「有名牧師、逸脱行為、誰」
ですって。とにかく有名な牧師を引きずりおろしたい。次のバッシングのターゲットが欲しくて仕方がない。「俺様に次の獲物を寄越せ!」「次のキリスト教の不祥事の材料は誰だ!」と、まるでほえたける獅子のように獲物を求めてさまよう恐ろしい渇望が見て取れますね。このようにクリスチャンを弾圧することにやみつきになる読者を生んだのが、杉本ブログの明白な罪なのです。  
 
一説によると、埼玉県川口市 UR都市機構川口芝園団地4号棟にお住いの方と。
 
 
(5月4日)
112-70-19-62f1.hyg1.eonet.ne.jp
 
↑尼崎市ハピネスライフケアサービスすぐ、


もしくは、神戸市西区、玉津板金すぐ。


   

113x40x2x69.ap113.ftth.ucom.ne.jp

↑よほど吉祥寺キリスト集会に未練がある様子ですね~。

東京都小金井市と。


om126186246065.7.openmobile.ne.jp
匿名掲示板常連。大和市あたりの地元民とも思われますが。杉本読者です。不信者ではない連中を使って信者を迫害するのが彼らの手口。


 
kd119104110150.au-net.ne.jp
↓東京都狛江市 〒201-000

匿名掲示板のアドレスを見せつけることにより、恫喝したいのでしょうが、自分がやってると白状しているようなものですね~。

kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
↓京都府京都市もしくは大阪市中央区  杉本氏とKFCによほど未練があるようですね。この主犯格の人物が特定されれば、後は楽そうですね。  


36-2-169-88.kanagawa.fdn.vectant.ne.jp
↑↓はお仲間でしょう。
このアドレス、以下のコメント者と極めてよく似ていますが、きっと単なる偶然でしょうね~。
 

ちなみに、大脳辺縁系のなせるわざではなく、悪霊のなせるわざですよ。
搾取する者とされる者の役割分担…それが分かっていらっしゃるなら、KFCでもゴッコ遊びと搾取をやめれば良かったのです。リバイバル運動の偽りが分かっていたのに、なぜ聖霊派の信徒と手を結んだのでしょう。言っていることは正しく、やっていることは正反対というのではまさに偽善者ですね。

以下の読者とほぼ同時間帯にアクセスしていることからも、KFCと吉祥寺の森は一つ、匿名掲示板も一つ、キリスト教界も一つ、全部合わせて「この世」。アンチカルトはカルトと同一、アンチキリスト教界はキリスト教界なのです。

softbank221080155159.bbtec.net
↑例の偽装なりすまし読者です。接吻で裏切るというあの古典的手段ですね…。いかにも偽善者のやること。

softbank126066224032.bbtec.net
↑千葉県千葉市or松戸市
67.208.13.160.dy.iij4u.or.jp
↑埼玉県八潮市
s638105.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
〒922-033 石川県加賀市
ipbfn005-225.kcn.ne.jp
↑奈良県奈良市
s649160.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑埼玉県小川市もしくは東京。アドレス露出ここにも。 
町田市?まず信者ではなさそうですね。

 p421233-ipngn200607kyoto.kyoto.ocn.ne.jp

アドレスそのまま、京都府京都市…。




上記の方は5月7日にもお友達と共に工作に来ていたので調べてみましたが、八幡市の住所が表示されていました。
 
softbank126141119050.bbtec.net
↑新潟県新潟市


p421233-ipngn200607kyoto.kyoto.ocn.ne.jp
↑京都府八幡市
   
こちらの地図ではハイソな住宅街が表示されてますね。

 
ipngn26501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

これも匿名掲示板の常連。他にもある模様。123.225.21.200
 
   
121-81-239-86f1.shg1.eonet.ne.jp


↑滋賀県大津市。カトリックもターゲットになったわけですね。

softbank219034112007.bbtec.net


「預言カフェ」まだそんなことの是非にこだわってるんですか。
本当に終わってますね。この業界。
 
kd119104102241.au-net.ne.jp
長野県諏訪市 角上鮮魚店すぐ。

softbank221080155159.bbtec.net
香川県高松市or坂出市。 ここからアドレスの変化を見られます。

pw126253228234.6.panda-world.ne.jp 

 
「十字架、愛、明け渡し」などという非常に気持ちの悪い説教表題のような検索用語で辿り着くこの方。IPアドレス 126.253.228.234
やはり匿名掲示板の常連。こういうキ教専門用語を文脈から完全に切り抜いて使うのは悪霊の常套手段。要するに、前後の論理的な文脈が全くないんです。短い検索用語を使ってしか話せない時点で、すでに思考がおかしいと言えるでしょう。

tcn024240.tcn-catv.ne.jp
これも上に同じ検索用語。

 
ttb4-ip187.user.xsp.fenics.jp
↑東京都港区 AG信者ですか?

fw1.hokkoku.co.jp

 

首相の偶像化と神社本庁の活動に絶望なさいましたか? 被害者意識に陥り絶望するのはあなたの自由ですが、神は正しい人と悪人を共に滅ぼすようなことはなさいませんよ。義人は信仰によって生きる。未来のない人生は自己責任でどうぞ。

14-132-84-150.aichieast1.commufa.jp
岐阜県美濃加茂市、もしくは愛知県一宮市
大人気ですねえ。このブログ。この訪問者たちは決してキ教以外の宗教をターゲットにしない。 明らかに一定のミッションを帯びた工作員集団。
 
  softbank060065042131.bbtec.net


↑相変わらずバッシング対象を探し求めている読者。そんな暇があれば日本会議の事でも調べたら。

pw126236212121.12.panda-world.ne.jp
ipbfn005-225.kcn.ne.jp
↑は古参さわやか読者

↓はすべて言語が英語です。
203.104.145.49
exit.kapustik.info
h-170-78.a322.priv.bahnhof.se
 
(5月7日)
p673045-ipngn200603sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
↑富山県富山市



アッセンブリーズ・オブ・ゴッドに恨みがあるなら、なぜ教団に抗議しないんです?その勇気もない?(おまけにAG信徒だったりして…笑)


softbank126031116219.bbtec.net
↑熊本県合志 県道341号線からほど近く


 

softbank221080155159.bbtec.net
香川県高松市(さわやか読者主犯格)

kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
京都府京都市もしくは大阪市中央区(さわやか読者主犯格)

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
(奈良県奈良市もしくは京都府木津川)

この三人がお仲間であることも見えて来ましたね。
 
 
ipbfn005-225.kcn.ne.jpについては…




19.199.13.160.dy.iij4u.or.jp
愛知県名古屋市もしくは安城市
 
 
手束正昭氏の思想の異端性をこれほど詳しく明確に分析したのは、当ブログを置いて他にないと思いますが。感謝されて良いはずなのですがね。あなたは結局、教会成長論の擁護者なんですかね?
 

明治用水会館ほど近く。
 
 
これだけ湧いて出て来ると、ネット対策企業の雇われ工作員よりも、別の宗教団体の信者を思わせますね。

前々から指摘していますが、Br.Taka氏らと同じように、村上氏や杉本氏も、隠れた目的を持ってキ教に送り込まれた偽装信者である可能性を考えてみるべき。彼らのライフワークが通常の牧師や信徒の福音伝道からかけ離れ、キリスト教を破壊することが生業となり、聖書の御言葉に立脚した健全で正常な信仰生活について、全く証することができないところを見ても、彼らにキリストへの信仰があるとは思えません。別の宗教の信者だと考えればすべてに納得がいく。だからこそ、この人々を支持する人たちはクリスチャンではない得体の知れない人たちばかりなのです。 


5月8日
kd106161130104.au-net.ne.jp
杉本氏に関する最新記事がものすごく気になっている様子ですが、だんだん身元が割れて来ましたね。


p6165-ipngn10701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp 



pw126152100017.10.panda-world.ne.jp




「クリスチャンの病理」と。あなたは自分がクリスチャンではないとお認めになるんですか。情勢に応じてころころ立場を変え、都合の良い時には聖書を引用しながら、都合の悪い時にはクリスチャンと無関係をきどり信者を非難する。立脚点がまるでない卑怯などっちつかずの二重性は村上氏や杉本氏やルーク氏と同じですね。自分の心の二重性を見ず、他者だけを断罪し始めた時点で深刻な心の病気でしょう。
 
softbank126094241180.bbtec.net
信者に対する嫌味のつもりなんでしょうね。村上氏の書いたキリスト教批判を鵜呑みにしてペンテコステ信者を攻撃する人々は数多くいますよ。彼らの記事は結局、信者に対する憎しみと攻撃を煽っているわけです。



p38073-omed01.osaka.ocn.ne.jp


杉本氏とほぼ同時間帯に来ていることから、仲間と見られますね…。

千葉県浦安市老人福祉センター近くもしくは大阪市。

 
117-53-26-116.adachi.ne.jp
↑埼玉県さいたま市もしくは東京都足立区

 

softbank221080155159.bbtec.net 
 

 ↑相当執念深い杉本読者。いつまでも金魚の糞のように首領様にくっついていたら、杉本氏と一緒に責任追及されることになりますよ。

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
日夜クリスチャンを訴えるための監視活動、お疲れ様です。どのくらい工作手当もらってるんです?


fs76eee8a5.tkyc210.ap.nuro.jp

↑本日昼の工作員一人。本当にさわやか読者、減りました。しかも検索結果を操作している主要な嫌がらせ犯のほとんどが数名のしつこい常習犯であることも分かりました。最後まで繰り返している人は主犯と共に罪に問われます。個人名が特定されれば、ネット上に公表され、半永久的に削除されませんのでご注意を。

softbank126065009076.bbtec.net
ソフトバンク嫌がらせ古参工作員の一人。↑の直後に来ていることから、杉本読者のお仲間でしょう。


 

34.78.149.210.bf.2iij.net
↑こちらも古参。例の「帝塚山学園」。当ブログのランキング順位を下げるためにおびただしい回数、アクセスを重ねようとするも、途中であえなくログ公開に。
 
おたくひょっとしてキリ短の講師とかと関係あるのでは?犯罪者は現場に戻る、と言うように、何か書かれると困ることがあればこそ、これだけ頻繁に当ブログを訪れているんでしょうねえ。今後もあなたのログはすべて公開し、嫌がらせ行為の証拠として提示しますよ。
勤務時間中に学校に不名誉な行為にいそしんで進退に影響がなければいいですがね。

157.55.2.130
↑米国様。放っておくとまた工作にいそしむ輩。ペンテコステ運動の擁護者でしょう。

 

125-31-115-203.ppp.bbiq.jp
↑福岡県福岡市

 
所在地のすぐ近くに創価学会池田文化会館がありますね。
さわやか読者は、その嫌がらせのやり口から見ても、どうにも新興宗教独特の強い臭気を放っており、キリスト教を敵視する他宗教の工作員信者だという気がしてならないのですが。

softbank060074224186.bbtec.net



↑さわやか読者はこうしていつも当ブログから結論だけを奪い取って、これを無関係な信者を責める材料に使うのですよ。彼らは決してペンテコステ派の組織には直接、抗議せず、むしろ教団を離れた信者らを攻撃する。弱いものイジメ大好きな倒錯して異常な思考が分かります。

杉本と同じで、一見、批判してるフリしながら、その実、水面下ではしっかり敵と手を結んで、自ら異端視しているペ運動と提携しているのです。異端に抗議したいなら、Br.Takaや村上密のようなAG信者に抗議すべきですが、長いものに巻かれいじめっ子に媚びることしかできない人々にそんな勇気があるはずもない。こうして、カルト=アンチカルト。真の反対者を駆逐することが目的の人工芝•偽装反対運動の工作員信者たちなのです。

これらの人々を見て分かるように、一方には、キリスト教をダシに牧師や学校教師となって信徒に君臨しカネを収奪するろくでもないニンゲンがいるかと思えば、その対極には、キリスト教のカルト化問題をビジネスとして信者を収奪し踏みにじり手柄を立てるカウンセラーや自称専門家の輩がいる。さらにその下には、彼らに手柄を献上すべくヒラメや金魚の糞のごとくまとわりついて識者ぶり、「キリスト教の堕落」について得意げにコメントし、自分以外の信者を見下し反省を迫る偉そうな偽装信者たちがいる。

この人たちはクリスチャンを罪に定め懺悔させることに悦楽を感じ、各地でクリスチャンを断罪する材料を探し求めている。異端の情報を得ると、これを早速、本物の信者を駆逐するために悪用し、決して組織には戦いを挑まず、個人を泥沼の訴訟による密告•裏切り•報復合戦に引きずり込む。どこまで腐り切り終わっているのか、このギョウカイ。

これら自称信者(実際にはみなグノーシス主義者の工作員であって、本当の信者ではない!!)が跋扈し自滅に向けて準備万端のこの有様には、誰しも溜息つきたくなります。しかし、神はご自分に忠実な民を知っておられます。エゼキエル書にあるように、神の宮の腐敗を心から憂えている人々が誰であるか知っておられます。正しい人が悪人と連帯責任を負わされることは決してない。

悪人と詐欺師どもは互いに騙し騙されながら悪から悪へと落ちて行き、十字架に敵対する人間の末路は滅びです。街路に落ちて人に踏みにじられるだけの枯れ落ち葉、さまよう星、自分の帰るべき巣を忘れ自分の子らを見捨てた愚かな鳥のような、この真っ暗な暗闇、穢れた鳥どもの巣窟を離れ、聖書に立ち戻れ、言えることはそれだけですね。  

(5月9日)
↓もうだんだんメンバーも限定されてきました。何の面白みもない顔ぶれですね。誰が煽ってるんだかもまるわかり…。
p4695200-ipngn26501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
↑古参。主犯格級の一人。
kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
↑上に同じ。主犯格。
softbank221080155159.bbtec.net
↑上に同じ。ソフトバンク工作員集団。

こうしてどんどん不審な読者を引き連れて来ては、工作を繰り返し、スギモの立場を悪くしていく杉本読者たち。こんなメンバーしかいないとは、頭悪すぎですね。

204.79.180.155
cpc81275-enfi21-2-0-cust323.20-2.cable.virginm.net
↑上二つは英語組。
ub34019.ubffm.ub.uni-frankfurt.de
↑ドイツ語。
p3dd3124e.hkidnt01.ap.so-net.ne.jp
↑北海道札幌市



om126237052190.9.openmobile.ne.jp
天声教会は日本に数ある熱血韓国系の教会です。繰り返しますが、韓国系です。異端と糾弾するなら、この事実をよーく踏まえて下さいね。知人に話したところ、「その名前だけで遠慮しとくわ」との事。未だにKFC関係の教会のバッシングで盛り上がってるんでしょうか。古いですよ。その話題は。



p13232-ipngn6201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
おやお久しぶりですね。ドクタールークにまだ関心があるんですか。いい加減卒業なされば。




↓昔、以下のようなコメント者がいたんですね。スギモと同じくプロテスタントに絶望してカトリックに去った信者です。KFCに対する根強いを恨みとルーク氏に対する拭い去れない憧憬と未練を持ち合わせ、去った後までも「私がルークの一番弟子だった」と回想。


ルーク氏とKFCにつまずいたことを機に、プロテスタントへの対抗意識が捨てられなくなった人たちは多数います。しかも、こういう短いコメントしか書けない人って大抵、匿名掲示板の常連なんです。

しかし、プロテスタントに絶望したからカトリックというのは歴史的後退でしかない。もし間違いだと分かったならば、「出て来た故郷」(へブル11:15)に逆戻りするのではなく、「後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進」む(ピリピ3:13)べきなんですよ。

霊的先人たちは組織としての教会の間違いが分かった時にきっぱりと組織を離れた。プロテスタントに絶望するのは勝手ですが、組織の誤りを知りながら、より強力な組織のヒエラルキーに身を委ねるのは、自己矛盾でしかない。教会につまづいた時、その人がより明確な真理を求めているのか、それとも、ただ傷ついた自分の心を優しく介抱してくれそうな人の温もりを求めているだけなのか、そこが決定的な分岐点となります。

前者はより御言葉に立ち返り、神に近づくために犠牲を払いますが、後者は人の組織につまずいたことをきっかけにそれまで知っていた真理をも捨て、前よりも状態が悪くなるのです。真理のために犠牲を払って神に問うことができないと、どんな集団に帰属しても、いずれ不満が生じて脱落するだけでしょう。そして最終的にはキリスト教自体を否定するようになります。

実のところ、この手の人々はプロテスタントにつまずいたのではなく、御言葉につまずき、キリストの「狭い道」につまずいて「広い道」を望んでいるだけなのです。

サンダー・シングやマザー・テレサは西欧キリスト教の「傲慢さ」や「狭量さ」、弱者への憐れみのなさに絶望したことを口実に、東洋思想に後退した。そして、十字架の切り分けを否定するグノーシス主義者となった。組織としてのキリスト教につまずいたことをきっかけに、真理からも弾き出され除外されてしまう人々がいるという恐ろしい実例です。

キリストの真理は、今日も、みすぼらしい土の器の中に入れて運ばれているのです。土の器の中にはゴミも入っているかも知れませんし、器の外見のみすぼらしさをあざ笑うのは結構ですが、だからと言って、容器と中身を混同して、中にある「測り知れない力が神のものであって、私たち(人間)から出たものでないこと」(Ⅱコリント4:7)まで否定すると、最後にはその人は聖書を否定して神の敵にまでなるのです。

 5月11日
↓相変わらず、ボーフラのようなさわやか読者たち…。

182-167-186-40f1.hyg1.eonet.ne.jp
↑兵庫県尼崎市or神戸市の古参。杉本とほとんど同時間にアクセスしていることから、仲間とみられる。鳴尾教会を迫害する側に回ったAG教団や津村氏の関係者とも推測される。


p6253-ipbfp213sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
↑これも上に同じ。杉本の仲間。静岡県静岡市



30.net059085008.t-com.ne.jp


m106073147096.v4.enabler.ne.jp
h219-110-85-077.catv02.itscom.jp
204.79.180.19

 
exit.norway.tor-node.net
kd182251243040.au-net.ne.jp
↑広島県尾道市 一つ上はノルウェーですが、上記二人は仲間と見られます。


pw126245021126.16.panda-world.ne.jp
↑東京都福生市、牛浜幼稚園すぐ。



kd182251243005.au-net.ne.jp
kd182251243051.au-net.ne.jp

↑様々な掲示板に出没し、キリスト教徒に対する被害妄想を匿名掲示板に延々と書き連ねる常連。キリスト教に恨みを持つトンデモ不信者をつかまえては、カルト被害者救済活動はクリスチャンへの攻撃に利用して行く。結局、キリスト教をカルト宗教扱いして信用を貶めることが彼らの真の目的と。

ipbfn005-225.kcn.ne.jp
古参杉本読者の常連工作員。

gate.sumitomocorp.co.jp
↑住友商事です。杉本の記事に関心があるようですが、それよりも統一教会や安倍首相と関連があるのでは。武器商人と手を組み国民を殺して金儲けすることを決めた一社でしょうか。そういう噂があるのはご存じ?


  

 



「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実④

<追記> 

2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)


<杉本氏からの恫喝メール 続き>

本記事は、カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール③の続きに当たる。

杉本氏からは以前にも、同氏にとって気に入らない記事を削除せねば、ヴィオロンの個人情報を無断で公開するなどの脅しを含むメールがおびただしい回数、送られて来た。その罵倒や恫喝に満ちた文面は、記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」でも示している通りである。

以下は5月2日に杉本徳久氏からさらに送られて来た恫喝メールである。
   
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ▼投稿されたメッセージ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

[ 名前c ]
杉本徳久

[ メールアドレスc ]
sugimotonorihisa@gmail.com

[ メールアドレス再入力c ]
sugimotonorihisa@gmail.com

[ 件名c ]
4/30付けの文章につきまして

[ ご感想c ]
前略、〇〇さん

杉本徳久です。再三、ご連絡をとっていますが、その内容を引用してさらに挑発したり、侮蔑したりする文章を書き加えられている様子を拝見しました。4/30付けの文章につきまして、こちらですね。

http://sosudy.blog.shinobi.jp/Entry/134/


このままですと本当に洒落にならないことになっていきましょう。刑事告訴されるような事態をお望みですか?

すでに警視庁・武蔵野署の刑事さんにも何度も相談済みです。貴殿の立場、状況を鑑み、告訴状を出していないだけの話です。これまであなたの名などについて一切、公開してきませんでしたが、それは一にも二にもあなたの状態を慮ってのことです。

あまり手荒に〇〇さんを追い詰める様なことはいたしたくありませんが、このあたりが当方としても忍耐の限界ですので予め申し添えます。

すぐに書かれた文章を削除されてください。

草々



刑事告訴に至るまでには相当の時間がかかる。しかも、よほどの強力な証拠がなくてはならない。ゴールデンウイーク中はどこの警察も弁護士も対応しない。もし杉本氏が本気で刑事告訴を望んでいるならば、このようにゴールデンウイーク中を見計らってメールフォームから悠長に手紙を送るなどの措置に及ぶことなく、とうに手続きに及んでいたはずである。
 
にも関わらず、なぜ今まで杉本氏の告訴はずっと成就しなかったのか。それは同氏が述べているような、私に対する手加減ゆえではない。坂井氏を訴えた杉本氏であり、また、同氏から私に対する多年の嫌がらせの執拗さ・悪辣さを見ても、同氏にはいかなるクリスチャンに対しても情状酌量があるとみなすことはできない。

告訴が成立しないのは、私の側に何らの罪状もなく、また、私に対して罪を犯しているのは杉本氏であることが明らかなためである。

もし杉本氏が相談を繰り返してきた警視庁・武蔵野署の刑事が、これを刑事事件として扱うことができると判断していれば、杉本氏はとうに告訴に至っていたはずである。杉本氏の性格と主張を考えれば、同氏はクリスチャンを告訴するきっかけが欲しくてたまらないはずである。同氏が何度も警察に相談したにも関わらず、未だに事件化されていないのは、本件が同氏が私を告訴するための構成要件を満たしていないためである。
 
本件は、2009年に私が杉本氏のブログに自分で書き込んだコメントを削除してほしいと杉本氏に依頼したことをきっかけに、これを恨みに思った杉本氏が、以後、約7年近くに渡り、インターネット上で執拗に私に嫌がらせを加えて来たことによる。

2009年当時、杉本氏が速やかに私の望むコメントを削除し、さらに、自身のブログに私に対する一千件のコメントを伴うバッシング記事を掲載したりせず、人の知られないところで、私に嫌がらせメールを再三に渡り送り付けたり、当ブログに悪意あるアクセスを集中させたり、筆者の個人情報を違法に暴露するなどと脅迫したりしなければ、このような事態には至っていない。

杉本氏が筆者に対して何をして来たかは、無数の証人が見て知っている。当ブログでも、杉本氏が用いて来た嫌がらせの手法はすべて公開し、明らかにしている通りである。
 
しかも、私は何年も前から、当ブログにおいて幾度も杉本氏にネットを通じて平和的に和解するよう呼びかけ、速やかに筆者の求めるコメントを削除し、クリスチャンに対する逆恨みと嫌がらせに及ぶのをやめるよう勧めている。
   
にも関わらず、杉本氏は自らの違法行為を反省することもなく、筆者の助言にも提案にも全く耳を貸さず、不法な形で筆者に嫌がらせを続けることにより、事態を煽り続け、悪化させ続けて来た。このことは万人の目に明白である。

にも関わらず、杉本氏がクリスチャンをさらに「手荒に追い詰める」ような措置に及び、本当に「日夜、兄弟たちを訴える者」の道を全うしたいと望むならば、筆者はそれを止めはしない。だが、同氏に勝ち目はないであろう。

聖書には、クリスチャンが法廷に引き出されるのは、キリストの証をするためであると書いてある。歴代の信仰者も、鳴尾教会の信者たちも、みなこの道を通り、あらゆる中傷や迫害を耐えたのである。彼らは恫喝スラップ訴訟をただ耐え忍んだだけでなく、これを立派に戦い通して、真理を守って勝利したのである。

従って、私もまた、神の御前に私の信仰告白を守り通す義務があり、信者に与えられたキリストの義の完全性を訴え続ける義務がある。杉本氏にはこの最も肝心なもの――キリストの義がないのである。神の法廷において、キリストの血潮によってすでに義とされているという、宇宙最大の武器を持っているのに、この世の法廷を恐れるがゆえに、脅しに屈して自主規制をするつもりは筆者にはない。たとえ訴訟が提起されたとしても、かえって主の御名が証され、事実が世間により広く知らしめられるきっかけとなるだけである。
  
杉本氏は、私に記事の削除を求める前に、2009年当時から私が同氏に削除を要請しているコメント及び杉本氏が筆者について書いた一連の記事の削除するのが筋である。そして、筆者に対してこれまで及んできた嫌がらせについて謝罪し、二度とそのようなことを繰り返さないと約束すべきである。それをしてから、筆者に連絡を寄越すのが当然である。


「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実③

<追記>
 2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡」の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)



 これは「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール②」の続きである。

その後、4月30日 4:03:32 JSTにも、杉本徳久氏からは次のようなメールが来たので、補足的に公開しておく。 ただし、メールフォームはすでに閉鎖しており、今後はもう使用できない。

それにしても、ゴールデンウィークにまで他人に恫喝メールを送りつけずにいられないとは! 記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール➀」にも示しているように、これまでにも、同氏からのメールの多くは、新年やクリスマスシーズンなど、世間の人々が最もくつろぎ、楽しんでいる時分に届いていたが、休暇にまで人を恫喝せずにいられないという、平和で落ち着いた家庭人からは程遠いその姿に、哀れを催さずにはいられない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ▼投稿されたメッセージ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

[ 名前c ]
杉本徳久


[ メールアドレスc ]
sugimotonorihisa@gmail.com


[ メールアドレス再入力c ]
sugimotonorihisa@gmail.com


[ 件名c ]
4/25付の投稿につきまして


[ ご感想c ]

前略、ヴィオロンこと〇〇様
杉本徳久です。先に私があなたへ送信したメールを引用され、4/25付の新しい投稿を読みました。こちらですね。


http://godslove.kamakurablog.com/Entry/115/



 私はあなたをいたずらに挑発したくてご連絡をとったわけではありませんが、いったい、どういうおつもりでしょうか。

あなたは再三、意味不明の論旨を連ねていますが、全く理解しかねます。

私から警察へ刑事告訴して〇〇さんを法的に訴えてほしいのでしょうか?

(当ブログの記事をきちんと読めば、趣旨は理解できるはずである。それでも理解できないのは、自分に不都合なことを杉本氏が何も理解しようとしていないだけである。

杉本氏は、自分にとって不都合な記事の削除を他者に迫る前に、自分自身が、2009年にヴィオロンが削除を要求したコメントを速やかに削除し、ヴィオロンについて記した一連の誹謗記事を削除してから、人にものを頼むのが筋であろう。自分だけは人をさんざん誹謗しておきながら、それに対する反論も許さないという態度は筋違いである。

杉本氏からは、以前から何度も「何らかの対応を取らねばならない」という脅しメールをもらっているが、同氏は、不法な個人情報の暴露を予告して筆者を脅迫したり、嫌がらせのアクセス集中を行なったりしているだけであり、一向に、正式な方法で、筆者に対峙して来たことがない。常に「訴えるぞ」と相手を脅しているだけで、提訴が成り立たないのである。)

数年前からあなたは私が行ったと主張する「恫喝」、「脅迫」について警察へ相談したと主張されますが、いったい、どこの警察へ、何の罪状で相談されたのでしょうか。当方のところへはどこの警察のどの刑事さんからも一本の電話も、一通の連絡も来ておりません。事件として受理もされていないと思いますが、どういうことでしょうか。


(当ブログで示している杉本氏の違法行為について、杉本氏がどんな形で責任を問われることになるか、前もって杉本氏に知らせる必要はない。いずれにせよ、同氏が筆者に対して行って来たすべての所業は否定できない証拠が残っており、関係機関へも情報提供されており、やがて同氏が罪に問われることになると言えるだけである。当ブログに途中経過は記載しない。明確な結果だけを公表する。)

これ以上、この様な投稿活動を続けられるようでは当方、何らか対応を取らねばならないと思っております。

(このような投稿活動をやめるべきは杉本氏である。まずは筆者の要求したコメントを削除し、筆者について記したブログ記事を全文削除の上、ネット上の不法なアクセス集中を含めた嫌がらせ行為をすべてやめていただきたい。)


直ぐにお辞めいただきたく、また、きちんと削除して下さい。

以上、よろしくお願いします。

2016年4月30日 杉本徳久

(筆者はすでに記事を削除する理由が存在しないことをきちんと説明している。杉本氏が、自分で書いた恫喝メールも含め、一連の記事を公表されると困るというのであれば、違法な方法で筆者に嫌がらせを加えるのではなく、まず、筆者について杉本氏自身がブログに公開しているすべての誹謗中傷の記事及びコメント、筆者の著作物の無断転載を行なっているブログ記事、さらに2009年当時から筆者が杉本氏に削除を要求しているコメントを速やかに削除した上、筆者に対する様々な嫌がらせ行為を謝罪し、生涯に渡り、二度と筆者に関与しないことを公に約束することをお勧めする。それができないのであれば、正式な責任追及は免れられないであろう。)


「随想 吉祥寺の森から」の杉本徳久からの恫喝メールおよび杉本徳久が刑事告訴された事実②

<追記1>
 2018年2月に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師率いるカルト被害者救済活動の中心メンバーの一人である「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久が、当ブログに対する多年に渡る嫌がらせの罪により刑事告訴された。

杉本の多年に渡る嫌がらせについて、また、村上と杉本の活動に深い関連性があることについては以下の記事やその他で詳しく記しているため参照されたい。

「随想 吉祥寺の森から」の著者杉本徳久および共犯者が刑事告訴された事実

なお、当ブログが杉本の嫌がらせ行為について、警察に相談を行っていることを最初に警告したのが2012年に記した「杉本徳久氏への公開書簡」の記事であった。この記事の中で、当ブログ著者は、親切にも、杉本本人に向かって、杉本が当ブログから気に入らない記事を削除しなければ、当ブログ著者の個人情報を無断で公開するなどと息巻いていることが、名誉毀損やプライバシーの侵害の罪に当たることを警告したが、杉本はこの警告を考慮しなかった。

杉本は当ブログ著者が杉本の嫌がらせ行為について警察に相談しているという事実を嘘だと思いたかったようであり、なおかつ、当ブログを名誉毀損で訴えるつもりだったようであるが、実際には、当ブログ著者が杉本の行為について警察に相談していたことは事実であり、杉本の当ブログへの告訴も成らなかった。

なお、当ブログは2012年頃より、掲示板に記された嫌がらせコメントなどについて告訴が可能な旨を警察からアドバイスされていた。ただし、より明白な証拠を得たいがために踏み切らなかっただけである。(読者には掲示板のコメントでも告訴される可能性が十分にあることをよくよく熟慮されたい。)


以下の記事「村上密牧師による自己流の「異端審問」」を掲載したところ、早速、杉本徳久氏から、当ブログのメールフォームを利用して、次のような手紙が来たため、読者へのお知らせを兼ねて、この場で公開しておく。

杉本氏からは以前にも、同氏にとって気に入らない記事を削除せねば、ヴィオロンの個人情報を無断で公開するなどの脅しを含むメールが何通も来ており、その文面は、記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」でも示している通りである。

2012年頃から、実際に杉本氏の恫喝と予告の通り、当ブログの管理人に対するプライバシーの侵害等を含む悪質な書き込みが匿名掲示板に大量に書き込まれ始めたことは周知の通りであり、この件に関しては、杉本氏以外にそのような行為を行なう意図を予め筆者に伝えて来た人間は誰一人存在しない。
 
なお、当ブログ管理人は個人情報を公開していないが、筆者の意に反して、無断で筆者の個人情報を公の場にさらす行為は、罪に問われる可能性があることも警告しておく。さわやか読者の情報も蓄積されているので、これらを合わせると、嫌がらせ工作員の個人情報が特定されて、個人名が公表されるだけでなく、賠償責任などの形により、個人的に責任追及がなされる可能性が十分にあることをこの場で述べておく。

このように本人からの投稿があったことにより、記事「村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(後編)~」にて示したIPアドレスが、杉本徳久氏のものであることが確定した。

以下の二つの投稿の時間は、それぞれ2016年4月25日13:26、同日13:27である。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  ▼投稿されたメッセージ
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

 [ 名前c ]
杉本徳久

[ 件名c ]
ブログの記載につきまして その1

[ ご感想c ]
拝啓、「ヴィオロン」こと、〇〇様、

武蔵野市吉祥寺北町の杉本徳久です。少し前から再開された〇〇さん執筆のブログの記載につきまして、内容を読み、大きな問題がありますのでご連絡申し上げます。

相変わらず、気に入らない他人のブログ記事内容に削除を迫るためとはいえ、今までずっとメールで連絡して来ていた杉本氏が、急にメールフォームから連絡する気になったのには、どういう意図が隠されているのか、これまでのいきさつを振り返ると、疑わないわけにはいかない。

同氏からは、上記した通り、以前にも、同氏にとって気に入らない記事を筆者が削除しなければ、筆者の個人情報を無断で公開するとの脅しメールもいただいており、それは記事「カルト被害者救済活動の暴走―杉本徳久氏からの恫喝メール」に示した通りである。

そこでもし今回、筆者が杉本氏にメールで返信をするようなことがあれば、同氏はそれを機に、筆者のメールの文章や、メールアドレス等の個人情報も、ブログに公開するのが目的であったのかも知れないと考えられる。

以前の杉本氏からの脅しメールの内容を振り返っても、同氏に対して個人的な密室でのやり取りは無用と判断しているため、ここに杉本氏の文面と、筆者の見解を記しておく。

誤解のないように伝えておくが、これは杉本氏に限った措置ではなく、メールフォームからの投稿であっても、公表すべきと筆者が判断するものがあれば、随時、公表して行く。ただし、このブログ始まって以来、メールフォームから筆者に否定的なコメントを送って来た人間は、杉本氏以外にはいない。

たまには、他者への和やかな挨拶と、人の作品を誉めるということから、コメントを始めてはどうかと思うのだが、杉本氏に限ってはそのような忠告も無用であろう。
  
さて、今回の杉本氏の投稿の趣旨も、今までの恫喝メールと同じで、要するに、同氏にとって気に入らない、同氏に関して否定的な内容を記載する記事もしくはその記事から同氏の実名をすべて削除せよという要望である。だが、相変わらず、杉本氏には削除を丁重に依頼する口調が全くない。
 
それでも、以前に比べれば、文面がトーンダウンしており、人をいたずらに罵倒したり、嘲笑するような口調や、檄文のような憤りに満ちた文章や、ドラマから取って来たような感情的で陳腐な紋切り型の啖呵を切るようなことは減ったようである。
 
〇〇さんがかつて「主にある兄弟として信頼」しているとされていたKFCの唐沢治(Dr.ルーク)さんらとなぜ、今は絶縁しているのかなど詳しい経緯はわかりませんが、こと、私に関する記事については看過ならない内容が多くあります。

なぜかここで唐突に唐沢氏の名前が登場する。いつも驚かされるのは、なぜ杉本氏がこれほどまでにルーク氏の話題を筆者に対して頻繁に繰り返すのか、ということである。

よほど杉本氏には、ルーク氏と筆者との関係が気になって気になって仕方がないように見受けられるが、一体、どんな理由で、筆者がルーク氏と親交を結ばなければならないというのだろうか。

「なぜ、今は絶縁しているかなど詳しい経緯はわかりませんが」などと残念そうに書かれているが、筆者のブログを読めば、KFCの理念に対して筆者がどのような態度を取っているかは明白である。にも関わらず、杉本氏は、常に信者間に起きることを、信仰や理念の問題として理解することができず、三流映画のような人間模様のドラマとしてしかとらえられない様子である。いつまで経っても、何年も前の大昔の出来事を引っ張り出して蒸し返さざるを得ないのは、よほどブログに掲載するゴシップのネタが足りなくなっているからなのであろうか。

だが、同氏が「詳しい経緯はわからない」などととぼけているのは、おそらくは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者であったBr.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻がKFCを乗っ取った事件に知らぬふりを決め込むためではないかと思われる。この事件は、唐沢氏と私とを分裂させ、KFCを地上から消滅させるために、悪意をもって引き起こされた工作であったと考えられる節が極めて大きいのだが、こうした出来事について杉本氏は、自分は詳しい経緯を知らないと、問われてもいないのに自己弁明せずにいられないような、何かの後ろめたい事情が存在しているようである。
    
例えば、京都の村上密牧師からの指示を受け、「杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」と書かれていますが、私はそもそも村上さんと面識がありません。お会いしたことも電話をしたこともなく、他界された石原牧師などを介したりしたこともありましたが、簡単な事務的メール連絡を取ったことが何度かあるだけです。その私が、どうやって村上さんからの指示を受けて「サイバーカルト監視機構」を主導することなどできましょうか。また、そもそもそのような「機構」は私の知る限りこの世に存在しませんし、私がそれに関与していることなど全くありません。
 
何としても「カルト監視機構」とは無縁だと主張したい杉本氏の思惑が見て取れる文章である。杉本氏が村上密氏と面会したことがないのは事実かも知れないが、直接面会しなくとも、親交を結ぶ方法はいくらでもあり、村上氏とのメールでのやり取りがあることは、杉本氏自身が認めている。こうして、メールのやり取りがあり、人物を互いに確認しているわけであるから、村上密氏と杉本氏に面識がないという結論には至らないであろう。

さらに、私はブログ記事の中で、杉本氏と村上氏との間にどんな面識があるのかについては触れていない。私が記事に書いているのは、この二人の思想的共通性である。
 
二人はまずカルト被害者救済活動を支持し、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を擁護し、ヴィオロンを非難し、鳴尾教会の教団離脱に反対し、津村昭二郎氏を擁護し、鳴尾の山田牧師夫妻を非難するといういくつかの点を見ただけでも、思想的立場をほぼ完全に同じくしている。

杉本氏が、村上密氏の行うカルト被害者救済活動を支持し、カルト被害者を名乗る信者に積極的に接触を図っては、村上氏が「疑わしい」とみなした牧師に対する裁判を後押しして来たことは、杉本氏自身が記事に書いていることであり、被害者間でもよく知られている。

このように、村上氏と杉本氏との両者は思想的に共通した見解を持って、同じ活動の枠組みの中で互いを擁護し支え合って来たのである。もっと言えば、以下に示すように、杉本氏は村上氏を擁護する内容の記事を多数書いていることから、師弟のように密接な関係とまでは言えなくとも、一定の尊敬を村上氏に対して持っており、常に村上氏を支持する立場から活動しているように見受けられる。
 
村上氏と杉本氏との活動は、カルト被害者救済活動を通して、教団教派や教会の枠組みや規則を飛び越えて、これを無視して他教会の内政に干渉し、カルト化の疑いありとみなした教会に対して、ネットによる吊し上げを助長し、司法の強制力を用いて弾圧を試みて来た点でも一致する。

だが、杉本氏はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者ではないため、本来は、鳴尾教会のような他教団の事情に首を突っ込むことができる立場にはない。そもそも、プロテスタントの信者でもない人間が、どんな権限があって、自分が属していないプロテスタントの諸教会の内政に干渉し、その内情を探り出し、暴露するような記事を書くことが許されるのか、甚だ疑問である。
 
同様のことが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属する村上密牧師の場合にも当てはまる。村上密氏のカルトとの闘いも、同じように教界内規則に基づかない単なる越権行為でしかないが、そのような越権行為を、裁判という強制力を用いて正当化できると考えている点でも、村上氏と杉本氏の見解は一致している。

しかも、両者の記事の中には、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の関係者でなければ、決して知り得ない情報が含まれており、鳴尾教会に関する裁判の経緯などに関する杉本氏の記事は、教団離脱に反対した鳴尾の信者をバックアップする立場から書かれており、それはおそらくは教会関係者への接触なしには書けない事柄であり、また、その記事内容は、鳴尾教会の教団からの離脱を裁判によって阻止しようと試みていた村上密氏の活動を支援する立場から書かれている。鳴尾教会に関する杉本氏の一連の記事は、村上密氏の思想的立場や、同氏の利益と完全に一致する。
 
村上氏と杉本氏とは共に、事実に反して、鳴尾教会の現在の山田牧師夫妻を、あたかも異端に走った教職者として不適格な人物であるかのように描き出して非難し、鳴尾教会のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱という出来事を、山田牧師夫妻による「陰謀」や「教会の乗っ取り」であるかのようなストーリーをブログ記事で描き、牧師夫妻を非難している点でも一致する。

一体、村上サイドに立つ情報提供者の協力なしに、どのような方法を用いて、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団には無関係なはずの杉本氏が、このような記事を書くに至ったのか。杉本氏がかなり中枢深くまで同教団の内情に食い込んでいる様子がはっきり伺えるのである。
  
このように、両者の見解は、驚くほどに共通しており、しかも、その主張の盲点や、事実に反する虚偽の主張についてまで、大筋で完全に一致しているのである。

こうしたことから、村上氏と杉本氏は、いわば思想的な同志のような関係にあって、互いの主張を補い合うという文脈で協力し合って来たことが明白であり、そのことは、村上密氏自身も、自らのブログ記事において、杉本氏の記事を引用していることでも裏付けられる。

さらに、サイバーカルト監視機構という呼び名は、私がつけたものであるにせよ、村上氏や杉本氏が、自ら「カルト化の疑いあり」とみなした教会や牧師や信者を、ネット上で袋叩きにする活動を積極的に後押しして来たことは事実である。

両者が、特定の教会やクリスチャンについてネガティヴなイメージを広めるために書いた記事は、実際に、ネット暴民のような身元不明のユーザーやコメント者を煽り立てて、記事でターゲットとされている人物への嫌がらせのコメント等を助長し、ブログの炎上を起こしたりする効果を与え、ネット上の集団的嫌がらせを次々と生んで来たことは事実である。

そのことは、杉本氏が自身のブログに掲載した私に対するバッシング記事に、一千件のコメントがついた事実を見ても明白である(むろん、この一千件のコメントは水増しの可能性が極めて高いので、実際に書き込んだ人数は数人程度かも知れないが)。このようにネットを利用して、村上氏や杉本氏の活動に賛同しない信者に対する組織的な嫌がらせが行われて来たことは事実であり、こうしたネット暴民のようなネットユーザーによる特定のクリスチャンに対する行き過ぎたバッシング、クリスチャン・ブロガーへの吊し上げや、悪質な書き込みの助長、悪意あるアクセス集中によるブログの検索結果の意図的操作等、ネット上の集団的な嫌がらせを生む母体となって来たのが、村上密氏や杉本徳久氏のブログ記事なのであり、これらの集団的悪意を総称して、私はサイバーカルト監視機構と呼んでいるのである。

このように、ある一定の目的のために活動するネット上の集団的悪意が存在することの証拠として、私はさわやか読者に関する情報を記録に残し、公表して来た。こうした読者らの動きを見ると、彼らが何を目的にしているのかも、おのずと見えて来る。匿名掲示板に大量に書き込まれた筆者に対する嫌がらせのコメントも、村上密氏を擁護する立場から書かれているが、そのようにして私の個人情報を公開すると事前に脅迫して来た人物は、杉本氏の他にはいない。こうしたことからも、村上密氏の活動に好ましくない特定のクリスチャンに対するバッシングによる印象操作や嫌がらせを、杉本氏が分担して担当している構図が見えて来るのである。
 
現実に接点がなくとも、インターネットで知り合った者同士が、思想的に手を結んで、同様の内容の記事を掲載して行くということは十分にあることで、それがたとえ計画的な形でなくとも、コメント者などを巻き込んで、行き過ぎたバッシングという見えない悪意につながっていくこともよくあることである。まして、元記事が悪意による誹謗中傷を含んだ内容であれば、それを鵜呑みにした読者らが、ターゲットとされた人物への集団攻撃に加勢することは容易に起きうる。

本来、ブログ記事は、そのようなことが起きないように配慮して書かなければならないが、村上氏と杉本氏は、最初から特定のクリスチャンを貶める目的で、事実に反して記載して来た決めつけの誹謗記事(たとえば、私や鳴尾教会牧師に対する記事内容については別稿で反論しているので、ここでは触れない)を次々と発表しては、多くのコメント者やネットユーザーを悪意による便乗的な嫌がらせへと駆り立て、ターゲットとされた人の人物評価を長年に渡り、貶めることに貢献して来たのである。

こうした行為は、罪に問われて当然の他者への名誉棄損、信用の重大な毀損であるが、そのような効果を最初から狙って、村上氏や杉本氏は一連の記事を書いて来たのであり、このようなネガティブ・キャンペーンと言える記事を発表することや、また、こうした記事を作成しては、ネット上で次々と好ましくない人物に弾圧を加えて行くことを肯定する思想と行動そのものが、カルト監視機構の本質なのである。
 
村上氏と杉本氏は、私のブログを常に「創作」と呼んで、事実に基づかない空想物語のように決めつけているが、その点でも、二人の主張は驚くほど一致している。
 
さらに、杉本氏は、「自己愛性妄想だ」とか(このような用語自体が「杉本用語」であり、公の概念としては存在しないのであるが)、「訳の分からぬ妄想的な珍説を並べている」などとヴィオロンを罵倒し、嘲笑するような言葉をいくつも並べては、長期に渡り、当ブログを酷評する記事をいくつも掲載して来た。その記事も全文データが残っているので、杉本氏によって書かれた他のスパム記事と共に、近日中に注釈を加えて公表する予定である。

鳴尾教会の教団離脱に関しても、杉本氏は、山田牧師夫妻について、具体的な根拠も提示せずに、一方的に「道に外れている」と決めつけたブログ記事を発表し、村上氏と同じように、鳴尾教会の教団離脱に反対する立場から一連の記事を書き、牧師夫妻のイメージを貶めており、こうした記事がコメント者らをいたずらに夫妻への嘲笑やバッシングに駆り立てて来たことは、杉本氏の記事につけられたコメントを一読しただけで分かることである。

このように、村上氏と杉本氏はネット上で手を組んで、自ら敵とみなした人物の評判を貶めるためのネガティブ・キャンペーンを積極的に展開して来たのであるが、杉本氏が鳴尾教会に関して掲載した情報は、その多くが捏造された不正確な情報であるにせよ、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の内部から出て来たものであり、関係者への接触がなければ知り得ない事柄であり、なおかつ、村上サイドから提供される情報と内容的に一致している。

しかも、鳴尾の山田牧師夫妻に関しては、異端の疑惑は教団内でさえも認められていないにも関わらず、全く根拠なく、杉本氏が彼らを「道に外れている」と非難していという点でも、杉本氏の見解は、その決めつけに満ちた事実に反する一方的で盲信的な主張という欠点において、村上氏の見解と瓜二つなまでに一致している。

ちなみに、杉本氏は、村上密氏のカルト監視機構の発想に全く反対を唱えたことがなかった。

こうして、杉本氏がこれまでにブログに記載して来た特定のクリスチャンに対する誹謗記事は、あらゆる角度から見て、村上密氏の主張と同一の思想を基盤とするものであり、村上密氏の活動を擁護し、支援する立場から書かれたものであることは疑いの余地がない。そして、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者ではない杉本氏に、ここまで事件の詳細を(しかも歪曲された一方的な角度から)情報提供できる人物は、村上密氏(とその関係者)以外には見当たらないのである。

こうした杉本氏の記事が原因となって、今日に至るまで、私のブログに対しても嫌がらせ工作が繰り返されているのだが、その嫌がらせ工作者の多くは、あからさまに杉本氏の記事から当ブログへとリンクして来た形跡が残っている。こうした証拠があるにも関わらず、それでも、杉本氏が自分がブログ記事で行っているネガティブ・キャンペーンが、ターゲットとされた人物に対する読者らの嫌がらせを煽るものではないと主張するつもりであろうか。

しかも、もっとあからさまな事実は、嫌がらせ工作を続けている読者の中に、杉本氏のものとしか考えられないIPアドレスが含まれており、その特定のIPアドレスから当ブログに対して、頻繁に異常なアクセスが集中していることである。これについては以下の記事を参照されたい。

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(前編)

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(中編)

村上密牧師が杉本徳久氏と共に暗闇で主導する「サイバーカルト監視機構」(後編)
  
さて、村上密氏と杉本徳久氏の最も重大な思想的な共通点は、両者がこのようにネットや司法の場を利用して、自ら「疑わしい」とみなしたクリスチャンたちに対して、恫喝訴訟をしかけたり、私刑と言って差し支えない不法なバッシングや、脅迫や嫌がらせなどの圧迫による個人攻撃を行ない、気に入らない人物に対して、この世の法律や教会の規則に基づかない行き過ぎた懲罰的で報復的な行為を容認し、さらにはこれを積極的に奨励してさえいることである。
 
このように、聖書に基づかずに、人間が他者の内心の自由を侵害してまで、自らの思惑に基づいて、神のように他人を裁き、人の内心を監視し、誤った思想を罰し、是正しようとする危険な思想と、こうした思想を容認する活動をこそ、私はこれまで「カルト監視機構」の本質として糾弾して来たのであり、村上密氏と杉本氏の活動とそのブログ記事内容は、このような思想をまさに体現したものであると言える。こうして特定の人物に対して懲罰を加える目的で書かれた彼らの著作物が、それに悪影響を受けて嫌がらせに及ぶネット読者らを生み出すのは当然なのであるが、こうしたネット上の嫌がらせ工作を総称して、私は「サイバーカルト監視機構」と呼んでいるのである。

サイバーカルト監視機構とは、特定の人々が、インターネット上で、好ましくないクリスチャンに対する非合法な弾圧を肯定するために作り上げた「空気」であり、そのような残酷な私刑を是認するための「世論作り」であり、また、そうしたネット上の弾圧によって、キリスト教界に大規模な言論統制をもたらし、好ましくない発言を行なうクリスチャンを恫喝して沈黙に追い込もうとする圧力のことでもある。また、こうした嫌がらせ工作を日夜行うネット上の集団的悪意そのもののことでもある。
 
ネットで起きた事柄については、具体的に、いつ、誰が、誰に対してどんな指示を出したのか、ということを立証することは困難であるが、少なくとも、思想的な共通点を通して、それをある程度、探り出すことは可能である。

村上密氏、杉本徳久氏は、インターネット上で、プロテスタントのキリスト教会を次々ターゲットとした告発記事を掲載し、キリスト教界全体にネガティヴなイメージを形成し、キリスト教界を改革するために、聖書と教界内規則に基づいた改革を訴えるのでなく、信者や教会をこの世の裁判に訴えることを助長するような主張を積極的に行なって来た人物として、キリスト教界において、極めて特異な存在であり、両者の主張を見れば、公の教団教派のつながりにおいては無関係であるにも関わらず、両者が同一の深い思想的なつながりで結ばれており、なおかつ、牧師である村上氏が指導的な立場に立って、杉本氏の執筆活動にも多大な思想的影響を及ぼし、杉本氏が村上氏の活動を擁護し、支える形で活動して来たことが見て取れるのである。

上記したようなすべての事実に反して、杉本氏はそれでもあくまで自分は村上氏とは直接の面識がないのだから村上氏とは思想的にも無関係であり、筆者がサイバーカルト監視機構と名付けているような、ネット上のクリスチャンに対する集団的な嫌がらせには関与していないと言い張るつもりであろうか? その際、筆者に送って来た恫喝メールや、自身のブログに記載して来たバッシング記事については、どのように弁明するつもりなのであろうか?

自分自身は他者を公の場でいわれなく非難し、暗闇で幾度も恫喝しては、沈黙に追い込もうと圧力を加えておきながら、他者から公に反論があると、具体的な根拠も提示せずに、すぐに「名誉棄損だ!」と騒ぎ立て、無理やり記事の削除を迫ったり、個人情報を公開するなどの脅しによって黙らせようとしたり、果ては裁判にまで及ぶのでは、あまりにも非常識で大人げない態度であると思うのだが、杉本氏はそのような考えはないのだろうか。

杉本氏は、自分にとって都合の悪い記事を削除してほしいと他者に依頼するよりも前に、まずは自分自身が、その他者に関して書いたネガティヴなバッシング記事をすべて削除し、他者の名前を自分のブログから抹消するのが筋であろう。それもしないうちに、なぜ他者にだけ一方的に自分にとって不都合な記事の削除を迫ることができるのか。自分こそ、相手の嫌がることはしない、それが相手にものを頼むときの基本的な礼儀ではないかと思うのだが。

杉本氏はプロテスタントの信者でさえないのに、どんな権限があってプロテスタントのキリスト教界の異端審問官のように振る舞い、気に入らないクリスチャンを脅して言論統制を行なう権利があるのか。部外者に過ぎない同氏の不法な主張に信者が従わなければならない理由はない。

 〇〇さんが書かれていることは全て私に対する誹謗中傷であり、私の名誉や信用を重大に毀損する行為に該当します。〇〇さんと唐沢さんやその他の人たちとの間のことについては私はわかりませんが、少なくともすぐに私に関する記事、私の名については削除して下さい。

(もう一通、別のメールに続きます。)

杉本氏は、ここで村上密氏、ルーク氏、Br.Taka夫妻など、すべての人を切り捨てても、自分だけは難を逃れたいという意思を示している。他の人たちはどう非難しても構わないから、自分だけは別扱いにして欲しいと述べているのである。

特に、杉本氏がこれまで、あれほど歩みを一つにして来た村上氏とも、ほとんど無関係に近いかのように弁明して距離を置こうとしている姿勢は興味深い。
 
また、不思議なのは、なぜかここでも、再び、杉本氏が唐突に唐沢氏の名前を出し、「他の人たちとの間のこと」などに言及していることである。

杉本氏の文章にはこのような飛躍がしょっちゅうである。「他の人たちの間のことについては私は分かりませんが」などと、不自然な文脈でもっともらしく弁明している時こそ、その文脈に注意が必要なのである。これは、Br.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻の牧師資格詐称やKFCの乗っ取り事件などには全く関与していないという自己弁明であろうか?
  
これまでの杉本氏の様々な言動を振り返ると、同氏は他教会の内政に干渉したり、無関係な他者の個人情報を収集したり、他者の人間関係について詮索したりという越権行為をしりきに繰り返して来ており、そんな人間が「他の人たちの間のことについては私は分かりませんが」などとわざとらしく否定すれば否定するほど、かえって不自然な印象と疑惑だけがより深まって行くというのが正直なところである。

杉本氏に関して私の掲載している記事内容が、事実無根の誹謗中傷でないことは、すでに根拠を示しながら幾度も述べて来たことである。杉本氏が自ら実名で公表している記事について、誰かが公に批評や分析を加えたからと言って、それだけでは何ら誹謗中傷にはあたらない。
 
まして、杉本氏が誰でも読める形でブログに公表している当ブログに対する一連の決めつけに満ちた非難やバッシングや、杉本氏の記事に含まれているスパムとしか思えない当ブログへの悪質なリンクや、杉本氏とおぼしき人物からの当ブログに対する嫌がらせのアクセスや、杉本氏が私に送って来た恫喝メール等に対して、当ブログできちんと根拠を示して反論し、抗議することは、全く誹謗にも中傷にも当たらない。自分自身がそのようなことを行なっておきながら、他者には反論も許さないとは何事か。よって、記事を削除しなければならない理由が全く存在しないのである。



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  ▼投稿されたメッセージ
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 REMOTE_ADDR: 219.215.163.80

 [ 名前c ]
 杉本徳久

 [ メールアドレスc ]
 sugimotonorihisa@gmail.com

 [ メールアドレス再入力c ]
 sugimotonorihisa@gmail.com

 [ 件名c ]
 ブログの文章につきまして その2

 [ ご感想c ]
 〇〇さんの名については、先の坂井能大を相手取った民事訴訟(武蔵野簡易裁判所にて)の中にて、坂井の提出した書証や唐沢が提出したメール記録の書証の中に出てきて、ヴィオロンさんの本名が「〇〇」だということについて確認しました。それまでは疑い半分で本名は不明だという前提でおりました。現段階であなたの本名を私のブログで公開したりしたことは一度もありません。社会福祉士として、あなたが通っていた教会のことやあなたの心の状態が良くわかりますから、あれこれ坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。

杉本徳久氏は、村上密氏と同じように、裁判を通して、自分の属している教会とは無関係な教会や、そこにいる信者の信仰生活に強制的に介入し、懲罰を加えることを肯定して来ただけでなく、その裁判を通じて積極的に自分とは無関係の教団教派に属する信者についての情報収集をも行なって来たようである。ひょっとすると、本当は個人の情報収集が目的で裁判を起こしているのではないかという印象さえ受けるほどである。

さらに、杉本氏はここで坂井氏との裁判を通して私の実名を知ったかのように書いているが、それは虚偽であり、実際には、すでに2011年末の時点で、私は杉本氏から、私の実名を特定したメールを受け取っている。これは坂井氏との裁判が起きる以前のことであり、この時差を杉本氏はどのように説明するのだろうか。まさか当てずっぽうの推測で人の名前を書いていたとは弁明できまい。

杉本氏は私の本名をブログで公開したことは一度もないと自己弁明しているが、それでは、ブログ以外の匿名掲示板などの場所ではどうだったのだろうか。これについては何もコメントがない。杉本氏にとって気に入らない記事を削除しない限り、私の実名を公表すると、恫喝メールで息巻いていたことについては、どのように説明するつもりであろうか。そのように私に予告して来た人物は、杉本氏以外には誰もいないのだが。

「社会福祉士として、あなたが通っていた教会のことやあなたの心の状態が良くわかります」と杉本氏は書いているが、これはどこの教会のことを指しているのか見当もつかない。そもそも、社会福祉士として、他人の通っていた教会のことが分かると主張すること自体、随分、妙な理屈であると思う。社会福祉士とは、そもそも教会の内情や、信者の信仰を理解するための職ではない。もしクリスチャンとしての信仰が本当にあるのであれば、社会福祉士として他者の教会を理解しようとする必要はなく、ただ聖書に基づいて理解すればよいと思うのだが、このコメントを読んでいると、杉本氏には本当に信仰があるのかと疑ってしまう。

「社会福祉士として<中略>あなたの心の状態が良くわかりますから、あれこれ坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。」と、杉本氏は書いているが、このように「配慮してやったのだ」「情状酌量したから提訴しなかったのだ」と、もったいぶって見せる割には、私へのかつてのメールには、「あまりあなたには同情いたしておりませんので、今回の件、私をあまり侮られませんよう。」などと、他人の心境など知ったことではないという脅し文句をちりばめていたのは何だったのであろうか(たとえば 2011年12月6日付メール

 
このように、筆者に何通もの恫喝メールを送って来たり、メールフォームで気に入らない全ての記事から名前を削除せよと要求して来たり、嫌がらせのようなアクセスを当ブログに集中させたりと、人の目に触れない場所で、随分、多くの圧迫と恫喝を杉本氏は私に対して行って来たのだが、それでも、「坂井能大を相手にしたような追及はしませんでした。」と、あくまで手加減してやったのだと言うつもりなのだろうか。

今までのいきさつを振り返ると、こうした言葉も、結局は、杉本氏にとって気に入らない記事を私が削除せず、杉本氏の要望を聞き入れずに、杉本氏の名前を自分のブログ記事から削除しなければ、坂井氏と同じようにおまえも告訴してやるという脅し文句としか受け取れないのである。
残念だが、杉本氏からこれまでにされて来た数々の嫌がらせを考えると、そのように深読みするのが当然である。

 
  一時、閉鎖されていた〇〇さんのブログが今のように大々的に再開された以上、ことを放置することはできません。個人的に、あまりことを大げさにしたいわけではなく、大がかりな対応をとりたいと思っているわけではありませんが、内容が内容だけにこのままで座視するわけにはいきません。

 ブログ記事、すぐに削除して下さいますよう。何か疑問などあれば、どうぞお尋ね下さい。

この文章も、一方では、「あまりことを大げさにしたいわけではなく、大がかりな対応をとりたいと思っているわけではありません」と言いながらも、その実、言うことをおとなしく聞いておかなければ、いつでも事件を大々的に炎上させるぞという杉本氏の思惑が透けて見える。

しかも、これはすごい文章である、「 一時、閉鎖されていた〇〇さんのブログが今のように大々的に再開された以上、ことを放置することはできません。」

つまり、自分に気に入らない内容の記事が書かれているので、ことを放置できないと主張するのではなく、私のブログが今のように大々的に再開されたから放置できないと、はっきり述べているわけである。

大々的に再開されたとは、一体、どういうことなのであろうか。私は以前と同じように淡々とブログ記事を書き続けているだけであり、以前のブログの方が、今より読みやすく、文章も簡潔で、更新も頻繁であった部分もあるように感じているので、努力が足りないと感じることはあっても、特に大々的に何かをやり始めたという自覚はまるで全くない。

杉本氏のこの発言を通して感じられるのは、どれほど同氏が私のブログそのものを未だに目の敵として閉鎖に追い込みたいと考えているか、どんなにその目的で、これまで再三に渡る嫌がらせと恫喝を執拗に重ねて来たか、そして、同氏の脅迫と嫌がらせの数々にも関わらず、私のブログが再開されたこと自体が、どれほど同氏にとって気に食わないことであり、どれほどこのブログが杉本氏にとって脅威と見え、激しい憎悪の的となっているかという事実である。
 
もし本当に相手の心の平安を願う心があれば、まずはこのブログが再開されたことに祝辞を述べるであろうが、相変わらず、杉本氏の文面には、挨拶文さえ記載されておらず、人を祝福する気持ちがまるでないことがよく伝わって来る文面である。上から目線の一方的な命令を下し、不法な手段で人を威嚇することによって、他者の執筆活動を妨害し、不都合な信者をネットから駆逐することで、自分にとって不都合な言説を取り締まり、自分に都合よくクリスチャンの世論を言論統制することだけが、私への接触の目的なのである。

これでは、杉本氏は、私のブログを何が何でも再び閉鎖に追い込む目的で、さわやか読者の履歴に示されているように、今日に至るまで執拗な嫌がらせを水面下で続けているのだと、自ら白状し、宣戦布告を突きつけているようなものである。
 
そんな人に疑問があればお尋ね下さいなどと言われても、尋ねることもなければ、杉本氏がこれまでに行って来た事柄を考えると、返信などしようものなら、どんな厄災が待ち受けているか、誰しも容易に想像できる。

削除はしない。そうするだけの理由が何も存在しないためである。

そう答えれば、また次なる嫌がらせに及ぶつもりだろうか。坂井氏と同じように、私も法廷の場に引き出し、恫喝裁判のターゲットとするつもりであろうか。

しかしながら、杉本氏のこうした恫喝は、何年も前からずっと繰り返されて来たものであり、裁判の脅しなど、全く効果のないものである。さらに、杉本氏が坂井氏を訴え、勝利してさえも、それによってどれほど世間で杉本氏についてネガティヴなイメージばかりが広まり、定着して行ったか、ネットの世論を見回すとよく見えて来る。一般に、身近な他人を次々と訴え、法廷に引きずり出して戦いを挑むことを生きがいとしているような人間は、たとえ勝訴することがあったとしても、みなに嫌われ、近寄られなくなって行くだけである。

しかも、自分にとって気に入らない記事を書いているクリスチャンを暗闇で恫喝し、自分が証拠不十分で敗訴することも織り込み済みで、ただ心理的な打撃を与えることを目的に、次々とクリスチャンを裁判に訴える活動を繰り返して来た人間が、また裁判だと叫んでみたところで、半ばオオカミ少年のように見られるだけではないかと思う。

そのような姿は、クリスチャンの生き様からはほど遠く、これまで幾度も指摘して来たように、「日夜、兄弟たちを訴える者」、すなわち、悪魔を彷彿とさせるのである。
 
こうして、杉本氏がクリスチャンに闘いを挑むために提起してきた裁判という手法も、まさに村上密氏が積極的に奨励し、用いて来た手法であり、両者の行動を見れば、その背後に、クリスチャンに対する尽きせぬ憎悪、何としてもクリスチャンを弾圧したいとの欲望が、どうしても筆者には透けて見えてならないのである。

クリスチャンに言いがかりをつけ、クリスチャンを脅し、クリスチャンを法廷に引きずり出して苦しめ、クリスチャンを罰して、苦しめて、懺悔させたい。神の民を己の前に跪かせ、赦しを乞わせ、屈辱をこうむらせたい。そういう飽くことのない悪魔的欲望が、どうしても両者の行動の背後に透けて見えてならないのである。

従って、両氏の活動は、到底、キリストの御霊から来るものではなく、むしろ、反キリストの霊、キリスト教徒に対する弾圧の霊から来る活動だと言わざるを得ない。従って、彼らの活動の目的も、彼らが口で唱えているように、キリスト教界の改革にはなく、むしろ、キリスト教界の改革を口実にして、気に入らないクリスチャンを次々とネット上で吊し上げ、あるいは法廷に引きずり出して弾圧し、懺悔を迫り、処罰することを目的としているのだろうと思わずにいられない。私が当ブログで早くから訴えて来たのは、この人々の活動の真の目的は、キリスト教界の浄化を口実にしただけのキリスト教徒の弾圧にあるという事実である。

このような活動にいつまでも従事している人々は、キリスト教徒への迫害者という定評が後世にまで残ることになるであろう。キリスト教の恥ずべき異端審問の歴史に、また新たな名が刻まれることになる。

杉本氏がたとえ憤りにまかせてクリスチャンを幾人告訴したとしても、事実無根の訴えでは、勝ち目がない。膨大な時間と労力と資金の無駄が待っているだけであり、そして、キリストの霊的秩序は、この世のすべての秩序を超えるのである。

パウロによれば、クリスチャンは、「御使いさえも裁く者」である。黙って苦しみを担われたキリストのゆえに、クリスチャンはむやみに兄弟姉妹を訴えるようなことはしないが、いずれにしても、我々にはイエスの御名によってキリストと同じ権威が与えられているのであり、この御名を超える権威は地上のどこにも存在しない。小羊の血潮によって贖われ、神が義とされた信者を再び訴え、罪に定めることのできる人間は地上に誰も存在しないのである。

にも関わらず、気に入らないクリスチャンの言説に遭遇する度に、「削除だ!」「裁判だ!」と叫び立て、告発記事の執筆にいそしみ、あるいは水面下で恫喝と嫌がらせ工作にいそしみ、提訴できる相手を探し求めて日々クリスチャン・ブロガーを見回しているのでは、「日夜、兄弟たちを訴える者」という定評がさらに広まって行くだけであり、それでは杉本氏自身にも全く利益にならないであろう。
   
180−0001 武蔵野市吉祥寺北町1−5−14
 杉本徳久
070 5012 7587
sugimotonorihisa@gmail.com