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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

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正義の仮面を被り、無実の教会とキリスト教徒を迫害する村上密氏の活動の危険②

~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師による
鳴尾教会人事への度重なる密室での不当な介入について~


写真:鳴尾教会の創立者のジュエル・プライス宣教師(左)と アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の津村昭二郎牧師(右) 出典:武庫川純福音キリスト教界NEWS

 


 

目次

.事の発端 
    ~鳴尾教会を引退するつもりのなかった津村昭二郎牧師~

2.騒動の原因
    ~村上密氏の介入により、密室で決められたAB伝道師の鳴尾からの異動~

3.津村氏をめぐる疑惑
    ~教団側文書によって明らかになった津村氏によるAB伝道師に対する一方的な嫌疑と理不尽な扱い~

4.混乱の深化 ~村上密氏による暗闇での鳴尾の人事への介入の問題点と、津村氏の責任をあいまいにした教団側の不透明で不適切な対応~
5.繰り返される悪夢
 ~教団側から鳴尾牧師に再びかけられた嫌疑~

6.事件のパターン化
 ~「津村氏の呪縛」? 村上サイドから鳴尾教会の牧者に繰り返されている攻撃~

7.「魔女狩り」の背景
 ~津村氏と村上氏の男尊女卑と唯我独尊の思想~

8.「魔女狩り」の理由その2
 ~村上氏は鳴尾をブランチ化したかった?~

9.本当の「異端者」は誰か?
 ~自己の無謬性を主張し、自ら神に代わって裁きを行うという異端~



 



1.事の発端 ~鳴尾教会を引退するつもりのなかった津村昭二郎牧師~

 
さて、鳴尾教会の問題に戻りたいと思う。鳴尾教会で起きた事件の問題については、かつて記事「『カルト監視機構』という名の秘密警察の設立について」においても説明したが、もう一度、ここで新資料を提示しながら、事件の全貌を振り返っておきたい。

鳴尾教会(現在の鳴尾キリスト福音教会(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属していた頃の名称は「鳴尾純福音教会」)は、約四十年間、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の管理下で、津村昭二郎牧師によって牧会された。津村師の牧会時代、妻かほる氏は講壇に立つことはかったので、事実上、牧会者は津村師一人であった。

*なお、鳴尾教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団のもとで設立されたわけではない。鳴尾教会の創立者はアメリカ人宣教師のジュエル・プライス氏であり、1976年にプライス宣教師が帰国して以後、同教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の管理下に入った。

この津村氏は言わずとしれた村上密氏(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団所属七条教会、通称アッセンブリー京都教会牧師)の義理の父である。津村氏の娘の一人の恵子氏が村上密に嫁いだからである。しかし、村上密氏は津村氏の家族であるとはいえ、鳴尾教会で生活したことはなく、鳴尾で奉仕した回数も多くはなかった。

さて、2000年を迎えるより以前から、鳴尾教会の信徒らは、津村氏が高齢に達しているにも関わらず、後継者を迎えようとしないことに長い間、危機感を募らせていた。津村氏本人は、ベテラン牧師のプライドもあり、自分の気力・体力・知力の衰えを認めるつもりはなかったようで、引退の予定について自ら信徒に語ることはなかった。

だが、信徒の目から見て、教会は時代の変化に適応することを求められており、その中で、高齢となっていた津村氏にすべてを任せておくにはあまりにも大きな限界が感じられたことは確かである。(むろん、津村氏の活動の「限界」は高齢だけが原因では決してなかったのだが、そのことについては後述する。)
 
登録されている会員数だけ見れば、鳴尾教会は100人以上の信徒を抱え、人の目には比較的成功している大規模教会のように映ったかも知れない。しかし、これはあくまで帳簿上の数字であり、「死せる魂」が相当数存在していたことは否めない。

毎回の礼拝の平均出席者数はそこからかなり割り引いて考えねばならず、 さらに伝道集会となるとそれはもう悲惨なものであった。ほぼ毎回、新しい求道者がやって来ることは極めてまれで、空席の穴埋めのために古参信徒が動員された。

正直な話、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団時代の鳴尾教会の礼拝の雰囲気は冷淡で、時代の風潮からも取り残されており、福音伝道ということを抜きにしても、人の関心を引く魅力に欠けていた。当時、教団は米国発の新たな霊的ムーブメントの取り込みに精力を傾けていたが、これらの霊的ムーブメントには極めて怪しい非聖書的な教えが多分に含まれており、それは教会にさらなる混乱をもたらすことがほとんどであった。とはいえ、いずれにしても、教会が変革を求められている事実だけは、信徒は誰も否定していなかった。
 
そんな状況の中、鳴尾教会も、若者を積極的に取り込めるような新たな伝道スタイルを模索する必要に迫られていた。その過程で、新しい賛美歌を取り入れたりといった試行錯誤が行われたが、何しろ、高齢の牧師と高齢の信徒ばかりでは改革しようにも結果は知れている。何よりも、津村氏がただ一人の牧会者としてワンマン運営に慣れてしまって、信徒らの言葉に耳を傾けなくなっていることが大きな問題であった。高齢者の牧師が一人で牧会を続けることに信徒が不安を募らせないはずもなく、信徒らは教会の若返りの必要を感じており、津村氏の適宜引退と、教会に活気をもたらす若い吸引力となる後継者の牧師の赴任を望んでいた。
  
信徒らのこうした要望は、教団や、津村氏自身にも何らかの形で伝わっていたとみられ、鳴尾には実際に、2回ほど伝道師が派遣されて来た。しかし、いずれの場合も定着することなく、早々に鳴尾を去ることになった。一人目は結婚とほぼ同時期に教会を去り、二人目は海外から夫婦で赴任して来たが(便宜上、AB伝道師と呼ぶ)、後述の伝道師の書簡で示す通り、津村氏のワンマンぶりと人遣いの荒さのために極限状態まで追い込まれた上、津村氏によって異端の嫌疑までかけられて、教会を去ることを余儀なくされた。この事件には最初から最後まで村上密氏の密室での介入があった。

鳴尾教会で騒動が持ち上がったのは、後者のAB伝道師夫妻が教会を去ることが決まってからのことである。AB伝道師夫妻の他教会への異動は、鳴尾信徒の承認なしに、津村氏と村上氏の意向により密室で一方的に決められた。そこで、この事件が鳴尾の信徒らに知らされた時、それは信徒らにとって、全く寝耳に水であった。


2.騒動の原因 ~村上密氏の介入により、密室で決められたAB伝道師の鳴尾からの異動~

AB伝道師夫妻は教団から派遣されて以来、鳴尾の信徒らになじんで好意的に迎えられていた。伝道師夫妻と信徒との間で騒動が持ち上がったことはなく、平均年齢がかなり高かった鳴尾教会では、若く活気あふれる働き手は非常に貴重な存在として受け止められ、AB伝道師は津村師の後任者として信徒からも期待をかけられていた。
 
教会の後継者と目されて赴任して来た伝道師が教会を去るとすれば、よほどの重大な理由がなくてはならない。それに伴う信徒の失望もかなり大きいことが予想されるので、そのような決定は、きちんと教団・教会内でよく話し合った上、信徒も含めて、教会全体が納得できるような手続きを経て運ばなければ、教会に大きな混乱を引き起こすことは避けられない。

ところが、次の書簡でも示されているように、伝道師夫妻の鳴尾からの異動の決定は、村上氏と津村氏によって、鳴尾信徒らへは全く知らされることなく行われ、村上氏と津村氏は、密室で伝道師に異動を迫り、すべての出来事を信徒の頭越しに運んだのである。そうでなくとも、鳴尾教会では、すでに述べたように、長年に渡って津村氏によるワンマン運営が行われ、役員会までもが形骸化していたので、信徒らは教会の重要な意思決定において、常に蚊帳の外に置かれているも同然であった。

津村氏は持ち前の強引な性格と、教会には彼の他に牧会者がいないという事情を利用して、すっかり物事を独り決めすることに慣れてしまっており、何事も信徒によく相談したりお伺いを立てたり、信徒の納得がいくまで説明するということがなかった。その上、この事件には、教団理事であったとはいえ、本来、鳴尾とは直接の関係がなかった村上密氏が暗黙のうちに介入していたため、事態はより鳴尾信徒にとって見えにくく、複雑になっていた。すべての重要な決定が、鳴尾信徒を完全に蚊帳の外に置いたまま、村上氏が用意した密室での話し合いによって決められて行ったことこそ、この事件の混乱の最も主要な原因であったのだと言える。

その結果、AB伝道師夫妻が突然、教会を去る羽目になったことについて、最後の最後の段階になるまで、信徒には全く事情が知らされなかった。役員すらも事情を知らず、伝道師夫妻が異動することが明白となってから、ようやく信徒にその事実だけが知らされた。

当然ながら、ようやく後継者問題に解決が見いだせると期待していた鳴尾信徒らは、この頭越しの決定に大きな衝撃を受け、納得できないものを感じ、憤慨した。そして、なぜそんな決定が行われるに至ったのか、教団側に明確な説明を求めたのも、当然のことである。


3.津村氏をめぐる疑惑 ~教団側文書によって明らかになった津村氏によるAB伝道師に対する一方的な嫌疑と理不尽な扱い~

さて、教団は鳴尾信徒らへの説明の過程で、教団責任者に宛てて書かれたAB伝道師の苦情の書簡と、それに対する津村氏の反論を信徒らに提示した。この教団側からの説明の過程で明らかになったのは、AB伝道師の異動の決定は、彼らが鳴尾の後継者にふさわしくないと判断した津村氏の意向を受けて行われたものであり、津村氏と伝道師夫妻の考えには以前から大きな相違があったということである。

さらに、津村氏と伝道師らの見解の相違は、両者が直接話し合って物事を決めず、常に村上密氏が介入して津村氏の意向を代理で伝道師に伝えようとしたために、余計にこじれ、両者の溝が決定的なものとなって行ったことが判明した。

まず、この時点で初めて鳴尾信徒に明らかにされた重要な争点としては、次のようなものがあった。

1.AB伝道師夫妻は、津村氏が間もなく引退して後継に道を譲るということを条件に鳴尾教会に赴任して来たが、いざ赴任して見ると、津村氏には一向に引退の意志がないことが明白となり、約束が裏切られたこと。

(津村氏にあたかも引退の意志があるかのように伝道師に伝え、鳴尾への赴任を促したのは、津村氏本人ではなく、村上密氏であった。次に、津村氏には引退の意志がないと伝道師夫妻に伝え、鳴尾から異動するように促したのも、津村氏本人ではなく、村上密氏であった。

 津村氏は反論の中で、あたかも自分には後任に道を譲るつもりがあったかのように述べているが、実際の行動によっては、その意志は何ら裏付けられることがなかった。むしろ、津村氏が伝道師に嫌疑をかけて後継者を追放するという行為に及んだことにより、結果的に、彼には後継を育てるつもりがなく、引退の意志もなかったことだけが裏付けられた。)

2.津村氏がAB伝道師を排除するために、密室で彼らにさまざまな嫌疑をかけていたこと。その中には、B氏の説教が異端的であるという指摘や、A氏の牧会活動の不備への非難等も含まれていた。

(しかしながら、こうした問題は、すべて津村氏が一方的に密室でAB氏に対して提起しただけのものであり、教会内の公の場ではきちんと議論されたことが一度もなかった。鳴尾信徒に対しては、そのようなやり取りがあったこと自体、秘密にされていた。)

3.伝道師夫妻が鳴尾から異動することがすでに決定した後で、彼らの書簡を通して、2.における津村氏のAB氏への非難には正当な根拠がなく、B氏の説教の異端性を裏付けるだけの十分な証拠も、A氏の牧会の不備を裏付ける証拠も存在しなかったことが判明した。

(むしろ、AB氏の書簡から明らかになったのは、彼らにあまりに理不尽かつ配慮に欠ける労働条件・生活条件を耐え忍ばせていたのは津村氏の方であったという事実だった。そうした背景を見るならば、津村氏がAB両氏にかけた様々な「嫌疑」も、正当性のあるものではなく、むしろ、津村氏が伝道師夫妻を単なる労働力のようにしかみなしておらず、後継として尊重していなかった一連の理不尽な扱いの一環であり、両氏を教会から追いやるための口実であったと見る方が自然である。)

4.こうした津村氏の一連の圧迫的な言動によって極限まで追い込まれ、また、津村氏に引退の意向がないことなど約束が裏切られたことに不信感を持ち、さらに村上密氏による密室での圧力を受けて、AB伝道師夫妻の方でも、鳴尾教会にとどまることが無理だと判断して異動届を出したことが明らかになった。

(しかしながら、この決定もまた村上密氏が、津村師の同席なしに、鳴尾信徒の頭越しに、密室で伝道師に促した結果であった。)


4.混乱の深化 ~村上密氏による暗闇での鳴尾の人事への介入の問題点と、津村氏の責任をあいまいにした教団側の不透明で不適切な対応~

すでに述べた通り、教団側からの説明の際には、伝道師夫妻が教団に宛てて書いた苦情の書簡だけでなく、それに対する津村氏からの反論も、きちんと信徒らに示されたにも関わらず、それによっても、鳴尾信徒らから信頼を寄せられていたAB両氏をどうしても津村氏が教会から異動させねばならないほどの重大な理由が存在したとは誰にも理解できる状況ではなかった。

何よりも、これほど重大な決定を信徒の誰一人とも十分に話し合うことなく独り決めした津村氏の行動そのものが、鳴尾信徒に重大な不信感を抱かせたのであった。そこで、鳴尾信徒の大半は、AB両氏を鳴尾教会の後継者にふさわしくないとして教会から異動させた津村氏の判断は、適正を欠く誤ったものであったと理解した。

さらに後継問題と同時に、津村氏による教会会計の私物化という問題も提起された。会計問題は、津村氏の教会のワンマン運営の一部でしかなかったのだが、実際に使徒不明金の存在も指摘され、津村氏はその疑惑に対して十分に応えることができないまま、引退することになった。

このように、AB伝道師の書簡を含め、教団側が鳴尾信徒らに提示した文書の存在を通して、鳴尾信徒には、教会人事の決定が、それまでずっと津村氏と村上密氏の介入によって、鳴尾信徒をよそに暗闇で行われたことが明らかになり、その手続きの不当性、不適切さが問題となった。そこで、その文書の内容は、AB伝道師に対する疑惑よりも、むしろ、津村氏に対する疑惑をより一層、深めさせるものであった。

にも関わらず、教団側は、人事決定の手続きの公正さが正しく確保されていなかった事実や、津村氏にまつわる一連の疑惑に対して十分な説明を行うことがないまま、また、村上密氏の介入の責任問題をも全く明確にすることなく、ただ津村氏の自主的な辞任という結果だけで、言葉を濁したのであった。

こうして教団は、この事件の全体の責任の所在を全くあいまいにしたまま、真相を何ら究明することもなく、幕引きをはかろうとしたが、そのことが、鳴尾の信徒らに教団そのものに対する払拭しがたい疑念を生じさせるきっかけとなり、その後、同教会の教団離脱に至るまで、長く続く混乱の原因となった。

そうなった背景にも、津村氏の家族として、同氏をかばいだてしたい村上密氏の思惑が強く働いていたことは疑いの余地がない。


5.繰り返される悪夢 ~教団側から鳴尾牧師に再びかけられた嫌疑~

このようにして、鳴尾教会は、後継者と期待していた伝道師(異動の時点では正教師になっていた)を失い、主任牧師も引退によっていなくなり、それらの出来事を引き起こした事件は一体、何だったのかということについても、教団からは何ら明確な説明を得られないまま、無牧の混乱の中に投げ出された。

その後、教団から鳴尾に新たな牧師が後任として派遣されるまでにも、相当な月日が経過した。こうした事件は、鳴尾信徒に深刻な悪影響を与え、後任の牧師が赴任するまでの間にも、起きた事件の理不尽さや、教団の不透明な対応に失望し、これに愛想を尽かした信徒の深刻な離散が続いた。この信徒の離散は、新たな牧師夫妻が赴任した後でもやまなかった。

教団は本来、津村氏にまつわる事件についてきちんと究明し、責任の所在を明らかにすべきであっただけでなく、もちろんのこと、その後、鳴尾信徒の混乱をおさめ、信徒の離散を防ぐために全力を挙げて事態の収拾にあたるべきであった。

ところが、あろうことか、新たな牧師夫妻(山田博・晃美氏)を鳴尾に派遣した後になっても、教団(及び村上+津村サイド)は、後述するように、再び以前と同じ悪夢のような問題を蒸し返して鳴尾を苦しめることを目的としてでもいるかのように、今度は新しい牧師夫妻に対してまでも、異端の嫌疑をかけ、様々な疑惑を提起しては、彼らがあたかも鳴尾の牧会者にふさわしくないかのように主張し始めたのである。

(こうした疑惑の多くは、後述する通り、村上密氏のブログや、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは無関係の杉本徳久氏のブログ「随想 吉祥寺の森から」を通して発表された。)

他方、津村氏は鳴尾を辞任後、村上密氏の牧会する京都教会に引き取られ、そこで何事もなかったかのように奉仕を続けていた。すでに鳴尾からは退いたはずなのに、本心では鳴尾を手放したくないと思い続ける津村氏の呪縛が、まるで亡霊(いや、生霊)のごとく、依然、村上氏と教団を経由して、遠隔操作によって鳴尾に及んでいるかのような不気味な状況であった。

鳴尾はすでに何人もの伝道者を教団側の意味不明な動機によって失い、大きな混乱を経験していたので、今度は新しい牧師夫妻までも、またも訳の分からない嫌疑によって教会から取り上げられて、同じ混乱が繰り返されるのを恐れた。大勢の鳴尾信徒らは、もはや教団から離脱しないことには、このような「津村氏+村上氏による呪縛」は終わらず、ずっと同じことが繰り返されるだけであると判断したのだと思われる。

そこで、鳴尾教会は正式な教会内手続きを経て、信徒の総意によって、教団を離れることを決定した(「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」記事によれば2010年5月27日付で単立教会としてスタート)。しかし、教団側はこの決定を認めようとはせず、あたかもこの単立化は牧師夫妻の扇動によって、教会を乗っ取るために引き起こされた不正な手続きであったかのように主張して、恫喝に等しい裁判をしかけることによって、教団離脱を決めた鳴尾教会と信徒らに対して「報復」し、離脱を阻止しようと試みたのであった。

(これについては以下の記事に記したので参照されたい。教団側はことごとくこれらの争いに敗北した。
カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~
宗務時報No.115 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~
文化庁第160回宗教法人審議会議事録 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~


6.事件のパターン化 ~「津村氏の呪縛」? 村上サイドから鳴尾教会の牧者に繰り返されている攻撃~

こうしたことを振り返ると、津村氏+村上密サイドすなわち教団側は、鳴尾に赴任して来た伝道師や牧師に対して、次々と、同じような「異端疑惑」や「牧会不備の嫌疑」をかけては、鳴尾教会から牧者を追放しようと繰り返し試みて来たことが分かる。

個々の事件だけを見て行くと、重箱の隅をつついたような論争に陥りがちであるが、こうした一連の事件を合わせてみると、そこには津村氏と村上氏サイドの一種のパターンと化した行動が見えて来る。AB伝道師夫妻と、現在の鳴尾教会の牧師である山田夫妻の鳴尾への赴任は、時期が全く異なるにも関わらず、不思議なほど、両者に対してかけられた教団側(村上サイド)からの嫌疑(言いがかり)は内容が似ているのである。

特に、極めて興味深いのは、村上+津村氏サイドがまずは女性牧者に対して「異端」の濡れ衣を着せようと試みていることである。

AB氏の書簡でも、津村氏が特に女性伝道師であるB氏に対して執拗に異端の言いがかりをつけようとしていたことが分かる。ちなみに、同伝道師が鳴尾を去った後で他教会を牧会する中で、同様の話は一度も持ち上がったことはない。

こうした事実を見るにつけても、B氏に対する「異端疑惑」は、鳴尾から気に入らない牧者を追放する口実として、村上・津村師サイドが持ち出した事実無根の言いがかりであったとしか思えないのである。そして、同じ手法を用いて、村上密サイドは、その後、今度は鳴尾教会の現在の牧師である山田夫妻、特に夫人の牧師山田晃美氏に対して異端疑惑を持ち掛けたのである(村上密氏のブログ記事参照)。

このように、村上サイドがまずは女性伝道者に異端の嫌疑をかけて、次に男性伝道者に対しても言いがかりをつけ、両者を追放しようと試みる手法は、両事件に共通しており、村上+津村氏サイドの常套手段のようにも見える。

そもそも異端の嫌疑というのは大変、深刻な問題であるから、そのような問題を論じるにあたっては、ことを公にして教団内の専門家らの間で公式の会議を行ない、慎重に議論を出すことが不可欠である。そうした公の審議もなされないうちに、津村氏がB氏にしたように、一方的に牧師が牧師を密室で非難し、さらにそれを根拠として人事異動の理由とすることが、いかに常識はずれで理不尽な手続きであるかは、言うまでもない。このような方法で行われた異動は、とてもではないが、正当な手続きとは言えない。

こうしたことからも、異端疑惑は、村上サイドが気に入らない人間を左遷するための口実作りを行なっていたとしか考えられないのである。

村上サイドは山田晃美氏に対して異端の嫌疑をかけた際、これが教団内できちんと議論・検証されるよりも前に、教団とは無関係の個人である杉本徳久氏のブログ「随想 吉祥寺の森から」などを盛んに使って中傷を流布し、事実の裏付けがきちんと取られないうちに、牧師夫妻のイメージを貶めようとした。そして、そのようにまことしやかに流布された「異端の嫌疑」は、教団内で話し合われた結果、裏付けが取れず、全く認められないまま今日に至っている。

(村上密氏が山田晃美氏に対して主張した異端疑惑が教団内でも認められなかった事実については、「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」の記事参照)。


7.「魔女狩り」の背景 ~津村氏と村上氏の男尊女卑と唯我独尊の思想~

このような「魔女狩り」とでもいうべき、女性伝道者に対する村上+津村氏サイドからの執拗な事実無根の言いがかりは、なぜ行われたのだろうか。

津村氏を身近で見て知っている人間として、率直に言えることは、同氏は相当なワンマンな教会運営者であったということである。鳴尾では、古参の男性役員の意見にさえ真摯に耳を傾けることがなく、まして女性の言い分に耳を傾ける習慣はなかった。

津村師の妻も講壇に立つことはなく、常に後ろに退いて同師のサポート役に徹していたことを見ても、戦前の家父長制の色濃く残る時代に生まれた津村氏は、夫のある女性は、妻として母として、夫を立て、男性を支えるために黒子に徹すべきという考えを持っていたのではないかと想像される。

戦争という出来事も手伝って、恵まれた教育を十分に受けているような余裕がなかったのかも知れないが、津村氏は、女性が高い教育を受けて伝道者となり、男性と同じように講壇に立って説教するということ自体に、強い違和感を覚え、自分の地位が脅かされるかのように感じていたのではないかと想像される。

(ちなみに、津村氏の娘である村上恵子氏は牧師資格を持っているはずだが、村上密氏と同じように講壇に立ってメッセージを語り、活躍しているという話を聞いたことがない。やはり、夫よりも後ろにさがってサポート役に徹すべきという考えを持っているためだと思われてならない。それだけでなく、恵子氏については、津村氏同様に、生き生きした感情を極度に抑圧されて無慈悲・冷淡・無感動になっているという印象を常に受けざるを得なかった。このことは私だけが指摘しているのではなく、カルト被害者が述べていることである。そして、この点こそ、村上密氏の活動の正当性に対する疑念を私に抱かせる最初のきっかけになった事実であった。つまり、男性牧師の活動の正しさは、夫人を見れば分かるのだと言える。どんなに牧師が活躍して自己満悦していたとしても、夫人が幸福でなければ何の意味もない。女性の目には女性が本当に幸福に生きているかどうかは決して偽ることはできないのである。ただし、このことについては別稿で触れる。)

改めてAB伝道師の書簡を読むにつけても、津村氏の内心では、女性伝道者の活躍を快く容認できなかったのみならず、自らの後継者と目されていた男性伝道者に対しても、同じように嫉妬深い、敵意に近い感情が生じていたことが見えて来る。

一言で言えば、津村氏はずっと自分だけが鳴尾教会のナンバーワンでい続けたかったのであり、鳴尾を牧会していた間も、鳴尾を去った後も、彼は自らの地位を誰かに譲ることに我慢がならなかったのではないかと思われる。

だからこそ、自らの後継になりうる人物に異端の嫌疑をかけて追放を試み、村上密氏を通して、今日に至るまで、鳴尾教会を取り戻そうと執拗な戦いを続けているのではないか? 

だが、ここまでくると、これは妄執であり、呪縛と言って差し支えない。鳴尾は、津村氏の辞任後も、今に至るまでずっと生霊のような津村氏の呪縛に追われていると言えるかも知れない。 


8.「魔女狩り」の理由その2 ~村上氏は鳴尾をブランチ化したかった?~

さらに、津村氏のみならず、村上氏までが、鳴尾の教団からの離脱の決定に対して、これほど執念のような反発を示しているのはなぜなのかという疑問が生まれる。

これについては、津村氏のみならず、村上氏もまた、津村氏の引退後、鳴尾を自分の手中におさめることを狙っていたのではないかと推測されるのである。

そう考える理由として挙げられるのは、村上密氏が、カルト被害者救済活動を通して、カルト化の疑いがあるプロテスタントのキリスト教会に積極的に裁判等をしかけて教会を取り潰し、信徒を「救済する」という名目で、自分の教会のブランチ化して来た事実があるためである。

このブランチ化という手法を見るならば、ファミリー経営の企業の合併のような感覚で、村上氏が津村氏の引退後、鳴尾教会は当然、自分の教会のブランチになると考えていたとしても不思議ではない。

京都教会と鳴尾教会はそれほど地理的に離れておらず、沖縄の教会をブランチ化するよりも、鳴尾をブランチ化する方が事ははるかに容易である。

だが、鳴尾に村上氏になびかない牧者がいる限り、それは成立しない得ない夢だ。特に、立派な教育を受け、強気でものを言ってくるような「目障りな」女性伝道者などもっての他ということになろう。
 
だからこそ、そういう「小賢しい連中」はあらゆる嫌疑をかけて早々に追放してしまい、鳴尾教会を何が何でも自分の教会に併合したかった、それが村上氏の本音ではあるまいかと推測されてならないのである。いずれにしても、そのような理由でもない限り、裁判で敗北しても、なぜ村上氏が一向にこの教会を諦めようとしないのか、説明がつかないのである。

このことは、これまで村上氏が自らにとって不都合な人物に対して盛んに行って来たネガティブ・キャンペーンの内容を見ても、さらに確信が強まる。

村上密氏のネガキャンの内容は、大体、彼自身の野望を他人にすり替えて転嫁して非難して来ただけに過ぎない。これは杉本徳久氏にもあてはまることであるが、彼らが他人に向けている非難のほぼ全ては、彼ら自身にそのままそっくり当てはまるものなのである。

たとえば、村上氏は、あたかも鳴尾の山田牧師夫妻が鳴尾教会を「乗っ取った」かのように主張していたが、同教会は適正な手続きによって教団から離脱したのであり、そこに「乗っ取り」は全く存在しなかったことが裁判によっても裏付けられている。

そこで、改めて生まれる疑問は、この教会を「乗っ取ろう(=併合しよう、ブランチ化しよう)」としていたのは、むしろ、村上氏自身(+津村氏)の方ではなかったかということである。

自らの野望を隠すためにこそ、同氏はそのような思惑をあたかも他人のものであるかのようにすり替え、自分は正義の味方のように装いながら、あの手この手で牧師の頭越しに鳴尾信徒に接近し、牧師夫妻の悪口を吹き込み、鳴尾教会の意思決定を分裂させては、この教会の教団からの離脱を阻止し、自らの支配下に取り戻そうと試みて来たのではないかと見られる。

おそらくは、早くから鳴尾教会を自らの支配下におさめようという思惑があってこそ、村上密氏は、津村氏の義理の息子という立場を存分に利用して、鳴尾教会の人事に積極的に暗闇で介入を繰り返して来たものと見られる。

いかに津村氏との義理の家族関係があったとしても、鳴尾信徒の頭越しに、密室で、教会人事に介入するなど言語道断である。それは誰の目にも、適正さを欠く、不誠実で信頼できない行動と映るのは明白である。

なぜそのような不透明な介入を村上密氏は当時から行って来たのか。それは鳴尾教会の人事を暗闇で思うがままに動かし、この教会を自分の支配下に掌握するためではなかったのか。鳴尾教会の教団からの離脱を手を尽くして阻止しようとしているのも、同じ理由からではないのか。

つまり、村上氏はどうしても鳴尾教会を自分の支配下に掌握したいのである。そのためにこそ、津村氏を利用して当時からこの教会に対して、あらゆる不当な方法を用いて介入をはかって来たのである。

だからこそ、鳴尾教会はこのような村上氏(+津村氏)の執拗な「魔の手」を逃れるために、教団を離脱して去って行ったのである。


9.本当の「異端者」は誰か? ~自己の無謬性を主張し、自ら神に代わって裁きを行うという異端~

繰り返すが、村上密氏の鳴尾教会に対するネガティブ・キャンペーンは、ただ彼自身の野望を他人に投影し、責任転嫁するものでしかない。だから、彼らが鳴尾の牧者にかけた「異端」疑惑についても、真の「異端者」とは誰なのか、という問題を今一度、よく考えてみる必要がある。

村上密氏は最近でも、「教会のカルト化―神のことばに混ぜ物をして売る危険―」などと題して、盛んにカルト対策セミナーを行なっている。しかし、こうした題名を見るにつけても分かるのは、彼は自分は決して間違わず、正しい見地から物事を主張できると考えて、カルト化の危険をただ他人事として述べているということである。

もし「混ぜ物」をする危険を訴えるならば、本当は、村上氏自身にこそ、誰よりもその危険をかえりみなければならない。なぜなら、村上氏の誤りの多い偏ったブログの文章や、彼が他人に対してまき散らして来た裏づけの取れない中傷こそが、「混ぜ物」に他ならないからである。

村上氏のブログ内容は、人間的な観点だけから見ても、客観性を欠く問題だらけの内容である。自らにとって不都合なことは、たとえ事実であっても書かれてはいない。これを差し置いて、他人だけに向かって御言葉へ「混ぜ物をする危険」など悠長に語っていられる場合ではない。

だが、村上密氏はそのようなことをかえりみることはない。同氏は自分だけは誤りに陥ることなく、他教会のカルト化を取り締まる正義の味方でいられると思い込み、一方的で独善的なものの見方しかできなくなってしまっている。こうした背景には、異端の影響があると思われてならないのである。
 
キリスト教の異端の一つに、地上において人間が完全に聖化するという考えがある。このブログでも再三に渡り、訴えて来たように、すべての異端は、人が自力で神の聖に至ることができるというグノーシス主義であるが、その一環として、地上において信者が完全な聖化に至ることができるとする偽りの思想がある。

聖書によれば、人間は霊・魂・肉体を持っており、神の霊と交わることができるのは、人の霊だけである。従って、どんなに神と霊において親しく交わったとしても、信者が聖別されるのは霊だけであり、堕落した魂と肉体が聖化されるわけではない。

地上にある限り、人間の魂も、肉体も、神から離れており、従って、人が地上で完全に聖化されることはなく、人とキリストとの完全な結合は、復活の時を待たなければならない。従って、地上における信者の歩みとは、絶えず「霊によって体の働きを殺す」という性質を持たねばならず、堕落した体の働きがなくなることはなく、体の贖われる時にならなければ、決してそこから解放されることはなく、完全な歩みには至らないのである。だからこそ、信仰者は絶えずイエスの血潮にすがっていく必要がある。
 
ところが、グノーシス主義に影響を受けた異端は、このような霊・魂・肉体の切り分けを否定して、あたかも人の全てが(魂・肉体も含めて)神を信じれば聖化されるかのような偽りの思想を吹き込む。文鮮明を再臨のキリストとみなし、合同結婚によって信者が「聖家族」に加えられると教える統一教会は言うまでもないが、ペンテコステ系の多くの教えにも、この種の偽りが混入している。

こうして、自分が完全に「聖化」されたかのように偽りを信じてしまった信者は、それ以後、自分を神に等しい絶対者として考えるようになり、己の言動の無謬性を信じた結果、自分の過ちをかえりみることがなくなってしまう。そして、自分のメッセージを神の御言葉と同一視して、信者に絶対服従を求めたり、自分の判断を神の審判と勘違いして、自分に逆らう者をことごとく「悪魔」、「異端者」扱いして追放し、魔女狩りのような「異端審問」を実行して、無実の人々を苦しめたりする。

村上密氏の活動を振り返る時、そこに顕著に表れているのは、同氏が自分を神のように絶対的に正しい存在とみなして、それを根拠に、他人の内心を取り締まり、指導できると思い込んでいることである。もし自分が神と同じほど正義であり、聖であるという確信がなければ、他者の信仰生活に立ち入って、その誤りを批判し、これを実力行使によって排除するために取り締まるなど誰にもできない相談である。
 
異端について警戒を呼びかけたり、危険な教えに逸れている信徒に忠告することは、聖書が禁じておらず、むしろ奨励していることであり、それ自体は何ら咎められる行為ではない。だが、そのためには、聖書の御言葉に照らし合わせて詳細な検証が不可欠であり、それをせずに、誰彼構わず気に入らない人物に異端のレッテルを貼って排除するのでは、単に「魔女狩り」にしかならない。

さらに、独麦は抜かずにおくようにと聖書が教えていることから、たとえ異端者であっても、クリスチャンが裁判等により、これを実力行使で排除することによって生活の場を奪い、いつまでも報復行為によって苦しめ続け、追い詰めるようなことは認められていない。

まして、教会に「異端」の嫌疑をかけ、教会に裁判をしかけて弱体化させることによって、教会を自分の教会に併合したりするような活動は、人の目から見ても「救済」からはほど遠く、何ら聖書に基づくものではない。そもそも牧師が教会を訴えるという行為自体が、村上密氏の登場以前には、プロテスタントのキリスト教界に未だかつて存在したことのない異常現象なのである。

そして、鳴尾の教会人事に資格なしで介入して来たことや、私がここで指摘している「サイバーカルト監視機構」の存在を含め、開かれた公の場での話し合いを通して、物事を解決して行くのではなく、常に自分は矢面に立たず、密室の暗闇で、証拠の残らない形で、他人に影響力を行使し続けて来たこのような人物が、果たして信頼に足るのかどうか、信仰者と言えるのか、何を目的にキリスト教界で活動しているのか、改めて考える必要がある。

こうしたことから、鳴尾教会の牧者に対して次々と「異端」の嫌疑をかけて排除を試みて来た村上密氏であるが、同氏自身は何者なのか、果たして異端者でないと言えるのか、このような人物がクリスチャンと呼ばれるにふさわしいのか、慎重に再考することが必要である。

何よりも疑わしいのは、同氏がプロテスタントのキリスト教界のすべての他の牧師をさしおいて、自分こそが教会のカルト化問題を取り締まる第一人者であると考え、他者の信仰について正しい判断ができると自負していることである。それ自体、極めて異常であり、己を神に等しい絶対者とみなしていなければ、決してできない行動であることに思いを馳せる必要がある。

そのような高慢を信者に生じさせる背景として考えられるのは、いつも決まって 統一教会の教えのように、地上で完全な聖化がありうると教える異端の影響以外にはないのである。

 
<続く>

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村上密牧師と杉本徳久氏によるクリスチャンへのいわれなき迫害➀

「サイバーカルト監視機構」とは何か。
~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師とその支持者らが
カルト対策を口実にクリスチャンを迫害する手法~




1-1.村上密氏と杉本徳久氏がネットの暗闇で繰り広げるサイバー犯罪
1-2.政敵を貶める人物破壊工作を目的にブログ記事を掲載し、都合が悪くなると記事を書き変える杉本徳久氏
1-3.情報統制のために検索結果を操作する杉本徳久氏が日夜いそしむ逆SEO
1-4.不都合なブロガーに暗闇で脅迫状を送り付けてはブログ閉鎖に追い込もうとする杉本徳久氏
1-5.村上密氏と杉本徳久氏の活動はクリスチャンからの支持をすでに失っている
1-6.教団と無関係な個人のブログやサイバー犯罪を利用して情報統制を行ない、権力掌握に努めてきた村上密氏
1-7.村上密氏が杉本徳久氏に指示して掲載させたと見られる鳴尾教会に対する誹謗記事
1-8.杉本徳久氏のブログ以外に根拠を持たない村上密氏の主張
1-9.ネット専門の工作員を動員して政敵を貶める村上密氏と杉本徳久氏
1-10.「あざける者ども」や「兄弟たちの告白者」を彷彿とさせる村上密氏と杉本徳久氏の活動
1-11.「闇は光に打ち勝たなかった」 「公然」は「密」の反意語 真実を提示することにより嘘を暴く
1-12.嘘に満ちた村上密氏と杉本徳久氏の活動は、聖霊から来るものではない
1-13.十字架に敵対する者たちの最期は滅びである

2.さわやか読者の活動履歴



 


1.暗闇で非合法に活動するサイバーカルト監視機構

1-1.村上密氏と杉本徳久氏がネット工作員を利用して暗闇で繰り広げるサイバー犯罪

 
プロテスタントのアッセンブリーズ•オブ•ゴッド教団は、教会のカルト化を防ぐことを口実として、カルト被害者救済活動を行って来ました。しかし、2009年頃から、私は聖書に基づかないこの活動の危険性に気づき、この活動は必ず暴走すると、記事「『カルト監視機構』という名の秘密警察の設立について」等で危険性を具体的に訴えて来ました

こうしたことを指摘して後、同教団や上記の活動の関係者からこのブログに対して、今日に至るまで予想を超える嫌がらせや工作が行われて来ました。その最たる事件は、ご承知の通り、彼らが仲間のブログ「随想 吉祥寺の森から」(以下参照)において、当ブログを一千件のコメントと共にバッシングしたことです。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師は、かつてカルト化教会を取り締まるという名目で、クリスチャンだけでなく、非クリスチャンの有識者も加えた「カルト監視機構」の設立を訴えていました。しかし、反対が大きく、この機構の設立を断念せざるを得ませんでしたが、代わりにインターネット版「サイバーカルト監視機構」と呼ぶにふさわしい暗闇のネットワークを構築し、彼らの活動を批判する者たちに対する容赦のない制裁を加え続けているのだと見られます。

むろん、そのような機構は非公認かつ非合法なものであり、個人の(自称)クリスチャン・ブロガーなどが集まって、反対者を吊し上げるための秘密結社のような暗闇の犯罪集団を作っているにすぎません。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、きちんとした公の手続きに則って、教団ホームページなどを利用して、反対者に対する弁明を行うことが出来たのに、そうすることなく、むしろ、教団と全く関係のない個人によるブログ「随想 吉祥寺の森から」などを含め、その多くは匿名の個人から成るネット上の暗闇の犯罪組織・私刑集団を積極的に活用して、教団にとって不都合な人物に対するネガティブ・キャンペーンを展開し、ネット上の言論統制を行なって来ました。

彼らは独自のネットワークを駆使しては、自分たちの活動に不都合な情報を掲載するブロガーに対して水面下で妨害工作を繰り返し、恫喝メールを大量に送りつけてはブログを閉鎖に追い込んだり、検索結果から気に入らない情報を駆逐するための工作を行ない、ターゲットとみなした人間に対する捏造された悪評を広めるために日夜工作を行っています。


1-2.政敵を貶める人物破壊工作を目的にブログ記事を掲載し、都合が悪くなると記事を書き変える杉本徳久氏
 
(付記:たとえば、杉本徳久氏が2009年末に執筆した記事「東洋からの風の便り ヴィオロン」は、当時一千件のコメントがついて杉本氏のブログの炎上に至るきっかけとなった記事であるが、その題名から見ても、この記事は、故意に他者のブログと同じ標題をつけて、標的とみなしたブログに対する悪意ある内容を掲載し、悪意ある情報を意図的に検索結果に表示させることによって、他者のブログの印象を貶めて操作することを目的として書かれたことが明白である。

杉本氏の多くの記事は、このように、初めから同氏が政敵とみなした人物のブログやサイトの評判を貶め、特に検索結果を意図的に操作して歪めることを主たる目的に書かれている。


上記の記事は、よほど多くの批判を浴びたのであろう、その後、杉本氏によって大幅に内容が書き変えられ、題名も、「ウォッチマン・ニー」と変えられたが、それはただ単に世間で批判が高まったので、同氏が記事を別のアドレスに移し変えただけである。

さらに、この記事の標題とされているウォッチマン・ニーについても、杉本氏は本文で何らきちんとした分析を行なえていない。杉本氏がウォッチマン・ニーの思想の内容に踏み込んだ具体的な議論を全く記事で行うことができていない様子を見ても、この無内容の空疎な記事が、批評を目的としたものではなく、単に当ブログに対する嫌がらせとして未だ掲載され続けているだけであることは明白である。



(注:当ブログをバッシングすることだけを目的に
 杉本徳久氏が作成した「悪意に溢れるダミー記事」
当ブログの標題と内容を無断で大量に剽窃し、
当ブログ管理人を貶める悪意ある情報を掲載した。

後に世間の非難が殺到し、都合が悪くなったと見え、
杉本氏はこっそり記事内容を書き変え、剽窃部分を削除するも、
 元記事はただ別のアドレス(以下)に移し変えただけである。

2009年12月28日と 2013年6月23日のバージョンでは、
大幅に内容が書き換えられている様子が確認できる。)


 
変更前の元記事はこっそり別ブログの記事に移し変えている。
 ただし、名誉棄損で犯罪が立件しては困るためか
現在はPC版ではプライベートモードで非表示にしている模様。

 


  1-3.情報統制のために検索結果を操作する杉本徳久氏が日夜いそしむ逆SEO

上記の記事の他にも、当ブログを標的として杉本氏の手で書かれたバッシング記事やコメントは枚挙に暇がないほど多数あり、その多くにおいて、同氏は当ブログ執筆者を根拠なく誹謗しているのみならず、当ブログの標題やアドレス、記事内容を大量に無断で掲載している。

このことを見ると、杉本氏がただ単に無断転載の常習犯であるだけでなく、他者のブログの検索結果を意図に操作することを目的として、故意に他者の書いた内容を大量に引用しては、ダミーとして自らのブログに取り込んでいる様子がよく分かる。
 
こうした方法は逆SEOとして知られ、たとえばライバル企業のサイトの検索順位を下げたり、評判を貶めて営業活動を妨害し、利益を低下させたりする目的で使われる悪質で犯罪的な妨害工作である。

杉本氏は上記のような嫌がらせ目的のスパム記事をブログに掲載する他にも、以下のさわやか読者の活動履歴
に示しているように、ライバルとみなしたサイトを毎日のように訪れては、短い時間で数十回を超えるような異常でしつこいアクセスを繰り返すことによって、標的と定めたサイトの検索順位を下落させようと日夜工作を繰り返している。このデータを見れば、彼がどれほどの執念の持ち主であるかがよく分かるだろう。
 
  
1-4.不都合なブロガーに暗闇で脅迫状を送り付けてはブログ閉鎖に追い込もうとする杉本徳久氏

さらに、これにとどまらず、杉本氏は以下にも示す通り、おびただしい回数、当ブログ管理人に脅迫メールを送りつけては、同氏にとって都合の悪い記事を削除するよう、一方的な要求を繰り返して来た。また、これがかなわない場合には、匿名掲示板等で当ブログ管理人の個人情報を無断で公開するなどと脅迫し、実際に大量の嫌がらせ投稿を行なったと見られる。こうしたことはすべて悪質な犯罪である。

杉本徳久氏が私に宛てて書き送った恫喝メールは多数存在するため、前後についての詳しい注釈を付した上で一つ一つ全文公開して行く。まずは次のものから。

2010年10月5日付   杉本氏が唐沢氏に提訴の報告を求めヴィオロンの記事を罵倒したメール
2010年10月17日付 杉本氏が唐沢氏の提訴予告について進行状況を報告せよと恫喝したメール
2010年11月20日付 杉本徳久氏が唐沢氏の提訴予告について謝罪を要求した恫喝メール
2010年12月8日付   杉本徳久氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に提訴を催促した恫喝メール
2010年12月15日付 杉本氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に記事削除を求めた恫喝メール
2011年12月6日付   杉本氏がヴィオロンの個人情報を特定して恫喝して来たメール
2011年11月28日付   杉本徳久氏が、唐沢氏とヴィオロンに送りつけた恫喝メール
2012年1月1日付    杉本徳久氏がヴィオロンの個人情報を晒すブログ記事を示した恫喝メール
2012年1月22日付 杉本徳久氏がヴィオロンに実力行使に出ると恫喝したメール
2012年3月8日付  杉本徳久氏がヴィオロンに期限を切ってブログ削除を要求した恫喝メール
2012年3月9日付  杉本徳久氏からヴィオロンの返答に対する罵倒と恫喝のメール
2012年3月10日付   杉本徳久氏がヴィオロンに自分を提訴せよと恫喝して来たメール

2016年4月25日付 杉本徳久氏がメールフォームから投稿した恫喝メール
2016年4月30日付 杉本徳久氏がヴィオロンへの提訴をほのめかした恫喝メール
2016年5月2日付   杉本徳久氏がヴィオロンを提訴してやると恫喝したメール
     
          
1-5.村上密氏と杉本徳久氏の活動はクリスチャンからの支持をすでに失っている
  
杉本徳久氏のこうした不法かつ行き過ぎた異常な活動に関しては、2012年にその反聖書的意義を分析し、WEBページにまとめた。「  罪と罰 カルト被害者救済活動はなぜ聖書に反するのか。」この論考は当時、多大な反響を呼んだ。
  
杉本氏にとってはこのWEBページが特に気に入らなかった様子で、脅迫メールを大量に送りつけたり、嫌がらせコメントを大量投稿するなどの方法で、当ブログやWEBページを閉鎖に追い込もうと試みた。

だが、いずれにしても、杉本氏が暗闇で行っている工作や脅迫は、あまりにも幼稚で根拠のないものであり、いつまでも功を奏するものではない。最初は杉本氏に賛同していた人々もいるにはいたが、同氏が述べている主張がことごとく嘘であることが暴露され、また、同氏の用いている手法が極めて陰険で悪質な犯罪的なものであることが判明するに伴い、杉本氏の常軌を逸した人柄を知って、必然的に、支持者も激減して行った。

今となっては、さわやか読者はほんの数えるほどしか存在しない。おそらくは、当時はたくさんいたように見えた人々も、そのほとんどは雇われ工作員に過ぎなかったものと見られる。杉本氏がバッシング記事に掲載したコメントも、同様に、サクラであった可能性が極めて高い。

真にクリスチャンであれば、すべてのことについて公に議論が可能なはずだが、彼ら(ほとんどのコメント者)が決して公の場所に出て来ようとしない様子を見ても、おそらく、さわやか読者の多くが、もともとクリスチャンではないネット専門の工作員であり、キリスト教に関して議論に耐えうる知識が全くなく、下手に議論になって身元が判明することを恐れて陰に引っ込んでいると考えられる。)


1-6.教団と無関係な個人のブログやサイバー犯罪を利用して情報統制を行ない、権力掌握に努めてきた村上密氏

   
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、公には上記のようなネットを利用した犯罪的な活動と無関係を装っていますが、あらゆる角度から見て、村上密牧師が、杉本徳久氏のようなブロガーやコメント者らを積極的に利用しては、自分に都合の良い捏造された情報を流布し、自らにとって不都合な人物の評判を貶め、ネット上の情報を操作して言論統制を行ない、不都合な情報を掲載するブログを閉鎖に追い込み、クリスチャン同士の分裂・対立・憎み合いを助長して、それを奇貨として、教団内、ひいてはプロテスタント教界全体の権力の掌握につとめて来たことは明らかです。


1-7.村上密氏が杉本徳久氏に指示して掲載させたと見られる鳴尾教会に対する誹謗記事


(たとえば、村上密氏と杉本徳久氏は、当ブログのみならず、鳴尾教会の後任の山田博・晃美牧師夫妻に対しても、同様に、事実無根の誹謗中傷の記事をいくつも掲載しては、名誉を貶め、人物破壊工作を続けて来たことはよく知られている。


一例を挙げれば、杉本徳久氏のブログ記事「道を外れたならば」には、教団内の議論によっても全く裏付けの取れなかった山田夫妻への異端疑惑がまことしやかに事実であるかのように記されている。

しかし、鳴尾教会の関係者には、一見しただけで、この記事がきちんとした下調べもなしに、一方的な思い込みだけによって書かれたものであり、しかも、無実の他人について「悪人」のイメージを捏造し、他者の印象を貶めるために書かれた虚偽の内容であることがすぐに分かる。


そもそも、この記事には一文たりとも、きちんと事実関係を確認した上で、証拠を挙げて書かれた文章がない。それだけを見ても、いかに信憑性に欠ける記事であるかはすぐに分かるが、こうした捏造記事の悪質さは、ざっとピックアップしただけでも次のようになる。

鳴尾教会に関しては、今になっても、こうした事実に反する偏った情報にいつまでも固執して、これを真実であるかのように声高に叫んでいる人物が、(津村氏と)村上密の他には見当たらないという事実を見ても、杉本徳久氏の執筆したこの記事が、村上密氏、すなわちアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の意向を強く受けて書かれたことは明白である。

 



以上は、鳴尾の牧師夫妻の人柄について「異端者」や「悪役」としてのイメージを捏造し、
人物破壊工作を行う目的で「随想 吉祥寺の森から」のブログに杉本氏が掲載した誹謗記事。
 いかに論理の飛躍が多く、不確かな情報ばかりが掲載されているかよく分かる。



1-8.杉本徳久氏のブログ以外に根拠を持たない村上密氏の主張


このように杉本徳久氏が事実に反して特定のクリスチャンの評判を貶めるために掲載したブログ記事内容が、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と村上密氏の強い意向を受けて執筆されたものであることは、ただ記事内容から推察されるだけでなく、村上密氏自身のブログ記事によっても明白にされている。
 
村上氏はブログ記事「除名に相当する解任」を受けた山田博・晃美夫妻のその後 」の中で、鳴尾教会の後任の山田博・晃美牧師夫妻が、教団から「除名に相当する解任」を受けたと得意満面に発表し、夫妻の人格を貶め、彼らに対して勝ち誇ろうとしているが、村上氏がここで自らの主張を裏付ける根拠として挙げているのは、教団とは無関係の個人である杉本ブログしかない。

ちなみに、除名に相当する解任、という言葉から察するに、これは形式上は、単なる解任であって、どうやら、除名ではないようである。村上氏は「除名」に追い込みかったのであろうが、結局、除名にまでは至らなかったことが分かる。
 
つまり、村上氏からかねてより山田夫妻に対してでっちあげて主張して来た異端疑惑には、何の裏付けも取れなかったので、教団側も、彼らを除名することができなかったものと見られる。

こうした村上氏の記事内容から分かるのは、村上氏が自らの政敵を貶める目的で、予め自分にとって都合の良い、偏って捏造された情報を杉本氏サイドに提供し、杉本氏にあたかも自分の代理人のようにそれを発表させた上、後から杉本氏の記事を引用して、自らの記事の主張の裏づけにしようとしている点である。

このことは、村上・杉本両氏が仲間であり、秘密裏に結託して情報をやり取りしていること、また、彼らがタグを組んで繰り広げて来たカルト対策活動が、完全な出来レースであることをよく示している。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは無関係の杉本氏が、こうした情報を自らの一存だけでは手に入れることができないことは明白であり、さらに、こうした情報を提供することによって利益を受ける存在も、村上密氏以外にはいないことは明白である。


さらに、もっと言えば、このことは、村上密氏には、自分の主張を裏付けるために、教団とは何の関係もない私人のブログを引用する他に、もう手段が残されていないことを示している。

村上氏が杉本ブログ以外のソースを何も提供できていない事実から察するに、村上氏の活動がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中で、他の牧師たちから本当に支持を得ているのかどうかも疑わしい。


もし村上氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団内で相当の支持を受けているならば、同氏は自分の主張の裏づけとして、きちんとした教団の正式な文書や、他の牧師の言説を引用して発表することができていたはずである。教団と無関係の私人のブログしか、根拠として挙げるものもないという嘆かわしい事態には陥っていなかったであろう。

ところが、同氏が牧師でありながら、一信徒の、しかも自分の教会とも教団とも無関係の私人のブログを引用して自分の主張の裏づけとするしかない様子は、教団外だけでなく、教団内でも、同氏の相当な孤立無援状態を伺わせるものである。

 

村上密Blog記事「除名に相当する解任」を受けた山田博・晃美夫妻のその後 」には、同氏が自分の主張を援護する主張として、杉本ブログ以外に引用できるソースを持たない様子がよく分かる。 これは村上氏の教団内外での孤立状態を如実に物語っているように見える。


1-9.ネット専門の工作員を動員して政敵を貶める村上密氏と杉本徳久氏

さらに、当ブログに対する嫌がらせとして投稿されたコメントの内容等を見ても分かるのは、村上密氏と杉本徳久氏は、ネット上で政敵を貶めるために、おそらくはネット対策専門の会社に委託して金で工作員を雇い、積極的に利用して来たということである。

たとえば、当ブログに対する嫌がらせとして匿名掲示板に大量投稿されたコメントは、その内容から判断するに、杉本徳久氏か村上密氏が自ら書き込んだか、もしくは彼らが結託して雇った工作員の仕業であるとしか考えられず、およそクリスチャンが行った投稿とは考えられない。


なぜなら、そのコメント内容には、すでにネット上に出回っている既知の情報の大量の拙いコピペしかなく、いかなる新情報も提示されていない上、何の思想的裏づけもなく、個人的特徴も見られないためである。従って、これを書き込んだ人間が、提示された情報をコピペする能力しか持たず、教会やクリスチャンの事情を全く知らず、教義さえ知らない第三者であって、クリスチャンでないことは明白なのである。

そこから推測できるのは、こうした大量の嫌がらせコメントを拡散する目的で、村上氏と杉本氏が、ネット専門の対策会社に金を払って工作員を雇い、彼らに一定量の嫌がらせコメント投稿を委託したという事実である。つまり、工作員が彼らの指示した内容をコピペして大量投稿したということである。

こうした事実を見るならば、おそらく、杉本氏が当ブログに対して掲載した一千件のコメントを伴うバッシング記事も、大量の工作員を動員して仕組まれた自作自演劇であり、彼らが今日に至るまでいそしんでいる逆SEOも、雇われ工作員の仕業である可能性が高い。

つまり、彼らは金で雇われたネット専門の工作員しか使えない状態なのである。それは、村上密氏と杉本徳久氏がすでにクリスチャンから見放され、キリスト教界においてほぼ完全に支持を失って、誰からも応援を得られなくなっている様子をよく物語っている。)


1-10.「あざける者ども」や「兄弟たちの告白者」を彷彿とさせる村上密氏と杉本徳久氏の活動


聖書にはこうあります、「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい、そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)。クリスチャンが悪に対して何も手を打たずにただ翻弄されることを奨励する箇所は聖書にはありません。

悪魔は「私たちの兄たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」(黙示12:10)です。クリスチャンに対して事実無根の誹謗中傷を浴びせるのは、悪魔の日課であることが分かります。

また、悪魔は嘘つきです、彼は「偽り者であり、偽りの父」であり、「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。」(ヨハネ8:44)
 
村上密氏と杉本徳久氏の提示する主張の多くの部分が、事実でなく捏造された情報に基づいており、嘘に満ちていることや、彼らが無実のクリスチャンに次々と異端者の濡れ衣を着せては攻撃し、自らにとって不都合な信者の「魔女狩り」を行なって追放を試みて来た様子を見るときに、彼らの活動は、一見、「教会のカルト化」問題を憂い、これと戦い、この問題を克服することを口実にはしているものの、実際の彼らの姿は、カルトと勇敢に闘う正義の味方どころか、むしろ、「兄弟たちを訴える者」である悪魔に近いことが分かります。

また、聖書には、「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」(ユダ1:19)と警告されています。

村上氏や杉本氏が、ネット暴民とでも呼ぶしかない、ネトウヨのような暴徒化した工作員を大量動員しては、自ら敵とみなした信者を中傷・嘲笑・揶揄し、その印象と評判を貶めて来た様を見れば、彼らの活動が、同胞のクリスチャンへの思いやりや、信頼や、愛情や、尊敬に基づくものでなく、彼らの議論も、きちんとした事実や、知識に裏付けられたものでなく、彼らの活動は、ただ彼らの気に入らない反対者をあざけり、その評判を傷つけ、貶めることで、気に入らない他者を嘲笑し、吊し上げ、苦しめることを目的としており、その所業は、まさに聖書に警告されている「あざける者ども」の姿を彷彿とさせます。

さらに、村上氏や杉本氏の活動は、聖霊に基づくものではなく、むしろ、悪霊に基づくものであり、各地で信者同士の分裂や裏切りを引き起こし、己の欲望のままに人々を悪意によって嘲笑し、傍若無人にふるまっている点でも、聖書に記された「あざける者ども」の特徴にぴったり当てはまります。
 
「しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。」(ガラテヤ4:29)

とある通り、悪魔の日課は、己の罪をクリスチャンに転嫁して、クリスチャンを告発することにあります。罪を犯している者が、自分の罪を隠し、その責任から逃げるために、無実の者にその罪を転嫁して告発する、これは有史以来、悪魔がずっと神の僕に対して繰り返して来た行為であり、カインが己の罪を隠すために弟アベルに身代わりに罪を着せて殺し、ペニンナがハンナをいじめ、嫌がらせを行なった時代から、今も変わらず、悪魔に息吹かれた人々が用いている常套手段です。

すさまじい執念を込めて、何年間も、ターゲットとみなしたクリスチャンを無実にも関わらず告発し、傷つけ、苦しめることをライフワークとする村上密氏と杉本徳久氏の活動を見る時、こうした活動が、悪魔に直接、息吹かれたものであることを思わずにはいられません。


1-11.「闇は光に打ち勝たなかった」 「公然」は「密」の反意語 真実を提示することにより嘘を暴く

悪魔は「吠えたけるしし」のように、束の間、傍若無人にふるまい、隆盛を誇っているように見えるかも知れませんが、クリスチャンがこれを見て、怖気づいたり、気落ちする必要はありません。

「しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもなのです。」(ガラテヤ4:30-31)


このように、最終的に追い出されるのは、「肉にある者」であって、「御霊に従って歩む者」ではない、ということが、聖書には、明確に記されているからです。それは、悪魔は、信者が毅然と立ち向かえば、恐れをなして逃げ去ると聖書に書いてある通りです。悪魔と暗闇の勢力が盛んに述べ立てている嘘も、信者が毅然と立ち向かえば、当然ながら、後退して行きます。

聖書には裁判官に悪人を訴え続けたやもめの話も登場していますので、悪魔の卑劣な所業を卑劣であると指摘して、神に訴え続けることは重要です。

「まして神は夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。」(ルカ18:7-8)
  
信者が悪に対して立ち向かう最も有効な方法は、まずは光を当てることです。つまり、暗闇で行われている活動を公の光の下に、明るみに出すことこそ重要です。村上氏と杉元氏が暗闇で主導して来たサイバーカルト監視機構についても、全貌をまず明るみに出す必要があると考えます。

勘のいい人は「公然」つまり「光」が、「密」(=闇)の反意語になりうることが分かるでしょう。光を照射することで焼き尽くし、光に晒すことによって縛る、という方法が存在します。
 
暗くてジメジメしたところの好きな虫が清潔で明るい環境を避けるように、悪霊も公然たる光の下では活動できません。ですから、暗闇の勢力には光が当たるだけで相当な衝撃となります。
  
聖書に予告されている通り、隠されていたすべてのことはいずれ明るみに出されます。
「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。」(ルカ12:2)

人が暗闇で行った活動も、いつか必ず全世界の前で明らかにされる時が来ます。だからこそ、悪霊の働きである活動には関わってはいけないのです。いつか必ずそれが明るみに出されて重い責任を問われる時が来ますから。
 
「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、闇の中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する賞賛が届くのです。」(Ⅰコリント4:5)


クリスチャンの対処とは、このように、まずは嘘の嘘たる所以、悪の悪なる所以をきちんと論証し、光の下に置くところから始まります。異端の教えの分析も方法は同じであり、誰が有罪になるとかならないとかは結果論に過ぎません。

「兄弟たちを告発する者」に対して、クリスチャンが用いることのできる武器は、小羊の血と、あかしの言葉です。彼らが放つ全ての非難の毒矢に対しては、キリストが信じる者を義として下さった血潮を高く掲げることで対抗できますし、彼らの述べ立てる嘘に対しては、真理を証することで対抗できます。

これを続けるなら、必ず、「神の救いと力と国と、神のキリストの権威は現れる」のです。
 
「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。
 私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」(黙示12:10-12)   
 
 
 
1-12.嘘に満ちた村上密氏と杉本徳久氏の活動は、聖霊から来るものではない

いかに教会のカルト化問題を解決するとか、カルト被害者を救済するなどの美名を用いていたとしても、何年間もの長きに渡り、教団や教会の公式な手続きに従わず、教団とは公式に何の関係もない個人を暗闇で動員し、この世の司法の判断さえも尊重せずに、非合法なパワーを行使し続けて、政敵とみなした人物に誹謗中傷を浴びせて苦しめようとする人間が、正常なクリスチャン指導者と言えないことは、誰の目にも明白です。

村上密氏や、杉本徳久氏の繰り広げるカルト被害者救済活動は、あらゆる点から見て、聖書に基づくものではなく、神の聖霊から来る活動ではなく、危険な悪霊の働きです。人生を破滅させないためには、彼らの活動を支持しないよう警告しておきます。彼らには主の御手が置かれるでしょう。


1-13.十字架に敵対する者たちの最期は滅びである
  
最後に、真理を喜ばず、偽りを愛し、悪を喜んでいた人々は、神自らが惑わす霊を送って、彼らを欺きに引き渡し、それによって裁かれると、聖書にあります。

村上氏や杉本氏と一緒になってクリスチャンをあざける側に回っていた人々には、悔い改めないならば、どんなに重い罰が待ち受けていることでしょうか?
 
生ける神のみ手に落ちるのは恐ろしいことです(ヘブル10:31)
聖書の真理を侮り、神を侮る人々にはまことに恐ろしい結果が待ち受けています。 

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理に対する愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ2:9-12)

 
 「というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、
多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。
彼らの 思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自分に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のかたらだと同じに変えてくださるのです。」(ピリピ3:18-21)


神は侮られるような方ではありません。十字架に敵対して歩んでいる者たちが、たとえ獅子のように吠えたけることがあっても、彼らがいつまでも正しい者たちを虐げて偽りの繁栄を享受し、勝者であり続けることは決してありません。悪者は草のように萎れて消え失せ、彼らの最期は恥であり、滅びとなります。

バビロンとは何なのか、それはバビロン焼却の煙がまもなく証明するでしょう。サイバーカルト監視機構という犯罪組織も、人数が激減して範囲が狭まって来ているため、個人が特定されるのも時間の問題でしかありません。残念ながら、いつかここに個人名をあげてそれぞれにどんな対処を行ったか公表しなければならない日が来るかも知れません。


さわやか読者よ、あなた方はずっと全世界の聖徒らの前で最期を観察されているのです、もう終わりが近いですよ、悪しからず…。

当ブログではこうした人々についての情報を収集し、随時、発表しています。ダウンロードは以下から可能です。こうした情報は捜査のためにも提供して行きます。
 
  


さわやか読者の活動履歴
      

サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)②(5月23日版)

サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)➀(5月14日版)
        
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(後編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(中編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(前編)

優良さわやか読者賞(続)2月22日改定版

優良さわやか読者特別賞 2月10日改定版


 

 

正義の仮面を被り、無実の教会とキリスト教徒を迫害する村上密氏の活動の危険➀

先の記事で何度もアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の現役信徒であったBr.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻が、身元を隠してKFCに入り、メッセンジャーとなり、Dr.Lukeと共に気に入らない信徒を中傷し、悪魔扱いして追放して来たことを述べた。 

Dr.Lukeはその後Taka氏に裏切られ、KFCはTaka氏の策略により何年もそれまで維持して来た会堂契約を失うに至った。さらに、Br.Taka氏がKFCから気に入らない信徒を中傷し、追放するにあたっては、名古屋のAG信徒(candy氏)、天声教会のメッセンジャーもこれに加勢したことを述べた。

こうした事件がまさか偶然に起きたものだとは、私は思っていない。むろん、このような信徒は早期に「兄弟姉妹」でないとみなすべきであった。そうしていれば、KFCももう少し被害を防げたかも知れない。

だが、今はKFCのことは脇に置いて、いずれにしても、これらの出来事の背景に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と密接な関係がある信徒らを存分に利用して、独自の目的を遂げようとした集団が確かに存在していたことは、ほとんど疑いの余地がないように思われる。

そもそもアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、私が最初のブログ「光の天使の罠」において同教団京都教会の牧師村上密が率いるカルト被害者救済活動を危険なものとして分析・批判してから、現在に至るまで、何年間も、あらゆる方法で私に嫌がらせを繰り返して来た。

中でも最たる嫌がらせの例は、現在すでにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もないはずの(カトリック信者と言われる)杉本徳久氏の個人ブログ「随想 吉祥寺の森から」を通して行われた私への誹謗中傷であった。

これについては幾度も反論記事を記して来た通りであるが、名誉棄損の可能性が極めて高い内容であり、相応の対処が必要であると考えている。

さて、直接の面識が全くない杉本氏がこのような私に対する一連の誹謗の記事を掲載するに至った背景には、当然ながら、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密氏の強い影響があった。

杉本氏は村上密氏のカルト被害者救済活動を支持している旨を自身のブログで明確に述べており、村上サイドの活動を擁護・防衛するために、私への弾劾記事を自身のブログに載せたのである。

そして、村上氏の方でも、教会のカルト化問題を扱うにあたり、彼が疑わしい(カルト化の疑いがある)とみなした多くの教会や牧師に対して、自身のブログを用いて批判するだけでなく、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない一個人である杉本氏のブログを積極的に活用して、批判弾劾記事を掲載させて来た事実は、ここであえて述べなくとも世間によく知られている事実である。

私は当初から、村上密氏の率いるカルト被害者救済活動なるものは、ただ単に村上氏の個人の意志で始まったものであって、公に教団から認可を受けたものでなく、ましてプロテスタント教界全体においては何の権限も付与されておらず、それなのに、彼があたかもプロテスタントの教界全体を取り締まる資格を持っているかのように、自ら「危険」とみなした教会について、次々と信徒から情報収集をしては、その教会の牧師の頭越しに「被害者」からの証言を集め、これを基に他教会の人事に介入し、「疑わしい」教会に裁判をしかけて、教会を消滅に追い込んだり、あるいはブランチとして自分の教会に併合したりすることは、極めて大きな危険であることを指摘して来た。

このように、カルト被害者救済活動は、被害者を救済するという美名を口実に、実際には正当な権限を持たず、誰からもきちんと承認を受けていない一個人に過ぎない牧師が、ただ自らの正義感だけに基づいて、全プロテスタント教界の内情に介入してこれを取り締まろうとするものであるから、これは個人である牧師がプロテスタント教界全体に君臨しようとすることに等しく、極めて危険な試みであり、プロテスタントでそれまで守られて来た教会の自治にもそぐわず、むしろ、教会の自治の破壊に他ならないことを指摘して来た。

さらに、村上密氏は公の裁判やきちんとした法的手続きを通さずに、杉本氏のような個人ブログを利用して、事実確認もできていないうちに、疑わしいとみなした牧師や教会や信徒に対して次々と弾劾記事を掲載しては、「風評」(実際にはそのほとんどが中傷)を流布して行ったわけであるから、これがどれほどの危険を伴う、クリスチャンにあるまじき非聖書的な行為であるかは明白であった。

結局、村上密牧師の率いるカルト被害者救済活動とは、実際には、被害者の救済という美名を隠れ蓑としただけの村上密個人による異端審問であり、そうである以上、この活動は必ず暴走し、村上密氏やその支持者にとって不都合な言説を行なうすべての信者に異端者の疑いがかけられることになるのは必然であり、魔女狩りのような様相を帯びることは避けられないと警告して来たのである。

そして、実際にその通りになった。その一例として、彼らは、彼らの活動を批判する私に対して幾度も誹謗記事を掲載して来たのみならず、支持者を利用して他にもさまざまな方法で嫌がらせを繰り返してきた。杉本氏は自分のブログを使って、私のブログに対してひどいバッシングを行なったが、そのほかにも、私のブログには、長きに渡って読者を装った人々から嫌がらせが繰り返されて来たことは「さわやか読者賞」に記載した通りである。

しかも、そのような嫌がらせを行なう読者の多くは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信者であったり、あるいは村上密氏の活動の支持者であったりと、村上サイドと密接な関係がある者がほとんどであったことが分かっている。

そこで、このようなことを背景として見るならば、KFCで他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信徒であったBr.Takaが引き起こした事件が、単なる偶然であったと考えるのは、あまりにも浅はかすぎるだろう。

長い間、村上密氏と杉本氏は私のみならず、KFCやDr.Lukeにも敵対感情を寄せていた。そのことは、彼らの記事内容から明白である。そこで、Br.Takaのようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒が身元を隠してKFCに潜入し、そこで分裂騒ぎを引き起こし、他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団で行われているカルト被害者救済活動を支持しない信徒に次々異端の濡れ衣を着せて駆逐したことは、全く村上密氏や杉本氏の利益にかなったことであり、これを偶然としてとらえるには話が出来すぎている。

これまでにも、村上氏はさまざまな方法を駆使して、公にならない暗闇の密室において、自らが疑わしい(あるいは不都合)とみなした他教会の内政に干渉して来たことが指摘されている。ブログ「随想 吉祥寺の森」のコメント者を含め、独自のネットワークを利用して、彼らは他教会の信徒に接近して巧みに情報収集し、他教会の弱点や信徒の不満を探り出し、「被害」が発生しているとの証言をさせて、これを基に、他教会の人事に介入し、教会内秩序を転覆させるような活動を繰り広げて来たのである。

そうした活動の多くが、教団の規則などの公の手続きに則らずに、教会の牧師や信徒の頭越しに、信徒からの密告などに基づいて行われた。さらに、公の手続きに則り起こした裁判でさえ、村上サイドはきちんとした証拠を挙げられないまま、敗北している事実がある。

このことは、彼らがきちんとした証拠に基づかず、私刑としか言えないような方法で、不都合な教会や信徒に制裁を加えて来たことを意味する。そのような危険な活動を暗闇で繰り広げる牧師が、KFCにだけは手を出さなかったと考えるのは、いささか子供じみた発想だと言えるだろう。そこで、他ならぬBr.Takaのような人物がKFCにやって来たのは、明確な目的を持った上での接近であったと考えるのが妥当である。

さて、村上密牧師サイドが、ネトウヨ的なクリスチャン読者を使って幾度にも渡り、私を恫喝して黙らせようとしてきた目的の最たる理由の一つが、鳴尾教会問題にあったと見られる。

(鳴尾教会とは、当時の鳴尾純福音教会、現在の鳴尾キリスト福音教会である。)

彼らはただ私が彼らの活動に賛成しなかったことが気に食わず嫌がらせを繰り返しただけではなく、私が鳴尾教会の事件の目撃者・証言者であればこそ、不都合な事実を公表されないために、私を執拗に恫喝して沈黙に追い込もうとして来たのだと考えられる。

村上密氏が鳴尾教会の問題にどれほど固執しているかは、彼が繰り返し裁判で敗北しながらも、未だにブログ等でこの問題を持ち出しては鳴尾教会サイドを批判するのをやめない態度にもよく表れている。

おそらく、鳴尾問題は、村上氏にとって致命的なアキレス腱なのであろう。裁判で敗北が確定しても、彼の中ではこの問題がなお終わりを告げていないのである。それはただネット上で虚偽の情報を流布して裁判に敗北した事実を隠し、偽りの覇権を握り続けたいというだけの動機からではない。

村上氏はそういった動機を超えたもっと深いこだわりをこの教会に対して持っているように見受けられる。つきつめて考えて行くと、やはり、村上密牧師の出世のルーツがこの教会にあるためと考えられないこともない。
 
よほど村上氏は津村氏を擁護したい(あるいは、津村氏に心を支配されているために彼をかばおうとする)のだろうと思われてならない。なぜなら、そうでなければ、こんなに年月が経っても津村氏の不祥事が公になることを恐れる理由がないからだ。

鳴尾教会が混乱状態に陥ったのは、村上氏が主張しているように、現在の牧師夫妻のせいではない。すべての原因は、鳴尾教会の以前の牧師であった津村昭二郎氏の不祥事問題にある。そして、津村氏は村上氏の義理の父である。私はかつてブログで、この不祥事問題を記した教団文書を取り上げた。(次回の記事でも再度取り上げる。)おそらくは、この不祥事こそ、村上サイドが最も明るみに出したくないものだと考えられる。なぜなら、それが公になると、鳴尾問題のすべての原因が、津村昭二郎牧師の牧会の至らなさにあったことが明らかになってしまうからである。
 
もし津村氏の後ろ盾がなければ、村上密氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でこれほど急速に勢力を拡大することはなかっただろう。なぜなら、当初、彼は単に統一教会を脱会しただけのクリスチャン歴のほとんどない信徒に過ぎず、さらにはカルトについても専門教育を受けたわけでなかったからである。もし彼が津村氏の娘である恵子氏との婚姻によって、教団で相当に権威とみなされていた津村氏の後ろ盾を得ていなければ、彼がどんなにカルトの専門家として名乗り出たとしても、周りの牧師や信徒がそれに耳を貸したかどうかは分からない。

同教団では、100人を超える教会を形成することはかなりの功績とみなされる。四十年間、鳴尾教会を牧会し、100人以上の教会に成長させたことは、教団では津村氏の手柄とみなされていた。 
 
ところが、鳴尾では、その津村氏の不祥事が問題にされて彼は辞職に至った。その際、この事件の顛末が信徒に公表されたが、津村氏の責任問題は、結局、曖昧なままに幕引きがはかられた。そこには、この事件が公になると、一番、困る村上氏が教団に積極的に働きかけて事件をうやむやなまま終わらせようとした影響力が見られる。

そもそも、津村氏の不祥事にまつわるこの一連の事件には常に村上氏の影が付きまとっていた。配布された文書からは、村上氏が当時からあの手この手で教団内人事(他教会の内政)に積極的に干渉していた様子が見て取れるのである。当時の村上氏の若さを考えると、彼が教団内でそんな権力を持っていたことは、極めて異常な事態であり、当時から彼が津村氏の威光を積極的に利用して、教団内の人事を思うがままに動かそうとしていた様子が見て取れる。

村上氏は義理の父をかばい、教団内で不名誉な失脚をさせないために、鳴尾教会での事件をうやむやなまま、津村氏の辞職によって幕引きを図ろうとしたが、そのことがきっかけとなって、鳴尾教会の信徒は教団の不透明・不誠実な対応にいたく幻滅・失望した。長年、指導者と仰いで来た津村牧師に信頼を裏切られ、また、次期牧師と期待を寄せていた若い伝道師夫妻をも失い、教団からも何ら誠実な回答を得られないまま、鳴尾の信徒は指導者をみな失ったのである。

このようにして混乱に投げ出されたことが鳴尾問題の始まりであり、その後も、教団に失望した鳴尾信徒の離散はやまなかった。

しかし、村上氏は鳴尾教会のこうした事情には見向きもせず、その後も、津村氏が面目を失わないで済むように自らの牧会する京都教会に引き取り、何事もなかったかのように活動を続行させた。こうしたことは全て、村上密自身のため、彼の保身のため、村上氏が津村氏の後ろ盾を失って、教団内の地位を失わないために行われたことだと理解される。 
 
こうした事件がきっかけとなって、当然ながら、鳴尾教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団にひどく不信感を抱くようになった。教団は津村牧師の面子を潰さないために、責任の所在を明らかにすることなく、事件をうやむやにし、混乱の中に鳴尾を放置したからである。

その後、現在の山田牧師夫妻が赴任すると、今度は、村上密氏は、すべてのゴタゴタの原因を山田夫妻に押しつけてしまった。鳴尾信徒が減少を続けたのも、津村氏の事件がきっかけなのではなくて、山田夫妻の牧会がまずかったせいで起きたことであるかのように見せかけて責任転嫁したのである。

その責任転嫁を正当化するために、村上密氏は山田夫妻、特に牧師であった山田夫人に異端の嫌疑をかけて、魔女のようなイメージを作り上げた。(彼らは私に対しても、「随想 吉祥寺の森」の記事等を通して同じような悪人のイメージ作りを行ない、また、次の記事で述べるように、鳴尾教会にかつて赴任した伝道師の夫人にも同様に嫌疑をかけて、異端者のイメージを作り上げていた。そうしたことから、特に御言葉を宣べ伝える知的な女性に対する憎しみと、彼女らに異端者の濡れ衣を着せた上での排斥は、彼らの常套手段であったことが分かる。まさに「魔女狩り」である。)そして、あたかも夫妻が異端の影響を受けているために牧会が失敗して教会が混乱に陥っているかのようなイメージを作り上げようとした。しかも、そのイメージ作りのために、上記したアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない(カトリック信者と思われる)個人ブログ「随想 吉祥寺の森」を利用して、そこに山田夫妻に関するでっちあげの異端スキャンダル記事を掲載させて、風評を広めて行ったのである。

このような教団の対応に不信感を募らせ、幻滅し続けていた鳴尾教会は、ついにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱を決定したが、これに対して憤った村上密氏は、文化庁に異議申し立てを行なったり、鳴尾教会に恫喝裁判をしかけたりして、正当な離脱を「乗っ取り」と主張し、まるでこの教会を消滅に追い込むことを目的とするかのような激しい嫌がらせを繰り返した。

たとえこのようなケースでなくとも、キリストの福音を宣べ伝えることを主たる目的とする教会が、裁判などしかけられた日には、どれほど伝道活動の妨げとなり、牧師も信徒も戦うことに疲れ、信仰生活が危機にさらされるか分からない。それでも、村上氏は、福音を優先して裁判を控えることをせず、さらには自らしかけた裁判が原因で引き起こされた可能性が極めて高い鳴尾の信徒の減少をも、相変わらず一方的に山田夫妻の責任に転嫁しては夫妻と教会を非難し嘲笑し続けた。まるで本心から教会が消滅することを願っているとしか思えない行動である。

このような村上氏の行為からは、彼の保身と、私怨の深さは感じられても、キリストの福音を宣べ伝えて、魂の救いを第一に願う牧師としての心が完全にかけていることを感じざるを得ない。何よりも、同胞であり、同じ教団の仲間であった教会や牧師を訴える彼の行動は、到底、クリスチャンとしての愛から出て来たものであるとは思えず、むしろ、「兄弟たちの告発者」である悪魔の憎しみを想起させるものである。

そして結局、教団からの離脱を決めた鳴尾教会サイドに対する村上氏による文化庁への異議申し立ても裁判も、すべては敗北に終わった。それを通して、村上サイドの主張には何らの確かな証拠もなく、むしろ、言いがかりに過ぎなかったことが明らかになった。むろん、彼が山田夫妻について主張していた異端の疑惑も、教団内でさえ認められなかったのである。

村上氏のこうした一連の行動から分かるのは、たとえ負けると分かっていても、結論を先送りするためにとにかく恫喝裁判をしかける、たとえ疑惑が証明できないと分かっていても、まずデマをまき散らすことによって、政敵とした相手の疑わしいイメージを作り上げる。まずデマを流布して、政敵の印象を貶めておいてから、次に具体的な手続きに入り、事件が長期化して事実が明らかになるころには、自分が流布したデマなどなかったかのように知らぬふりを決め込む、という極めて悪意に満ちた無責任な態度である。

たとえ村上サイドが裁判で敗北したとしても、裁判をしかけられただけで教会はダメージを受ける。そのようにして村上サイドは、裁判に勝つことを目的としているのではなく、可能な限り永久に政敵とみなした相手に精神的ダメージを与えるためだけに、因縁をつけ、絡み続けているのだと見受けられる。苦痛を与えることが目的なのであって、正義を打ち立てることなど全く眼中にはないのである。ただ彼の保身と、責任転嫁と、自分に盾突く人間を苦しめるためだけにすべては行われているのが明らかである。いかに彼が不誠実で冷酷な人間であるかが、そのことからよく分かるのである。さらに、それらの行為は信徒らの信仰生活を著しく妨害する行為であるが、牧師を名乗っている人物がそれを行なうことの恐ろしさは誰の目にも明白である。

にも関わらず、教団はこうした顛末をきちんと見据えた上で、本当に村上氏の主張が正しかったのかどうかを検証することなく、山田夫妻を除名することによって、村上氏をかばった。結局、津村氏の時と同じことが繰り返されたのである。

このようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の不誠実かつ心無い真実性に欠ける対応によって、鳴尾教会がどれほど深いダメージを受けたか分からない。それでも、今になっても、村上サイドはこの教会への非難をやめない。

私から見ると、もし普通の牧師であれば、たとえ誰が悪かったのかという問題を脇に置いたとしても、自分の義理の父が牧会していた時に起きた事件が原因となって混乱している教会に赴任する牧師には、申し訳ない、頑張ってほしいという応援の気持ちを持つのが当然であろうと思う。

ところが、村上氏には、津村氏の不祥事を隠したいという気持ちしかなく、混乱を収拾するために尽力させられている鳴尾の後任牧師に対するねぎらいの気持ちは皆無なのである。

そもそも教会が続いただけまだましだっただろう。それまでの経緯を見れば、教団に不信感を持たれても、それは仕方がない。とにかく存続しただけ良かったのである。教団に残るか抜けるかは、教会が自主的に決定することであり、部外者には誰にも止められることではない。ところが、かろうじて続いたその教会が、教団を離脱することを決めると、今度は裁判によって消滅に追い込むことを目的とするかのような行為に及ぶわけであるから、村上氏がどれほど同業者の牧師に対して冷酷で、心無く、ただ己のプライドしか考えない自己保身的な人間であるかは、あらゆる人の目に明白である。

繰り返すが、津村事件が尾を引いたため、鳴尾の多くの信徒は傷ついたまま離散したのであり、この私も、津村氏の事件がなければ他教会へ行く必要もなく、村上氏のいる宗教トラブルセンターに出向く必要もなかったであろう。そして宗教トラブルセンターは私に対して何の解決も提示しなかった。それは鳴尾に残った信徒に対する村上氏の心無さと全く同じ対応である。
 
津村氏の事件は、実に多くの鳴尾信徒の運命を狂わせた。だが、村上氏はそんなことは微塵も認めず、未だに鳴尾教会に嫌がらせを続けているだけでなく、私についても今に至るまで「吉祥寺の森」の読者等を存分に利用して、執拗に悪影響を及ぼそうと企てている。鳴尾教会で津村氏の不祥事が明るみに出されてから今年で十四年目である。どれほどすさまじい執念で彼が敵対者を追い続けているか、この歳月からもよく分かるだろう。
 
そこから当然、彼は自分の教会やブランチから離反したカルト被害者や、信徒たちにも、同じ冷酷な対応を繰り返しているのだろうと想像できる。自分の傘下から出て行く人間に対しては、恐ろしく冷酷であり、その後の人生の解放を願って祝福するどころか、生涯に渡って追跡し、嫌がらせを続けて、人生の足を引っ張り続ける、執念のような憎しみが感じられる。

村上密氏は、津村氏が原因で起きた鳴尾教会の信徒の減少について、あたかも山田夫妻が信徒の心を十分に顧みなかったかのように主張して非難しているが、そのようにして他教会の信徒の減少を牧師の牧会の不備として責めるなら、一体、自分の教会のブランチの信徒の離反やカルト被害者の離反に対して、神と人との前でどう言い訳するつもりなのだろうか。
 
村上氏の一連の態度から分かるのは、彼は自分の責任というものを一切認めず、自分に都合の悪い事実は全て他人の責任に転嫁し、他人を悪し様にけなしながら我が身をかばい、自分だけは決して間違わず、正しいかのように主張して、正義の仮面をかぶり、自己正当化を続けているということである。

そのようにして自分の見せかけの正しさを主張するためならば、たとえ自分のもとに身を寄せたカルト被害者であっても名誉を辱め、自分に敵対する人間にはどんな汚名を着せて人生を妨害しても平気なのである。そのようにまで己の立身出世と保身しか念頭になくなった冷酷無慈悲な性格は、牧師として到底、あるまじきものであり、クリスチャンに相応しいものとも思えないが、こうした評判は、すでにカルト被害者の間でも周知の事実となっている。

にも関わらず、沖縄などでも、村上氏と一緒になって活動している新垣氏などが、被害者からの批判や反対をすべて抑え込んでおり、被害者は沈黙を強いられているということも、すでによく知られている事実である。私に対して村上サイドが仕かけて来た嫌がらせと恫喝の手法を見れば、他のカルト被害者たちが何をされているかも容易に想像がつくのである。
 
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、村上密氏は果たして何者なのかという問題をよく考えるべきであろう。そもそも、彼は本当にクリスチャンなのか。キリストの福音を宣べ伝えることを目的とする牧師と言えるのか。彼は一体、何を目的に牧師として活動し、教団に入り込んだのか。なぜ教団からますます正義が失われ、信用が失われ、より多くの信者がこの教団に失望幻滅して離れ去るような方向で動いているのか。

宗教は政界とは異なる。他人のトラブルを飯の種として、政略結婚によって出世の階段を駆け上がって行くことが可能なほど甘い世界ではない。政界ならば立身出世のために何をしても法にさえ触れなければ許されるかも知れないが、聖書の御言葉に従わない牧者には、神から厳しい裁きがあることは聖書に警告されている。何よりも、村上氏自身が、偽預言者に対して厳しい警告を発しているのであるから、それを自身に当てはめるのは当然だろう。

神の御名を利用して生計を立てていながら、同業者を告発することを生業とし、身内には甘く、気に入らない同業者や他教会は容赦なく訴えて、裁判により潰し、併合する。自分のもとへ一度でも身を寄せた信徒であっても、反対者となれば容赦なく非難し、人生の立ち直りを妨害する。そんな村上氏の態度には、到底、キリストの愛もなければ、クリスチャンとしての高潔さもなく、信仰も見られず、とてもではないが、牧師に相応しい態度だとは言えない。強欲な牧師、他人の教会まで潰し、乗っ取ろうとしている牧師とは一体、誰のことだろうか。

何よりも、牧師という職業は、キリストの福音を宣べ伝えることを第一とするものであって、異端の取り締まりが第一になっている時点で、すでに異常なのである。

最近、起きた神社の油まき事件にしても、これをきっかけに村上密氏はメディアに注目されたが、彼は危険な行為に従事している同業者を立ち直らせるために、牧師として説得することを第一とするのでなく、むしろ同業者を警察に売り渡し有罪に追い込むことで自らの手柄としようとした。そんな牧師がキリスト教界で好意的に受け入れられるはずがないのは明白である。

己の不祥事はすべてうやむやにしてごまかし、同業者のトラブルと失敗だけは厳しく責め立てて暴露し、自分をかばうためならば、仲間の存在しないトラブルさえもでっちあげて他者の信仰生活を妨害する。教会を潰し、信徒を減少に追い込み、信仰生活を妨げて、それを糧に有名になり、専門家として名を挙げる。それが牧師の取るべき態度なのか、まともな牧師活動と言えるのかどうか、そこからもう一度、考えてみる必要があろう。

村上密氏がこれまでクリスチャンの間で煽り続けて来た対立、憎しみ、争い、何よりも教会の破壊、これには必ず厳しい報いが伴い、神がお答えになると私は思う。信徒を神のみもとへ導かず、魂の救済を第一とせず、ひたすら人間的な対立を煽っては、争いを糧に利益を得て来た村上氏に、果たして信仰はあるのか。クリスチャンは、まずこの人物が本当にキリスト者と言えるのか、クリスチャンの仲間と言えるのか、そこからきちんと再考する必要があるように思う。
 
私は物心ついた頃から、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を知っており、当時から、この教団には疑わしい非聖書的・異端的な教えが流入していたが、それにしても、当時はここまでひどくはなかった。村上密氏の登場以前には、教団を離脱した信徒や教会に対して、教団が徹底的に嫌がらせを続けて信仰生活を妨害し、長年に渡る裁判にまで及んで離脱を阻止したり、移って行った先の教会の信徒にまで接近して嫌がらせを続けたなどの話は聞いたことがない。

その当時、たとえアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を批判して出て行く信徒がいたとしても、反対者に対してこれほど執拗な陰謀工作を暗闇で多年にわたって巡らすような指導者は誰一人としていなかった。(当時から、教団を批判して去る信徒たちはかなりいたし、この教団はペンテコステ派に属さない他の教団からも常に批判を向けられていたので、批判や反対は日常茶飯事であり、誰もそのようなことに特別に目くじらを立てたることはなかった。まして報復するなど論外であった。)

脱会者に対する言語を絶する壮絶な嫌がらせは、統一教会や、創価学会などの新興宗教にはおなじみの手法であっても、プロテスタントのキリスト教界にはなじみがない。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団以外では、今でもそのようなことは行われていないであろう。教会を離脱するときに、牧師と信徒間での多少のトラブルはあるかも知れないが、牧師が教会を訴えた話など他教団では聞いたこともない。

統一教会を脱会した村上密牧師は、統一教会流の脱会者や反対者への陰湿ですさまじい妨害•中傷•陰謀工作を、プロテスタントのキリスト教界に初めて持ち込んだ人物である。彼はこうして、統一教会を脱会し、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に入って、クリスチャンを名乗るようになってからも、かつての統一教会流のカルト的二元論的思考を捨てられず、それをそっくりキリスト教界に持ち込んで今日に至っている様子が見て取れる。そして、そんなもはや正義の味方からはほど遠い残忍で利己的で真実の欠ける自分の姿を、未だに聖なる存在であるかのように勘違いして、他のクリスチャンの名誉を貶めたり、争いをしかけて平和な信仰生活を妨害し、力づくで反対者を黙らせ、気に入らない教会を取り潰して併合することを「牧会活動」だと勘違いしているのである。正常なクリスチャンにとっては大変な迷惑な存在でしかない。そのような異常な活動が牧師のあるべき「牧会」からはほど遠く、神の御名にふさわしいものでもないことは、クリスチャンでなくとも理解できるものと思う。教会の目的はキリストの福音、すなわち、神の御子の贖いによる罪の赦しを宣べ伝えることにあって、贖いを語らず人を罪に定めることにはないからである。
 
次回、鳴尾教会と、村上サイドによっていわれなく濡れ衣を着せられた信徒たちの名誉のために、津村昭二郎氏が辞職に至った経緯を記した教団内文書を公開し、改めて村上サイドの主張の危険な特徴と虚偽性について考えたい。

<続く>

カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~

カルト被害者救済活動の暴走

~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての
鳴尾教会への恫喝訴訟と、AG信徒による他教会の乗っ取り事件~
 




1.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による教団を離脱した鳴尾教会に対する制裁としての恫喝訴訟

 
以下に提示する文化庁の議事録は、鳴尾キリスト福音教会がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を離脱して、単立化する手続きを取ったことに対する教団側からの異議申し立てに基づき、文化庁が手続きの適正さについて審査したものである。

この争いを分かりやすく説明するならば、フランスでは教団そのものがすでに準カルトとして危険視されているアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下略してAG教団とする)が、教団を離脱しようとして正当な手続きを取った鳴尾教会に対して、「教団財産の持ち逃げ」や「教会の乗っ取り」などと主張して、恫喝裁判のふっかけや、文化庁への異議申し立てを含め、あらゆる方法で教団からの離脱を阻止しようと試み、また恫喝裁判によって疲弊させることで、離脱した教会へ制裁を加えようとしたということである。

だが、結論から言えば、文化庁は教団側の主張を全面的に退け、異議申し立てを完全に棄却した。

文化庁第159回宗教法人審議会議事録
文化庁第160回宗教法人審議会議事録
文化庁第163回宗教法人審議会議事録
宗務時報No.115 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~

 

教団はこの教会に徹底的に攻撃をしかけたが、教会の離脱を阻止することもできず、教会を潰すこともできなかった。この争いがどのような経緯をたどり、教団が敗北して行ったのかは、この他、ブログ鳴尾キリスト福音教会から皆様への中でも詳細に説明されている。

このように教団を離脱した鳴尾教会に対して徹底的な制裁を加えたAG教団の中でも、特にこの動きを主導したのが、同教会とも関わりの深かったアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団京都教会の村上密牧師であった。

(カルト被害者救済活動を主導するプロテスタントの牧師 写真の出典:村上密Blog

鳴尾教会は、かつて、村上密牧師の義理の父にあたる津村昭二郎牧師が牧会していたが、津村氏による会計管理の不透明さ、および、津村牧師による後継者となるはずであった伝道師夫妻への嫌がらせなどの疑惑が持ち上がり、これが信徒側から追求され、津村牧師が教会を去るという事件が起きた。この時、教団側はこれを不正事件として追求しようとはせず、津村牧師の引退をもって幕引きを図った経緯がある。(この件について私は別途、「カルト監視機構という名の秘密警察」の中で教会に配布された資料を提示した。)

村上密牧師はこうして信徒からの追求により退陣に追い込まれた津村牧師の娘婿である。そしてこの鳴尾教会は当時から教団の対応に納得できていなかったが、新しい牧師夫妻のもとでついにAG教団そのものから離脱することを決めた。この手続きを不服として、村上密牧師が率先して、これを「異端思想にかぶれた牧師夫妻による教会の乗っ取り」や、「教会財産の持ち逃げ」などと盛んにネガティヴ・キャンペーンを張って、教会の教団からの離脱を非難し、阻止しようと試みたのである。

 

2.カルト被害者救済活動はなぜ危険性なのか

 

この村上密牧師はすでに述べて来たように、「カルト被害者救済活動」を主導する牧師でもある。これは呼び名を変えれば、異端思想撲滅運動とも言えるものであり、村上氏は自身も統一教会からの脱会者であるが、統一教会からの他の信者の脱会を手助けし、プロテスタントの教会で不祥事が起きた際には、率先してマスコミに資料等を提示し、弁護士と共にTVに出演するなどし、カルトの専門家を名乗って精力的に活動を繰り広げている。キリスト教牧師としての地道な伝道活動よりも、カルトとの戦いの方が同氏の本業であると言っても良い。

だが、同牧師の展開する「カルト被害者救済活動」が極めて危険なものであることについては、私は幾度もブログで指摘してきた。詳細は繰り返さないが、それはこの活動がもともと非聖書的であり、何らクリスチャンの信仰や救いとは関係がないばかりか、特に、村上牧師の提唱する「カルト監視機構」などは、魔女狩りのような異端撲滅運動へとつながっていきかねない恐ろしさを秘めた危険な非聖書的アイディアだと考えたためである。

(統一教会出身の村上密牧師の主張するカルト被害者救済活動が、統一教会と深い関わりのある安倍首相が現在推し進めている安保法制などの諸々の政治的主張と極めてよく似た危険な構造を持っていることや、村上氏と安倍氏がネットユーザーを駆使して、反対者を次々弾圧し、異論を封じ込めて行った手法にも共通性があることについては、「外側からの改革か、それとも内側からの改革か」に詳しく書いたので、こちらを参照されたい。 )

プロテスタント教界はもともとカトリックから分離して成立したという経緯もあり、現在も互いに対立しあう様々な教団教派が混在している。俗に言う聖霊派と福音派の違いだけを取っても、信者同士が喧々諤々の議論を繰り広げて互いを異端扱いし、排除しあっているのが現状である。こんな風にもともと多重分裂的な土壌、相互理解の極めて困難な土壌を有していながら、教団教派の壁を越えて、プロテスタントに統一的な見解を打ち立てて、異端を取り締まるのは極めて難しく、ほとんど不可能であると言って良い。エキュメニズム等、超教派的な運動が唱えられたこともあったが、それさえ盛り上がらず、成果の程も全く不明である。果たして、そのような統一見解や相互理解がプロテスタントの教界に本当に必要なのかどうか、そこからすでに議論が必要であろう。それぞれの教会に独自性があるのは当然であり、自治も必要なのだから、無理な統一や取り締まりの必要などないという考え方が優勢ではないかと思われる。

もちろん、教理に関する議論は大いに行われて良いと思うし、私自身も、異端の思想に対する警戒は常に必要だと考えているので、ネットで議論が行われることに反対ではない。だが、こうした自由な議論と、権力による上からの異端思想の弾圧という問題は全く別物である。

仮にプロテスタント教界の牧師の中から、誰か一人が率先して異端思想の取り締まりに名乗りを上げたからと言って、その牧師が本当に他の牧師たちを監視し、その思想を取り締まるような権限を帯びるべきだろうか。誰が彼にそんな役職を任命するのか。平時でさえ互いに理解しえない複雑な教理的な壁を超えて、異端を取り締まるためにプロテスタント教界の誰か特定の牧師が統一見解を打ち出し、彼がそれによって他の牧師に対して指導的な権限を帯びて実際に取り締まりを行い、教会の内政に干渉して行くことが望ましいのだろうか。そのようなことを許せば、やがてはその特定の牧師がプロテスタント教界全体の見解を代表するかのごとく振る舞い、自らに反対する者をことごとく異端者として取り締まる独裁者になることになるのは目に見えているのではないか。従って、カルトと闘うという名目で、もしそのような異端審問のような取り締まりが本当に行われれば、教会は異端撲滅という名目で、魔女狩りが横行する場所となり、恐怖政治に至るに違いない。私はそう考えて早くからこの活動の暴走の危険性について警告して来た。

実際に、「カルト被害者救済活動」はまさしく私の危惧していた通りの経過を辿ったのである。村上密牧師は親切で優しそうな表情とは裏腹に、異論をかたくなに排除しようとする考えの持ち主であるらしい。異端との戦いを提唱しているうちに、同氏は自分を正義の味方と考え、自分の見解にそぐわない信者や、自分や教団の路線から公然と離反する信者に対しては、次々とブログ等において「異端者」であるなどのレッテルを貼って糾弾するようになって行った。しかも、自身のブログだけでそれを行うのではなく、「随想 吉祥寺の森から」を執筆していた杉本徳久氏など、すでにプロテスタントとは何の関係もなく、AG教団とも村上密氏とも公式に何ら関わりを持たない私人のブログ等を使って、自らの意にそぐわない牧師や信者に対するネガティヴ・キャンペーンを報道させて、反対者を孤立に追い込んで行ったのである。

村上密氏はこうしてあたかも彼だけは決して間違わない正統な信仰を持っており、他の牧師や信徒の内心を指導する権限があり、彼に反対する信者はすべて異端者であるかのような思い込みに陥ったものと見られる。プロテスタントの教会の誰ひとりとして彼を公式に異端思想の取り締まりに任命したわけでなく、カルト監視機構が設立されたわけでもないのに、村上氏は自分こそ異端審問官であるかのように振る舞い、他の信者や教会の弾圧へと積極的に乗り出して行ったのである。こうして予想通り、「カルト被害者救済活動」は暴走し、村上氏やAG教団によって彼らに反対する者たちの「魔女狩り」が行われたのであり、鳴尾教会もその不当な弾圧の対象となった。

 

3.カルト被害者救済活動の暴走の結果としての魔女狩り的な異端審問

 

村上密牧師のブログを見るならば、鳴尾教会が教団から離脱したことを非難するために、同牧師が「教会の乗っ取り」や「牧師夫妻の異端思想」といった疑惑を向けていたことがわかる。

村上密氏のブログには、今も異端の疑惑について書かれている。だが当時、積極的にこれに同調していた杉本徳久氏は、その後、裁判等で同教団の主張が次々と覆されるに連れて、次第に記事内容をトーンダウンし、大幅に書き換えて行った。初めにセンセーショナルに騒ぎ立てておいて、後で都合が悪くなると、記事を書き換えるのである。

「カルト被害者救済活動」の暴走をたとえるのに、「魔女狩り」という言葉ほどふさわしいものはない。というのも、自らを神の代弁者であるがごとくに正しいと思いあがった男性たちが、特に弱い立場にある女性信徒に向けてあらぬ憎しみを燃やし、いわれなき非難をかぶせることにより、特別な執拗さをもって女性を迫害していった経緯が伺えるからである。異端審問の暴走の結果としての「魔女狩り」の様相は、中世も現代も全く同じだと言える。

杉本氏は以下の記事においても、AG教団を離脱しようとした鳴尾教会の牧師のうち、特に女性牧師である山田晃美牧師に執拗な非難を向けている。あたかもこの教会が「道を踏み外した」のはこの女性牧師のためであり、彼女のために夫の牧師までが道を踏み外したのだと言わんばかりの調子である。

これらの思い込みの激しすぎる自負心の強い男性たちが、女性信徒や牧師に対して執拗に非難を浴びせる様子を見ていると、彼らがすさまじいまでの男尊女卑の塊であることと、有能な女性に根深い嫉妬を持っていることが感じられてならない。山田牧師もシュタイナーを原語で読み、緻密な研究成果に基づいてメッセージを語るという相当な知性であることが分かるが、このように有能な女性たちの活躍を絶対に許せないという一部の男性のコンプレックス、自分の手の届かないものならばいっそ踏みにじって潰してしまいたいという抑えがたい嫉妬を、私はどうしても感じずにいられないのだ。もしそうでなければ、なぜ特別に女性だけを狙い撃ちして非難するような真似をする必要があろうか。それは彼らが嫉妬深い上、卑怯だからである。卑怯だからこそ、常に弱い者を狙って攻撃をしかけるのである。

そのことだけを見ても、こういう活動の指導者たちが到底、リベラルな考えを持っておらず、常識的でもない、封建的で非近代的な思想の持ち主であることがよく分かる。やはり彼らによる異端思想取り締まりは現代の魔女狩りと呼ぶのが一番ふさわしいであろう。

そもそもなぜAG教団信徒でもない杉本氏が、AG教団側の主張に肩入れして、教会の内政に干渉しなければならないのかは全く不明である。杉本氏は「一般社会の常識から外れている」と牧師夫妻を非難しているが、一般社会の常識から外れているのはむしろ杉本氏の方であろう。一般社会では、自分が属していない組織の内政に積極的に干渉する行為は無礼であり、越権行為であるとしか認識されない。自分自身が被害を受けていないのに、杉本氏はどうして他者を加害者であるかのように責めたてることができる筋合いにあるのだろうか。杉本氏はもはやプロテスタントの信者ではなく、AG教団とも何の関わりもないのに、なぜこの事件についてさも自分が被害者代表であるかのように訴える資格があると言えるのだろうか。誰に向かって訴えているのであろうか。

杉本氏が果たしている役割は、自分が被害者でもないのに、被害を受けたかのように振る舞うことによって、自分とは何の関係もない教会の内政に干渉し、ネガティヴ・キャンペーンに加担して、誰かを悪者とするまことしやかな「空気」を作り上げることである。こうしてプロテスタントの教会の不祥事を次々と報道し、信者を貶めることにより、キリスト教界そのものの信用を失墜させているのである。こうしたことはすべて非常識であり、村上氏同様に、自分は被害者代表であってプロテスタント教界を取り締まる資格があるという勝手な思い込み以外に何も根拠を持たない。

* * *

 

4.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による恫喝訴訟に負けなかった鳴尾教会の再生
 
 
さて、本題に戻ろう。
このようにAG教団から恫喝訴訟まで受けた鳴尾教会であるが、その脅しに屈することなく、むしろ、見違えるように真っ白に美しく生まれ変わった姿が新しいホームページにおさめられている。

以前の教会の人を寄せつけないような建物の色調を知っているので、私はこの驚くような変わり映えを適切に評価できるものと思う。以前は教会にはホームページもなかったが、今や大学も真向かいにあるこの教会には若者も地域の人々もずいぶん足を運びやすくなったことだろう。

この教会がAG教団からの数々の恫喝や誹謗中傷にも負けず、喜びのうちに新たな門出を果たした様子がうかがえる。
 
 
* * *

 

5.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒による他教会(KFC)乗っ取り事件

 

最後に、もう一つ付け加えておきたい話がある。

AG教団は自分が教会を乗っ取られた被害者であるかのように主張しているが、「自分が火をつけた火事を他人の罪に帰する」とは、皇帝ネロの昔から現在に至るまで悪党の使う古典的な常套手段として知られている。自分こそが犯人でありながら、被害者を装って、被害を受けただの、報復だの、叫ぶ人々も存在するということに気をつけたい。

一教会が教団から離脱したからと言って、「教会の乗っ取り」だと騒いでいたAG教団については、驚くべきことに、AG教団の信徒こそが他の教会を乗っ取った悪しき実績がある。

写真の出典:新橋駅の伝道者鵜川さん 新宿アルタ前に進出(クリスチャン・トゥデイより)

上記信徒は昨年8月時点でのAG教団本部の回答によると、確かにAG教団に所属する信徒であるということであった。だが、すでにその数年前から、同信者夫婦は所属教会等の身元を隠してDr.Lukeの主催する横浜のKFCに入り込み、Br.Takaというペンネームを使って講壇でメッセージを語っていたことを、教団本部は全く知らなかった。

上記記事にもあるように、同信徒夫妻はすでに2005年には路傍伝道の常習者となっていたが、所属教会に問い合わせたところ、同信徒は伝道師の資格も牧師の資格も持っておらず、クリスチャントゥデイの積極的な宣伝とは裏腹に、同信徒による路傍伝道等の教会外の活動について、所属教会はあまり乗り気でもなく積極的に推奨している風でもなかった。

この信者夫妻はKFCへ来るようになって以後、自分たちは双方ともに神学校を出ていると嘘を触れ回り、KFCの信徒たちの心を得て、集会を事実上、自分の配下に置いて集会とホームページを乗っ取った。そして、会堂契約を失効させて、KFCの存在場所を奪った上、信徒の一部を連れ去り、そして、今も横浜で集会を開いている。

同信徒が故意に会堂契約を失効させたのか、それとも続行するための資格要件を満たさなかったゆえに契約が失効したのか、それは定かではない。だが、会堂契約の失効と共に同信徒は一部の信徒を連れて行方をくらました。

Dr.Lukeはメッセンジャーを下ろされた上に会堂も奪われた不名誉な顛末に関しては全く沈黙しているが、この話はすでに多くの兄弟姉妹の間で周知の事実となっており、知らない者はネット読者だけである。この事件があったために、長年、KFCのメッセンジャーをつとめた二人の兄弟を含め、一定の兄弟姉妹がこの集会を去った。

以下はこの信者夫妻が開いたKFCの偽ホームページである。

http://kingdomfellowship.webnode.jp/

タグに同信徒夫妻のBro.Taka及びNAOの名が表示されているのが分かる。同信者夫妻が会堂契約を続行できなかったので、すでにKFCはこの住所には存在していないにも関わらず、この偽サイトは削除されることもなく放置されている。

さらに以下が同信者夫妻が現在、KFCから逃亡した先で開いている「教会」である。

http://www.bride-of-christ.com/

東京都の教会に属しているこの信者夫妻がなぜこれほどまでに横浜にこだわるのか私は知らない。横浜の下町よりも東京の下町の方が彼らにとってはるかに都合が良いものと思うのだが。いずれにせよ、偽サイトを放置していることも含め、人から何かを横領したという実績を残すことが目的であろうか。教会紹介欄には「ブライドは2013年に横浜でスタートしたプロテスタント系のキリスト教会です。」と書いてあるが、この教会が開かれているのは横浜の単なる貸ダンスフロアであり、賃貸契約している正式な会堂はない。むろん、AG教団の名前もなく、プロテスタント「系」と名乗っているのも、ただ勝手に自称しているのに過ぎない。ちなみに、教会スタッフにはTaka兄弟の名が記されている。 
  
さらに、もう一つの記事、新橋から世界へ 伝道者鵜川貴範さん(クリスチャン・トゥデイ)を読めば、同信徒は以前からこのような架空のサイト開設の常習者だったことが分かる。この記事によれば、同信徒は「一発逆転人生塾」なるサイトを運営していることになっているが、この標題を持つサイトはざっと検索しただけで多数見つかる。

http://119.go2.jp/
 サイトでは、「この働きは自殺阻止、ホームレス自立支援、就労困難者支援、受刑者更生支援など幅広い意味合いをともなっています。」と書かれており、弱者救済の理念の下に始まったことが記されている。

ミラーサイトはいずれも更新が止まったまま放置されている。
http://gyakuten.nomaki.jp/119/index2.html
http://gyakuten.nomaki.jp/www/index2.html
http://gyakuten.jpn.ch/
http://christian.jpn.ch/
http://free.from.jp/jalive/
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=jalive&id=1&guid=on


http://blog.livedoor.jp/jalive/(ラジオ「一発逆転人生塾」)
http://www.voiceblog.jp/jalive3/(ラジオ「人生メッセージ」)

http://blog.goo.ne.jp/preciousrule(ブログ「一発逆転人生塾」)
http://jalive.jugem.jp/?eid=131(「一発逆転」通信)

キリスト教系の内容を含むものだけをピックアップしたが、探せばもっと他に見つかるであろう。

ちなみに、中国の文化大革命時に生まれた宣教師ユテコ・ウーのサイトとされる下記も、同信徒の作成による。http://yufire.jimdo.com/

このように、同信徒は身元も隠し、名前も変えて、いくつもの顔を使い分けることをずっと以前から常習的に行って来たのである。

杉本徳久氏はAG教団と一緒になって他教会の牧師や一般信徒の中にカルトの親玉を探すよりも、こうして正真正銘、「匿名に隠れて」「やりたい放題」、所属教会をも信徒をも欺き続けて「教会ごっこ」にいそしむAG教団の信徒の非を追求した方がはるかに良いだろう。

そして、「一発逆転人生塾」というサイト名や、お決まりの弱者救済活動を見ても、やはり、統一教会出身の村上牧師のみならず、同信徒の歩みにも、グノーシス主義の香りが至る所に漂っているという気がしてならない。人生逆転という標題は、人生の敗者であった者が、一発逆転して勝者になるための秘訣を探そうという願望をよく表しており、クリスチャンのサイトというよりは、処世術を教える怪しいサークルを思わせる。同信徒はかつて偉大な宣教師を自称してキリスト教界の重鎮を集めて大聖会を開くのが夢だと語っていたこともあった。欺きと横領によって、本来、自分が決して手にすることのできない高みに到達して、強者との関係を覆し、強者を辱めて負け犬の汚名を返上したいというグノーシス主義の転覆の構図をやはりここにも見ないわけには行かない。
 
* * *
   
    
KFCへやって来た同信徒の目的が極めて疑わしいものであることに気付いたときに、AG信徒と関わることの危険性について、私はDr.Lukeに警告した。だが、彼は信じず、私の忠告を聞き入れず、結局、会堂を乗っ取られた愚かな指導者となった。
 
今、私はそれを残念には思わない。Dr.Lukeは本来ならば神学校を出てもいない信徒の相手ではなかった。キリスト教界やAG教団の闇について警告していたDr.Lukeであるから、まさか真に警戒していたのならば危険に気づかなかったはずはない。思い出されるのは、「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。」(Ⅱテモテ3:13)という聖句のみである。乗っ取られた側も、乗っ取った側も、ともに深い闇であると私は思う。

とにかく、AG教団はこうして一方では乗っ取られたわけでもない教会を「乗っ取られた」として架空の被害を主張しながら、他方では、自らの信者によって他の教会を乗っ取っていた。全く何と恐ろしい教団とその信徒たちであろうかと改めて思う。なぜAG教団からはこういう信徒ばかりが多数輩出されるのであろうか。むろん、AG教団本部はそんな事件は知らなかったと主張するであろう。一人の信徒が一存でしでかしたことに過ぎず、教会外の活動について、ネット上の活動について、教団はあずかり知らないと。だが、教団の信徒が行ったことについて、教団には全く責任がないと主張することは難しい。このような信仰を生んだ責任というものが、母教会には特にあるのではなかろうか。
 
AG教団は外なるカルトと闘っている場合ではない。他教会に裁判をしかけ、よそのカルトの取り締まりを行うよりも前に、自家製の内なるカルトをこそ退治すべきであろう。上記信徒に限らず、聖霊派の信徒が行き過ぎた霊的ムーブメントに身をゆだねた結果、心身の健康を害して引き起こして来た数々の混乱は、クリスチャンの間ですこぶる評判が悪い。常に過激な方向へ走りがちな聖霊派として、AG教団はこうした異常な結果が引き起こされることのないよう、教団内で引き締めと健全化をはかることの方が、教団とは無関係であったり、もしくは教団を去ろうとしている信徒に攻撃を加えることよりも、はるかに優先されるべき課題ではないだろうか。

この出来事は私にとって一つの大きな警告であった。それはカルトとアンチカルトが同一であるのと同じように、キリスト教界と反キリスト教界も、同一であることが真実、分かったからである。KFCはずっとキリスト教界を告発する立場にあったが、それにも関わらず、自らキリスト教界に同一化して行った。そして、このことは決して偶然に起きたのではない。それについてはまた機会を改めて書きたい。


村上密牧師による鳴尾教会人事への不当な介入 資料④ 宗務時報No.115

~鳴尾教会のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱と
同教会に対する教団側からのいわれなき制裁の数々~

鳴尾キリスト福音教会は、アッセンブリーズ•オブ•ゴッド教団からの離脱に伴い、これを阻止しようとした教団側から、恫喝裁判も含めた様々な嫌がらせを受けた。

以下で引用した文化庁の宗教法人審議会議事録は、同教団が鳴尾教会の教団離脱に際し、その手続きの違法性を主張して認証取消を求めたものであるが、結果として、教団側の主張は全く一顧だにされない形で退けられた。教団側はこの都合の悪い事実には沈黙している。

鳴尾教会に関する文化庁での審議の過程は、第159回(平成22年10月18日)第160回(平成22年11月25日)第163回(平成23年10月19日)の議事録で確認できる。

なお、これらの審議を受けて、同教会の教団離脱の取消しを求めたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による異議申し立ては、完全に棄却されて終わったが、その詳細については宗務時報No.115 (平成25年3月)を参照されたい。
  
教団は、鳴尾教会の教団離脱の手続きが正当でなかったかのように主張して、教会に対する裁判にまで及んだが、これらの争いにことごとく敗れ、それを通して教団の主張の虚偽性が明らかになった。その事実の経緯は、鳴尾教会の現在の牧師が運営するブログ「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」に詳しいので、こちらをご参照いただきたい。
 
なお、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と鳴尾教会との相克の歴史は長く、事の発端は、2001-2002年にかけて、当時の鳴尾教会の主監者であった津村昭二郎牧師(村上密氏の義理の父)が、鳴尾教会の後継者として教団から正式に派遣された伝道師夫妻に、いわれなき嫌疑をかけて教会から追放した事件に遡る。
 
この事件によって鳴尾教会に引き起きされた混乱をも、教団サイド(村上密牧師及び津村昭二郎牧師)は、現在の鳴尾教会の牧師夫妻で起こったかのように責任転嫁し、現在の牧師夫妻にもでっちあげの嫌疑をかけて非難し、教会からの追放を試みていた。

当ブログでは、2001-2002年にかけて鳴尾教会で起きた事件の真相について、当時、教団側から公式に配布された証言者の説明資料に基づき、以下の一連の記事で詳しく示した。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密牧師の非聖書的で危険な活動について③
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密牧師の非聖書的で危険な活動について④
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密牧師の非聖書的で危険な活動について⑤
    
鳴尾教会問題とアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密牧師の非聖書的で危険な活動について(まとめ)  
   
ちなみに、鳴尾教会が教団から離脱したことを、あたかも「教会の乗っ取り」が起きたかのようにデマを主張していたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団であるが、驚くべきことに、同じ頃、同教団の信徒が、別の教会に身元を隠して潜入し、教会を乗っ取るという事件が起きていた。この呆れるような事件については、以下の記事に記したのでご参照いただきたい。

カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~

こうした一連の事件を詳しく振り返るならば、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と、その指導者である村上密牧師及び津村昭二郎牧師が、どれほど信用ならない不誠実な人物であり、正当な手続きを経ないで鳴尾教会の人事に密室で介入し、同教会の正常な牧会を妨げて、教会に混乱をきたし、長年に渡り、執拗に教会関係者を追跡・迫害しては、信徒の平穏な信仰生活を妨害し、いわれなき打撃を与え続けて来たかがよく分かるであろう。

だが、教団側からの恫喝裁判を含めたあらゆる迫害にも関わらず、この小さな教会は消滅することはなかった。教団離脱後、「鳴尾キリスト福音教会」として新たに出発を遂げたこの教会の新しいホームページには、以前とは見違えるようにきれいになった白いチャペルが映っている。この改装も、教会が喜びのうちに新たな門出を果たしたことの明白な証拠である。祝福のうちに見守りたい。 
 

注) 教団は裁判においても全面敗北しているが、今日に至るまでなお過ちを認めることなく、あらぬ疑いをかけて誹謗した鳴尾教会関係者への謝罪も行っていない。それどころか、村上密牧師は未だにブログ等で、同教会に対する事実無根の非難を続けている有様である。

 このように、信徒の平和な信仰生活をどこまでも執拗に妨害してやまず、虚偽を言い広めて恥じることもない恐るべき教団が、本当に聖書に基づくキリストの平和な福音に立脚しているのか、極めて疑わしく感じられる。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、フランスではすでに準カルトに指定されている。村上密牧師は、「宗教トラブルセンター」や「カルト被害者救済活動」などの看板を掲げて、他教会のカルト化を糾弾し、取り締まろうとする前に、まずは自教団の深刻なカルト化にこそ目を向け、自分自身を取り締まるべきである。
 

 
宗務時報 No. 115 平 成 25 年 3 月
文化庁文化部宗務課
(PP.42-47)   
 
行 政 資 料
1 宗教法人「鳴尾キリスト福音教会」の規則変更認証決 定に係る審査請求に対する裁決
(平成22年12月1日)
裁 決 書
審査請求人
東京都豊島区駒込三丁目15番20号
宗教法人 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団
代表役員 A

記審査請求人から平成22年7月23日付けで提起された宗教法人鳴尾キリスト福音
教会の規則の変更の認証に係る審査請求については,次のとおり裁決する。

主 文
本件審査請求は,棄却する。

不 服 の 要 旨

審査請求人の不服申立ては,兵庫県知事(以下「処分庁」という。)が平成22年5月
27日付けで行った宗教法人鳴尾キリスト福音教会(以下「鳴尾教会」という。)の規則
(以下「本件規則」という。)の変更の認証(以下「本件処分」という。)は,次のとお
り,違法なものであるから,その取消しを求めるというものである。

1 本件規則41条によれば,規則の変更には「教会会議において出席した教会議員の3
分の2以上の議決」が必要なところ,鳴尾教会では,慣行として教会会議を招集する場
合には事前に何を議決するのか具体的に明示して周知していたが,審査請求人である包
括宗教法人日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下「審査請求人」という。)
との被包括関係の廃止に係る規則の変更(以下「本件規則変更」という。)のための議
決を行った平成21年4月5日の教会会議(以下「本件教会会議」という。)の招集通
知には「規則変更に関する件」と記載されていただけで,被包括関係の廃止を内容とす
るものであることが記載されておらず,招集手続に不備がある。

2 本件教会会議の招集通知には委任状が添付されており,委任の内容として「一切の権

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利を総会議長に委任いたします。」と記載されているところ,委任状提出者には,招集
通知に記載されている「規則変更に関する件」が被包括関係の廃止を内容とするもので
あるという認識はなかったのであるから,委任状提出者の票が,本件規則変更について
賛成票として取り扱われた議決は無効である。

3 宗教法人法(以下「法」という。)26条2項及び3項に基づく,被包括関係の廃止
についての信者等に対する公告及び包括宗教法人に対する通知は,本件教会会議の前に
なされなければならないが,その後にしかなされておらず,その点において手続違反で
ある。

4 本件教会会議において,被包括関係の廃止という重大な議案を議決するにしては,十
分に時間が取られておらず,一方的かつ感情的,さらには脅迫じみた演出のもとに議決
され,鳴尾教会信徒らが,本件教会会議の議決の無効確認を求める訴訟を提起している
ところ,これは,法28条及び14条1項2号の「当該規則がこの法律その他の法令の
規定に適合していること」という要件を備えているかどうかを確認することができない
ときに当たるため,認証することができない旨の決定をしなければならない。

5 処分庁は,法14条2項を活用し,鳴尾教会及び審査請求人に対して意見陳述の機会
を与え,双方の意見を聞くべきであったが,その手続を怠っている。
6 本件規則変更以前に,平成16年5月7日付けで本件規則の変更の認証がなされてい
るが,その変更の際の手続に違反があるため,本件規則変更の申請には法令違反が認め
られるので,認証してはならない。

裁 決 の 理 由

1 法28条1項は,宗教法人の規則の変更に関する認証に当たって審査すべき要件とし
て,その変更しようとする事項が法その他の法令の規定に適合していること(同項1号)
及びその変更の手続が法26条の規定に従ってなされていること(同項2号)を挙げ,
これらの要件を備えていると認めたときは,所轄庁は,その規則の変更を認証する旨を
決定しなければならないとしている。


2 まず,本件教会会議の招集方法について検討する。

(1)本件規則24条において,教会会議は「代表役員が(中略)招集するものとする。」,
「責任役員の定数の過半数から招集を請求されたときは,代表役員は臨時に教会会議
を招集しなければならない。」と規定されているものの,そのほか,本件規則上,教

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会会議の招集についての具体的な手続は規定されていない。

(2)鳴尾教会が,議案として「規則変更に関する件」とのみ記載した招集通知(平成2
1年3月22日付け)を配布したこと及び「教会規則変更に関する件」とのみ記載し
た公告(平成21年3月22日付け)をしたことは,提出された資料より認められる
が,審査請求人は,そのような招集通知又は公告では不十分であり,本件規則に違反
していると主張する。

確かに,信徒等を対象とした会議において,被包括関係の廃止といった宗教法人の
組織及び管理運営について根本的な変更を招来することとなる重要な事項を扱う場合
には,その招集に当たって,事前に議案の内容がある程度分かるように知らせること
が望ましいとはいえる。

しかしながら,上記のとおり,本件規則には,教会会議の招集についての具体的な
手続は規定されていないのであるから,そのような招集通知又は公告の記載の内容な
いし方法のみをもって不認証とすることはできないといわざるをえない。


3 次に,本件教会会議の議決について検討する。

(1)審査請求人は,出席者24名に委任状提出者23名を加えた47名が出席し,その
3分の2に当たる32名の賛成が必要であったところ,出席者24名中23名が賛成
したものの,委任状提出者には被包括関係の廃止について委任する意思がなかったの
であるから,委任状を賛成票として取り扱うことはできず,47名中23名の賛成し
かなかったことになり,したがって,本件教会会議の議決は無効であると主張する。

(2)本件規則41条によれば,規則の変更に当たっては,「出席した教会議員の3分の
2以上の議決」が必要なところ,本件教会会議議事録によると,「議員総数 62名
出席者24名(他,委任状23名)」とされ,「満場一致で議決」とあるものの,平
成21年5月29日付けで審査請求人から処分庁に送付された法26条4項に基づく
通知の添付書類において,出席者とされる信徒の一人が賛成しなかったと述べる書面
が添付されている。

しかしながら,出席者24名中,少なくとも23名が賛成したこと及び委任状提出
者が23名であることは,審査請求人も認めるところである。

(3)本件規則41条の「出席した教会議員」に,委任状提出者を含めるか否かについて
特段の規定がないところ,委任状提出者23名を含めた場合,委任状において「一切
の権利を総会議長に委任いたします。」と明記されているのであるから,議長がそれ
らを議決の結果に賛成するものとして取り扱うことが不合理であるとは認められず,
したがって,議決は有効であると認められ,審査請求人の主張は採用することができ
ない。

(4)なお,本件教会会議の議決については,その無効確認を求める訴訟が提起されてい
るが,当該訴訟が係属中であるという事実は,上記1で述べた規則変更の認証の要件

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の確認に影響を及ぼすものではないから,その事実をもって認証することができない
旨の決定をしなければならない場合に当たるとはいえない。


4 また,審査請求人は,法26条2項及び3項に規定されている被包括関係の廃止につ
いての信者等に対する公告及び包括宗教法人に対する通知について,本件教会会議の前
になされるべきであったと主張する。

しかしながら,法26条によると,信者等に対する廃止公告については「認証申請の
少くとも2月前」(同条2項)と,包括宗教法人に対する廃止通知については「公告と
同時に」(同条3項)と規定されており,本件規則変更が平成21年10月30日付け
で申請されているところ,信者等に対する廃止公告は平成21年6月28日から同年7
月13日までなされ,また,包括宗教法人に対する廃止通知は同年6月28日付けで送
付されている。したがって,同条の規定に従った手続がなされていると認められ,審査
請求人の主張は採用することができない。

5 その他,審査請求人は,法14条2項を活用すべきことを主張するが,同項は,規則
を認証することができない旨の決定をしようとするときの申請者に関する規定であっ
て,本件処分の場合とは異なる。また,審査請求人は,平成16年5月7日付けでなさ
れた本件規則の変更の認証についても疑義を述べるが,その規則の認証はすでに確定し
たものであって,本件処分に影響を与えるものではない。


以上のとおり,審査請求人の主張はいずれも認めることができない。
よって,主文のとおり裁決する。


平成22年12月1日
文部科学大臣 髙 木 義 明