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私ではなくキリストⅥ(東洋からの風の便りIII)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)

肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険⑥~

「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。

ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。 なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えてのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。」(Ⅱコリント11:2-4)

ウィルソンは、霊的にはただ一人の夫であるキリストと結ばれた花嫁であるはずだったのが、いつの間にか、別な存在と「結婚」させられ、いつの間にか、「違った霊」を受けてその導きのもとに歩み始めていた。そのことをまず真っ先に察知して懸念したのは彼の妻であった。
 
 

ある時は結婚記念日を祝う際、私は妻に武術の用事が
あるから明日にしようと言ったこともあった。
他にも色々と家族行事を武術のために後回しにした。



ある週末の日、妻と私が喋っていた時、
妻は昨夜見た夢について話し始めた。
私は夢に意味など無いと信じていたが、
妻は夢についてとても悩んでいた。

「エリック、これは主から来たものだと思う」



「あなたの学校の上級ランクの人たちが、
手をつないで輪になって立っていたのを見たの」
「その外側には彼らの家族が周りに立っていた。」

内側の輪がどんどん縮まるごとに、
家族はどんどん輪の外へと追いやられていた

妻が夢の話をしたあと、
彼女がその夢にとても悩まされているのを見た。


ウィルソンの妻は、正夢を見たのであり、そこでは、上級ランクの者たちが結ばれている「輪」は、家族との絆よりも強く、家族の絆を排除してしまうような残酷な「輪」だった。これはちょうど「皇国」のために命を捧げると誓い、家族を捨てて死へ赴いた三島由紀夫と盾の会のメンバーを思い出させる。

三島の盾の会と同じように、武士道に命を捧げることを誓ったウィルソンら武術学校の生徒らは、自分自身の生涯をその「道」に捧げるという、誓いによって結び合わされており、その「輪」は家族の絆よりも強い、死による絆だったのである。

 
(映画”MISHIMA"から)
 
先に述べたように、「道」とは永遠の循環を示す「輪」なのである。『龍の正体』の最後においても、この「道」が「輪(和)」であり、日輪(太陽神)であることが明かされている。
 
私たちはこのような「輪(和)」で結ばれているのは、武士道に生きることを誓った一部の人々だけだと考えているかも知れない。そういうものは、極端な宗教カルトのようなもので、今日の我々とは関係がないと。しかし、本当に、そうだろうか。私たちはこれを一部の人々だけの極端な生き様と笑うことができるだろうか? 

たとえば、戦後の日本の企業社会においても、企業戦士と呼ばれたサラリーマンたちは、妻子を置き去りにして、この「輪(和)」の闘いの中に生きる男社会を作ったのではなかったろうか? あるいは、受験のための競争社会となり、いじめによる多数の自殺者を出している学校教育も、子供たちを家庭から引き離して、この「輪(和)」に引き入れるものではないだろうか? 非正規雇用が拡大し、完全なヒエラルキーに基づく固定化された身分社会のようになっている現在の雇用情勢も、残酷な排除の「輪(和)」ではないだろうか? 

こうして、この残酷に人間を犠牲にし、死へ追いやる「輪(和)」は、今日も目には見えない武士道として、多くの日本の集団を貫く過酷な競争と排除の原理となり、人々から平穏な家庭生活から奪い去り、闘いの中で討ち死にさせている。
 
だが、ウィルソンは妻の忠告も退け、さらなる暗闇に足を踏み入れて行くことになる。

私は憤りを感じた。
今思えば、それが何を主にして仕えるかの分かれ目だった。
彼女が私を人生で一番大切に思っている
武術から引き離そうとしているように感じた。
それですごく怒りに満たされた。
彼女は理解していないと思った。

そして私はますます特訓に励んだ。
若い頃の夢の間に
何物をも立ちはだからせないと思ったからだ。

しかし理解していなかったのは
私の方だった。
それは私の自分本位の欲望を
妻と私の間に置いたからだった。

命を与える聖書の言葉は
今日、私たち一人一人に語りかけている。

「わが子よ、あなたの心をわたしに与え、
あなたの目をわたしの道に注げ。」(箴言23:26)

「夫たる者よ。キリストが教会を愛して
そのためにご自身をささげられたように
妻を愛しなさい。」(エペソ5:23)

すべての男性に立ち向かう闘いは
妻と子を自分よりも愛することだ。
苛立ちと反抗で私は
呼んでおられる神から心を遠ざけた。
服従することが勝利と自由へ導くということに気づかずに。」

 
ウィルソンは自分を縛り、幸福から遠ざけて行く偽りの契約の重さを認識していなかった。その「道」は、彼が幼少期に味わったトラウマを無意識に再現する道であり、妻子を捨て、子供にも取り返しのつかない悲劇を味わわせる道であった。
 
 


  

「願っていた夜がついに来た。
闘い相手と私はカンフーの弟子の資格を貰うことになった。
プライベートな儀式で上級ランク者しか
参加できなかった。
武術の訓練をし、教えたりしながら
17年も経ったあと
少し先に黒帯をとったライバルと共に
第五の夜明けのランクが与えられることになった。

私はその時のことを鮮明に覚えている。
師匠が我々二人と共に
弟子の資格式に入って来た。
二人とも同じ日に儀式を行った。
我々二人はこの30年間で初めての
第五の夜明けのランク受領者となった。

儀式の時、師匠が長い杖を持って入ってきた。
杖には馬の毛のようなものがあって、彫刻が刻まれていた。

儀式が終わり、皆がいなくなったあと、
私たちは師匠にそれについて尋ねてみた。
その杖は何処から来たのですか?
今まで何年もこの学校にいて
一度もそのようなものを見たことが無かった。
「この杖は誰かが弟子の資格を取った時のためだけに出すものだ」

後でわかったことは、それはシャーマンの杖だった。
師匠は主を愛していて、キリスト教だと
告白していたが、光と闇とを混ぜていた。

儀式から一週間たったころ、個人授業を
闘った仲間と一緒に受けていた時
忘れられない言葉を師匠が言った。
あなたが今学んでいることは
百年前だと魔術師とみなされていた事柄だ


ウィルソンが「結婚」(重婚)させられた相手が、どういう霊なのかが次第に分かって来た。儀式の度に、新たな異教のシンボルが登場する。師匠が持っていたのは、魔術師の杖であった。師匠はキリスト教徒を装っていたが、裏の顔があり、キリストへの信仰と、異教への信仰と、混ぜ合わせた霊を持っていたのである。
 
 



それからの二年半の特訓は想像以上のものであった。
平均台や梅花は柱の上で騎馬立ちしながら名何時間も毎日瞑想して
「気」と呼ばれる神秘的な力を引き出す訓練をしていた。
瞑想と深呼吸とイメージトレーニングをしながら、
体の温度を変えたり
精神力で環境や戦う相手に影響を及ぼしたりすることを学んだ。

訓練を進めるために、やむをえず私は神の言葉の
はっきりした啓示から妥協していった。
不従順の道を進むにつれ、心は頑なになり、
父なる神の愛する声が聞こえにくくなっていった。

神の言葉が取り去られると、私の人生の基礎が崩れ始めた。
家族と家庭が嵐によって吹き飛ばされていった。
私と神との絆と妻との契約とが壊れていった。

弟子の資格をとったあと、結婚生活が危うくなり始めていた。
そして私は誰にも相談できない悩みと格闘していた。

結婚を維持させ妻子を守るという
使命感と反対方向に私を向かわせる武術。
いまだかつてなかった難問だった。

ウィルソンの武術の特訓が、もはや体を鍛えるためのものではなくなりつつあった。彼は体の温度を変えたり、精神力で環境や対戦相手に影響を及ぼすなど、人体の通常の限界を超えた訓練を行い、自分の体を変容させ、超自然的な力を発揮する術を学んでいたのである。

通常、このようなことは、霊によって行われることであり、キリストの霊は、よみがえりの命であり、すべてを統治する神の非受造の神の命であるから、その命には、物理現象を治め、人の心にも、影響を及ぼす力がある。信者は御霊を受けて、神の言葉に従って生きる時、口では説明できない様々な不思議な現象が、祈りや信仰を通して起きて来ることを知っている。信者はそれを神が祈りに応えて下さったのだと思う。むろん、そうである。だが、同時に、それは信者の内に住んでいるキリストの御霊の働きでもある。御霊は万物を支配されるキリストの霊であるから、そこには統治という原則が存在するのである。

だが、邪悪な悪霊も、御霊の働きを模倣し、肉の力で「永遠の命」の働きを再現しようとする。

内丹術が人体を「気」によって変容させ、最終的には人を「道」と一体化させて、不老不死(永遠)に到達することを目的としていたことを思い出したい。ウィルソンの行っていた訓練はそのような人体の変容の始まりであった。

ウィルソンの家庭生活はこの頃から明らかに破綻し始める。
 

武術で学んできた技術や思想は
罪と闘って自由を得る助けにはならなかった。
武術では、なんであっても適度にとれば害はないと教わった。
絶対的な原則、白黒など無かった。
すべては真ん中の灰色。

神の言葉で明白に「人は二人の主人に
仕えることはできない」と書いてある。

しかし私はこの16年間それをしようとしていた。
家族と一緒に毎週教会に通ったが、
心は神のことと家庭のことから遠ざかっていた。
私は武術と肉の欲を妻との間に置いた。
そして神と妻との契約との間にも。

これはたぶん人生の中で一番激しい戦いだった。
長年武術を学び、古コンタクトで闘ったりして、
自分ではどんな困難にも立ち向かえる自信があった。
でも気づけば師匠の教えも
鍛えてきたものもこの困難には役に立たなかった。

「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく
もろもろもの支配と、権威と、やみの世の主権者
また天上にいる悪の霊に対する闘いである。」(エペソ6:12)

教会の中や家庭の中だけに闘いは限らず、
自分自身の中にも激しい戦いが起こる。
向かい合っていた敵は心の中に潜んでいた。

そして自分の欲望や肉欲から自由になる方法が
わからなかった。その声から逃れることも。

その声とは我々が長年聞き従ってきたものであり、
テレビ、映画、音楽や雑誌などを通じて
今日も語りかけている。
そして私にとっては師匠や武術を通しても語ってきた。

「わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、
神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。
わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって
立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いを
とりこにしてキリストに服従させる。」(第二コリント10:4-5)

しかし主なるキリストがただで与えようとしている
勝利に身を任せる者はなんと少ないことだろう。
真のクリスチャン…本当に主の弟子になることは
ただキリストを信じるだけでは足りない。
週に一回教会へ行って、朝に少し聖句を読んで
慌てて世の中に出かける以上のものだ。

主 エホバ ヤーヴェはあなたの人生の
7割を要求しているのではない。
生まれ変わるということは
すべてを捧げるということだ。
人生のすべてだ。

武術界では、キリストを見上げる代わりに、
自分の内面を見つめることを教わった。
神の聖なる御言葉の啓示より
自分の気持ちに従うことが第一だった。
そして闘いがあった。

600年前に天で起こった闘いは今もなお続いている。
目には見えないが、すべての男女、
子供のうちに激しい闘いが存在する。
日々、暗闇の中や内なる敵と
闘っている人たちが我々のまわりにいる。
常に命のパンと水に飢え渇いている魂がいる。

彼らは本当にキリストの言葉を信じ、その救いの業や
愛を知っている弟子を見てみたいと望んでいる。

私は一番主を必要としている時に
はっきりとした識別力が必要な時
私は聖霊の指示に対し盲と聾になっていた。

結婚生活の問題を解決したかったが、
聖書を読んでも昔のように理解することができなかった。
私の中で光が闇となり、悪が善に見えた。
それは聖書では「霊によって霊のことを解釈するのである」
(第一コリント2:13)と書かれているからである。

武術や師匠やメディアを通した龍の声に
長年耳を傾けていた為か、
天の父の御言葉が分からなくなった。

「なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。
すなわち、それは神の律法に従わず、
否、従い得ないのである。」(ローマ8:7)

 
 
ウィルソンは言う、「武術界では、キリストを見上げる代わりに、自分の内面を見つめることを教わった。」グノーシス主義は、神と人とが本来的に同一であるとみなして、神を探求すると言いながら、人に「本来的な自己を取り戻す」という口実で、自分自身を見つめさせる。神を仰がず、自分自身を見させるのである。

パウロはローマ人への手紙の第8章で、人間の内側では、肉の思いと霊の思いとの激しい葛藤があり、肉の思いは神に敵対し、神に従い得ないと書いている。しかし、人間の堕落を認めないグノーシス主義は、肉と霊とを区別しない。そして、堕落した肉を本来的に神と同一の「神聖な要素」の一部とみなすのである。そのため、グノーシス主義とは、「肉の復権」の思想なのだと言える。また、これに基づいて生まれるすべての思想も、人間の邪悪さを聖とみなし、光を闇とし、善を悪とし、すべての物事をさかさまに、あべこべに見るのである。

仏教では、仏(悟りを得た者)に備わる四つの知恵とされるものの一つに、大円鏡智(だいえんきょうち)というものがある。これは万物を鏡に映すようにしてそありのままの姿を真理として把握するという意味である。

だが、 鏡に映すと、すべてのものがさかまさに見えるのは言うまでもない。ここで言う「鏡」とは、聖書の神の側から見た真理ではなく、堕落した被造物が造り出した認識の世界、人間の側から見た事物の有様であり、大円鏡智なるものは、グノーシス主義の「鏡」と同じで、人間の認識が神の認識に取って代わって、普遍の真理、リアリティとなってしまっているのである。

それは「本体」がなくなり、「影」に過ぎない「映像」が自分は本物だと主張している世界であるため、それゆえ、そこで言われる「真理」はすべてがさかさまで、転倒してひっくり返っているのである。創造主の側に真理があるのではなく、被造物の認識の中に真理があるとみなすと、必ず、すべてが裏返しになった偽りの「真理」が出来上がってしまうのである。これが、グノーシス主義の「鏡」が作り出すさかさまの世界観である。

六ヶ月くらい自分の中で闘い悩んでいた。
でもそれは武術の教え通りに闘ったのである。
自分の強い意志と特訓で治めようとした。

しかしどんなに強くても、キリストの力無しでは、
人間はとうていサタンや悪天使たちに打勝つことができない。
何も解決しないことに苛立つあまり、龍の声に耳を傾け、
自己の自由を選び、とうとう離婚届を出した。

家庭が壊れた経過は言葉では言い表せない。
多くの人は、神の言葉を聞くよりも、
自分の肉の声に聞き従うと。
どれだけその選択で取り返し難い影響を
永遠に受けるか気づいていない。

「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか。」(エレミヤ17:9)
 



田舎の家から引越しトラックで出て行った日を
今でもはっきりと覚えている。

それは家に帰る最後の日で
残りの家具をとりに行くところだった。
砂利を敷いたドライブウェーに駐車する時、
私は妻と小さい息子が玄関で天に向かって
助けを祈り泣き叫んでいたのに気づかなかった。

そしてトラックで出て行く時
六歳の娘が後ろから走ってきて
「パパ、パパ、待って!行かないで!」
と泣き叫んでいたことにも気づかなかった。

何年かしてから私の去ったことが、
どれだけ妻子につらい思いをさせたかを知らされた。
 

 
ウィルソンが肉に従って歩むに連れて、彼の内側で、愛が冷え、無慈悲さ、頑なさ、冷酷さ、自己中心性など、強情で冷たい性格が育って行った。体を変容させる試みは、彼の心までも変容させた。ただし、それは彼が願っていたような変容ではなく、「神のように」なることとは裏腹に、事実は、悪魔の姿に近づいて行った。

ウィルソンが子供たちを無慈悲に捨てた行動の中には、無意識のうちに、彼自身が父に捨てられたという心の傷が影響していただろう。「気」を汲み出す訓練が、激しい苦痛の連続であったように、悪霊は、人間の加害者意識や被害者意識を通じて働く。加害者意識と被害者意識は表裏一体であり、被害者意識を抱えたままの人間は、いつ加害者に転ずるか分からない暴力性を秘めている。肉にある生き方は、憎しみと怨念と暴力の道で、永遠に終わらない心の傷の連鎖を生み出すだけである。
 
 

  

妻のサラは信仰の闘いをし始めた。
彼女は主が約束の言葉を守らないはずはないと固く信じていた。

彼女は毎日神の約束を繰り返し音読した。
「神が合わせたものを人は離してはならない」
(マルコ10:9)

「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して
救われるからである。聖書は、『すべて彼を信じる者は
失望に終わることがない』と言っている。」
(ローマ10:10-11)

妻が聖書朗読、断食や祈りをしていた時に、
私は自分が若い時から夢に見た
武術の深い闇に自らのめり込んで行った。

神が自分の良心に語り掛ける声をずっと打ち消そうとしたが、
良心の声と神の声の問いかけが続き、罪の呵責に苦しんだ。



妻が子供たちを私のアパートに連れてくる時、
妻がとても痩せ細っているのに、
目が喜びに満ちていたのを覚えている。
それがなぜか私には理解できなかった。
私が一生懸命になって得ようとしていたものを
妻は既に持っていた。

しかしどんなに走っても、
どんなに娯楽で気を紛らわせようとしても、
一人で夜ベッドに横たわる時、深い沈黙に包まれた。

「どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は
海の波のようになり」(イザヤ48:18)

「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、
何ものも彼らをつまずかすことはできません。」
(詩編119:165)


それでも、ウィルソンの探求は終わらず、彼は新たな師匠と出会う。そして、その師匠との出会いが、武術に隠された悪魔的な起源を知らされるきっかけとなった。(写真は前の師匠。陰陽道のシンボルや、武士道などの言葉が道着に記されている。)
 



もっと深い知識と力を学びたいと思い、
中国の内家拳の太極拳、八卦拳や気功などに励んでみた。
ある週末、親しい友達が熟練した武術者が
来るからとトレーニング講座に誘ってくれた。
そこは私の住んでいるところから数時間離れた町にあった。

私はこの武術者に会いに行くのがとても楽しみだった。
なぜなら彼は名声ランクも高かった。
なにより彼は内なる力「気」を実演したり
教えたりすることのできる人だった。
彼は第十の夜明けとして認められていて、
二つの拳法のカンフーと中国の気功を教える資格を持っていた。
気功の目的とは、武術と医学のために、
「気」の力を育てるためのものだ。

講座での訓練が終わったあと、
その師匠が来て数人かの生徒たちと話した。
そして黒帯とその従える生徒たちに
訓練についての指示を与えたのち
彼らはその指示通りに行うために去って行った。

師匠と二人きりになった時、彼は私を個人的に名指した。
私は彼と初めて会うのだが、彼はこの出会いは偶然ではないと言う。
ある中国のことわざで「弟子が準備が出来た時に、師は現れる。』

その日から、私はこの師匠の元で訓練する機会を徹底的に探した。
彼には、私を教える知識があるばかりでなく、
第五の夜明けの上の生徒の進行を見守る権威があったからである。
長年彼と付き合った中で一番記憶に残るものがある。

ある夜、激しい訓練が終わった後、
師匠は「気」を獲得する方法についてのなざを語り始めた。
しかし期待していたのとは違って、
中国の勇士や賢人について語るのではなく、
現代の音楽家ジミ・ヘンドリックスや
エリック・クラフトンなどの才能について語り始めた。



カンフーで使うエネルギーを
有名な音楽家が欲望に満ちたロックミュージックに
注いでいたエネルギーと比べていた。

その時彼が教えてくれたのは
初心者は「気」は「内なる力」と教わり、
中級レベルでは「気」は「息」と教わり、
上級レベルでは「気」を「霊」と教わる。

そしてこの霊的なエネルギーが何千という違う形で現れる。
それは武術者にとっては速度と力い使われ、
ホリスティック治療家は
患者を癒す振動エネルギーとして用い
会社重役や指導者は部下を
巧みに制御し影響することに用い、
役者は観客を虜にさせるような演技をするため、
音楽家はパフォーマンスに活気をつけさせ、
聴衆の感情や心を意のままに動かすために、
霊的なエネルギーは使われる。

 
新しい師匠に出会って、初めてウィルソンはそれまでは「内なる力」や「息」のようなものだと教えらえていた「気」の正体が「霊」であることを明かされる。「気」は「霊」から引き出されるエネルギーなのである。

その霊的なパワーが一種の見えない「波動」となって、音楽の演奏や、気功による治療や、企業活動などの場面で、人間関係に影響を及ぼし、自分の望む効果を相手から引き出すために利用されているのである。

だが、一体、それは何の「霊」から引き出されるエネルギーなのか? ウィルソンは師匠の自宅を訪問した際に、その秘密を知ることになる。
 

数年間この師匠の下で訓練を受け
もし本当にこの人の教えをすべて受け入れるなら
もはや他の主人に仕えることが出来ないと気づいた。

弟子が師匠から離れて別な学校で教師になって
教え始めるというのは珍しいことではない。
私はそうすることにした。

そして忠誠が引き裂かれたと悩む必要がなくなった所で
東洋武術に隠された力を探ろうとし始めた。

その力は見えるものであったが、その力が何処から
来るのかは常にわからないあやふやなままであった。

私はよく師匠の住んで教えている町まで
六時間かけて運転して行った。
ある時、師匠の家を訪問した。
ここで世界中の弟子たちが長年闘って
訓練してきた裏の秘密を知った。



師匠の家に入ると、意外なものを見た。
長年親しんだ少林拳の将軍や伝統的な着物を
着た僧などの絵が貼ってあるのではなく
部屋のすべての壁に飾ってあったのは、
等身大のヒンズー教の神々の壁掛けであった。

 

  
 
自分の頭の中で危険信号が鳴り響いた。
聖句の警告や子供の時教わったもの
今まで押し殺してきたものが、
すべて浮かび上がってきた。

師匠はその日、私に不思議な質問をしてきた。
「もしも、武術がすべて少林拳から始まったのであれば、
なぜこんなにも多く同じ思想で違う表し方が存在するのだろうか?」
私はそれを聞いて驚いたが、しかし興味深いと思った。
この質問の答えは長年探していたものだったが、
どう言葉で表現していいか分からなかったものだった。
危険信号がさらに大きくなった。



師匠の家にはヒンドゥー教の神々の壁掛けが飾られていたが、それによって、武術で見られるあの圧倒的なパワーが、聖書の神ではない、異教の神々すなわち悪魔と悪霊に由来して引き出されるエネルギーであることが徐々に分かって来た。師匠は示唆する、武術は少林拳から始まったのではないと。もっともっと古い起源があると。そして、そのことは、むろん、ただ武術だけに限るのではない。太古からあるものが、武術を含め、あらゆる分野において、様々なバリエーションとなって現れているに過ぎないのだ。

では、その太古からある起源とは何なのか? すべてのバリエーションに共通する型とは何なのか?

何事も徹底的に究明しようとするウィルソンは、ついに自分をそれまで導いてきた武術のパワーの根源がどこにあるかを知ることになる。すなわち、彼がそれまで追って来た「霊」の思想の起源を発見する。
 

その年は2007年であった。
武術では、夢見てきたことを何もかも成し遂げた。
ある夜、八卦掌のクラスを教えていた時のことだった。
八卦掌は太極拳と良く似ていてゆっくりとした正確な動きで
深呼吸や瞑想しながら動きに集中した。
私は生徒たちを円を描くように歩かせながら、
深呼吸や手のしぐさに集中していた。

それをしている間に、生徒の目を見た。
彼らが本当に武術の力を引き出しているか
どうかを確かめるためだった。

すると目を見ていると、生徒全員が催眠状態のような目つきをして
汗でびしょぬれであることに気づいた。
武術の経験のある私は、こんな軽い運動で
汗をかくなど人間的に不可能だと思った。
肉体訓練や柔軟体操などしてなかったはずだ。

その瞬間、私の精神は上に引き上げられて
生徒にフォームを教えている間に、まるで上から見下ろすように、
生徒たちと私が道場の床で作っている形が見えた。
こんなことはかつて経験したことはなかった。
まるでミステリー・サークルみたいだった。
百姓が畑に出るとただの散乱した畑であっても、
上から見下ろして鳥瞰図にしてみれば模様の形が見えてくる。



私が見た形は円で、その中心に点があって
まるで図星のようなものだった。
この形に関して非常に悩んだのは、
同じ形がすべての武術文学、書き物、師匠達の
様々な本などに載ってあるのを見たからだ。

その夜家に帰って自分の本棚をあさってみた。
合気道、日本武術、カンフー、気功、中国武術と
どの本を見ても同じ円の形があった。
そしてその意味もわかった。
それは太陽の神「道」をさすものであった。

生徒たちにどう説明するか迷った。
どうやって百人近くの人に
これまで学校で教えていた武術というものが、
太陽の神の霊を呼び出すものであったと伝えられるのか。


今までにも説明して来たように、「道」(=世界の根源となる混沌)とは、グノーシス主義の「虚無の深淵」や「鏡」、仏教の「空(無)」と本質的に同じ概念であり、日輪すなわち太陽神と一体である。シンボルとしての「道」は、永遠の循環を表す円(輪)である。

それが分かれば、たとえば、禅において、悟りに至る諸段階を、十枚の絵で表してるとされる「十牛図」が、なぜすべて円の中に描かれているのかも分かる。この円は「道」なのである。
 

十牛図

ウィルソンは、それまで人生で最も大切な価値だと信じて来た武術が、反聖書的な悪魔的な教えを起源としていることに気づいた時、その事実から目を背けなかった。彼はただ力が欲しかったのではなく、真実が知りたかったのである。そこで、彼は生徒たちにも、「輪」のシンボルについて調べさせた。すると、「道」(=「輪」=「鏡」=「太陽神)のシンボルは文化の壁を超えて様々なところに見られることが分かる。



そこで次の週、上級クラスに宿題の課題を出した。
家に帰ってこの形の意味を探してくるように
と言ってその円を黒板に描いた。

その次の週、クラスでは深い沈黙があった。
水を打ったような静けさだった。
すべての生徒たちは厳粛な表情をしていた。

私は一人ひとりにクラスの前で何を見つけたか発表させた。
宿題の課題を出す時、どこでその意味を
探しても構わないと前もって伝えてあった。

歴史の本、アステカやマヤ文化、エジプトやローマ、バビロン、
刺青の本やウィッカなど魔術の本からも探していた。







 





  どこで探したにせよ、結論は同じであった。
太陽の神の象徴、中国では「道」や
「陰と陽」などで表されている。
 


(陰と陽 Wikipedia「内丹術」から陰陽道大極図)

そしてある生徒が「これはどういうことですか?」と聞いて来た。
これからどうすればいいのですか?何が変わるのですか?
私は彼らに言った「これからはもう八卦掌を教えない」

しかしまだそれ以外にもありそうだと思い、
夜帰宅してまた本を探り始めた。
太極拳、ヨガ、気功、少林派のものも調べてみた。
調べているうちに想像以上に色々と発見してしまった。


武術の圧倒的なパワーが、反聖書的な、悪魔的な起源を有する悪霊による被造物崇拝から来るものであると分かった以上、もうこのようなものを教えることはできない、とウィルソンは考える。彼はそれが分かったにも関わらず、なお自分をごまかして、武術にすがり続けようとは思わなかった。

だが、武術の思想の誤りが分かると同時に、彼が歩んできた道が、聖書の神に逆らい、悪霊に従う誤った道であり、それによって彼は自分の家族を破滅させてしまったのだという事実がはっきりと見えて来た。幼い頃から親しんできたキリスト教の信仰が、彼の心に呼びかけていた。今、まことの神に立ち戻らなければ、彼の人生も家族の人生も破滅すると。
 

昔、母が不安そうにしていた記憶が蘇った。
そして武術で学んでいた霊的な力で私は家族を
破滅に追いやったのだとはっきりと見えてきた。

主は私を呼んでおられた「子よ、今こそ帰ってきなさい」
彼は私に繋がれていた鎖を解放しようと闘われていた。
そして妻子に変わらない忠誠の約束を示すために。
主は私と私の家族を仲直りさせていたと
同時に私の盲の目を回復させていた。

その週のうちに私は生徒たちに発表をした。
もう内家拳の太極拳や気功も八卦掌も
少林派のカンフーですら教えない。
私は肉体的な武術を霊的な武術から引き離そうとしていた。
しかしこれは非常に難しかった。
六、七カ月挑戦してみたところ、
肉体的特訓を霊的な基のある武術から
引き離すことは不可能であると気づいた。

この発表した時、たぶん生徒の四割は去った。
これは経済的打撃が強かった。
それだけではなく、長年付き添ってくれた
生徒が去っていくのをみるのも精神的に堪えた。
 

ウィルソンはそれでも何とかして武術から悪しき霊的な教えだけを切り離して、肉体的訓練の部分だけは残せないかと試行錯誤してみたが、それは不可能であることが分かった。思想はすべての土台であり、その上に生じる現われの部分だけを、思想と切り離して残すことはできない。だが、肉体的特訓ができないことを表明すると、多くの生徒は去って行った。経済的にも、これ以上、武術を教え続けることはもうできないことが明白であった。

しかし、ウィルソンが儀式を通して結ばれ、長年、心を捧げて来た対象には、ウィルソンが武術の精神と訣別することを決めても、そう簡単にウィルソンを手放すつもりはなかった。武術の精神とは、彼を飲み込もうとし続けて来た死の力である。
 

ある夜、クラスを教え終わったあと帰宅した。
真夜中近かった。
ドアを入ってジムバッグを
玄関近くにおろして台所に歩いて行った。
飲み物を取りに冷蔵庫を開けようとしたその時、
首筋に一気に鳥肌が立った。
なにか得体の知れない大きなものが
後ろに迫っているのを感じた。



それはひどく恐ろしいものだった。
長年武術の特訓をして、怖いものなど
自分にはもうないと思っていたのに、
しかし後ろにいたものは私を恐怖に陥れた。

もうどうしていいかわからなかった。
師匠たちに教わったことや読んで学んだ
知識などが頭の中をよぎった。
ここは闘うべきか? 逃げるべきか?
しかしどれも通用しなかった。
どちらも無意味だった。

何が後ろから見下ろしているのかと
みるのは怖かった。
4メートル近くあるように感じた。
その瞬間だった。
耳の中である名前が聞こえてきた。
「イエス・キリスト」
それを聞いたとたん一筋の希望が見えた。

もしかしたら、こんなに反抗した道を
歩んできた私を救って下さるのでは?
家族や他の人を傷つけてきたのに、私を救ってくださるのか?

使徒行伝2章の21節では
私達に約束が与えられている。
「その時、主の名を呼び求める者は
みな救われるであろう」と。

そんなに簡単なのだろうか?
本当に可能なのだろうか?
本当に私の声を聞き届けてくださるのか?
その時、私はひざまづいて、
上を見上げ、思いっきり叫んだ。
「イエス様、助けてください!
主よ、助けてください!」



どれくらい泣いたかは覚えていない。
頬に涙が伝った。
後ろの気配はまだ消えず、ただひたすら
イエス・キリストの名前を呼んだ。

永遠のように長く感じた時間が過ぎ去ったあと
誰かもうひとり部屋に入ってくる気配がした。
そして入ってきた人は、私の後ろにいた
巨大な悪霊のような人をつかんで、
部屋からぶっ飛ばした。
それは見えなかったが、
でも見えるかのように感じた。

私は涙でぐしょぐしょで、ずっと主に向かって呼んだ。
その時から、主は私の個人的な救い主だと知った。
その時から、主は力強い救い主だと私は知った。

2007年8月、離婚の5年後、南フロリダの静かな浜辺で
妻サラと私は聖なる結婚の契約を結びなおした。


2008年にイザヤ・ミニストリー誕生。
我が家は信仰によって、
「主がどんなに大きなことをしてくださったか。またどんなに
あわれんでくださったか、それを知らせなさい」(マルコ5:19)
というキリストの訓戒に従った。 



むろん、この最後の部分をどう受け止めるかはその人次第であろう。筆者は、ウィルソンを殺そうと迫って来たのは、悪魔的な起源を持つ死の力であったとみなす。それが「道」の正体である。永遠の循環を示す蛇の輪は、人間を死と呪いから決して逃がすまいという悪魔の決意を示している。だが、キリストは死を打ち破った方であり、信じる者をそこから解放する力を持っている。

ウィルソンの中で真理が勝った。徹底的に物事を見極めようとしていた彼の性格、知らされた真理から目を背けなかったことが幸いして、彼は信仰を取り戻したのである。他方、彼の師匠たちのような人々は、武術の起源がキリスト教にないことを知りながら、武術が与えてくれる力、栄誉に魅了されて、これを手放さず、うわべだけはキリスト教徒を演じながら、他の神々に仕え続けたものと思われる。

映画"MISHIMA"や、『龍の正体』は、どちらも東洋的な文化の中からは、決して提起できなかったであろう鋭い問題提起を行ている。

『龍の正体』では、「気」を通して「道」(永遠)との合一を目指す思想が、悪魔的な思想であり、「道」とは死そのものであること、また、「気」を引き出す訓練は、人間のトラウマ、利己主義、敵意、憎悪、怨念、憎しみ、欲望などの肉の思いを通して生まれて来るものであることを見て来た。

東洋思想の「道」とは、死に脅かされる被害者としての人類が、自力で永遠性を身に着けて、死を克服して、神のようになろうと、自分を脅かす者に闘いを挑む道である。だが、武術が敵としているのは、悪魔ではなく、聖書の神である。武術は、人類による単なる自己防御の手段ではなく、人類に死の判決を下した神ご自身に対する、悪魔と暗闇の軍勢による反逆の闘いの一部なのである。

十二神将の像に見られるすまじい形相には、自分に永遠の滅びの判決を下した神に対する悪魔の敵意、憎しみ、憤り、怨念、攻撃性が反映していると言えよう。それゆえ、その「道」を行く者は誰でもやがては悪魔と一体化して、鬼と化すのである。

だが、今や、映画の冒頭の警告にあるように、東洋神秘主義の教えは、キリスト教文化圏にも入り込み、それが欧米を経由して東洋に逆輸入されるようになって来ている。ペンテコステ・カリスマ運動も、東洋神秘主義がキリスト教と混合した上で、それが我が国に逆輸入されて入って来たものである。そのことは、ペンテコステ運動が、武術が誇るのと同じような魔術的な超自然的な力を通して神に近づくことを目指している様子からも分かる。そのペンテコステ運動の只中から、カルト被害者救済活動が生まれて来たことは、偶然ではない。

悪霊は、人間の傷やトラウマを足がかりにして、そこから内に侵入し、怨念や憎しみをパワーに変えて活動する。加害者意識と被害者意識はどちらも、悪霊の働く通路であり、人はこれを神に委ね、癒しを求めて祈る必要がある。

ダビデは祈った。

「神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。」(詩編139:23-24)

ここで「迷いの道」と訳されている部分は、別の訳では、「傷ついた道」、「悪しき道」となっている。人が心傷つき、トラウマを心に抱えれば、無意識のうちに、そこから他人にも自分と同じ苦しみを味わわせることで報復を果たそうとする終わりなき罪の連鎖が生まれる。

だが、人は自分で自分の心を見極めることはできない。人の心を深みまで探って下さり、病んだ部分を探し出して、それを癒し、「とこしえの道」へと人を導いて下さる方は、神だけである。そして、その方に従うためには、人は自分を捨てねばならない。自力で武装して、自力で弱さを克服し、自衛することをやめ、弱さのゆえに十字架につけられたキリストと一つとなって、その死に神のよみがえりの命の力が働くことを信じねばならないのである。

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肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険④~

さて、ここで少しだけ、映画『龍の正体』の解説を離れたい。ウィルソン青年が武術を身に着け、次第に自信とプライドを増し加え、キリスト教の信仰を離れて行く様子を見ながら、筆者は、カルト被害者救済活動を率いている村上密牧師のブログ内容を思い出さずにいられない。

カルト被害者救済活動が、当初は拉致監禁という方法を用いて、暴力的にカルト宗教から信者を奪還し、密室で説得工作を行い、強制的に彼らの信仰を打ち砕いていたことは、すでに述べた通りである。

最近では、このような方法で信者の心を無理やり入れ替えることはできない相談であることが常識となりつつある。拉致監禁などという暴力を用いた方法に非難が集まり、それが信教の自由、身体の自由の侵害を含む人権侵害であるとして、カルト宗教の側からも訴訟などが起こされているだけではない。

そのような暴力的な方法で人の心を変えようとする説得工作自体に、大きな問題があり、そのような方法で棄教を強制された人は、心に深い傷を負い、場合によっては、強い洗脳を短期間で一挙に解こうとすることで、人格が崩壊する恐れさえあるとされている。

筆者はこれまで、そのようにして強制的に脱会させられ、クリスチャンとなった人たちと幾度か接触したことがあるが、その際、彼らの内心が根本的に変化して、心底からのクリスチャンになったとは思えない何かの違和感を感じ続けて来た。

むろん、そうした脱会者らは、表面的には穏やかで、敬虔そうに見える。彼らは口では、脱会できて良かった、何某先生のおかげでカルトから足を洗うことができて、自分は本当に幸運であった、などと一様に感謝を述べるが、一旦、彼らの心の琴線に触れるような話をすれば、心の内側に隠されていた憤りと憎しみが噴出する。これらの人々は、本当に解決すべき問題と向き合わないまま、表面的な回心を経て、キリスト教に入信させられた上、自分の精神的支柱を打ち砕かれているため、あまりにも傷ついた自己を抱えており、デリケートな話になると、常に感情的な爆発に直面する恐れがある。

だが、カルトでの洗脳が終わったかと思うと、今度はカルト被害者救済活動によって、新たな洗脳を施され、自我をへし折られたまま、いつまで経っても本当の自分を取り戻すことができずに、力の強い指導者の言いなりになって生きねばならないことは、本当に哀れである。

筆者から見て、本当に注目せねばならない問題とは、この人々がカルトに入ったことが間違っていたという事実ではなく、むしろ、なぜ彼らが、カルトに逃避の場を求めずにいられなかったかという理由である。

人は自分に何も悩みがないのに、いきなりカルトに接近したりはしない。青年期にカルト宗教に接近する人たちのほとんどは、そのきっかけとなる何かの悩み苦しみ、人生や世界に対する疑問を抱えており、そうした悩みのきっかけとなるのは、ほとんどが家庭内問題ではないかと筆者は見ている。

人は幼少期から受けた教育の中に、何かしらカルト的な教えに心惹かれるような土壌がなければ、そのような宗教に抵抗感を覚えずに接近して行くことはなかなか少ない。つまり、常日頃から何かしら「カルトと似たような教育」を家庭で施されているために、抵抗感が薄められている場合が少なくないのである。

そこで、こうした人々が最も考えなければならない問題は、一体、自分が何の問題からの逃避を求めてカルトに接近したのか、という具体的な理由である。それは家庭内の問題であったかも知れないし、親の暴力や暴言、抑圧的な態度、あるいは両親の離婚、学校や職場のいじめであったりと、原因は様々であろう。

だが、いずれにせよ、彼らが、一体、自分は何から逃げるためにカルトへ走ったのか、自分の個人的な人生にスポットライトを当てて、その本当の原因に迫ってこれと向き合って問題解決しようとしない限り、ただカルトの教義の誤りだけを認めただけでは、彼らが心の深いところで抱えている問題は何ら解決しないままなのである。

そのような状況だと、彼らはキリスト教に改宗しても、以前から引きずり続けて来た問題をまた新たな宗教の中に持ち込み、さらなる厄介な問題を引き起こし、それに巻き込まれて行くことになるだけなのである。

そこで、カルト被害者救済活動が、なぜこうした人々がカルトへ走らざるを得なかったのかという本当の原因を考えてこれを解こうとするのではなく、ただ親たちの訴えだけに耳を傾け、子供たちが親に迷惑をかけて、人生を棒に振っているという理由で、子供たちの信仰を強制的に打ち砕いて、誤りを認めさせ、その逃避をやめさせようとして来たことは、非常にまずい悪質なやり方であったと言えよう。

もしもこれらの人々がカルトに助けを求めた最も深い理由が、家庭内問題にあった場合、ただ親たちの言い分だけを鵜呑みにする被害者救済活動では、子供たちがカルトへ走った真の原因を探り出して明るみに出すどころか、それをより深く隠ぺいし、見えにくくして、こじらせる結果にしかならないためである。

その危険性は、村上密自身の人生を見ても分かることだ。村上は、若い時分に統一教会に入信していたわけであるから、本当は、こうした問題点を理解していておかしくなかった。暴力的に信仰を打ち砕かれることが人の心にもたらす傷や、強い者が支配する理不尽な環境の家庭や学校や社会からの逃避の場を求めてカルトに走らざるを得ない者たちの心の痛みを理解していておかしくなかった。

にも関わらず、なぜ村上は、暴力的に他人の意志を打ち砕いてまで棄教させるという活動に関わり、これを「救済」ととらえていたのだろうか。それを考える上で興味深い材料が、村上のブログに記載されているので、今回、その問題について具体的に考えてみたい。

この問題を理解する鍵となるのは、村上と父との関係である。村上はブログにおいて幾度も、幾度も、子供時代に父から暴力を振るわれ、深刻な虐待を受けていたことを示唆する記述を行っている。ただし、村上自身は現在に至っても、これを虐待と認識しておらず、実はそのことこそ、村上の抱える最も深刻な問題なのである。
 
通常、牧師は回心前などに、学校で級友と流血沙汰の喧嘩をしたことがあったとしても、それは信仰を持つ前の神を知らなかった頃の行為であるから、愚かだったと思いこそすれ、そのような話は福音伝道のためにならないと思い、公に告白しないことであろう。

ところが、村上密は今になっても、自信ありげに、子供時代の殴り合いの喧嘩を武勇伝のごとく吹聴している。村上はいくつかの記事で、高校時代に他の生徒ににらまれた際、殴り返して撃退し、それに懲りた相手方の生徒が、自ら転校して行って勝利をおさめたという話を自慢げに繰り返している。

だが、この記述の中で、注目すべきは、そのような喧嘩の仕方を村上に教えたのが、彼の父であったことである。父が息子に喧嘩の仕方を教えていたので、高校時代には、村上はすでに相手を殴るだけでなく、蹴倒して蹴り回すなどの術をも身に着けていたのだという。

村上の父は、言葉で息子を諭すよりも、体で「教える」タイプの人間だったらしいが、そのように喧嘩の仕方を教わったことで、いじめっ子を撃退できたことが、村上の中では誤った「成功体験」となり、村上は牧師になった今でも、それを「父のけんかの教え」と呼んで(あえて「教え」という言葉を使っていることに注意したい)、「父の先見の明に感じ入った」などの賞賛の言葉を記している。未だに「父に忠実な息子」であることを誇りとし、その教えの中に悪しき思いが入り込んでいることに気づかないのである。
 

高校1年生の時のことである。Aが私の机でパンを食べ散らかした。私はごみをかき集めて、Aの机の上に置いた。Aは授業が始まってから、教師の目を盗んで、パンくずを私に投げてきた。授業が終わって教師が退室すると、ぬしゃ~(おまえは)と言い寄り、つかみ合い、殴りかかってきた。椅子や机がなぎ倒され、けんかの場所がべランダになった。私は父の言いつけを守ってきた。1発、2発は殴られてやれ。3発目は油断して殴ってくるのでカウンターで急所を殴り返せ。忠実に相手の鼻を拳骨で殴った。たちどころに鼻から血が流れだし、戦意を喪失した。私は蹴倒して、蹴りまわそうかと、父のけんかの教えを再現しようと思ったが、さずがに同級生たちが束になって止めにかかった。Aは翌日から高校に来なくなった。いつまでも来ないので心配していたら、転校していったとのことだった。高校生の時「わる」に絡まれたのはこの時一度だけだった。以後は争いのない高校生活を終えた。

それでも、私は二度高校をやめようと思った。一度はけんかの後、退学か停学かを受けるのではないかと思い、どうせなら自主退学をしようと覚悟していた。ところが、担任教師がこのことを知っても何も処分について口にしなかった。正当防衛が成立しているからである。ちょっと行き過ぎた正当防衛である。父の先見の明に感じ入った。<略>
拳骨で平和を 2018年 04月 25日 )


この記事の後半で、その当時に村上が禅に心惹かれていたと記述されていることも興味深く、やはり、東洋思想からの思想的な影響を感じさせる。筆者はDr.Lukeを初めて実際に見かけた際にも、どこかしら禅寺の僧侶を思わせるような人物だという印象を記事に記している。(筆者は実際に禅寺がどういうところであるかを知っているので、これは単なる印象批評ではない。)

村上は暴力事件については、さらに、なんと保育園時代から、年長者に兄を相手に、相当な手傷を負わせることで、兄から手を出されることがなくなり、不戦の関係が築かれたと自慢している。
 

私は兄とけんかした記憶がない。これは両親と兄から聞いた話である。私は保育園児の頃に兄とけんかをした。肥後刀の取り合いになって、貸して、貸さんのやり取りになった。兄は怒って、肥後刀を私に投げた。それが私の左目の目じりの端で眼球まで数ミリの骨の部分に当たった。瞬く間に左目は血だらけになり、ポタポタと血が流れ出した。私は近くにあった鎌を手にかけて上段に兄の頭に振り下ろした。兄は頭から血がだらだらと流れた。兄弟とも血まみれになった。急いで病院に連れて行かれたと聞いた。昨年、兄と何かを話しているとき、まだ、あの時の傷が目じりに残っているよと話すと、おる(私)もまだ頭に傷が残とっととたいと頭の傷を指した。互いに大笑いした。私たちは私たちのけんかがどのような結果になるかを経験した。その結果、私たちは互いを恐れ、暗黙のうちに不戦の関係を築いたのではないかと思う。口げんかさえ記憶にない。
血まみれのけんか   2018年 04月 25日)


幼児だから力が足りなかっただけで、もう少し成長していれば、殺人事件になっていてもおかしくなかった。このことから分かるのは、村上は、かっとなると、見境のない行動に出て、身内が相手であっても、とてつもない暴力性を発揮する可能性のある性格の持ち主だということである。

だが、なぜ幼児期から、村上はこのような衝動的な行動に出ていたのであろうか? おそらく、この兄弟喧嘩が発生したこと自体に、親の影響が相当にあったと思われる。村上の父がどのような人間であるかは、以下に挙げる記事からも分かるが、父の影響を受けて、すでにこのような幼児期から、村上は、自分の家庭では、「目には目を、力には力でやり返せ」といった、力の論理で生きるしか、身を守る術はないという考えを会得しており、口で説得したり、言葉を用いて相手をねじ伏せるよりも前に、まず手が先に出て、体でやり返し、本能的な自己防衛の思いから、相手に打撃を与え、痛い思いを味わわせることで、自分を守ろうとする方法論が身に着いていたと思われる。そして、そのような方法論を村上に体得させたのは、他ならぬ父だったのである。
 

子どもの頃、けんかして泣いて帰ると、父からげん骨を食らう。やり返してこい。何かで泣いていると、男が泣くもんじゃない。馬鹿たれ。なんば泣くか、とげん骨である。父の前では涙を見せられない。歯を食いしばって我慢するしかない。おかげで奥歯が擦り切れた。けんかに負けないように、教えてくれと言っていないのに、勝つ方法を教えてくれた。以来、けんかで負けたことはない。負けるかんか(ママ)はしない。父親の方が怖い。

高校の時である。クラスのワルがけんかを仕掛けてきた。二発殴らせてやった。向こうは安心して三発を打ってきた。それで相手の鼻をカウンターで打ち返した。鼻血を流して戦意喪失。クラスメートが間に入って止めた。相手は翌日から学校に来なくなった。転校したのだろう。以来、私はけんかをしなくなった。その代り、論争に負けないように努めた。こうやって、私の性格は父のげん骨で作られた。父の最高傑作品ではない。父の前で泣かないだけだから。クリスチャンになって、天の父の前ではよく涙を流すようになった。私は二人の父親を使い分け、次第に変わってきた。
ところが、自分が父親になって、子どもが泣いたり、めそめそしていると、なんば泣くか。男が泣くもんじゃない、と聞かなくなった父の言葉を今度は自分の子どもに言い、げん骨を食らわしている。父親の血は私の中に流れていたわけである。そのたぎる血も、頭を打つのは止めてください。手でおしりを叩くぐらいにしてくださいとの懇願に転向を余儀なくされた。そして父親と同じように子たちが中学生になる前には手をあげることを止めた。
父とげん骨 2017年 11月 19日)


 
これはまさに武術に励むことで、いじめっ子を撃退し、プライドを立て上げようとしたウィルソン少年の姿を彷彿とさせる。村上ははっきり述べている、「私の性格は父のげん骨で作られたと――。これは非常に恐ろしい告白である。彼はキリストの成分が自分を形作ったのだと言っておらず、父の暴力が自分の性格を形作ったと言うのである。

クリスチャンには、「二人の父親」はいてはならず、まして「二人の父親の使い分け」などあってはならない。だが、村上の告白は、クリスチャンになった後でも、村上の中には、キリストの教えと、もう一つ、それとは異なる肉の父親が教えた「力の論理」がずっと併存して息づいていたことを示している。

村上は少年時代に、たとえ子供のけんかであっても、負けて帰って来ることは恥であると父に責められ、自分で自分の身を守れと言われ、力の論理を体得させられた。すでに保育園時代から、村上は、自分の家庭では、力が弱いがゆえに喧嘩に負けても、誰からも同情などしてもらえず、相手が兄であっても、負けることは恥であり、涙を見せることは心の弱さの証拠でしかなく、馬鹿にされるだけだと学んでいたのではないかと思われる。

以上の喧嘩に関するすさまじい記述は、どれもこれも、村上が少年時代に、親から事実上の虐待を受けていたことをよく物語る。たとえば、子供同士の喧嘩で負けて帰って来た子供を、親が慰めず、子供の心配をするどころか、みっともないと叱りつけたり、「泣いてはならない」と命じたり、「喧嘩の仕方を教えてやる」という口実で、父が子供に取っ組み合いのわざをしかけるなどの行為は、れっきとした虐待である。さらにもっとひどい虐待の様子も、後述するように、村上の記事にはいくつも記されている。
 
親の庇護がなければ、子供はもともと生きていけない存在である。弱い子供に自分で自分の身を守れるはずがない。ところが、親が、子供の弱さをかばうどころか、子供自身が強くなって自衛するのが当然であり、それができないのは恥だと教え、弱い子供を突き放し、泣くことさえ禁じるのは、ただ親が子供への保護責任を放棄しているだけである。

だが、問題は、村上が未だに自分の親のこのような行動が、深刻な虐待であったという意識をまるで持っていないことである。それどころか、村上はキリスト者になっても未だに、そうした父の「教え」が、自分に役に立ったと考えて、それによって得られた「成功体験」を重んじ、継承しているのである。

級友に暴力を振るい、級友が学校に来なくなった時点で、村上は、自分の暴力が、イジメ問題に発展し、自分が学校で罰せられるかも知れないという自覚を持っていたと書いている。正当防衛を主張するには、明らかに分を超えてやり過ぎたのだ。しかも、相手が不登校になってしまえば、何が原因であれ、やはりそれはあるまじき結末だ。きちんと和解して両方が同じ教室で学べるように決着をつけるべきだったのだ。

ところが、学校側は無責任で、和解の努力もせず、村上は罰を受けることもなく、ただ喧嘩の相手となった生徒だけが転校するという重荷を負うことで、事件が済まされてしまった。そのことは、村上にとって悪しき「成功体験」となる。この時、村上の中では、大人たちの世界では、たとえどんな卑劣な方法を使おうと、どんなにやり過ぎようとも、とにかく力の勝負で勝ちさえすれば、それが勝利としてまかり通るのだ、従って、そのような方法で自分が身を守ったのは正しいことだったのだという認識がさらに強化されたと思われる。

それは、喧嘩に負けることを恥であると普段から教えて来た父親の言葉に、学校側も呼応して同じ見解を示したことを意味する。そこで示されたのは、世間は「力の論理」で成り立っている、何が正義であるとか、真実であるとか、何がほどほどの妥協点であるかなどは関係なく、「力の論理」で相手を打ち負かした者が、勝つのだという理屈であった。

こうして、村上はキリスト教に改宗した後も、暴力で弱い者を打ち負かすことを恥とせず、何事をも父から教わった「力の論理」によって解決しようとし、力によって身を守れた者が勝つのであって、それができなかった者は敗北するのが当然だという考え方を持ち続けることになる。そして、キリスト教とは根本的に相容れないこのもう一つの肉的な教えを、キリスト教と同時に使い分けて行くのである。

村上の「力の論理」は、村上自身が親となった際にも、自らの子供への体罰という形で受け継がれる。 

前にも書いたことだが、筆者は村上密の教会に実際に通い、村上の家族を実際に目撃しているが、一番最初に疑問に思ったのは、村上の妻が少しも幸せそうでない、ということであった。

牧師がワンマンでないか、本当に謙虚な人格を持ち、周囲のことを思いやっているかどうかをはかる最も良いバロメーターは、妻との協力がどれくらいうまくいっているか、牧師夫人が本当に生き生きして満たされて行動しているかに注目することである。牧師の行動はいくらでもごまかせるが、牧師夫人が幸せであるかどうかは、人の目にごまかすことができない。
 
村上自身は、筆者の前で、一度も怒鳴り散らしたり、不機嫌なところを見せたり、取り乱した態度を取ることはなかった。むしろ、常に温和で人好きのする態度を見せていたので、筆者は初めの頃、村上の人柄に全く不信感を持たなかった。だが、おかしなことに、まだ若く、幸せいっぱいの家族であるはずの村上ファミリーの様子が筆者にはどうにも変に感じられたのであった。子供たちは比較的、のびのびしているように見えた(弱さを見せることを禁じられていたので、そのように振る舞うようしつけられていたのかも知れない)。だが、夫人は、村上と接触する時でさえ、感情を押し殺したような表情で、伸び伸びした態度も、心の余裕もないことが分かった。
 
これは非常に奇妙なことであった。特に、被害者のケアに当たるという仕事を常日頃から夫婦でやっているのであれば、夫人の側には、夫の手が回らない部分まで、慈愛に満ちた思いやりある行き届いた態度が求められるのが通常であるが、そういうものからはほど遠い夫人の行動を見たあたりから、この家族は何かどこかが変なのではないかという気が筆者にははっきりとし始めたのである。

だが、以上の村上の記事などを読めば、なぜそのようなことになっていたのか、その理由もある程度は理解できよう。村上は、決して信徒らの目には触れない場所で、子供への折檻を行っていたと自ら告白しているのである。しかも、その折檻は、子供が何かあるまじきいたずらに手を染め、あるいは万引きしたり、非行に走ったりと、誰が考えても社会的に容認できない行動に走ったために加えられた体罰ではなく、ただ「子どもが泣いたり、めそめそしていると、なんば泣くか。男が泣くもんじゃない、と聞かなくなった父の言葉を今度は自分の子どもに言い、げん骨を食らわしている」と村上が書いている通り、ただ子供が気落ちして、心弱くなっているところを目撃しただけで、それを「罪」のようにみなして殴っていた、というのであるから驚きである。

その記事からも分かるのは、おそらく、村上は、かっとなれば、突然火がついたように自制心を失い、普段とはまるで違った形相になって、子供を思い切り打ち据えずにいられなかったのだろうということだ。決して人前で弱さを見せるなと、自分が幼少期から父に厳しく叩き込まれたために、子供たちが弱さを見せただけでも、許せない思いになり、見境なく手を出さずにいられなかったのである。
 
しかし、妻を含め、周りで見ていた者たちは、村上の血相を変えた尋常ならぬ様子に怯え、その体罰に命の危険をさえ感じていたのであろう。その記述は、幾度、やめて下さいと、妻も懇願したか分からない様子を伺わせる。だが、村上を止めることは誰にもできない相談であった。

こうしたことは、まさにこれまで書いて来た「般若の面」を思わせる出来事である。明らかに、村上には、表向きの、弱者に対して優しく親切そうな表情とは別の、牧師として第三者に接触している時には、決して見せることのない、もう一つの顔があった。彼は二つの面を使い分けており、隠れたもう一つの面が隠されていたのである。

その「鬼の面」は、カルト被害者に対して親切で、思いやり深く、彼らの心の傷や弱さに寄り添い、それに我が事のように共感を寄せる牧師という表向きの顔とは全く逆の、決して人が自分の弱さを打ち明けることも、そのために涙を流すことも許さず、力の勝負で「負けて帰って来る」こと自体を恥とみなし、負けて帰って来た者にはさらなる罰を加えてこれを恥として責め立てるような、残酷な般若の面だったのである。

その鬼の面は、村上自身にもコントロールできない「父親の血筋」であり、一旦感情に火がつくと、自分の生んだ子供たちという最も身近な愛する者たちにさえ、容赦なく手をあげ、向けられるような憎しみだったのである。

だが、村上は、自分の中にそのような「父親の血」が流れていることを、以上の記事でも、反省すべきあるまじき出来事としてはとらえていない。むしろ、子供が中学生になる前に手をあげることをやめたのだから、それでいいではないか、と言いたげだ。自分は親から教えられた通りのことを忠実にやっているだけで、それで自分も無事に生きて来たのだから、それはしつけであり、処世術であって、何が悪いと言いたげである。

自分の仕打ちが、子供たちの心の中で深い傷となり、それを見ている者にもはかりしれないショックとトラウマを与え、自分が育てた子供たちが、いずれ親になって、自分と同じことを繰り返すかも知れないということには、全く思いが至っていないのである。

さらに、もっと注目すべきは、村上が統一教会から脱会したいきさつである。

筆者はまだ幼い頃に、筆者が所属していた教会に、村上がやって来て、セミナーやら講演やらを開いていたことがあるのを覚えている。そのような集会の一つで、村上は直接、自分の口で、どうやって統一教会を脱会したのかといういきさつを語っていた。

一方では、村上は、統一教会の用事であったのか、それとも他の仕事であったのかは分からないが、トラックか何かを運転中に、「密、密、なぜ私を迫害するのか」というキリストの声を聞いて、滂沱の涙を流して自分の誤った信仰を悔い改めた、などと話していた。

あたかも、パウロのダマスコ途上の回心のような、劇的で自主的な回心があったような話しぶりであったが、この種の話はかなり眉唾物だと思わざるを得ない。

ところが、そのように話した舌の根も乾かないうちに、村上は、統一教会を脱会するに当たり、もう一つの決定的事件が起きたことを自ら告白していたのである。彼は会衆からの質問に答えて、「統一教会を脱会する際、父から半殺しの目に遭わされ、力づくで連れ戻された」と自分で語っていたのであった。

「半殺しの目に遭わされた――」、この非常に穏やかならぬ、牧師にふさわしくない言葉に、筆者は驚き、それが記憶にとどめられた。 今、村上のブログを開いてみると、やはりその言葉は、筆者の思い過ごしでもなく、誇張でもなく、まさしく事実であったことが分かる。村上は脱会のいきさつについて、次のように語っている。

統一教会の研修に参加するため家を出た。その後、家は大騒動。父と兄と叔父が、私が匿われている場所を捜し当てた。父が2階にいる私を見つけ出し、私が死んでも帰らないというので、父が殺して連れて帰ると言って、殴る、蹴る、引き回す。2階から髪の毛をつかんで引きずりおろし、車で連れ帰された。

11月に熊本で兄と母と一緒に食事をしているとき、先の話をしていると、兄が、そるわ~、おとっつあんじゃなか、おったい。用心棒がおっと思ったけん、木刀ば持って殴り込んだたい。わっが、死っでん帰らんていうけん、うちくらわし、けたぐっ、ぞびきまわし、連れち帰ったたい。兄から記憶違いを起こしていることに気づかされた。私の瞼に浮かぶ、手をあげる父は実は兄だったとは。驚きである。そして、兄が、おまえがにぐっといかんけん、3日間、ロープでしばって、座敷にとじこめとったたい。おまえは3日間、めしもくわんでおったたい。この辺の記憶はない。母がそぎゃんだったたい、と言ったので確かだろう。私は兄に、その節は大変お世話になりました、とその場でお礼を言った。その場で私たちは大笑いをした。

兄が、おまえはこまかっとき、おやじに梁からロープで吊るされ、竹ん棒でたたかれたこつば~あったたい。母が、あんたはなきもせんで、歯ばかみしめっ、引きつけばおこして気おとしゃせか~、しんぱいしたとたい。
これも記憶にない。記憶は作り変えられ、消されるものだと分かっているが、自分のことでわかって驚いている。

一部を熊本弁で書いた。迫力ある場面、追憶する話し方、このような話し方はどれもなじみの言葉である。「その場で私たちは大笑いした。」つらい事、悲しい事、大変なことも笑いでくるむ話し方は我が家の話し方である。
記憶は作られ 削られる 2017年 12月 12日)


ここでは、笑いごとではない話が、笑いごとのように済まされている。しかも、この記述は、本当のところは、どうだったのか分からないと思わせる。父と兄と叔父の三人が、村上を連れ戻すために、統一教会のアジトに殴り込んだのだ。そこで行われた乱闘において、誰が村上に手心を加えたのかは、今となっては誰にも分からない。それは兄だったのかも知れないし、父だったのかも知れないし、叔父だったのかも知れない。いずれにせよ、みなの連携プレーがあったのだ。みなが一体となって暴力を振るっていたことはほぼ間違いない。兄が後になって父をかばっているだけの可能性も高く、記憶違いをしているのが誰なのかすらももう分からない。

さらに、この話の中には、村上が小さい時から、父が彼をロープで縛って、梁から吊るし、竹刀のような棒で打ち据えていたなどのことも書かれている。しかも、子供は泣くことも許されなかった。幼い頃から、このようなすさまじい有様だったのだから、この父ならば、何でもやりかねないと思うのは当然である。

いずれにせよ、親族たちの暴力的な連携プレーで、村上青年がカルトから連れ戻されたのは確かであり、そこで誰がどれくらい村上に直接、手を下したのかなどは重要な問題ではない。とにかく村上青年は、父、兄、叔父の三人によって、殴る、蹴る、引き回す、髪の毛をつかんで階段を引きずりおろす、殺してでも連れ戻してやる、などの暴行と暴言を受け、無理やり拉致されて、車に詰め込まれ、その後、家では、逃げないようにロープで縛られた上、座敷に閉じ込められて、三日間、飲まず食わずだった、ということが分かるだけである。

全く恐ろしいほどの暴力沙汰の脱会劇である。しかも、これを身内がみなで一致協力してやったというのだから、恐ろしく、通常であれば、これほどのことをされてしまうと、身内に対する不信感から、完全に周囲に対して心を閉ざしてしまったとしても不思議ではない。村上の場合、そうならなかったのは、おそらく、普段からそのような暴力沙汰が、珍しいことでなかったためであると思われる。
 
こうして、「死んでも帰らない」と豪語していた村上青年の脱走劇は、あえなく暴力によって打ち砕かれて終わった。そもそもなぜ村上が統一教会に心惹かれ始めたのか、その動機はそれほど定かではなく、世界を滅びから救うとか、日本が罪の懺悔を果たすとか、統一教会が表向きに掲げているスローガンはいくらもあって、そのどれに心惹かれたのかも定かではない。

だが、村上自身の記述を読むにつけても、想像されることはただ一つ、そういった統一教会の唱えている表向きのスローガンへの傾倒とはまた別に、村上には、自分の家庭から何とかして逃げたい、もしくは、家庭で味わい続けて来た苦痛の意味を知りたい、という動機があって、その逃避の場を統一教会にしか求められないと考えて、カルトに走ったというのが真の動機ではないかということだ。

「死んでも帰らない」という穏やかならぬ村上青年の言葉が、家や、親に対する悲壮なまでの抵抗の決意を表しているように思われてならない。それがただ統一教会の洗脳だけの結果であったとは思えず、もっと深い動機から出たものであったと考えざるを得ないのである。とにかく、それが本人にとっても命がけの家庭からの逃走劇だったことを思わせる。

だが、不幸なことに、その命がけの試みさえも、中途で打ち砕かれて、再び、彼は以前と同じ牢獄に引き戻されてしまった。ロープで縛られ、身体の自由も奪われ、憔悴の果てに、飲まず食わずで時を過ごし、それによって、「どんな卑劣な手を使ってでも、最終的には、力の強い者が勝つのだ」という、村上家の暗黙の掟が、またもや彼に体で叩き込まれたのである。

肉の父親による暴力的な支配と、家に恥をもたらさないように行動をすることだけを第一とする価値観は、文鮮明の教えよりももっと強かった。肉の父に対する反抗は、どんなことをしても許されず、カルトに走り、父に逆らい、家の恥となる行動をしたことに対する罰は耐え難く重かった。

村上はこうして統一教会に逃げることで、何とか得ようとしていた家庭からの脱出口も失ってしまう。そして、そのまま、一体、自分がどんな問題に悩み、何からの解決を求めてカルトに走ったのか、という根本問題をさえ、自分で封印してしまった。もはや父親に対する抵抗はどんなものであれ、許されないものとなり、父が間違っているかもしれないなど、考えることもできないタブーとなった。
 
村上は実際には、幾度も、幾度も、弱い立場にある子供としての自分からのSOSを無言のうちに発していたのであろう。カルトに走ることも、親に対するSOSだったのだ。ところが、親からも親族からも、その言い分に耳を傾けてもらうことができず、ただ一方的に自分の心の弱さだけが「悪」であると決めつけられ、暴力的に発言の機会を奪われ、口を塞がれ、意志を打ち砕かれて従わされた。彼は、ウィンストン・スミスのように、絶対的な権力によって無理やり自分の意志を打ち砕かれたことにより、暴力事件によって深い心の傷を負ったと考えられる。

そのために、村上は、自分の子供たちが心の弱さを見せることさえ許せなくなり、キリスト教の牧師になった後も、カルト被害者救済活動という名目で、自分以外のカルト信者に対して、自分が受けたのと同様の暴力行為を行うことで、暴力の連鎖を生み始めたのである。つまり、他のカルトへ走った信者らに対しても、拉致監禁という方法で、自分がされたのと同じような暴力に走り、他の信者らの信仰を容赦なく打ち砕いて来たのである。それは信仰がなせるわざではなく、人の心の傷が生み出す連鎖であり、救済ではなく、トラウマの連鎖であった。

いかにカルトから脱会させることを目的に掲げていても、暴力を振りかざす親の理屈が間違っていることを心から理解せず、親から訣別を果たすことができないままであった村上は、傷ついた自分の心と向き合う機会が失われたまま、その傷を、今度は他人に植えつけ始めたのである。

村上の信仰は、いわば、強者の論理によって獲得されたものであると言えるだろう。彼は暴力的に自立の試みを妨げられたため、父を批判することが未だに出来ず、「それで人はその父と母を離れて・・・ 」(創世記2:24)というステップが未だに完了していないのである。しかも、ただ両親から離れられないでいるだけでなく、受け継いではならない「父親の血(肉による力の論理、暴力の連鎖)」に疑問も持たずにこれをそのまま継承してしまっているのである。

それゆえ、牧師であるにも関わらず、このような物騒な暴力事件の話を自慢げにブログに書いているわけだが、しかし、その心の中には、「とにかく勝ったのだから、あれで良かった」という思いと、「なぜ自分があんなことをされなければならなかったのか」という思いが無意識に交差しているように見える。

村上は気づいていないであろうが、彼が救おうとしているのは、カルト被害者ではなく、本当は、痛めつけられた自分自身なのである。弱く、言葉を発することもできず、立ち向かう力もなかったがゆえに、無視され、侮られ、踏みつけにされ、否定され、傷つけられ、それでも立ち上がるよう強制されて来た自分を救いたいという動機が、被害者への共感を生んでいるのである。

だが、彼は、それを父親が自分に教えたのと同じ理屈で成し遂げようとしていることろに誤りがある。すなわち、弱い被害者たちに「裁判」という力を付与し、自分の力で戦わせることによって、彼らに自衛の方法を教え、この世の力を帯びさせて勝利をおさめさせようとしているところに誤りがある。

村上は自浄作用の働かない教会では、被害者の訴えは浮かばれず、そんな教会は教会とは呼べず、「だまされ続けることを聖書の教えと思い込む愚か者の集まり」だと決めつける。

互いが和解できなければ、それは裁判に持っていくべきではなく、教会の中で正しく裁かれるべきである。それをしないで、世の裁判に訴えることは敗北であると言うのである。<略>パウロは教会の中に「兄弟の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。」(1コリント6:5)と語りかけている。赦しなさいは仲裁ではない。正しく判断をしないならば加害者への加担である。教会の中で正義と公平を持って裁く人がいないなら、教会は教会性を失ってしまうことになる。すなわち、もはや教会は教会ではなくなっているわけである。どんなに礼拝会や祈り会に出席者が多くても、賢い者のいない教会、正しい判断をすることにできない教会となる。不正が正されず、不正のはびこる教会、だまされ続けることを聖書の教えと思い込む愚か者の集まりとなる。
誤用される聖句 2018年 04月 19日) 


しかし、このようなものは本当の解決とは言えない。人間の世界で起きる真に残酷な「被害」は、決して人が口に出せるようなものではなく、裁判にも持ち出せるようなものでもない。世の中には、赤ん坊や、子供を含め、自分が受けた不当な仕打ちを、決して論理的に説明することもできず、それを代わりに訴えてくれる味方もいない人々が数多くいる。

村上は言う、教会が教会性を失わないためには(何を持って「教会性」と考えているのかは不明だが)、裁判によって、被害者を救済せねばならないと。外から力を行使して、教会を正さねばならないと。

しかし、そういう理屈だと、人が言葉にもできず、裁判にもできず、誰にも打ち明けられない問題は、どこへ消えて行くのであろうか? 誰に助けを求めることもできない環境に置かれ、訴えを出すこともできない人々の「被害」はどこへ行くのであろうか? 自ら立ち上がり、理屈を駆使して相手を言い負かし、裁判という力を行使して、それによって勝利をおさめて、初めて教会が「教会性」を取り戻すというなら、被害者が名乗り出ず、訴えもしないがゆえに、誰も気づかない不正はどこへ消えるのであろうか? それらは神の御前に悪事でさえなかったことになるのだろうか?
 
村上が述べていることは、どこまでも終わりなき「力の論理」であって、そこには、被害者といえども、ただ力を行使することに成功した者の訴えだけが、最終的に認められるという理屈しか存在せず、すべてのことを公平に裁かれる神が不在なのである。
 
このような考え方は、被害者の中にも、格差を生み出す。裁判で勝ったのか、どれくらいの賠償金を取り返せたのか、相手をどれくらい重い罪に問うことができたのか。どれくらい短い間で訴えを終わらせたか。効果的な裁判を行えたか。弁護士はいたのか。云々。

だが、私たちの聖書の神は、そういうお方ではない。我々の聖書の神は、乳飲み子、みどりご、やもめ、寄る辺ない者全ての庇護者であり、自分で声を上げることができないすべての弱い人々の味方であって、一人一人の思いを知っておられ、自ら立ち上がることのできない人々のために正義を行って下さるのである。

村上の論理の矛盾と破綻は、この世の力を行使しなければ、決して教会に是正はあり得ないと考えている点にある。それでは、教会の主人は人間ということになってしまい、教会は神の支配が及んでいる領域ではないと言っているも同然である。つまり、そこでは、正しい裁きを行う者は、常に人間でなくてはならず、神が裁きを行われるということを信じてもおらず、それに任せるつもりもいないのである。

だが、人間の行う裁きは、そもそも偏っていて、不公平であり、必ずしも正しいものとは限らない。現に、世間では、冤罪事件で有罪とされた人もおり、裁判という枠におさまらない悪しき事件は日々、膨大に起きている。裁判の判決さえ、しばしば公正でなく、まして、裁判に訴えることもできない人々の訴えはどうなるのか。

教会の問題を裁判所に持ち出し、そこで勝利を収められさえすれば、勝ったことになるという村上の理屈は、結局、自分の父がしたのと同じ方法で、弱者に自衛を求めているだけなのであり、弱い者に力の論理を身に着けさせ、それによって武装した者が勝つのだという教えなのである。

村上は、弱者が自分に従順で、自分の「教え」を忠実に学んでいるうちは、助けようとするであろうが、それは離脱を許さない残酷な支配であり、その優しさは本当のものではない。彼は決して自分が許した範囲外に、弱い者たちが出て行くことを許さない。

村上は、彼の活動に反対する一人や二人の人間だけに対して残酷なまでの非難を繰り広げているだけではない。村上の教団の配下から出て行こうとした牧師や信徒たちにも、同じように残忍な非難の刀を振りかざして、彼らを打ちのめそうと、彼らに落伍者の烙印を押し、離脱した教会を再び傘下に連れ戻すべく、裁判にまで及んで敗北している。

こうしたすべての行為は、村上が統一教会に走ることで、家から脱走することを決して許さず、彼の行為を「家の恥」とみなして断罪し、彼を辱めて滅多打ちにして、力づくで座敷牢に閉じ込めてまで、その意志を暴力的に打ち砕き、家庭に連れ戻した父親の行為の二の舞でしかない。

村上が被害者たちに言い募っているのは結局、こういうことである、「おまえら子供たちは家を守るために勇敢に戦いに出ていけ。そして勝って戻って来い。自分を傷つけた者を打ちのめし、そいつに勝利を果たして、我が家に栄光を携えて戻って来い。正義がこの世に存在することを思い知らせてやれ。おまえの存在はこの家のためにあるのだ。おまえは家に栄光をもたらす道具であって、そこから出て行くことは決して許さない。」
 
分かるだろうか、こうした発想の根底にあるのは、「母を守る」という東洋思想の危機感と同じなのである。「家が脅かされているから、家族の成員が皆立ち上がって家を守らなければならない。そのために、一人一人が力を身に着けて、自衛しなければならない」ということである。『国体の本義』が、家の名誉のために、ためらいなく皆が死ぬことを奨励しているように、もし家の名誉を守る戦いの最中で命を落とすのであれば、それは名誉の戦死として扱われるのである。

村上が、自死に対して寛容なのも、おそらくそのためであろう。被害者が脅かされながらも、決して家や両親に逆らって自分を守ろうとすることなく、むしろ、家の犠牲となって、その名誉のために命を落としたのなら、それは名誉の戦死であって責められるべきことではないというわけである。自死した本人を免罪しようとしているというより、家と親たちを守ろうとしているのである。
 
このような世界観に立って、彼は教会というものも「脅かされる家」と見ている。だが、そこで抜け落ちているのは、教会の支配者は人間ではなく神であって、神の正しい裁きが存在し、それに委ねる必要があるという点と、教会を脅かしているのは、あれやこれやの人間ではなく、最終的にはサタンであるから、人間相手の戦いで、教会を脅威から守ることは決してできないという点である。

人間相手の戦いには「目には目を」の法則が働いて、「殺す者は殺される」という結果に至るだけである。

村上のブログからは、当ブログの他にも、村上の行き過ぎた活動を批判し、村上を名誉毀損で訴えようと具体的に動いている勢力があるらしいことが分かる。以下で言う「スピリチュアル系カルト」とはその他の記事を合わせて読めば分かるように、当ブログとは一切無関係である。

最近、スピリチュアル系カルトからのインターネット上での嫌がらせが増えている。それは指導者がヒステリーを起こしているからである。名誉棄損されていると信者に警察に相談に行かせたりしている。事実、警察から注意とも警告とも思われる電話があったが、別に私の意見を述べているだけで、名誉棄損になるような記事ではない。一種の脅しである。自分たちのネット上の攻撃は悪質であることを棚に上げてである。国外からだとどうすることもできないが、国内であれば対処できる。エスカレートしてきているので、こちらも対処しなければならないレベルになってきた。放っておいて罪がまし加わるのを待つのがいいのか。軽いうちに止めさせる方がいいのか。後者の方が相手思いかもしれない。   (スピリチュアル系カルト 2018年 04月 16日)

この記事によると、すでに警察からも警告が入っているらしく、そうなると、事件はかなり深いものと予想される。実際に名誉毀損による告訴が成立している可能性も十分に考えられる。
 
今や村上についてはかなり各方面から物騒な話題が持ち上がり、だんだん抜き差しならない事態になって行っていることが分かる。むろん、カルトと名指しされる団体に自ら首を突っ込み続けると、いずれ手に負えない反撃が来ることはもともと予想されていたことである。村上から被害者を通じて思わぬ干渉を受けた団体は、当然ながら、反撃に出て来るであろう。相手はもともと正常な団体ではないのだから、そのような争いに自ら首を突っ込み続ければ、いずれは命の危険にも遭遇する。そのような戦いが、牧師の正常な活動ではないことは言うまでもない。

しかも、村上は、自分だけは決して誤りを犯すことはないという前提に立って物事を考えているようであるが、彼が他人に振りかざした厳しい基準が、彼自身に適用されるのだ。和解できない場合には、いずれ村上自身が裁判に引き出され、決着を求められることになる。その時、他人に憐れみを示さなかった彼に対する裁きは容赦のないものとなろう。「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。」(ヤコブ2:13)

さらに、村上が次のように書いていることも実に要注意である。

聖書には、殺してはならないとの神の命令があり、時には、殺せとの神の命令がある。殺してはならないが浸透し過ぎて、殺せがないかのように思っている人がいる。聖書には、赦しなさいとの神の命令があり、時には、裁きなさいとの命令もある。赦しなさいが浸透し過ぎて、裁きをしてはならないかのように思っている人がいる。

偏った聖書理解によって、被害者が被る言葉には滑稽なのがある。謝罪もしない加害者に対して、聖書には赦しなさいと教えているから赦しなさい。それでも赦せないでいると、赦しなさいと聖書に書いてあるのに赦さないあなたは神に逆らている。それは罪だと裁かれる。赦しなさいと言っている人が自分の言うことに従わない人を裁くわけである。(偏った理解   2018年 04月 08日)

   
これは非常に恐ろしい記述である。誰一人、村上に殺人について尋ねたわけではないのに、彼は自らこのように「聖書は殺人をも禁じているわけではない」という誰も聞いたことのない自らの奇抜な「信仰告白」を繰り返す。ここで村上が、「殺せ」という命令と「裁きなさい」という命令を一つに結びつけて話していることは注意である。このことは、村上自身の中で、この世の強制力である裁判を用いて教会の問題を解決しようとすることと、殺人とが、同じ力の論理に属するものとして同一線上にあることをよく物語っている。

だが、彼が聖書が殺人を正当化していると述べる根拠として、引き合いに出しているのは旧約聖書の記述である(「クリスチャンの裁判」 参照)。聖書において、神が主の民に神に背いた人々や異教徒を「殺せ」と命じたのは、旧約聖書の時代の話であり、新約になってからは、そのような命令は一切、主の民に下されておらず、むしろ、キリストは弱さのゆえに十字架につけられ、主の民が殺される側に回り、殉教している。村上がなぜ問われてもいないのに、聖書を悪用しつつ、「聖書は必ずしも殺人を禁じているわけではない」と、殺人を正当化しようとしているのか、いぶかしく思われる。

そこには「自死を正当化する」という目的と、もう一つ、「殺して連れ帰る」という父の言葉が暗黙のうちに反映していると思われる。村上は、沖縄の被害者のグループ「カイロスの会」で、自死は罪ではないと語り、大変な物議をかもした。このように、彼は自死を罪とみなすどころか、むしろ、奨励するかのような言葉を発しているが、そこには、子供が自死するまでその思いに気づけず、子供を犠牲としてしまった残された遺族らが、これ以上、罪悪感を感じたくないという自己正当化の思いが代弁されていることに加え、子供が家の恥になる行為に手を染めるくらいならば、親は子供を殺すことも厭わないという父の発言を正当化する思いが暗黙のうちに含まれているものと見られる。

暴力的な手段を講じて強制的に相手の意志を打ち砕いてでも、自分の信念の正しさを相手に押しつけることは、それ自体、精神的殺人であると言えよう。このように、聖書を悪用しながら、「正義のためなら殺人も厭わない」という誤った思いを正当化しようとする村上の姿勢は、暴力による強制的な脱会工作だけでなく、アッセンブリー教団に背いた教会や信徒にとことん誹謗中傷を浴びせ、破滅に追い込むまで手を緩めないという行動にも表れている。

村上は、他の人々を差し置いてでも、傷ついた自分自身の心に目を向け、自分自身が幼い頃から父によって受け続けて来た暴力、虐待を悪しきものとして憎み、これを退け、下からの出自である「父親の血」を断ち切り、「父のげん骨で作られた」性格と訣別し、真に親離れを成し遂げなければ、父親が自分に向けて来た殺意を、自分の心の中に育み続けることになるであろう。そうなれば、たとえ憎き敵に復讐を果たしても、彼自身がいずれ死の中に飲み込まれて終わるだけである。それはカインの道であっても、アベルの道ではない。憎悪は新たな憎悪を生むだけで、鉄拳では平和は作れない。それは血塗られた悪魔の道であって、断じてキリスト者の道ではないのである。

「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。」(ローマ8:6-7)

肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険③~

さて、今回から、しばらく以下の映画『龍の正体』などを通して、武士道が「魂の力」を開発して人が神のようになろうとする東洋的神秘主義に由来するものであり、今日、それがキリスト教の中に入り込んでいることの危険性について考察したい。

ペンテコステ運動の指導者などが行使している超自然的な力も、東洋的神秘主義に由来するものと理解できるため、この動画は、この運動の危険性を考える上でも、非常に参考になるものである。

今日、もしも信者が「肉のものと霊のもの」を見分けることができなければ、信者は「魂の力」を開発して超常的なパワーだけを得ることで、あたかも神の聖霊を受けたかのように錯覚したり、キリストの十字架の霊的死を経ないのに、それによって自分が偉大な霊的存在になったかのように錯覚する危険性がある。

また、信者がこうした力に手を伸ばしてしまう背景には、「魂の力」を引き出し、自己を強めることによって、心の内側にある自信喪失や被害者意識や自己憐憫などと言った心の傷を隠したいという動機が隠れていることが多い。

家庭で受けた心の傷や、人生で味わった数々の自信喪失などのトラウマから抜け出したいと願うがゆえに、信者は手っ取り早く自らの心の傷を覆い隠して、自分自身の弱さから目を背け、自分を強めるために、こうした超常的なパワーを手に入れたいと願うことが多いのである。

『龍の正体』では、武術がキリスト教の信仰と両立できるかのように誤解したまま、少年時代から武術の訓練にのめり込んで行ったウィルソンというクリスチャンの男性が登場する。彼の告白を通して、私たちは、武術の起源とその本当の目的がどこにあるのかを理解することができる。

詳細は動画を見てもらえば分かるが、この映画が言わんとしているのは、武士道は決してキリスト教の信仰と両立するものではなく、その起源は悪魔的なものだということである。 また、この映画は、ここ数十年間の間にキリスト教界に積極的に入り込んだ東洋神秘主義の武術に対して警告を呼びかけている。

一見、武術は無害な自己啓発やスポーツや芸術の一部のようにみなされ、巷に広まっているが、その奥に潜むものは何なのか。その起源は、東洋神秘主義思想にあり、決して、キリスト教と両立するものではなく、その道を行けば、悪魔の虜とされてしまうだけである。以下では、要所をピックアップしながら、ペンテコステ運動やカルト被害者救済活動の危険性と会わせて解説して行きたい。
  
  


  
 
  



「今日、武術はスポーツや健康維持または芸術として見なされている。

しかし、武術とは昔からそうだっただろうか?
超人的な技術で観衆を驚かせる彼らは一体何者なのか?
彼らはどうやってこの能力を得たのか?

なぜこの10数年の間に東洋神秘主義思想がキリスト教会の
中に広がっているのか?

それはただ競技の技術に焦点を当てているのだろうか?
それとも千年の平和をもたらす道徳的指導者に準備させる
ためのものなのか?

この東洋神秘的武術は自己啓発のためのものか?
それとも背後に何者かが潜んでいるのか?」


 
さて、ウィルソン少年が武術に心惹かれるようになったきっかけは、物心つかないうちに、テレビで小柄な東洋人が不可能に近いような技を使う場面を見たことであった。
 



「初めて武術のことを知ったのは4歳か5歳のことだった。
 小柄な東洋人が不可能に近い技を使うのを見て驚いた。
 あの日から私の中に小さな種が植え付けられた。
 その種は静かに育って行った。


「テレビで小柄な老人が超自然的な武術を披露するのを見た。
 卵を地面に置いて、その上に片足で立ち、20秒ほど、そのままだった。
 その時の映像がずっと私の脳裏に焼きついた。

 すごい、奇跡だ、と思った。」

「あの日見たものを忘れることはなかった。
 あんな技を使えるようになりたいと夢見るようになった。
 だがその裏に潜む暗闇に気づかなかった。
 そして、その選択によって自分と周りの人々の人生が
 どんな影響を受けるかにも。

 
だが、少年が、東洋人の使う魔法のような武術に心惹かれたのは、ただ神業のような芸が脳裏に焼き付いたためだけではなかった。彼は家庭の問題に見舞われており、12歳の時に、両親が離婚、父親を失った少年は、自分は愛される価値のない子供として見捨てられ、人生が滅茶苦茶になったかのように感じた。

両親の離婚によって生じた心の傷、被害者意識や自己憐憫から抜け出し、失意や、男性として生きる上で必要不可欠な人生のモデルを失ってしまったという空虚感を埋め合わせようと、少年は、自分の力で強くなりたい、自分で自分を守るために強くならねばならない、と意識するようになる。おそらく、そこには、無意識のうちに、残されてすべての苦労を一人で負わされている母を守りたいという気持ちもあっただろう。

人生の嵐に立ち向かう力もない弱い子供でありながら、世間の様々な脅威から自分で自分を守って生きるしかない立場に立たされたことが、彼の中で、無意識のうちに、自己を強めることによって、何者にも脅かされることのない、神のような力強い者になろうとする東洋神秘主義の武術への共感に結びついて行ったのである。
  

 

 
12歳の時、両親は離婚した。人生が滅茶苦茶になった気がした。
親に対する怒りが込み上げてきて反抗するようになった。
傷つけるつもりではないと分かっていたが、
見捨てられ、拒絶され、守られる価値が無いのだと感じた。
この頃から、人生の目的、生きる意味、男としての価値を探し始めた。
そして母に武術の学校に行きたいと言うようになった。」


  
ウィルソン少年は母と共に、街で開かれていた沖縄流の空手道場を尋ねる。だが、ウィルソンの家庭は敬虔なクリスチャンの信仰を持っていたため、彼の母は、訪れた道場に違和感を持つ。キリスト教信仰によって育てられた少年自身も、武術の訓練の風景に心惹かれながらも、同時に、よく分からない違和感を持った。幸い、授業料は高く、母子家庭には負担が大きすぎたために、その道場に通うことはできなかった。
 

「帰り道は魂が抜かれたようだった感じだったことを覚えている。
夢がやっと叶うと思っていた。
しかし授業料は高く、
母と二人で町の中を歩いていると気まずい雰囲気だった。
お金のことというより、
道場自体の何かに違和感を感じている様子だった。
実は私も同じ気持ちだった。
勿論、この習い事をできたらとすごく興奮はしていたが、
何か異質なものを感じた。

キリスト教の家庭で育ち、
安息日にはいつも教会に通っていた私には、
何かがどこかで噛み合わなかった。

道場で見た力、猛威、武の芸術世界の数々を、
自分の中でどう整理したらよいか分からなくて
良い気持ちにはならなかったので、忘れることにした。

それに母にとってはそんなに簡単に無視できる問題ではないと
なんとなく分かっていたから
家に帰ったその夜、母には何も聞けなかった。
でも私には母の考えていることが分かっていた。」


この告白の中では言及されてはいないが、もしかしたら、ウィルソン少年の両親が離婚した原因には、父の暴力などがあったかも知れない。彼の母親が敬虔なクリスチャンであったことを考えると、母親が自ら離婚を望んだと思えず、それにも関わらず、そのような結末が避けられなかったのは、それほどやむを得ない深刻な事情があったためと思われるためである。もしかすると、母親は、道場で行使される「力」の中に、自分自身が受けた深刻な出来事の片鱗のようなものを見いだしたのかも知れない。
 
だが、少年と武術との接近はそれで終わらなかった。キリスト教の信仰と関係ない道場で武術を学ぶことはできないという彼の悩みを解決するかのように、友達からキリスト教的な武術学校があることを知らされたのである。
 

「ある時、親友の兄に食堂で会った。
彼は高校の3年か4年の先輩で、
私は高校に入ったばかりだった。
彼は近くの武術学校でカンフーを習っていると言った。
習い始めて一年か二年ということだった。
私は彼に質問をした。
「どれくらいのお金がかかるの?」
すると彼は「毎晩一ドルだ」
「本当?」「うん本当だよ。」
「どんな学校なの?」と彼に聞いた。
母の心配する顔がよぎった。
「教えている先生はクリスチャンで毎晩聖句を読んでから
訓練したり格闘に励むんだ」
「キリスト教の学校だし、毎回払うのはたったの一ドル。
契約もいらないよ」
私はそれを聞いてとても喜んだ。眠っていた夢と希望が
一斉に蘇ってきたから。
家に帰って母に話すと彼女も喜んでくれた。
次の週、友達と二人で学校を訪問してみた。」



武術学校に行ってみると、訓練生たちは白帯、緑帯、茶帯、黒帯という四つのステージに分けられており、学校始まって25年の歴史の中で、黒帯を取ったのはたった3人だけだった。

ウィルソン少年は、武術の力を身に着けることで、世界の状況をコントロールする力を身に着けたいと願う。彼は自分の人生が、様々な状況に一方的に振り回されているばかりで、自分で人生をコントロールできておらず、自分が本当に人生の主となって、状況をコントロールする力を手に入れねばならないと願う。その背景には、両親の離婚という、自分にはどうすることもできない出来事によって心傷つけられ、運命に翻弄されるだけの弱い自分から逃れたいという思いがあった。
 

「最初の日は男たちがお互いを蹴ったり、
色んな格闘するのをみて圧倒される気持ちだった。
これこそが真の力だと思った。
いや力というよりコントロールだと。
自分の人生はコントロールできていないように見えた。
状況や成り行きに身を任せるだけで、
何も抵抗できずにいた。
だからコントロールできる力が欲しかった。
問題を一人で対処したり自分にもっと自信をつけて
一旦これと決めたら諦めずに
やり遂げるという人間になりたかった。」



さて、これまで当ブログでは、グノーシス主義はヒエラルキーの教えだということを繰り返し述べて来たが、ウィルソンの通った武術の学校にもヒエラルキーがあった。グノーシス主義は、もともと神聖な叡智(グノーシス)は、限られた人数の選ばれた人々にしか知ることのできないものであるとして、真理の知識を少数の人々に限定する教えである。そこで、この教えは、霊性のヒエラルキーを定め、その階段を徐々に上に上って行くことにより、「より高い霊性が身に着く」かのように宣伝して、もっと優れた者になりたいと願う人間の欲望を刺激して、その教えの中に深く引き込んで行くのである。それゆえ、こうした思想に基づくすべての運動には、階層を上に上らない限り伝授されることのない秘儀のような儀式がある。




カンフーの学校では階層制度があり、
白帯は初心者なので緑帯の言うことを聞き、
緑帯は茶帯に脅えていて
茶帯は黒帯となるべく関わらないように避けていた。
いわゆるつつき順だ(強いものが弱いものをつつく)

私が入った頃に気になったことは
緑帯が一週間に一度、皆が帰った夜の十時ごろに、
特別な訓練を師父(先生)から受けていたことだった。
訓練する時ドアを閉め、誰もそこで何が起こっているか、
見ることも話すことも出来なかった。

裏では何をやっているのだろう?
私も訓練にあずかりたいと思った
それほど緑帯の技は優れていた。
あのドアの奥に入れば、特別な技が
手に入るのかと思うと、
早く緑帯になりたかった。


ウィルソンは緑帯になった時に「特別な授業」を受けることになるが、それに当たり、まず新人が受けるべき最初の秘儀を受ける。それは次のように、新人の腹を他の生徒たちが集まって思い切り素手で叩くというものであった。



「緑帯になった後
特別な授業を受けることにした。
最初に新人が入った時の儀式があり、
床の上で仰向けになり、他の生徒たちが、
新人のシャツを上げ、
授業を受ける一人一人が新人の腹を
思いっきり強く平手で叩いた。
だが儀式で誰もけがはしなかった。
ただ私の腹の痣は4、5日くらい
消えなかったのを覚えている。
強い刺激を受け腹の表面に
血が浮かんでくるからだ。
でも、その儀式を経たあと自分が認められた気がした。
まるで努力の結果の報酬であるかのように。」


当ブログでは、前回まで、三島由紀夫の割腹自殺、イスカリオテのユダの自殺時に腹が裂けたことなどを取り上げ、キリストの十字架に敵対して歩むグノーシス主義者にとって「腹」は特別な意味を持つ部位であることを見て来た。

ここで、再び、「腹」が、儀式の中で重要な部位として登場する。そこで、東洋神秘主義において「腹」とはどのような意味を持っているのかを調べてみると、これは古来からの中国思想において極めて重要な役割を担う体の部位だと見なされて来たことが分かる。中国思想においては、「気」こそ、自然界に存在するすべての物質の最も基本的な構成単位であり、エネルギーの根源であると考えられて来た。あらゆる現象や変化は、「気」が動き流動することによって現れ、「気」が無くなると、その物質や生命体は存在できなくなり、消滅するとされたのである。

そこで、「気」の作用によって、人間が自分の体の状態を強化し、人間存在と生命の意味を極める方法を編み出そうという試みがなされ、そのための修行法の一つである内丹術においては、ヘソの下あたりの「丹田(たんでん)」に「気」を集めて煉ることにより、霊薬の内丹を作り出すことができるとされて来た。

おそらく、腹を叩くという儀式は、「丹田」に「気」を集めることと密接な関連があるのだろう。今日でも、「丹田に気を集める」、「気を練る」、などの方法は、禅、神道、仏教、気功、ヨガなど東洋神秘主義の流れを汲むすべての流派で使われている。

ただし、西洋医学において「気」といったものの存在や、「丹田」という体の部位は確認されていない。これは科学的には何ら証明されていない純粋に東洋的な概念である。「気」や「内丹術」がグノーシス主義的世界観とどのような関わりを持つか、さらに詳しい内容については、追って述べることにしたいが、結論から言えば、西洋思想のものの考え方が、デカルトの有名な「われ思うゆえにわれあり」という言葉にも表れているように、「精神=頭」を中心として、あらゆる物事を知性よってわきまえようとするものであるとすれば、東洋思想は、知性や思考とは関係のなく、より情意的に、また本能的で動物的なエネルギーによって、物事をわきまえようとするものであり、その試みは「頭」ではなく「腹」を中心に始まっていると言えるかも知れない。

そういう意味で、「キリストの十字架に敵対してい歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。」(フィリピ3:18-19)という聖書の御言葉の警告は、決して故なきことではなく、実際に、東洋思想世界では、「腹を神」とする教義体系のようなものさえ、長年かけて作り上げられて来たと言えるのである。

さて、ウィルソンは父親との関係が全くなくなっていたわけではないらしく、大学進学の際に父と共に住むことが決まった。その時にはウィルソンが成長していたためか、親子の確執はなくなっていたようだが、それも、ウィルソンがキリスト教の信仰から離れて武術にのめり込んだことと無関係ではなかったかも知れない。ウィルソンが母親の世界観から離れ、父親の世界観により近いものを持ったために、温和な関係が築けるようになった可能性も考えられる。

以下の告白からは、彼が武術にのめり込んで行くのと同時に、キリスト教の信仰から遠ざかって行った様子が分かる。力によって人や物事を制圧し、コントロールすることを学ぶに連れて、彼にとって、信仰は何ら現実的解決を与えない味気ない理想論のようにしか見えなくなって行ったのである。

「高校卒業する頃に
父が大学の学資を出すと言ってきた。
チャタヌーガの町から外れた所だが
遺書に住むなら大学資金を出してやろう」
引越しが決まった。
武術学校を去るのは残念だった。
他にも武術学校があるとは知らなかった。
我が校が一番の武術学校だ。
ここのように教える学校は他にない、と教えられていた。
それが果たして本当かを探る良い機会でもあった。

テネシー州のクリーブランドという町に引っ越してから、
武術学校を電話帳で探すことにした。
電話帳をあけると、町が大きいほど
武術学校や道場が多く、
ある広告では、師匠の名前と黒帯何段とか、
第五、第六の夜明けや
どれだけ経験があるかなど
どういった武術を教えているかが書かれていた。

ほとんどの広告は、自分を守ろう、自信を持とう、
自尊心を高めよう、などと書かれており、目を惹きつける。
何が皆に欠けているかを広告は知っている。

改心した後に気づいたことは、すべての欠けたところは、
イエス・キリストによって本当に満たされるということ。
神に対する絶対的信仰の中でのみ見つかるということだった。

しかし、当時の私はまだそれを悟っていなかった。
神と教会から離れたのは14歳の時だった。<略>

少しずつ、私は敵の計画によって、
一つの宗教から別の宗教へと変わっていった。
教会の中で見つからない答えを武術の中で見出そうとした。

あいにく、私の求める答えはそこにあった。
自信がついて自分の生活をコントロールできていた。
もういじめっ子も怖くなくなり、頑固一徹になっていった。
時々口のほうが先走って
自分が出来る以上のことを言ったりもした。
武術で鍛えた技によりプライドが
自分の中で大きくなっていた。



こうして、武術を身に着けたことにより、ウィルソンはいじめっ子にも勝てるようになり、学校生活でもあたかも自分が悩んでいた数々の問題に勝利をおさめる力を得たように思えた。彼はそうして力によって問題を制圧し、勝利をおさめ、人生のコントロール権を得たかのように錯覚する度に、自分が本当は少しも成長したわけでなく、生まれながらの自己中心なプライドが大きく膨らんでいるだけであることに気づかなった。

<続く>


肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険②~

さて、「肉のものを霊のものに見せかける」ことにより、その「霊」の力を得れば「神のようになれる」と偽りを教えるのがグノーシス主義であり、ペンテコステ・カリスマ運動はグノーシス主義と合体して生まれた疑似キリスト教である。

だが、そのようにして生まれる疑似キリスト教はペンテコステ・カリスマ運動だけには限らない。そこで、これから、「聖霊の働き」であるかのように偽りながら、人間の堕落した「魂の力」に由来する超自然的な力を行使する疑似キリスト教に共通する特徴について見て行きたい。

この考察を始めるに当たり、改めて以前にも紹介したジェシー・ペン-ルイス著「魂の力」対「霊の力」"SOUL-FORCE" VERSUS "SPIRIT-FORCE"by Jessie Penn-Lewisを参考として挙げておきたい。

この論説にも詳しく説明されている通り、「魂の力」という言葉は、人間の堕落した肉に働く生まれながらのアダムの命を指している。「魂の命」という呼び名からも分かるように、それはとりわけ人間の堕落した魂の思念と深く関係している。

「魂の力」は、生まれながらのすべての人間に備わっている堕落して滅びゆく有限なる生命のことであり、人間の贖われない「肉」(=魂および肉体)を活かす、キリストによって贖われていない有限な動物的命である。この堕落した命は、罪と死の法則に支配されて神に敵対している人間の堕落した「肉」(魂と肉体)全体を動かす原動力となっている。

インドやアジアの異教の修行僧やシャーマンたちは昔から、人間の生まれらながらの堕落した命に本能的に備わっている力を引き出すことにより、魔術ように見える様々な超自然的な働きを駆使する術を学び、継承して来たが、それはもはやキリスト教とは無関係のインドやアジアの異教に限ったことではないのである。

ペンルイスが以上の論説の第一章で述べていることを以下に抜粋するが、これを読めば、東洋神秘主義に由来する「魂の力」が、どのように人間に危害を及ぼすために行使されるかが分かると同時に、そのようにして異教徒たちが「魂の力」を行使する様子は、今日、まるでキリスト教であるかのように自分を偽っているペンテコステ・カリスマ運動の指導者たちや、また、ペンテコステ運動の只中から出現して来たカルト被害者救済活動の支持者らが、インターネットを通じて、反対者らに対して行っている迫害・妨害・中傷行為に、恐ろしいほどにぴったり当てはまることに、どうして気づかないでいられるだろうか。
 

地獄の軍勢が全世界を欺くために出て行きました(黙示録一二章七~一二節)。その結果、政治の世界で大変動が起きています。私たちはこれらの出来事を考慮する必要があります。なぜなら、それらはキリストの教会に重大な影響を及ぼすからです」

「以前、私は北インドで一人の人に出会いました。その人はシムラの最上層の社交界である、インド政府の夏の議会に出入りする資格を持っていました。ある晩、彼は私に、彼がインドや他のアジアの国々のマハトマ(聖人)たちと接触をもっていることを話してくれました。彼が言うには、政治的な大事件が起きる数週間、数ヶ月前に、彼はそのことを知っている、とのことでした。彼は、『私は情報を得るのに、電報や新聞には頼りません。それらは過去の出来事を記録するだけですが、私たちは出来事が起こる前にすでにそのことを知っているのです』と言いました。どうして、ロンドンにいる人がインドの出来事を知ったり、インドにいる人がロンドンの出来事を知ることができるのでしょう?」。

私はこの現象を、マハトマの秘訣を知る人々が投影した『魂の力』によるものと理解しました。魂の力とは何でしょう?神の霊から教わっている信者は、神の御言葉の光によって、それが地獄の力であることを知っています。この地獄の力は、壊滅的変化を生じさせるために、世界の国々の上に投影されているのです」。

『魂の力』という言葉の魅力や魔力は、東洋でだけ知られています。東洋では、マハトマのような聖人はこの力を行使することができると信じられています。彼らは過去数世紀にわたってインドの霊的指導者でした。そして、昔と同じように今も、超自然的な力を持つと信じられています。彼らは人を強める力を持つだけでなく、人の意志をコントロールする力も持つと言われています」。

「ヒンズー教徒とイスラム教徒は、祈り――瞑想行為――によって結ばれて、共に『魂の力』を生み出す働きに従事しています。彼らは、東洋における西洋諸国の権力や威信を失墜させるために、『魂の力』を西洋諸国の上に投影しているのです。これは歴史上最大の反乱です!……」。

(筆者注:我が国の国家神道が自らを東洋思想に基づくものとみなして、西洋文明や西洋文化に対する優位性を誇り、西洋文明のもたらした個人主義を弊害とみなしてこれを取り除くために西洋文明に対抗することを強力な柱としていたことを思い出したい。こうした思想が持つ西洋文明に対する敵視は『国体の本義』の中に非常に詳しい。)


ペンバーの「地球の幼年期」の中に、これに光を当てる節があります。彼は次のように記しています。「『魂の力』を生み出すためには、肉体を魂の支配下に置かなければならない(筆者注:これは聖書に則って、魂(精神)が肉体を治めるという正常な支配関係を意味するのではなく、人が自らの思念によって、肉体の限界を超えて自分自身の影響力を行使する方法を学ぶという意味であると理解できる。)そうすることによって、自分の魂と霊を投影し、地上に生きていながら、あたかも肉体を持たない霊のように行動することができるようになる

この力を会得した人は『導師』と呼ばれており……意識的に他人の心の中を覗くことができる。彼は自分の『魂の力』によって、外界の諸霊に働きかけることができる。……彼は凶暴な野生の獣をおとなしくさせ、自分の魂を遠方に送ることができる」「彼は遠くにいる友人に、肉の体と同じ様で自分の霊の体を見せることができる」「長期間の訓練によってのみ、これらの能力を会得することができる。訓練の目的は、体を完全に服従させて、一切の喜び、痛み、地的情動に対して無感覚にならせることである」。

インド人の宗教生活は、まぎれもなく、これらの魂の力を発達させています。キリストの福音を知らない数十万の人々が、ある特定の対象に向けて強烈な「祈り」を放つ効果は、いかばかりでしょう。彼らはこの世の神に導かれて、自分の望む対象に魂の力を「投影」しているのです。

魂の力の無意識的な行使は、霊的な信者にいかなる影響を及ぼすのでしょうか?最近受け取った手紙の中にその実例があります。手紙の著者は次のように記しています。「私はたった今、敵の襲撃から逃れてきたところです。出血、心臓病、動悸、疲労。全身ボロボロの状態でした。私が祈っていた時のことです。(魂的な)『祈り』によって私の上に働く魂の力に対抗して祈るよう、突然示されました。キリストの血の力を信じる信仰によって、私はそれを自分から断ち切りました。結果は驚くべきものでした。たちまち呼吸は正常になり、出血は止まり、疲労は取れ、すべての痛みは去り、体にいのちが戻ってきました。それ以来、私は新たにされ、強められています。この解放の経験から、神は私に次のことをはっきりと教えて下さいました。すなわち、私の体がボロボロになったのは、私に反対しているある異端のグループが、私について祈った『祈り』のためだったのです。神は私を用いて、そのグループから二人の人を解放して下さいました。しかし、残りの人々は恐ろしい地獄の中にいます。……」。

このような他の事例を見ると、何らかの方法で自分を悪霊に対して開いて、超自然的経験をしている人々は、祈りを装って魂の力を生み出せるようです。これらの人々は、「他の人々も自分と同じ経験をするべきだ」という偏執狂的な霊を持っているようです。もし、人が自分と同じ経験をしようとしなかったり、他の人々の邪魔をするようなら、彼らは自分たちが「祈り」だと思っているものをその人に向けて、「あの人は神に裁かれるべきです」とか、「あの人は『真理』に服従するよう強制されなければなりません」と祈ります。

しかし、これらの人々は、主を受け入れようとしなかった町に対して、「主よ、私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか?」*と言った弟子たちにとてもよく似ています。主は弟子たちに答えて、「あなたがたは自分がいかなる霊なのか、わかっていません」と言われました。神は決して、自分を受け入れるよう、人に強制なさいません。たとえそれがその人自身の益であったとしてもです。聖霊なる神は、神の救いを受け入れるかどうかを選択する人の責任を認識しておられます。


以上の引用の最後の部分に書かれている記述は、とりわけ、今日のペンテコステ・カリスマ運動という異端運動の邪悪さを考える上で重要である。

ペンテコステ・カリスマ運動の指導者らが、祈りを装って、悪霊に由来する超自然的な魂の力を生み出し、それをクリスチャンに向けて行使し、クリスチャンを床に倒したり、意識を失わせたりできることは、すでに説明した通りである。おそらく、そのような行動は、彼らの持っている力のほんの一端でしかないことであろう。
   
「魂の力」を行使する人々が、「他の人々も自分と同じ経験をするべきだ」という偏執狂的な霊を持っている、というペンルイスの指摘は、まさにペンテコステ運動の支持者らに当てはまる。

この運動の指導者らは、まずは自分たちが持っている超自然的な力を見せつけることにより、他の信者らにも、「その力が欲しい」と思わせ、彼らが「聖霊のバプテスマ」と称しているその偽りの「霊」を、誰もが受けるべきとみなして、これを求めて祈るよう、各地で祈祷会や待望集会を開いている。いわば、これは彼らが自分たちを導いている悪霊を、他の人々にも受けさせるための最初のイニシエーションであると言えよう。

こうして正体不明の「霊」を受け、ペンテコステ運動の仲間入りを果たした人々は、最初は穏やかな顔で、敬虔かつ熱心なクリスチャンの伝道者を装いながら、自分の所属していない既存の教会に入り込み、勝手に自分たちの「教え」を宣べ始める。そして、誰にも理解できない異言や、超自然的なパワーを売り物のように誇示しながら、それに関心を示す人々を募り、そうした人々が得られると、彼らを既存の教会から引き抜いて自分たちのグループを形成し、いわば組織内組織を育てるようにして、既存の教会や教団の枠組みを食い破って成長して行こうとするのである。
 
そのような行為に及べば、様々な反対が起きてくるのは当然だが、ペンテコステ運動の支持者らは、自分たちの考えだけが正しく、他の人々はみな彼らと同じ考えを持つべきであって、それ以外の考え方は一切、認められないという偏執的な考え方を持ち、周囲のすべての人々を、自分たちと同じ考えに染め上げることを自らの使命であるとみなしているため、周囲の反対や批判に全く耳を貸さず、むしろ、他人の自由意志を侵害してでも、自分の考えを押しつけようとする。彼らの考えを理解しようとしない人々、彼らの活動に反対する者たちに対しては、残酷なまでに容赦のない批判を繰り広げ、呪詛と言って差し支えない言葉を述べて、その人たちを冒涜し、呪いを浴びせる。

このような人々は、必ずしも、暴力的な抑圧を伴わないかも知れないが、祈りを装った呪詛によって、自分たちの活動に賛成しない者たちの人生に現実の危害を及ぼそうとしているのである。当ブログに対してペンテコステ運動の支持者(カルト被害者救済活動の支持者と同じ)が行っている名指しの中傷などは、まさに呪詛に他ならず、このような呪詛は、ペンテコステ運動の支持者らが、自分たちの考えに従わない者に対して常日頃から行っている、信仰に見せかけた呪いの祈祷の一端を示していると言えよう。

さらに、こうした人々は自らの信念の「布教」のために暴力を用いることも当然ある。彼らは一方では、穏やかな「福音宣教者」を装うが、他方では、暴力を正当化しながら、自分たちの「信念」を他者に押しつける。ペンテコステ運動の中から生まれて来たカルト被害者救済活動にそれが最もよく表れており、この活動は、「カルト宗教から信者を救う」という名目で、カルトと名指しされている他の宗教から、信者を拉致監禁という強制的な方法で奪い取り、密室に監禁して、信者自身の自由と意志決定権を奪った上で、長時間に渡る説得工作を行い、その人の信仰を暴力的に打ち砕いて、誤りを認めさせ、棄教させて来た過去を持つ。

カルト被害者救済活動は、まさに『1984年』の主人公ウィンストン・スミスの最期を思わせるような暴力的なやり方で、自分たちの信念だけが唯一正しい教えであるとして、それを他の人々に強制的に押しつけて来たのである。

カルト被害者救済活動の支持者は、かつては聖書を使って他者の信仰を暴力的に打ち砕いて来たが、今や、筆者のような人間が、聖書を使って彼らの誤りを指摘し始めると、今度は、筆者から聖書を奪い取るべきだなどと主張している。このような主張を見ても、この異常かつ邪悪な運動が真実なキリスト教であるはずもなく、彼らが聖書を用いて他宗教の信者を説得して来たのは、うわべだけの偽装であり、この運動は本質的に聖書の信仰とは完全に無関係の、キリスト教に偽装した邪悪な異端である事実は明白である。

聖書の神は決してご自分に従わない人々を辱めたり、その意志を暴力的に打ち砕いてまで、ご自分の正しさを主張されることはない。人類の滅びは決定しているとはいえ、それが来るまでの間に、どれほど大勢の人々を信仰によって救えるかというところに神の御心がある。キリスト教は決して強制された暴力的な運動ではないのである。

しかし、ペンテコステ運動は、本来的にキリスト教とは無縁のグノーシス主義・東洋的神秘主義が、キリスト教に偽装して出来あがった異端の運動であるため、人間の自由意志をかえりみようとせず、これを暴力的に侵害してまで、自らの信念を他者に押しつけようとし、全世界を自分と同じ考えに染め上げることを目的に、反対者を抑圧し、呪詛や冒瀆の祈祷によって、邪悪な諸現象を引き起こすのである。

その時、彼らが反対者を呪い、冒涜し、傷つけ、抑圧するために用いるのが、堕落した「魂の力」に由来する邪悪なパワーである。神と人とが本来的に同一であるとする東洋的神秘主義は、、堕落した「魂の力」から超自然的なパワーを引き出すことにより、人間に通常の範囲を超えて行動する力を得させ、それによって、本当は神の霊に導かれておらず、霊的な人間となったわけでもない者に、あたかも高次の霊を受けて、霊的な存在として高められ、神に近づいたかのように錯覚させて、最終的には、「神のように」死を超越して、自分を永遠の存在にできると説く。

このような教えを受けた人は高慢になり、自分は正しいと頑なに思い込むようになり、他者の意志を暴力的に打ち砕いたり、自分に反対する他者の人生を呪い、抑圧することを何とも思わなくなる。

東洋的神秘主義が、そのように超自然的な力を開発することで、最終的に目指しているのは、死によって脅かされている人類が、自力で死を克服し、聖書の神による人類への滅びの判決を乗り越えることである。そのための方法論が、日本においては武士道という最も洗練された形で結実しているのであって、超常現象を誇るペンテコステ運動の宣教師たちが引き出して来たのは、東洋神秘主義に由来するこの邪悪な力なのである。
  
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と言われているように、それはまさに「死の美学」である。だが、なぜ人類が自己の力で自分を強め、「魂の力」を霊の命であるかのように引き出して、自己を神のように高めようとすることが、死と一つに結びつくのか?

その問いは、東洋的神秘主義が、キリストの十字架の死の悪魔的模倣だという点に注目すれば、解くことができる。

東洋思想の根幹には「母を守る」(=人類を守る)という発想が流れていることは幾度も述べた。ここで東洋思想の主張する「母を守る」とは、人類を守るということと同義であるが、東洋的神秘主義とは、東洋思想の実践面であるから、武術は究極的には「死によって脅かされている人類が、自らの力によって死を飲み込み、死を超越することで、人類(=自分自身)を守ろうとする方法論」であると言えるだろう。

その目的は、神によって罪と死に定められた人類が、神の判決に逆らい、自分を哀れみ、惜しむがゆえに、自力で神に対抗し、自分自身を縛っている死の力を自分で滅ぼそうと、自ら死と一体化して、肉体の限界を乗り越えることで、神の判決を否定するという、悪魔的な力による自己防御の方法論なのである。

これまで見て来たように、東洋思想の基盤には、すべての生命が、脆く儚いものであることを惜しみ、哀れむがゆえに、生命を愛でる美的感覚と、慈悲の念がある。だが、その美学や、慈悲の念は、裏を返せば、すべては「母を守る」という使命に直結しており、要するに、死によって脅かされ、滅びゆく存在である人類が、自分で自分を惜しみ、自分に同情し、自分の滅びを決して認めまいとするがゆえに、自分を愛でるという、自己憐憫と被害者意識につながって行く。

つまり、東洋思想は、人類の「私は死によって不当に脅かされている」という自己憐憫と被害者意識が生んだ思想なのであり、その思想に基づき、人類が被害者意識のゆえに神の判決を否定して、自力で死を滅ぼそうとして生まれた方法論が、武術なのである。

それゆえ、こうした方法論の前半では、人は自分を守るために、肉体を鍛えることによって、自分の弱さを自力で克服することを目指す。だが、後半になると、この方法論は、人が自分の肉体そのものを制圧して、肉体に自然に生まれるあらゆる感覚を自力で滅却して、ついには肉体から解かれることにより、肉体の制約から自分を解放するという「自死のプロセスと選択」を取らざるを得ないのである。

武士道は、インドやアジアで異教の導師たちによって開発され、受け継がれて来た「魂の力」が、最も洗練された方法論として集約されたものであり、その根底には、人類を楽園から追放し、滅びに定めた聖書の神に対する怨念と憎しみが込められ、何とかして人類が自力で神の判決を退けたいとする願望が隠されている。
 
このように、東洋的神秘主義は、人が自力で弱さを克服し、最終的には死を克服することによって、神を否定的に乗り越えるための方法論なのである。だが、死を克服することは、現実にはどんなことをしても、人間には不可能であるため、グノーシス主義のような神秘主義の思想が、死を通して人が自分の肉体の制約から解かれることができるかのように見せかけているのは、もちろん、トリックであり、偽りでしかない。

だが、彼らは、死に至るまでのプロセスの中で、実際に、「魂の力」を引き出すことで、自分が肉体に縛られない霊的存在になったかのように振る舞う術を会得したり、あるいは、肉体を通して、通常の人間には及ばないような超自然的な力を行使する方法を会得するため、そのようなうわべだけに注目すれば、彼らはそうした自己を強める魔術のような力によって、いずれ死をも超越できると錯覚する者もあるかも知れない。
 
クリスチャンは、人類の中で死を克服された方はただ一人であり、しかも、その方が東洋的神秘主義とは真逆の方法で死を克服されたことを知っている。

キリストこそ、十字架の死を通して、すでに「死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさ」った(ヘブライ2:15)唯一の方であるから、我々はこれを退けて、自力で死を克服しようともがく必要はない。

しかも、キリストは東洋的神秘主義のような方法で、死を超越されたのではなかった。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリピ2:6-9)

創世記でサタンは人類に、人が自分の創造されたありようを捨てて、神のもうけた制約を自ら取り払い、自力で神のようになって、神を乗り越えるべきだと嘘を吹き込み、今日も、人が自分で自分を強め、高めることで、神に至り着けると偽りを教える。
 
しかし、キリストは、それとは逆に、むしろ、神のありようを捨てて人となられ、人間としての弱さ、限界のすべてを身に負われ、罪は犯されなかったが、罪ある人類の代表として、人類が身に受けるべき残酷な刑罰としての十字架の死を最後まで耐え忍ばれたのである。
 
彼は自己を強めることで、死を克服したのではなく、「弱さのゆえに十字架につけられ」(Ⅱコリント13:4)のであり、神の超自然的な力を駆使することで、痛みや苦しみを超越することで十字架の死を乗り超えたり、そこから逃れようとすることなく、人としての弱さや痛み苦しみのすべてを余すところなく負われ、ただ信仰だけによって、人類の力ではなく、神の力によって、人類のためによみがえりとなられたのである。

「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。

確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブライ2:14-18)

「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きているのです。」(Ⅱコリント13:4)

イザヤ書第53章には、キリストが人となられて負われた苦しみがいかなるものであったかが克明に記されている。

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」(2-4)

主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。彼は暴虐なさばきによって取り去られた。」(6-8)

「 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。」(9-10)

「しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 」(4-5)

彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。」(10-12)

キリストは、人となられたにも関わらず、人の弱さに同情するがゆえに神の判決を不服とされることなく、神がご覧になられるように、人類の姿を見られ、神が人類に下された死の判決に全く抵抗されず、これを自分自身のものとして受け入れ、身に負われた。

キリストには、人類の滅びゆく美を愛でて、それが滅ぼされることを惜しみ、神の判決に反対するがゆえに、ご自分の美に執着されるということが全くなかった。彼は弱く脆い存在である人間の痛み苦しみを十分に分かっておられ、死に脅かされる人類の悲しみをも十分に知っておられ、死を憎んでおられたため、人間に対する深い同情ゆえに、病を癒すことだけでなく、死者を復活させることもしばしばなさったが、それでも、ご自分は、神の超自然的な力を思い通りに駆使することで、十字架の死に反抗してそこから逃れようとすることはなく、むしろ、すべての理不尽を一身に背負われ、何の罪もなかったにも関わらず、罪ある人間と同様に、神の判決の前に従順に頭を垂れて、十字架の死に従順に従われたのである。それは、ご自分の苦しみによって贖いが全うされることを知っておられたためである。

キリストが死に至るまで、ご自分の魂の命を注ぎだされ、魂の命を十字架の死に渡されたことは、人が自己の魂の命を開発・強化することで、死の克服を目指すという東洋的神秘主義の方法とはまさに正反対である。そして、人が死を克服するためには、ただ一つこの方法しかないのである。弱さのゆえに十字架につけられたキリストだけが、ご自分の死によって、死を滅ぼされたのであり、信者には、そうして十字架で死なれたキリストと霊的に一つになることによってしか、死を超えて、彼のよみがえりにあずかる方法はない。

そうして信者がキリストの死と復活に同形化されるためには、信者自身もまたキリストがなされたように、神の御手の下に自分を低くして、人生で己の美が傷つけられたり、自分が脅かされることがあっても、自力で自分を強めてあらゆる困難を克服して死に立ち向かおうとするもがきをやめて、自分の弱さの中に、信仰によって神の力が働くのを待つしかないのである。

しかし、東洋的神秘主義はこれをさかさまにして、人が決して弱さのゆえに十字架の死を介することなく、人がむしろ自己を強め、罪に対する刑罰としての十字架の死を回避しながら、自ら死を飲み込み、滅ぼせるかのようにみなす。こうして、この思想が、人が自ら死と一体化することにより、死を克服・超越しようとするその方法論は、ある意味で、これはキリストの御業の悪質な模倣であると言えよう。

だが、その方法論は悪魔的なものであり、聖書とは真逆の方法であるゆえに、決して目的に達することがない。これは欺きの教えであり、このような方法を通して、人類が自力で死に立ち向かい、死を克服しようとすることは、キリストの十字架に悪質に敵対し、キリストの十字架とは決して両立することのない悪魔的な試みであるから、結果として、必ず滅びで終わることになる。それだからこそ、武術の根底には、自分を脅かすすべてのもの(=とりわけ、聖書の神に対する)憤り、憎しみ、暴力、怨念、嫉妬、復讐心が満ちているのであり、そこには、自らの力で永遠にたどり着きたいと願いながらも、それを達成できない悪魔の神い対する憤りと怨念が投影されているのである。

人類が死を克服するための方法は、弱さのゆえに十字架につけられたキリストの中にしかなく、それ以外のすべての方法は偽りである。武術(武士道)は人が強さのゆえに十字架の死の判決を回避して、自分の罪を正当化して、自力で神の永遠に至ろうとする東洋的神秘主義の生み出す偽りの十字架としてであるから、それは滅び以外のものを決して人類にもたらさない悪魔的な試みなのである。まずはそのことを理解した上で、次の章に入りたい。


「イゼベルの霊」(被造物崇拝)の見せる偽りの「慈悲」や「同情」に基づく誤った「救済事業」は、弱者を永遠に弱さの中に閉じ込め、支配する

・ハンセン病の絶対隔離政策に見る、「慈愛」や「同情」を装う偽りの救済事業」の危険性
 
さて、これまで、グノーシス主義がしきりにキリスト教の父性原理に基づく二分性を糾弾し、「慈愛」や「慈悲」によってすべてを包容する「母性的情愛」を高く掲げていることを見て来た。

今回、私たちは、グノーシス主義がしきりに善良な要素として掲げる「母性的情愛」なるものが、本当に人間を解放することに少しでも貢献するのか、むしろ、「慈悲」や「同情」といったうわべだけは美しく響く概念が、どれほどその美名とは裏腹に、人間をディスカウントして貶め、人を弱さの中に閉じ込めてそこから受け出せないように支配する口実として利用されるかということを、以前にも一度触れたことのあるハンセン病の絶対隔離政策を例に見ていきたい。

ハンセン病患者に対する強制隔離政策は、我が国で、約90年以上も続けられて来た。

ハンセン病は、我が国では、古来から、世間では「家系に伝わる不治の病」「業病」などと呼ばれて、不当な差別の対象とみなされて来た過去があるが、我が国で、国家レベルでハンセン病者に対する差別的な隔離政策が推進されるようになったのは、明治になってからのことであった。
 
明治になってから、我が国は、近代国家としての体裁を急ごしらえで身に着けようと、西欧諸国にならって文明開化を急いだ。「内地雑居」により、欧米人が自由に日本国内を行き来できるようになった頃、当時の日本政府は、ハンセン病患者の存在を、文明開化した国にはふさわしくない、未開の国の無秩序状態を示す「国家の恥」とみなして、ハンセン病者を「国辱」であるかのように考え、排除を決定したのであった。

つまり、欧米人の前で、国家の見栄や体裁を保ちたいという理由で、国はハンセン病者を社会的に抹殺・隔離・根絶することを決め、それに基づいて、明治以降、平成に至るまで、政府が率先して絶対隔離政策を長年に渡り、推し進めて来たのである。

以下は、後ほど紹介するように、絶対隔離政策がようやく違憲として廃止された後、2005年に厚労省でとりまとめられた「ハンセン病問題に関する検証会議による最終報告書」からの抜粋である。そこには、明治政府が、1907年に「癩予防ニ関スル件」という法を定め、ハンセン病者の隔離政策に踏み切った理由が、対外的な見栄を保つためであったことが示されている。
 
そこから、欧米人と肩を並べる列強として、文明開化された強い軍事力を持つ国であることを対外的に演出したかった当時の明治政府から見て、ハンセン病患者は、アイヌ民族や、精神障害者と並んで、「野蛮」や「汚濁」を象徴する存在として、覆い隠さねばならない存在とみなされたことが分かる。

 

当時の日本の衛生政策は、防疫、すなわちコレラなどの急性感染症への対処に追われていて、とてもハンセン病への対策を実施する余裕はなく、ハンセン病患者への医療は、こうした宗教的施設に依存するばかりであった。

では、なぜ、1907(明治40)年、法律「癩予防ニ関スル件」を公布し、国家はハンセン病患者の隔離に踏み切ったのであろうか。その契機は2 つある。1 つは、1897(明治30)年、ベルリンで開かれた万国癩会議で、ハンセン病が感染症であり、その予防策として隔離がよいと確認されたことであり、もう1 つは1899(明治32)年に欧米諸国との間の条約の改正により新条約が発効し、「内地雑居」が開始されたことである。

「内地雑居」により、欧米人たちは日本国内を自由に居住し、旅行できるようになった。

当時、
ハンセン病には遺伝病という認識が支配的であったため、患者は家族・親戚への差別を恐れて、自宅に隠れて暮らすか、家を出て放浪して行方をくらますかの、いずれかの境遇を強いられていた。

放浪する患者のなかには、神社・仏閣などの門前で物乞いする者も多く、「内地雑居」が始まると、そうした放浪患者の姿を欧米人に見られることは国家の屈辱と考えられた。なぜならば、当時、ハンセン病は北米やヨーロッパには少なく、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどに多くの患者を発生させていたからである。

1900(明治33)年12 月、内務省が初めておこなったハンセン病患者調査では、患者数3 万0359 人、「血統戸数」19 万9075 戸、「血統家族人口」99 万9300 人と報告されている(国立療養所史研究会編『国立療養所史』らい編、厚生問題研究会、1975 年)。ここで、「血統」という表現を使用しているが、これは内務省がまだハンセン病=遺伝病説に固執していたということではなく、家族に患者を抱えている戸数と家族の人口という意味である。すなわち、「血統家族人口」とは、家族間で感染している可能性があり、今後、発症するかも知れないという人口を意味しているのである。

この数字は、国家にとって大きな衝撃であった。日清戦争に勝利し、条約の改正にも成功した本にとり、アジア・アフリカの植民地並みの患者が存在することは国辱以外のなにものでもなかった。

ちょうど、この頃、1899(明治32)年に「北海道旧土人保護法」が成立し、1900(明治33)年には「精神病者監護法」が成立しているが、法律「癩予防ニ関スル件」もまた、これらの法律とともに「内地雑居」との関連性をもって評価されるべきであろう。


すなわち、アイヌ民族への「保護」を掲げた「北海道旧土人保護法」や精神障害者の座敷牢ヘの監禁を認めた「精神病者監護法」について、小熊英二は「欧米人の視線から<野蛮>ないし<汚濁>とみなされかねない存在を隔離し被いかくす対策」の一環とみなしているが(『<日本人>の境界』、新曜社、1998 年)、法律「癩予防ニ関スル件」もまた、その一環とみなすべきである。

(厚労省「ハンセン病問題に関する検証会議、最終報告書」、pp.52-53)



こうして、もともと国家の対外的な面子を保つ上で、ハンセン病患者の存在自体を「国辱」とみなす考え方が生まれ、それを土台に、光田健輔のように、ハンセン病患者の治癒後も含めた生涯に渡る絶対隔離の必要性や、断種による患者根絶の必要性を強力に唱える(ある意味ではマッドサイエンティストのような)医師が登場して、多大なる影響を行使した結果、「癩予防ニ関スル件」、「無らい県運動」、「らい予防法」などの、日本政府による数々の非人道的な絶対隔離政策が成立して行ったのである。

このように、医学的な見地に立つよりも、むしろ、中世あるいはヘイトのような差別感情に基づくものと呼んだ方がよい我が国におけるハンセン病者への絶対隔離政策は、1943年にアメリカ合衆国で「プロミン」の治療効果が報告されて、ハンセン病の治療が可能となり、その後、これを改良した治療薬が開発されて、ハンセン病が事実上、不治の病ではなくなった後も、撤廃されることなく長年、続行された。

「らい予防法」に基づく絶対隔離政策がようやく終焉を迎えたのは、2001年5月11日に国立ハンセン病療養所に入所している元ハンセン病患者が起こした「らい予防法違憲国家賠償訴訟」において、熊本地裁が絶対隔離政策を違憲とする判決を出し、国が控訴を断念し、ハンセン病患者・元患者に謝罪を行ってからのことである。

1953年(昭和28年8月15日)に制定された「らい予防法」それ自体は、1996年(平成8年4月1日)の第136回国会で廃止されていたものの、この時点では、「らい予防法」に基づく「絶対隔離政策」や「患者絶滅政策」の違憲性は何らまともに検証されていなかった。こうした政策そのものが反人間的な違憲の法であったことが初めて明らかにされたのは、上記の熊本地裁判決においてである。

その熊本地裁判決が出された翌年の2002年に、政府は「ハンセン病政策の歴史と実態について、科学的、歴史的に多方面から検証を行い、再発防止の提言を行う」ことを目的に、検証会議を設置し、その後、2年半に及ぶ調査の結果、2005年3月1日に検証会議が「最終報告書」をとりまとめて厚生労働省へ提出した。

この最終報告書は、検証会議が行った療養所における患者や元患者への膨大な聞き取りや実態調査、さらに、長い歴史時代に渡って培われた差別構造についての多角的な考察や検証などを含んでおり、極めて重大な意義を有するものであるが、それでも、この調査報告がまとめられただけでは、それはハンセン病者らの不当に奪われて来た人権が回復されるための最初の一歩に過ぎない。

その後、政府は、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を設けることににより、絶対隔離政策の犠牲となった元患者らへの補償金の支給を決定したものの、この補償金は、法律の施行からわずかに5年間の間しか請求できないと制限がつけられ、その5年の間に請求がなければ、受給できないものとされて、2006年6月で請求期間が終了した。

だが、その申請期間に、この法律の対象となりうるどれだけの患者・元患者らが、この法律の存在を知って、請求を行ったのかは、その後の調査もなく不明である。何しろ、90年間もの長きに渡り、差別と隔離の歴史が続き、自分の病気を患者が公表することもはばかられる環境が作り出されて来たのだ。その後で、ようやくその悪法が違憲と認定されてから、わずかに5年の間に、新しい法律に基づき、補償金の申請をせよというのは、あまりにも元患者らにとって、不親切・不案内かつ配慮に欠ける措置ではないだろうか。

療養所を退所した後、かつて隔離されていた過去をひた隠しにしながら息をひそめて生きたであろう多くの人々の存在を考えてみると、未だ差別意識に苦しめられているがゆえに、そのような権利があることを知っても、あえて行使しなかった人々もいると思われる。しかも、この補償金が違憲の法律によって家族のメンバーを残酷に家庭から奪われた人々などは対象としていないことにも、決してこれが政府による隔離政策に対する十分な反省や償いを示すものとは言い難いことは明らかである。

国は戦後、かつての軍人やその遺族に手厚い恩給や年金を支給しているのであるから、長年、隔離され、人権を奪われ続けて来たハンセン病者やその家族に対する補償は、決して期限付きの自主申請に基づいて行われるべきものではなかったと考えられてならない。

政府が90年以上もに渡る隔離政策の後で、療養所の入所者や退所者に関するきちんとした後追い調査をせずに、補償金の受け取りをただ元患者らの自主申告に委ねたことは、大きな間違いであると思われてならない。

こうして、元患者らへの、隔離によって奪われた人生の年月や、残酷な断種政策によって侵害された人権に対する償い、また、隔離施設の中で、非人間的な差別的扱いのもとで開かれた「特別法廷」で出された判決の再検証などの取り組みについては、法曹界からの声などは上がっているが、政府からは、今も個別の訴えがない限り、遅々としてなされていないのが現状であると言える。

もしも真の「国辱」とは何であるか、真の「野蛮」や「未開」の概念とは何を意味するかを考えるなら、このように、政府が自ら不当に弾圧して来た人々の人権の回復に積極的でなおい態度を取り、いたずらに補償金の受け取りを制限し、絶対隔離政策のもたらした害を個人の責任として押しつけて放置するような態度を取っていることこそ、文明国家の恥であると言えよう。

さて、以上で挙げたハンセン病に関する検証会議の最終報告書は、「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書」(厚労省)および「ハンセン病事業検証調査」(公益財団法人日弁連法務研究財団)のホームページで見ることができる。
 
だが、おかしなことに、厚労省が出しているホームページでは、「第四  1953年の「らい予防法」―強制隔離の強化拡大の理由と責任― 」における「第4  藤楓協会および皇室の役割」の項目には、個別のリンクが貼られていない。

よくよく探せば、この項目は、その上にある第三の全体版に合体されていることが分かるが、他のすべての項目では個別のPDFが存在するにも関わらず、皇室の責任を問うたこの項目だけに、個別のPDFのリンクが存在しないことは、非常に奇妙に感じられる。偶然のミスなのであろうか。

さて、以下では、この最終報告書を参照しつつ、皇室および、宗教界の中から、キリスト教を例にとりつつ、これらの宗教勢力が、なぜ絶対隔離政策を廃止する原動力とならないどころか、むしろ、強力にこの人権侵害を黙認し、むしろ、擁護するための大義名分の役割を果たしたのか、それぞれの「救済観」の誤りという問題に照らし合わせながら、考えてみようと思う。

まず、皇室からである。

ハンセン病者は、「慈悲深い皇室」というプロパガンダを国民に流布するために大いに利用された。絶対隔離政策は、ただ暴力的に患者を隔離するという方法で推進されたのではなく、皇室がハンセン病者に「慈愛の涙を注ぎ、救済の手を差し伸べる」という「神話」や美談によってカモフラージュされながら、推進されたのである。

> 近代日本の皇后像を研究した片野真佐子は、「皇室を慈善恩賞の府、とりわけ慈善の府となし、皇恩の広大さを目に見えるかたちで国民に知らしめるもっとも有効な事業はなにか。的は『救癩』事業にしぼられた。問題は国家の体面にかかっている。『癩』の問題を放置する国家を、西洋社会は文明国家と認めないからである」と述べ、皇室と「救癩」の接点となったのが貞明皇后節子さだこであったと結論する(片野真佐子『皇后の近代』講談社、2003 年)。

たしかに、貞明皇后(節子は1926 年12 月25 日に大正天皇が死去した後は皇太后となるが、本報告書においては諡名である貞明皇后で表記を統一する)は、1930(昭和5)年、癩予防協会設立の基金に「御手許金」を「下賜」し、1932(昭和7)年11 月10 日には、大宮御所の歌会で「癩患者を慰めて」と題して「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」などの歌を詠むなど、皇室の「救癩」の象徴となっていく。

では、なぜ、象徴の役割が貞明皇后でなければならなかったのか。これについては、片野も引用している次田大三郎「地方局の思い出を語る・上」(『自治時報』1959 年5 月号)に詳しい。それによれば、癩予防協会設立時、内務省地方局長であった次田は内相安達謙蔵に対し、「一つ、皇室のお力を借りられたらいいのではないか。大臣が皇后に拝謁されて、あの光明皇后―奈良時代の光明皇后の先例にもあるから、皇后が、そういう哀れなるらい患者のために大御心をわずらわすということにされたらいいと思う。そういうことをお願いなすつて、皇后がそれをやつてくださるということであれば、それはもう皇室中心の日本で、きゆう然として世論がそれにしたがつて来るだろうと思う」と述べ、安達もそのとおりに、貞明皇后に願い出て、同意を得たという

次田は、隔離政策に国民の理解を得るための「プロパガンダの一つの方法」として、貞明皇后を担ごうとしている。そして、その根拠は光明皇后の「救癩」伝説にあった。かつて、光明皇后がハンセン病患者の背を流し、膿を吸ったという伝承を現代に再現する意味で、貞明皇后は象徴となり得たのである。 
(ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 p,144)



光明皇后に関する「神話」に重ね合わせる形で、貞明皇后が「救癩」の象徴として担ぎ出された。それは、皇室が主体となって、ハンセン病者を「救う」という「お涙頂戴物語」を隠れ蓑にして、政府が事実上、「国辱」とみなしていたハンセン病者を、可能な限り、穏便かつ早急に社会から排除するためであった。

そのために、「皇后じきじきにハンセン病者の苦悩に寄り添い、慈悲をかけられた」という「救済神話」が作り出され、恐るべき隔離政策が、皇室に由来する費用の下に、「同情」の名のもとに進められて行った。

こうして、「慈悲」や「救済」の概念の下、ハンセン病者の「根絶」や「絶対隔離」という忌むべき政策の非人道性が覆い隠され、国を挙げての人権侵害が正当化されたのである。
 

貞明皇后は、すでに1925(大正14)年、後藤静香が主宰する教化団体希望社を介してハンセン病患者の処遇に関心をいだき、「女官一同」の名で、金一封を後藤に贈っていた(加藤義徳「後藤静香と救癩運動」、『JLM』571 号、1980 年11 月)。希望社は全生病院への慰問や群馬県草津の鈴蘭園への支援をおこなうなど、隔離を前提にした患者の「救済」を実践し、希望社が発行する『希望』は宮中の女官にも読まれていた。

貞明皇后は安達内相の申し出を受けて、1930(昭和5)年11 月10 日、「御手許金」24 万8000円を内相と拓務相に「下賜」した。このうち、20 万円が癩予防協会の基金に組み込まれ、残りは日本国内と朝鮮・台湾の計10 か所の私立療養所への補助、公立療養所職員への慰安、および公私立療養所入所者への慰安に使用された(関屋貞三郎『皇太后陛下の御仁慈と癩予防事業』、癩予防協会、1935 年)。

その際、入江大宮大夫より「熟ら思召さるゝには世に不幸な者多しと雖も癩病患者の如く治療の方難く家庭の楽もなき悲惨なるものあらしと最も御同情遊はされ、又其の患者を救護し事務に尽瘁する人々の献身的の至誠に深く御感動あらせられ、今般此種の社会事業に対し夫々御下賜あるべき旨御沙汰あらせらる」という「謹話」が発表され、貞明皇后の「同情」が強調された(『山桜』12 巻10 号、1930 年10 月)。

また、1934(昭和9)年3 月、中央社会事業協会主催の社会事業中央講習会で、「皇室と社会事業」の題で講演した前宮内次官関谷貞三郎も、貞明皇后と「救癩」の関わりについて詳しく論じている。この講演は、同協会より冊子になり刊行されているが、全体47 頁のうち、貞明皇后と「救癩」についての叙述が7 頁を占めている。講演は、古代から近代に至る内容であったことを考えると、その比重の大きさは否定できない。<略>

貞明皇后のハンセン病患者への「仁慈」は植民地にも流布される。<略>

さらに、1942(昭和17)年、「大東亜共栄圏」に日本のハンセン病患者を送り出し、現地の患者を看護させようという「救癩挺身隊」構想が、長島愛生園などから提起されると、同園事務官宮川量(ペンネーム東洋癩生)は「八紘一宇の理念さらに我等に尊い皇室の御仁慈がある。これを大東亜の病める兄弟姉妹に頒ち与へ、共に大恵に浴さしめたい」と訴え(東洋癩生「大東亜救癩進軍譜」、『愛生』13 巻1 号、1943 年1 月)、入所者の間にも、隔離された自分たちでも御国に奉公できるという意識が強まり、星塚敬愛園の入所者は、貞明皇后の「つれづれの友となりても慰めよ」の歌をもとに皇室の「仁慈」が「大東亜共栄圏」のすべてのハンセン病患者を救済する「御歌海を渡る日」を待望していた(南幸男「南方救癩に処する我等病者の心構え」、『愛生』13 巻3 号、1943 年3 月)。

結局、「救癩挺身隊」構想は、戦局の悪化で実現しなかったが、貞明皇后のハンセン病患者への「仁慈」がこうして、患者の戦争動員の論理にも適応されていった。

このように、ハンセン病患者は皇室の「仁慈」を顕在化させる恰好の対象とされた。しかし、その一方で、ハンセン病患者は皇室の権威を借りて排除された事実も指摘しなければならない。
(同上,pp.144-145)



もちろん、この残酷な絶対隔離政策に、患者自身が抵抗しなかったわけではない。当時のハンセン療養所では、強制的に隔離された患者たちが、脱走や逃亡を企てたり、反乱が起きることもなかったわけではない。

しかしながら、療養所では、貞明皇后がハンセン病者を哀れんで詠んだとされる歌や、皇后の「慈愛」に満ちた「救癩」の取り組みがしきりに強調されることにより、隔離された患者らの心には、「皇后じきじきに関心を持って下さるのだから、私たちは国家の恥として見捨てられ、抹殺された存在ではない」とか、「私たちは差別されているだけの惨めで哀れな存在ではない」などという考えが植えつけられ、患者らは、皇后が自分たちに慈悲を垂れたという美談によって自分を慰めることで、おとなしく隔離に自主的に応じるようマインドコントロールがなされて行ったのである。

こうしてハンセン病者は、皇室が「慈悲深い救済者」であり、見捨てられた社会的弱者の「救済事業」を主体的に行っているという「美談」や「神話」を作り出し、身分差別を強化・固定化していくための大いなるプロパガンダとして利用されたのである。

そうした伝統は戦後になっても受け継がれる。

こうした藤楓協会が国民に強く訴えたのが皇室の「仁慈」である。一般的に、日本の医療・福祉関係の施設・団体には多くの皇族が顔を並べている。日本赤十字社を筆頭に多くの皇族が名誉総裁などの地位を占め、また、皇族が旅行すると必ずと言っていいほど、病院や福祉施設を慰問する。

戦前は、男性皇族は軍務に就き、女性皇族は軍事救護や福祉に関わるという、まさに厳父と慈母というイエ制度に基づくジェンダー的役割分担をおこなってきたが、戦後は男女とも、福祉の顔を国民に向けることになった。

ハンセン病に関しては、特にそれが顕著である。藤楓協会のみならず、菊池恵楓園、邑久光明園の園名には、いまだに皇后たちの印章や謚号が使われている。戦後の皇族は、どれほどハンセン病と関わってきたのか。

皇族のなかでは高松宮宣仁が頻繁に療養所を訪れている。高松宮は、藤楓協会の初代総裁であり、1987(昭和62)年に死去した後は、妻の喜久子が総裁を継いだ。貞明皇后に続き、高松宮は皇室のハンセン病患者への「仁慈」の象徴となった。

ここで、特に注目するべきは占領期の高松宮の行動である。高松宮は1947(昭和22)年から1951(昭和26)年までの5 年間に、全国9 か所の療養所を廻っている。これは、高松宮の自発的なものだったとは考えられない。皇族の行動には、それなりの意味がある。(同上,pp.151-152)


ロイヤルファミリーという特権階級の存在意義を世間に納得させ、その威光を社会に輝かせるためには、彼らが絶えず、自分たちが最もひどく搾取している対象である弱い人々を気にかけ、特に打ち捨てられた社会的弱者に関心を寄せ、彼らに救援の手を差し伸べているというポーズを取ることが必要不可欠である。

やんごとなき人々が「慈悲深い姿」を社会に見せることが、支配階級を存続させるための絶好のプロパガンダであるという認識は、日本だけに限ったことではない。

そのような慈善事業は、一見、支配階級が格差や差別によってできた溝を埋め合わせるために行っているように見えるかも知れないが、真の目的はそれとは正反対である。それは格差や身分による差別をより一層、強化・固定し、永遠にそれが覆されることがないよう、支配階級に対する弱者の怨念の一種のガス抜き、うわべだけのプロパガンダとしてなされているだけなのである。

つまり、やんごとなき人々が、雲上人の高みから、どん底の苦しみの中にいる人々に関心を示し、同情の涙にくれて手を差し伸べるという「神話」が作り出されることにより、うわべだけ、「差別する側」と、「差別される側」との間の感情的対立が緩和され、両者の和解が成立したかのように見える。

差別階級は、「慈悲」の名のもとに、被差別階級のために涙を流し、被差別階級は、その涙を見て、自分たちの労苦がかえりみられ、差別階級が反省を示して歩み寄りをしてくれたかのように考えて自分を慰める。ところが、現実には、「慈悲」という隠れ蓑の下で、「哀れむ側」と「哀れまれる側」との間にある圧倒的な不公平や身分差別は、なくなるどころか、より一層、強固に固定されて行く。

「哀れむ側・施す側・助ける側」だけが一方的に栄光を受け、「助けられる側」は、ますます惨めな境遇の中に閉じ込められて、支配階級の栄光と満足の道具とされて行くのである。

従って、その慈善事業は、実際には、社会的強者を永久に強者のままにしておき、社会的弱者を永久に弱者のままに留め置くための「ポーズ」でしかない。その実態は、「救済」どころか、「不当な支配や搾取の正当化」であり、人々を弱さの中に閉じ込め続けることで、永遠に搾取の対象とすることにあり、実際には「救済事業」という見せかけの美しい名目とは正反対の役目を果たしているのである。

こうして、「慈愛」や「同情」や「救済」の美名のもとに行われる排除、支配、差別、隔離、マインドコントロールが存在する。

当時、ハンセン病のほとんどの療養所では、貞明皇后がハンセン病者を「慰める」ために詠んだとされる歌が、皇室からハンセン病者への「御恵み」として宣伝された。以下の記述を通して、ハンセン病者を利用して「慈愛に満ちた皇室」のイメージが作り出され、それがまるでカースト制のような、差別に基づく支配構造を固定化するために大いに利用されていた様子が分かる。

「我々国民として最も尊ぶ皇室」の威光を輝かせるためには、それと正反対の「日本で一番虐げられて居る、踏みにじられている癩者」の存在が大いに役立ったのである。

「癩予防協会」は、1931 年3 月に、絶対隔離政策を支持する世論作りのために、大正天皇の后、貞明皇太后節子が深く関わり設立されたものである。この時ハンセン病医療のために出された節子の「下賜金」25 万円の内の10 万円が設立の基金とされているが、基金ということ以上に、皇太后節子の関わりは世論形成に大きな意味を持った。

癩予防協会は、節子の誕生日である6 月25 日を「癩予防デー」と定め、「癩撲滅」「絶対隔離推進」の世論喚起の取り組みを行い、11 月10 日を「御恵みの日」と定め、「我々国民として最も尊ぶ皇室皇太后陛下が日本で一番虐げられて居る、踏みにじられている癩者に御手を下し給ふた」ことが皇室の慈愛として強調されていったのである。

ハンセン病問題における皇室の存在の大きさは、節子が「癩患者を慰めて」と題して詠んだ「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という歌の歌碑が、私立も含めて、ほとんど全ての療養所(菊池恵楓園は額装のみ。現在は倉庫に格納されている)に存在し、現在も大切に扱われていることからもうかがえる。「御恵みの日」の11 月10 日は、この歌が詠まれた日にちなんでいる。

光田健輔は、療養所内の反応を「患者たちにとりては、境遇上虐げられ、さいなまれた夜が明けたように有難く思うたことであろう」と述べ、「その声が療養所から叫ばれるとき、民衆は一日も早く病者を恩恵の楽天地に送ることを心がけるであろう」(『愛生』3 号 1932 年)というように、皇太后節子の存在を、絶対隔離政策推進の大きな力として感じとっている
(同上、pp.436-437)


だが、こうして、残酷な隔離政策、差別と支配の構図の上に立って、ハンセン病者を利用して存分に栄光を受けたのは皇室だけではなく、宗教界も同じであった。

最終報告書には、キリスト教がどのように隔離政策の推進に利用されたかというくだりもあるため、読んでみよう。
 

信仰によって苦難もよく之を征服する事を得べく、苦難に遭遇し初めて真の信仰に生きる事が出来るのだ、我々は苦難に打ち勝ち初めて意義ある人生の光明を見出す事が出来る。(「苦難の恵み」仁人 『甲田の裾』1931 年9 月号)

苦難を恵みとして受けとめ、それに打ち勝つことが「真の信仰」なのだと受けとめられている。
このように信仰による安らぎを与える「慰安教化」活動は、そのまま入所者に対して「隔離の受容」を植え付けていくことと表裏となるものであった。

2)「隔離の受容」の植え付け

「隔離の受容」の植え付け、このことが、ハンセン病問題に対する宗教の責任を明確にしていくうえでもっとも重要な事柄と言える部分である。

まずキリスト教の事例から考えていきたいが、多磨全生園のある入所者は、次のように述べ、ンセン病は天主(神)が人間に対して許可した疾病で、それには霊的すなわち宗教的な意味があるはずだと主張している。<略>

十字架の贖罪にしめされた天主の愛を知り、新生を経験した癩者の魂は、かつては自らの生ける屍を埋めるために来た墳墓である癩園を、聖寵の花園に変える。肉親との離別の寂寥、病まざりしならば知り得たであろう人間生活の諸々の愉しみ、病気の肉体的苦痛、それらをすべていと小さい犠牲として捧げる。それらは云いがたい霊魂の冨となって、彼の中に浄らかな喜びを溢れさせるだろう。」 (「癩と信仰」光岡良二『声』1954 年6 月号)

イエスの十字架上での苦しみと死を通して神の愛を知る者は、苦しみを神に捧げる貴い犠牲として受け入れることができ、そのことが療養所の中で生きていく上で喜びをもたらすとの理解である。

一言で言えば、病気とそれゆえの隔離の苦しみを受容し耐え忍び、喜びと変えて療養生活を営んでいくための支えとして、キリスト教は役割を果たしてきたと言える。そのことは、次の神山復生病院院長岩下壮一の「祖国の血を浄化せよ」というタイトルの講演でも顕著である。

この講演で岩下は、宗教あるいは信仰の果たす役割を「納得の装置」とみなし、なぜこの病気にかかったかという質問にどう答えるのかとの友人の質問に、「これはただの道徳や慈悲の心では解決できない、信仰の世界に入らなければ納得させることができない、実に癩問題には必然、宗教問題が伴わなければ満足な解決は得られない」(『岩下壮一全集・第8 巻』)との考えを示している。

ここでの信仰の世界とは隔離政策を受容し、自分の病気の苦しみを犠牲として神に捧げることである(岩下壮一「病者の栄光の日近づく!」『声』No.736 1937 年5 月号)。要するに隔離政策の中で生きていくには十字架にかかったイエスを思い起こす信仰によって不満や怒りを鎮め、さらに皇恩を感謝して生きるようにと促していくのである。
(同上、pp.444-445)

ここで、宗教あるいは信仰が、あらゆる理不尽な人権侵害に対する「納得の装置」としての役割を果たしたと指摘されていることは興味深い。

療養所において、キリスト教界の伝道者らは、ハンセン病患者が、このような病にり患したという不幸な事実だけでなく、その上に、政府の不当な絶対隔離政策によって社会から排除されて、残酷に人権を剥奪されて暮らさねばならなくなったという不幸をも、あたかも「キリストの十字架の苦難」にならうことであるかのように説くことにより、患者らの抵抗を静めることに貢献した。

キリスト教の伝道者らは、療養所を訪問しても、病者に向かって、苦しみの中に、「神の御心」を見いだすことによって、苦難を感謝しつつ耐え忍ぶように説いて聞かせるばかりで、決して政府の隔離政策そのものの不当性を訴えることはなかった。

このように、患者らが病という苦しみに冒されるだけでなく、絶対隔離政策という人権侵害の苦しみまでも耐え忍ぶことを、伝道者らは「霊的研鑽を積み、神に近づくための尊い宗教儀式」であるかのように説こうとしたのである。

このように、国家神道だけでなく、キリスト教界も、信仰を隠れ蓑にしつつ、患者らに不当な苦難を、抵抗することなく、甘んじて受け入れるように教え、人権侵害を正当化し、覆い隠す一種の「アヘン」(「納得の装置」)としての役割を果たした。さらに、カトリックは、そこからすすんで、患者らが療養所に隔離されていること自体を、あたかも出家者が俗世を離れて山奥で隠遁生活をするように、修道院生活と同一視することで、患者らが世俗の社会を離れて霊的な修練を積み、神に近づくことに専念できる生活は幸いであるとする考え方までも生んだ。
 

さらにキリスト教の信仰を持つものに対しての隔離の受容ということの極めつけは、療養所を修
道院と見なすことである。前出の多磨全生園の入所者は「癩と信仰」というタイトルで次のように記している。

「癩園にも特有の人間の悪意があり、醜さがある。其処と言えども原罪、自罪から自由に離れた世界ではない。しかし国家社会の保護の下に、生存競争の激しさから免れ、静穏な療養にいそしむ事の出来る此処は、世の嵐からの避難所であり、憩いの場所であり、或る意味でのユートピアであろう。この様な環境を最もよく利用する道は、此処を肉体的疾患の療養の地としてのみでなく霊魂の鍛錬、浄化の場所として用いることであろう。自らの療養生活を修院生活として自覚し実践することであろう。」 (『声』918 号、1954 年6 月号)

カトリック教会には修道生活の伝統と生活が美しく伝えられており、療養所を修道院と見なして生活することを理想とするようなメンタリティーも、カトリックの信者にとって隔離の受容に大きな役割を果たしたと思われるである。

そしてこの療養所は「修道院」という考え方は、カトリック系私立療養所の入所者にとって、大きな意味をもつものであった。

このたびの検証会議のなかで行われた被害実態調査の調査結果からもうかがえることであるが、カトリック系の療養所においては園内結婚は認められていなかったといってよい。それはカトリックの教義と深くかかわっており、療養所で働き生活をするシスターたちは、「清貧」「従順」「貞潔」がモットーとされ、信仰の上において男女関係を絶つ生活が貫かれていた。そのことが宗教的に価値のある生き方として、入所者に対しても求められていったのである。また、子孫をもうけること以外の目的での性交渉はカトリックの倫理観に強く反するものとされ、断種や堕胎は宗教上の「罪」であり許されるものではなかった。

これらのことから、国立療養所において隔離がもたらした大きな人権侵害である「断種」「堕胎」「不妊」手術は、カトリック系療養所では、国立のそれとはまったく背景の違うところで、少なくとも建前上は実施されなかったのである。

この結果、結婚をしようと思う入所者は、国立療養所などに移っていくより仕方がなかった。

また、患者作業についても、国立のそれとはやや趣を異にするといってよい。
カトリック系療養所において、「労働」は、毎日の「ミサ」と並んでひとつの「宗教的行為」と位置づけられていた。前にも触れたが、1959 年にカトリック系宗教誌で、神山復生病院の70 周年の特集が組まれた時、そのキャッチコピーが「祈りかつ働く生活」であった。

宗教施設における労働は、「神の願いを地上に実現するための行為」なのである。これは「修道院」の精神であり、神山復生病院が修道院になぞらえていたことがうかがえる。そのような修道院的環境の中で、患者作業への従事を施設側は入所者に求め、それに応えようとした入所者が存在していたことは確かであろう。国立療養所の患者作業との違いとして注目しておきたい。
(同上,pp.444-445)


この指摘は、カトリックの修道院生活を決してロマンチックで浅はかな幻想で美化してはおらず、修道院生活の中に、根本的に療養所生活に通じる「人権の剥奪」という概念が横たわっていることを見ている点で、非常に興味深いと言える。

むしろ、療養所生活の残酷さを通して、修道院生活の残酷さをも浮かび上がらせているとさえ言えるかも知れない。

こうして、療養所が修道院と同一視されることにより、「神への献身」「清貧」「貞潔」「従順」といった美名のもとで、患者らに、私有財産の剥奪、社会からの隔離、結婚の禁止や、子供を持つことの禁止などの様々な人権の制限・剥奪を加える行為が、宗教的な装いによって正当化されたのであり、その行為の残酷さが覆い隠されたのである。それらのことは、あたかも信者となった患者自身が自主的に望んで行われる神への献身であるかのようにみなされたのである。

さらに、療養所では、患者らの労働が奨励され、患者自身への日常生活の世話や、死んだ者の火葬でさえ、患者たち自身の仕事とされていたが、こうした労働についても、「カトリック系療養所において、「労働」は、毎日の「ミサ」と並んでひとつの「宗教的行為」と位置づけられていた。」。こうした刑務所の強制労働のような作業も、搾取や、支配や、苦役ではなく、自主的な宗教儀式の一環であるかのように、美化され、正当化されていたのである。

さて、最終報告書では、キリスト教界のみならず、仏教や天理教などが絶対隔離政策に果たした役割についても公平に記述されており、全宗教界がこの隔離政策の推進に加担した事実があるわけだが、本記事では、それぞれの宗教について語ることが目的ではないため、そろそろ最終報告書の記述を離れよう。

なぜ、これらの宗教は、絶対隔離政策の非人間性を何一つ指摘することもなく、むしろ、それに対する抵抗を眠らせる「アヘン」(「納得の装置」)としての役割を果たしたのであろうか。

その問題を考えるとき、私たちは、こうした宗教すべてが、それ自体が、「隔離」の原則に基づいて成立しており、ハンセン病者が隔離されていたのみならず、これらの宗教そのものも、人間に真の自由を与えず、むしろ、「愛」や「慈悲」の名のもとで、弱さの中に閉じ込め、人間の作り出したヒエラルキーの下に束縛することしかできないという、全く同じ構図を持っていた事実を見ることができるのではないだろうか。

筆者は、以上の宗教はすべてグノーシス主義的ヒエラルキーに基づいて成立した偽りの宗教であるがゆえに、本質的に、ハンセン病者に対する絶対隔離政策と同じ弊害を内に宿していたと考えている。たとえば、貞明皇后が、戦前の日本社会のヒエラルキーの頂点に存在する者として、最下位に位置するハンセン病者に慈悲を垂れるという構図は、グノーシス主義的な「簒奪の模倣」の願望を、ある程度満足させるものである。

つまり、至高者のような、下々の者たちには手の届かない高みにいる存在が、ほんの束の間、最下級の者たちに自分を現すだけで、下級の者たちにとっては、「神に等しい存在」である者が、自分たちに「存在を分かち与え」てくれた行為であるかのように、この上ない幸いとして受け止められる。

だが、現実には、何一つ、分かち与えられるものはなく、かえって奪い去られるだけである。慈悲という名目で、やんごとなき人々は、下級の者たちを救うどころか、より一層、辱める。「行くことかたきわれにかはりて」と詠まれた通り、貞明皇后が自ら直接ハンセン病者の世話をすることはなく、彼らの前に姿を現すこともない。患者に求められているのは、ただ「皇后が慈悲を示された」というフィクションの物語に感涙し、それを理由に、自分たちに対して行われている人権侵害を黙って受け入れ、耐え忍ことだけである。下賜金さえ、療養所の隔離政策を推進するために投入されたに過ぎず、ハンセン病者の自由のために用意された費用ではない。

これとほぼ同じ構図が、カトリックのヒエラルキーや、プロテスタントの牧師制度にも、見いだせるのである。もちろん、キリスト教以外の宗教も皆同じなのだが、伝道者らは常にハンセン病者よりも高いところに立って、彼らに慈悲を垂れる存在として、患者らのもとを訪れた。それらの宗教は、それぞれの人間の抱える弱さに、常に「救済」めいた解決案を示すことと引き換えに、信者となった者たちを、宗教指導者とのヒエラルキーに従属させ、かつ、信者が宗教団体のもとに来て、これに所属し、奉仕や献金をすることで仕えるよう奨励する側面を持っていた。

いわば、これらの宗教そのものが、大きく見れば、信者を俗世から「隔離」し、宗教団体の支配の道具として行くという側面を持っており、信者を人間を中心とする宗教的なヒエラルキーの中に束縛して行くちう性質を持つものなのである。そして、常にそのきっかけとして大いに利用されるのが、人間の抱える弱さや問題なのである。

キリスト教に入信する多くの信者たちは、この世で味わった何らかの挫折体験をきっかけに、己が罪を自覚し、それを克服する手立てを見つけようと教会を訪れる。しかし、教会の方では、彼らの弱さに耳を傾け、相談に乗り、助けの手を差し伸べるように見せかけながら、実際には、その悩み相談をきっかけに、信者となる人々から、「救い」を質に取る形で、その信者を宗教指導者を頂点とするヒエラルキーの中に組み込み、神に奉仕するという名目で、支配を受け入れさせた上、宗教団体の中に束縛し、「隔離」して行く。

はっきり言えば、キリスト教界であろうと、それ以外の宗教界であろうと、目に見える人間を宗教指導者として立て、信者がその者の教えに従い、宗教団体に帰依することで、人間が人間に「救済」を与えようとするすべての宗教には、本質的に、ハンセン病者の隔離政策に通じる残酷な支配と搾取、「隔離」の側面が含まれていると言えるのである。そうであるがゆえに、これらの宗教は、絶対隔離政策の誤りを見抜くこともできず、それを糾弾することができる立場にも初めからなかったと言えるのである。

当ブログではこれまで、ペンテコステ・カリスマ運動から出現して来たカルト被害者救済活動を例として、なぜこのような「弱者救済運動」が、偽りであると言えるのかを説明して来たが、つまるところ、この弱者救済活動の失敗も、国家神道がハンセン病者を「救済」という名目で隔離したのと同様に、「人間による人間の救済はすべて偽りである」という事実を表しているだけなのである。

うわべは「慈悲」や「同情」に基づいてなされる人間による人間の「救済事業」の究極的な目的は、決して人間を弱さから解放することにはなく、むしろ、弱さの中に永久に閉じ込めて支配することにこそある。それは「イゼベルの霊」のなせるわざであり、支配する者とされる者とのヒエラルキーの中に、弱さを抱える人間を永久に閉じ込める事を目的とする偽りの「救済」なのである。

人の弱みを足がかりにして、「救う側」と「救われる側」の差別が作り出され、その差別構造を固定化するために「慈悲」や「同情」という名目が用いられる。それをありがたいものとして受け入れれば、ターゲットとされた人間はどんどんディスカウントされて、その支配に抗う力を失って行くのである。

こうしたグノーシス主義的被造物崇拝と偽りのヒエラルキーのもたらす歪んだ差別と支配の構造が、ハンセン病者の絶対隔離政策には、究極の形で現れていただけであると、当ブログでは考えている。療養所の外に出れば、そこには自由な世界が広がっていたのかと言えば、全くそうではなかったのである。

療養所を訪れた宗教界の人々は、ただハンセン病に罹患していなかっただけで、宗教界にも、療養所と本質的にはそれほど変わらない風景が広がっていた。軍国主義時代の日本人の国民生活は自由でなく、宗教界の信者の生活も同じであった。人々は自分たちの弱みを宗教団体や社会に質に取られつつ、現人神のような誰かに生殺与奪の権を握られて、その者に仕えることで、自分を正当化し、何とかして自分の弱さを克服しようともがきながら、現実には、いつまで経ってもその弱さを克服できずに、支配と搾取の関係の中に閉じ込められ、隔離されていただけなのである。

さて、当ブログの本題に戻ろう。私たちは一体、どうすればこのようなグノーシス主義的な忌まわしい差別や支配と搾取の構造から逃れ出ることができるのであろうか? 

どうすればイエスが与えようとされた自由に人は至り着くことができるのであろうか?

そのためには、まずは目に見える宗教指導者に帰依することをやめることであろう。「やんごとなき人々」を探し出しては、彼らに自分の悩みや問題を打ち明け、他人に弱さを解決してもらおうと、彼らの「慈悲」や「同情」を乞うことをやめ、目に見える一切の教師たちを心の中から投げ捨てて、ただ目に見えない神だけに頼り、神にすべての重荷を負ってもらうことである。

イエスは地上におられた間、人々に同情の涙を注ぐことによって永久に人を弱さの中に閉じ込めようとはされなかった。むしろ、ご自分の復活の命を、信じる人たちに分け与えることにより、ご自身が救いとなって、その人を内側から解放されたのである。イエスは盲人の目を開き、足の不自由な人を立ち上がらせ、らい病患者を癒され、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われた。

人間は被造物に助けを求めている限り、罪に罪を増し加えるだけで、決して解放されない。キリストだけが唯一の救い主であり、十字架を通して人を内側から解放する力を持っておられるのである。

あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。<略>まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」(ヨハネ4:21-23)

あなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要はありません。この油が万事について教えます。それは真理であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。」(Ⅰヨハネ2:26)

わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:31)

主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを取り除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(Ⅱコリント3:17-18)